×人 坊野極③
ここまで語られればマヨヒガの役割にも察しはつく。
それでも四人は最後まで日記を読み進めることにした。
「『ここまで話を聞いて思ったのではないか? あの子も儂や道無零のような神なのではないかと』」
その考えは当然のことながら四人にもあった。
坊野は暴力という概念が肉と人格を得た神なのではないかと。
「『それは違う。あの子は儂らのような紛いものではない』」
そう在れかしと人に望まれたから神は強大な力を持って生まれた。
神ですらその力には理屈が伴うのだ。原因と結果からは逃れられない。
だが坊野は違う。誰に望まれたわけでもない。
「『この世に唯一存在する“本物”の超越者だ』」
何の理屈も存在しない純正の超越者。それこそが坊野極なのだ。
「『もしあの子が神ならまだ救いはあっただろうがそうじゃない。その理由が精神性だ。
人は神を求める際、力だけでなく中身にも超越性を求めるもの。
そりゃそうだ。力はあっても中身が人のそれなら救いも裁きも人の範疇に留まってしまう。
嫌いだから裁く、好きだから救うなんて真似をされれば神を求めた甲斐がないだろう』」
坊野は極まった暴力という一点以外は一般人のそれだ。
だからこそ理不尽を押し付けられれば怒る。怒れば手が出てしまう。
「『トリガーの軽さと放たれる暴力の規模に差があり過ぎる。それこそが問題なのだ。
暴力を振るう対象となってしまえば純正の神たる儂や道無零ですら抗えない』」
あ、と零が声を漏らす。
「……そうか。そういうことだったのか」
零はかつて坊野の怒りを買いかけた。
実際に暴力は振るわれなかったがその兆しを感じ取ってしまった。結果、壊れたのだ。
ただ銃口を向けられただけで神の完全性は破綻し零は人となった。
異能に制約がついたのもその影響だ。もし零が神のままなら坊野以外は問答無用で無に還せていただろう。
「……なるほどな。お祖父様がコイツを手にかけることを慈悲と言った理由にも得心が行く」
「全てを虚無に還そうとすれば必ず坊野とぶちあたる」
そうなればどうなる?
今正に暴の極みに晒されている魔女のようになっていただろう。
勝手に生み出された挙句、心身を圧し折られ善人として生きることを強いられる。
これほど惨いことはあるまい。
「『人の世にはうんざりするほどの理不尽が溢れている』」
嫌な同級生、嫌な先生、嫌な上司。
そんな身近なものから社会制度など一個人にはどうしようもない規模のものまで様々ある。
その理不尽を飲み込みながら人は生きていくのだが坊野にはそれが出来ない。
引き金が引かれてしまえば一国の総理大臣ですらその対象になってしまう。
暴力、権力。対象が持つ力が大きければ大きいほど坊野が振るう暴力の規模も大きくなる。
結果、どうなるか。
「『――――極は世界を滅ぼせてしまうのだ』」
生きとし生ける命を皆殺しにする、なんて単純な話ではない。
究極の暴力は決して命は奪わない。
森羅万象あらゆるものを圧し折り屈服させてこそ究極の暴力だからだ。
では何故、世界が滅ぶのか?
それこそが神をして性質が悪いと言わしめる強いられた善良さだ。
「『あの子の暴力が世のありとあらゆる理不尽を蹂躙したとしてだ。
待ち受けているのは誰も傷付くことのない優しい世界などでは断じてない。
ああ、表面上はそうなるだろう。誰もが極を恐れ善人の皮を被るからな』」
直接暴力を振るわれた者だけではない。それ以外もだ。
理不尽を蹂躙する過程で振るわれる暴力。
蹂躙する対象が大きくなるにつれ嫌でも人々の目についてしまう。
「『彼らは思うだろう。もしあの暴力が自分に向けられたら、と』」
ただ目撃しただけで? と思うかもしれない。
だがテュポーンらは知っていた。
「……超常の力を扱う者でさえ恐怖に縛られたのだから当然だな」
「例の記憶を覗こうとした人たちのことだね」
中島元首相暴行事件の真相を知る者らが自殺してでも口を閉ざそうとしたのが何よりの証明だ。
並みの精神ではただ見ただけで圧し折れてしまう。
超常側に居る人間ですらそうなのだ。世の大半を占める一般人に耐えられるわけがない。
魔女への暴行をリアルタイム配信されている四人が平然としているのは彼らが特別だからだ。
加えて坊野に対する友情、愛情のお陰でもある。
「『結果として誰もが善人になるわけだがそれは決定的な破滅の種を抱えるということでもある』」
他者に強いる理不尽の源泉は何だ? 悪意だ。
では悪意はどこから生じる?欲望だ。
望み欲する心こそが他者に向けられる悪意を生む。
坊野を恐れ人々が善人の皮を被るということは欲望を捨て去るということでもある。
分かっているからだ。欲望がある限り坊野に目をつけられる可能性を摘むことは出来ないと。
「『だが欲望が生むのは決して悪いものだけではない。歴史を振り返ればそれは瞭然だろう?
軍事目的で開発された技術が平和利用されているなどざらにある。無論その逆も然りだが』」
つまるところ欲望とは不可分なのだ。
都合良く負の部分だけを切り捨てることなど出来はしない。
欲望を捨てるということはより良い未来を望む原動力を捨てるということでもあるのだ。
「『進歩は望めなくなる。では今日と変わらぬ明日が永遠に続いて行く?』」
いいやそんな都合の良いことは起きない。
現状を維持するためにも欲望の熱が必要だから。
「『一番分かり易い破綻を挙げよう。出生率の激減に伴う人口減少だ』」
人が子を成す時、そこには必ず欲望が付き纏う。
愛情以外は語るまでもないが一見そうとは思えない愛もまた欲なのだ。
愛も綺麗なだけものではない。愛ゆえに過ちを犯すなど珍しくも何ともない。
ゆえに坊野が世の理不尽全てを捻じ伏せた時、人は子を成さなくなる。
「『連綿と続く命の営みがそこで途絶えるのだ。百年もしない内に人は滅ぶ。
あの子が寿命を迎えるまで耐え忍ぶか? いいや不可能だ。言っただろう? 純正の超越者だとな。
世に蔓延る全ての理不尽を蹂躙する。やれはしてもやらない。大袈裟な仮定だと思ったか?
違う。人の世で生き続ける限り可能性はドンドン跳ね上がって行くのだ』」
テュポーンは徐々に文字が荒れ始めていることに気付く。
この日記を綴っていた祖父の心情を察し目を伏せる。
「『世界を滅ぼせる理由は他にもある。あの子の暴力が及ぶのは知性体だけなのか?』」
四人の目が大きく見開かれた。
そこまで考えが及んでいなかったのだ。
「『先ほど述べたがあの子の暴力は道無零にも届き得るというのが儂の見立てだ』」
肉体や知性があるとはいえ虚無の化身だぞ?
そんなものにまで暴力を届かせるのならば概念や自然現象にすら……。
「『この日記を綴っている時点ではそういった事例には遭遇していない。
しかし儂はやれるだろうと思っている。恐らく暴力を振るわれた瞬間、人格や肉が形成されるのだ。
何を馬鹿なと思うかもしれないが人類は既に自然現象や概念を神に仕立て上げている』」
神をして本物の超越者だと言わしめるのが坊野だ。
であれば概念すら殴り付け擬人化するぐらいはやってのけるだろう。
「『感情を排して考えるならあの子を殺すべきだろう。あまりに危険過ぎる。
だがそれは不可能だ。平時は只人のそれなら理不尽を認識させなければ良い。
認識外からの攻撃なら仕留められると思うかもしれないが無駄だ。
究極の暴力とは最強の剣であると同時に最強の護りでもあるのだから』」
究極の暴力とは交わりを排した一方的な押し付けである。
他人の暴力を受け付けてしまう時点で強弱が発生し極点からは遠ざかってしまう。
誰の暴力も受け付けないからこそ坊野は究極の暴力を体現出来るのだ。
「『理屈の面でも感情の面でも排除は不可能。だから儂はマヨヒガを創った』」
そして四人は答えに触れる。
「『――――牢獄。それこそがこの異界の真実だ』」
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