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ミカロの少しはやはり少しではなく、バナナボートまで提案してきた。アクティビティは想像以上に激しくて、身体ごと海に叩き落とされる衝撃は遊びというよりも修行に近かった。それでもミカロが、笑顔で「アンタ情けないなあ」なんて言いながら僕の手を引っ張る姿を見ると、自然と膝と一緒に笑ってしまう。
彼女は水着の上からさらりとしたワンピースを羽織っていたけれど、濡れた髪が肩にまとわりつくせいか、普段より少し大人びて見えた。水面を跳ねた時に少しずれた肩紐、濡れた布地越しに透けて感じた肌のしなやかさ。日差しに照らされたその姿は、まるで夏という季節そのもののようだった。
「あー、楽しかった。今度はコレやろうよ」
「ミカロ、ちょっと待った。ちょっと休憩しよう」
「もうギブアップ? だらしないわね。じゃ、休憩するのにいい場所見つけたから、そこいこ」
そう言ってミカロは、僕の手を軽く引っ張る。まるで迷いのない導きだった。僕は観光地図を手にしていたけど、それを畳んで彼女に従う。
たどり着いたのは、丘の上にある展望台カフェだった。白を基調にしたテラス席が海に向かって開けていて、潮風がテーブルを撫でていく。風の魔法使いを歓迎するように、やや強めの風がミカロの髪を揺らし、その顔にさざ波のような笑みが浮かぶ。
「ね、ちょっと良くない? こういうの」
ミカロは僕の正面に腰掛けながら、メニューをめくる手を止めない。その仕草もなんだか軽やかだった。
僕は定番のサンドイッチセットを選んだ。なんだか今日は、あのときの味を思い出したくなった。
ミカロは検査するように僕のサンドイッチをパンの粉粒が見えるほどにゆっくりと眺めてきた。怪しいがただ食べたいだけなのだろう。
「アンタってさ、もしかしてサンドイッチ好き?」
ミカロが、パフェを一口すくったスプーンをくるくると回しながら尋ねてきた。
「うん、まあ。好きだけど、本当はハンバーグの方がもっと好きかもしれない」
僕がそう言うと、ミカロの目が一瞬だけ光った。
「へー。ハンバーグって、ワタシの得意料理なんだけど? あんたの口に合うか分かんないけど、今度作ってあげよっか?」
得意げに胸を張ってみせるミカロ。その目はすでにキッチンに立っているかのような自信に満ちていた。
でも僕は、午前中の激しいアクティビティと照りつける日差しにすっかり体力を持っていかれていて、食欲はもうホテルに引きこもってしまっていた。
「ありがたいけど、今日はちょっと……ハンバーグって気分じゃないかな」
その瞬間、ミカロの拳が紙コップが圧縮されるような勢いでぎゅっと握られた。震える手を見て僕は小さく息をのむ。彼女の視線が静かに僕を射抜いていた。
「ねえ、アンタ。それ、ワタシの厚意をドブに捨てるってこと?」
半分冗談、半分本気。それでも、ミカロの目は怒っているというよりも、がっかりしたように見えた。
「いや、そういう意味じゃなくて。今度、ハンバーグを食べに行こう。僕からのリクエストってことで」
僕がそう言うと、ミカロは一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。けれどすぐに頬をわずかにふくらませ、ぷいっと顔を背けた。
「ふん……ま、アンタから誘われたなら、考えてやってもいいけど」
そう言って彼女は視線だけをこちらに戻す。口元は素直じゃないくせに、瞳はどこか嬉しそうに揺れていた。
僕はこの瞬間が、確かに絆になっていることを感じていた。
水をひと口飲んで、のどの奥を潤した僕に、ミカロがにやりと笑みを浮かべて聞いてきた。
「シオンって、恋人とかいないの?」
唐突すぎる質問に、思わず口に含んでいた水を吹き出しそうになる。なんとか平静を装いながら、僕は苦笑いを浮かべて答えた。
「いや、そんな余裕はなかったよ。バンガードの任務に就いてる間は、戦いと任務に追われて、恋愛なんて考える時間すらなかったし」
「ふーん、そっか」と言いながら、ミカロはどこか安堵したように頷き、テーブルの下でそっと僕の手を取った。指先が、ほんの少し震えていた。
「ワタシね、自分で選んで家族と離れて、自由にやっていくって決めた。でもさ、アンタとこうして旅してると、なんか……やっぱり、寂しくなるときもあるんだよ。だからさ、ちょっとぐらい責任、取ってくれてもいいんじゃない?」
冗談めかして言ってるように見えたけど、その目は真剣だった。僕は返す言葉を選びながら視線を泳がせる。
「確かに決めないといけない部分ではあるけど、今はペンダントの旅を優先したいんだ。それに、いつかの記憶が戻った時に考えが変わるかもしれないし」
カフェのテーブルに穏やかな風が吹き抜けた瞬間、金銀の髪を揺らして現れたのは、堂々たる姿勢のセインだった。目の奥に冴えた光を宿し、まるで最初からチームにいたかのように自然に席へ加わった。
「二人して、面白そうな話してるね。私も混ぜてよ」
カフェのテーブルに自然な流れで腰かけると、彼女は笑みを浮かべながら僕とミカロの手元を交互に見つめた。
「セイン!? どうしてここに……?」
「お姉ちゃん!」
ミカロがぱっと笑顔になる。
僕の心に一瞬、驚きが走った。え、ミカロのお姉さん? いや、それは聞いてなかった。
「ちょっと待ってくれ。セインって、ミカロの姉だったのか?」
セインはゆっくりと首を横に振ると、淡く微笑んだ。
「違うよ。血は繋がってないし、家族でもない。ただ、ミカロちゃんが私の店によく相談に来てくれてただけ。だから、いつしか『お姉ちゃん』って呼ぶようになってくれたの。嬉しいけど、お店以外で呼ばれるのはちょっと照れるかな」
ミカロは、少し照れたように笑ってうなずいた。そして僕の手を握っていた暖かさをそっと放す。
「それにしても、どうしてここに?」
「バカンスだよ、バカンス! お店で働いているだけが私の人生じゃないんだからね。ところで、これから何か予定でもあったの?」
セインがそう尋ねると、ミカロは間髪入れずに答えた。
「アクセサリを探しに行こうと思ってたところ。ね、シオン?」
僕はその視線に助けられ、うんと頷く。
「じゃあ、三人で行こっか」とセインが笑顔で言い、頼んでいたドリンクを勢いよく無残に飲み干して立ち上がった。
午後の陽が斜めに傾きはじめ、海辺に近い街には夕方特有のゆったりとした時間が流れていた。海風は穏やかで、少し肌をくすぐるように吹き抜ける。三人で歩くにはちょうどいい時間だった。
たどり着いたアクセサリショップは、夕日で染まった外壁がどこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。中に入ると、ガラスケースには色とりどりの指輪やネックレスが整然と並べられている。
ミカロとセインはまるで本当の姉妹のように、キャッキャと楽しそうに話しながらアクセサリを見ている。僕はというと、少し離れた場所で、ひとつの指輪に目を奪われていた。
アクアマリン色の、海のように澄んだ輝きを放つ指輪。
何となく、今のこの旅を象徴するような気がして、手に取ったそのとき、ふと隣に目をやると、ミカロも同じようにその指輪を見つめていた。
「・・・もしかして、気になってた?」
「まあ、ちょっとだけ。キレイだし、色も好きだし」
ミカロが小さく答える。少し口を尖らせていた。
僕は手にしていた指輪を軽く回すと、ミカロの持っていた指輪をするりと奪って、店員に渡した。
「じゃあ、二つください」
「ちょ、なんでアンタが勝手に!」
ミカロは小声とタコのような外に流れるパンチで抗議してきたけれど、僕の横顔を見て、口を閉じた。そして、ほんの少しだけ頬を染めながら、ぽつりと一言。
「・・・ありがと」
それだけだったけれど、その一言に、僕の中で何かが温かくなった気がした。
アクセサリーショップを後にして、夕焼けに染まる道をセイン、ミカロと僕の三人で歩く。陽が傾き始めたリゾートの空気は、昼間の喧騒よりもどこか落ち着いていて、心地良い潮風が頬をなでていった。
「ねえ、そろそろホテルに戻るの?」
セインが尋ねると、ミカロはリングの箱を抱えたまま嬉しそうに頷いた。
「うん、結構歩いたし、明日もあるから、そろそろ戻らないと」
僕は二人に合わせて歩調をゆるめる。セインはその歩きながら、ちらりと僕の横顔を見て、ふと口を開いた。
「ところでシオン君、私、最近売上も落ちてきてるし、あんまり暇してるのもアレだから、協力させてよ。前に相談してくれたあのペンダントを追いかけてるんでしょ?」
急な申し出に僕は目を丸くする。さっきまでただの同行者のようだったセインが、いきなりそんな話を切り出してくるなんて。
「ダメだ。兵士でもないのに危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「いいじゃん、幼馴染なんだから。お礼にエッチなこと以外なら何でもしてあげるから」
当然のように口にしたその言葉に、僕は反応するタイミングを失った。
その一言に、隣で歩いていたミカロの眉がぴくりと動く。無言で、でもはっきりとした意思を込めて、僕から距離を取っていく。焦った僕はすぐに否定しようと口を開いた。
「違う、誤解だ」
「あー、シオン君はエッチなお願いが希望かぁ」
「そんなわけないだろ!」
セインはにっこりと笑いながら、とどめを刺すように言う。ミカロは視線を逸らしつつ、口元をかすかに引きつらせた。
「ワタシは関与しないから、シオンなんとかして」
「わかったよ」
そんな空気のまま、僕たちはホテルのロビーにたどり着いた。ホテルのロビーで言い争いを続けるのも気が引けて、僕たちは服装を整えてから、オラクリエの部屋を借りて全員で話し合うことにした。
「人数多いときに男部屋使うのって、ちょっと違くないか?」
オラクリエがベッドの端で呆れたように言うと、ミカロがきっぱりと返す。
「女子部屋にアンタ入れるわけないでしょ。色々危険そうだし」
「そうかよ。我儘な花嫁さんだな全く」
仕方なく頷いたオラクリエをよそに、僕はセインの紹介をしようと口を開いた。
「それじゃあ改めて——」
「シオンの彼女、セインでーす!」
先を越された。部屋の空気が一瞬にして凍り付く。
「はあ!?」
「どういうこと!?」
「シオン様、それは本当ですの?」
怒号と困惑の嵐。僕は両手を挙げて必死に否定する。
「ちょ、違う! セインさんとはただの幼馴染で、付き合ってるわけじゃ——」
エイビスの冷たい視線が突き刺さる。僕は冷や汗をかきながら、チームとしての話し合いをなんとか進めようと、皆をなだめにかかった。




