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「ああ、それは昨日までの演習で使ってた訓練用のタグですよ。貼り忘れてて、すみません」
後ろからやってきた別の兵士が笑いながら割り込んできた。どうやら別人と勘違いされていたらしく、車掌は一瞬きょとんとした後、鍋に入れた麺がふやけたような納得した顔になった。
「それは失礼。行っていいよ」
その言葉に、全員同時に息を吐いた。
「心臓止まるかと思った」
「本当に、僥倖でございましたわ」
僕も苦笑しながら頷いた。たまたま通りがかった兵士に救われるなんて、運が良いのか悪いのかよく分からない。
その日の宿は駅からそう遠くない小さな旅籠だった。列車を降りた兵士たちが港の方から戻ってくるという情報を聞きつけて、僕たちはすぐにその場から離れた。近くに軍がいるのは、今の僕らにとって歓迎できる状況じゃなかった。
「シオン様、通りで隠密を図るのは危険です。ここはどこか休める場所を探しましょう」
「わかった。そうしよう」
節約のために、僕たちは宿へ訪れ、二部屋を取った。エイビスとミカロが同室、僕がひとり。エイビスは僕と一緒の部屋が良いと提案してきたが、もちろん断った。
移動しただけとはいえ、僕の体もどっと疲れが出ていた。着替えもそこそこに相棒を磨き、カーテンを盾にベッドへ倒れ込む。部屋は静かで、外の音もほとんど聞こえない。まどろみに落ちかけた、そのときだった。
「シオン様、起きておられますか?」
扉の向こうから、エイビスの声がした。
「起きてるよ。どうかした?」
寝返りを打って、扉を開けると、エイビスがやや不安そうな表情を浮かべて立っていた。
「申し訳ございません。どうしても、少しだけお話がしたくて」
「どうぞ」
彼女は静かに部屋へ入り、椅子に腰掛ける。いつものように凛とした所作なのに、どこか落ち着きがなかった。
「いつものベットとは違うから、寝心地は悪いかもしれないね」
「いえ、そんなことはありません。むしろ学園のことを考えなくて済んだので、気持ちとしてはむしろスッキリしていますわ」
彼女は笑顔を向けてきたが、顔を引っ張ったような笑顔はやはり分かりやすい。
だが、何かを言いたいのか指はいつまでも落ち着きがない。
「昨日は敵に遮られてしまったけど、あの時、話したかったことを聞かせてもらえるかな」
彼女はゆっくりとおもちゃのように頷くと、コップの紅茶を一飲みしてから口を開いた。
「シオン様だけが私との思い出を失っていることが、物凄く気にかかっているんです。もしも記憶を奪った何者かがいるのであれば、何らかの意図があるのかもしれませんから」
確かにエイビスだけ覚えている出来事があるのは気になる。
ただ、エイビス自身が内容を話そうとしてこないことも同じぐらい興味が湧いていた。
「確かに気になるけど、次のペンダントの持ち主が揃ってからでもいいかもしれないね。エイビスはどう思う?」
「わ、私もそう思いますわ。シオン様にとっては心休まらない場所ですから」
彼女が微笑むと、部屋の空気が少しだけ温かくなった気がした。けれど、その表情の奥に、どこか曇りがあるようにも思えた。
そしてその夜、僕たちは再び動き出した。目的はひとつ。タイダルフォースの情報をほんの少しでも良いから集めたい。遠くからでもいいから確認しておけば、何か成果はあるはずだ。前のように行き当たりばったりで動くわけにはいかない。
ミカロの話だと、エイビスは少し休みたいということなので、仕方なく僕と彼女で調査を開始することになった。
宿を抜けて、裏路地を抜けて、軍施設の西側へと回り込むと、ちょうど高台のようになった建物の屋根から、正門が見下ろせた。
「ねぇ、ペンダントの方角だとあの人のことを指してない?」
僕のペンダントも迷うことなく直線状に僕の見つめる先を示していた。
風に揺れるローブの裾、無造作にまとめられた緑の長髪。すらりとした体躯に、鋭い眼差し。
その胸元に馴染のある形をしたペンダントが、確かに輝いていた。
「まさか、こんな簡単に見つかるとは思わなかったよ」
「間違いなく、私たちと同じペンダントね。問題なのはタイダルフォースの兵士ってことよね。前みたいに楽々侵入、ってわけにはいかないわよ」
遮蔽物が少ないせいか、ミカロの小声がわずかに歪んで聞こえてくる。
その晩、僕たちは宿に戻り、ペンダントを持っていた人と会う方法についてエイビスと一緒に話すことにした。
ただ、エイビスは休んだという割りには隠れるように欠伸をしていた。
「以上が見て来た状況だけど、エイビスは何か知ってるかい?」
「おっしゃっていただいた情報ですと、私の見解ではシャルルローゼスだと思いますわ」
「知り合いなの?」
「ええ、私の監視と護衛役として勤めていただいています。が、」
彼女は言葉を飲み込んだ。
僕はそれ以上無理やり話を進めなかった。エイビスの中にある複雑な思いが、少しだけ伝わった気がしたから。
「監視、そういえばあの家には居候しているって話だったね」
「はい、あの家にはいつでも出ることができるよう用意していた手紙を置いてありますから、すぐに追ってくることはないと思います」
「シャルルローゼスに、彼女には会いたくないのか?」
僕が問うと、エイビスは少しの間、沈黙してから答えた。
「正直に申し上げますと、あの子は私に構い過ぎていると思うのです」
ミカロが口を開く。
「護衛ってそんなもんじゃん?」
「そうではないのです。彼女は毎週インクを足したり、紅茶の補充、昼食の準備に服の用意まで、護衛とは関係のないところまで割り込んできますの」
僕は少し考えてから言った。
「それって、僕に対してエイビスがしてくれてることと、ほとんど変わらない気がするんだけど」
ミカロも頷く。
「ワタシもそう思う。アンタ、自分のことを棚に上げてるわよ。シャルルローゼスと一緒にいると、姉妹と間違われるわよ」
エイビスはきょとんとしてから、肩を落とした。
「お二人とも時折、容赦がございませんのね」
「いや、どちらかと言えば、褒めてるから」
「うん。僕もエイビスがしてくれること、すごく助かってる」
ようやく、エイビスの口元に、ほんの少し笑みが戻った。
「エイビス、彼女と話ができるよう相談をお願いしてもらえるかな」
「シオン様のお願いとあれば、仕方ありませんね。ただ、1つ条件があります」
さっきのブーメランがよほど気に入らなかったのか、エイビスは小悪魔のような笑顔と目線を僕に向けて人差し指を見せた。
「シャルルローゼス、あの子と話をすることができたら、私とデートしてください」
「デ、デート?」
「はい、デートです」
「わかった、考えとくよ」
ミカロは僕をゾンビでも見るかのような蔑みの目つきをすると、好物の食事を心待ちにしているエイビスを横目に部屋を出ていった。
断っても受け入れても、あの目はほとんど変わらなかっただろう。
彼女の言葉で、夜の静けさがまた違って感じられた。シャルルローゼス、緑の長髪にペンダントを下げた少女。あの姿が、今も脳裏に焼きついている。




