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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第四章【解毒】

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波の音が、どこまでも穏やかだった。

 体のあちこちが重く、まぶたも石のように鈍かったけれど、その波音と、潮の香りが微かに意識を手繰り寄せていた。

 誰かの声が近くでしていた。女性の声だった。上品な鈴を優しく鳴らしたように澄んでいて、芯の通った意志を秘めながらも、どこか花の香りを思わせるような柔らかさのある声、多分シャルルローゼスの声だ。


「ミカロさん、お手すきのときに二人で話しませんか?」

「うん、シオンの体調が戻った後だったら、いつでもいいよ」


 その会話だけが耳に届き、僕の意識はまた、静かに眠りの中へ沈んでいった。

 

***

 

 次に目が覚めたとき、部屋の天井がぼんやりと見えた。

 自分がどこにいるのか、数秒間だけ理解が追いつかなかったが、ゆっくりと頭を動かすと、船の天井ではなく、白を基調とした涼しげな天井板だった。どうやら僕は、あの後ちゃんと宿に運ばれていたらしい。


「……っ」


 体を起こそうとした瞬間、足に軽い抵抗を感じた。毛布を捲ると、右足に包帯が丁寧に巻かれている。


「あれ、もう治ったのか?」


 不思議と痛みはなかった。全身に痺れや違和感もなく、肩の傷もすでに治りかけているようだった。どうやら眠っている間に、誰かが手当をしてくれたらしい。

 耳に届くのは、突き上げて来るもなぜか心地の良い波打つ音。月が顔を見せ微笑んでいる。

窓から見ると、そこには真っ白な砂浜と透き通る青い海が広がる、まるで絵画のような風景が見えた。ヤシの葉が風に揺れ、遠くから波音が心地よく響いてくる。南国の香りを含んだ風が、日常の喧騒をすべて洗い流してくれるようだった。どこか、夢の中にいるような心地がした。

どうやらここは、港近くのビーチリゾートのようだ。かすかに潮の香りや湿り気があるパンフレットにはセレフィーネと書いてある。確かに天使のように居心地のよい空間だ。


「ひとまず……散歩、してみるか」


 同じ部屋に寝ているのは、ソファにごろんと転がって寝ているオラクリエだった。白シャツの前ボタンも開いたままの寝相に苦笑しながら、そっと音を立てないように僕は部屋を出た。

 そのとき、ポケットの中で何かが震えた。同じように起きたばかりの端末だった。

 確認すると、数日前にミカロからメッセージが届いていた。


『起きたらでいいから、ワタシの部屋に来て。ちょっと話したいことがあるの』


 日付を見て、思わず息を呑む。三日前の送信だ。


「三日も……寝てたのか、僕」


 驚きはあったけれど、それ以上に申し訳なさがこみ上げてくる。寝ていた自分のことを、彼女はどんな気持ちで待ってくれていたんだろうか。

 部屋の扉の前まで来て、僕は一度だけノックをした。

 反応はなかった。


「寝てるのかな。ま、零時じゃ寝ていてもおかしくないか」


 そう思って引き返そうとしたその時、ゆっくりと扉が開いた。


「シオン!」


 明るく、少しだけ嬉しそうなミカロの顔があった。

 次の瞬間、彼女は僕の手を取って、引き込むように部屋の中へ招き入れた。

 

***

 

 彼女の部屋に入った瞬間、まず目に入ったのは彼女の服装だった。

 露出の多いラッシュガードの上に、半分だけ羽織ったリゾート風のパーカー。サングラスが頭の上に乗っていて、頬にはほんのり日焼けの跡まで残っていた。


「ビーチにいたのかい?」

「まぁね。シャルと一緒に、ほんのちょっと。彼女、こういう場所って初めてだったらしくて、テンション高くてさ。だから付き合ったの」


 ベッドに腰を下ろしながら、ミカロはサンダルをトンと脱ぐ。


「でも、それ以外はアンタのことが心配で、ずっとここにいたの。今日だけ、ちょっとだけ遊んでた」

「僕のことなんて、放っておいてよかったのに。ミカロだって……任務続きでずっと休んでなかったんだろう?」

「は? 放っておけるわけないでしょ、バカ」


 ミカロはムッとした顔で言った。


「ワタシを助けてくれたのはアンタでしょ? その人が、血まみれになって倒れてるのに、放っておくってどんな神経してんのよ」


 口調はきついけど、言葉の裏に優しさがあるのは分かっている。

 それでも僕は続けた。


「君には、休んでほしかったんだ。本当に。エイビスと出会った頃から、戦闘続きで無理してるのは分かってたし」

「……」


 彼女は少しだけ黙ってから、小さく呟いた。


「そう思ってくれるのは、ありがと。でも、ワタシが心から楽しめなかったのはアンタのせいだから」

「え……僕の?」

「そう。だから明日、リゾートを楽しむのはアンタとワタシ、二人だけ。いい?」


 目を見て真っ直ぐに言われたら、断れるわけがない。


「……はいはい、了解しました。お供しますよ、眠っててすみませんでした」


 僕が笑ってそう答えると、ミカロはくすっと笑って、


「いい返事。じゃ、明日は朝から泳ぐからね。覚悟しといて」


 まるで子供のように笑う彼女の顔を見ながら、なんだか心の奥がふっと軽くなった気がした。

 潮風がカーテンを揺らし、遠くで波の音が静かに響いていた。

 波の音が心地いい。きっと、街の喧騒や剣戟の響きよりも、僕にはずっと似合っている。そんなことを思いながら、ミカロの部屋でぼんやりと座っていた。

 ミカロが小さなボトルを取り出し、何気ない仕草で水を飲んだ後、僕の前にもう一本差し出してくれた。


「はい、水分補給。脱水で倒れられても困るから」

「ありがとう。気が利くね」

「当然でしょ。ワタシ、万能だから」


 少し照れくさそうに笑う彼女の表情は、どこかこれから話すことへの緊張を含んでいるようだった。僕はボトルの蓋を開けながら、ふと尋ねる。


「そういえば……あのメッセージ、三日前に送ってくれたんだよね? 僕を呼び出した理由、聞いてもいいかな」


 ミカロは一瞬だけ視線を外し、それから軽く息をついて口を開いた。


「ワタシね……いったん、アンタたちのチームから離れようと思ってる」


 その一言で、全身の神経が逆撥ねした。

 僕は反射的に立ち上がりかけ、剣を持っていないことさえ忘れていた。


「それって、レオグランか、それとも君の父親に何か脅されてるのか?」


 ミカロはすぐに僕の手を引いて、椅子に座らせた。


「違う。アンタ、また早とちりしそうだったから、ちゃんと聞いて」


 目線を合わせ、静かに話し始める。


「ワタシ、回復魔法を会得したいの。今回みたいな偶然じゃなくて、いつも使えるようにしたい。確かに今のままでも戦える。でも、いつかシャルと契約獣の力が前線で必要になるかもしれない。その時に私が後方で支援ができるようにしておきたいの」


 彼女の声は静かで、けれど揺るがないものだった。


「だから、しばらくチームから離れて、ちゃんと回復魔法が使えるように修行する。それだけ。あとペンダントも、離れてる間はシオンが持ってて」


 僕は何も言えなかった。言葉が喉の奥でくすぶったまま、飲み込むしかなかった。

 本当なら、無理にでも止めたかった。でも、それはきっと、彼女の決意を軽んじることになる。


「わかった。……でも、戻ってきて。絶対に」

「うん、もちろん」


 僕が右手を差し出すと、ミカロは迷いなく、ぺちんと手を合わせてくれた。まるで、二人だけの小さな契約のように。

 その直後だった。

 体を起こそうとした僕の足が、ふらりと揺れた。右足にうまく力が入らなかったらしく、背中からドサリと倒れ込んでしまう。


「ちょっ……シオン!」


 ミカロが咄嗟に手を伸ばし、僕を支えようとした――そのはずが。

 二人の重心がずれ、彼女の体が上から僕に覆いかぶさるように倒れてきた。

 僕の視界いっぱいに、ミカロの顔。至近距離。しかも、さっきのラッシュガードのまま。

ちょ、ちょっとこの距離はさすがに――

 慌てて彼女の両肩を押さえ、体を起こした。壁に寄りかかるようにして呼吸を整える。


「ご、ごめん。変な倒れ方して」

「べ、別に……ワタシが受け止めきれなかっただけだし」


 ミカロは椅子の背もたれを指先で叩きながら、時折僕との目線をわざと逸らした。


「無理して動かすと、また悪化するんじゃないの? 回復魔法、もう一回試す?」

「いや、大丈夫……って言いたいけど、正直に言うよ。腹が減った」

「は?」


 ミカロは一瞬きょとんとした顔になり、それから何かを思い出したように小さく笑った。


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