ほんとうのさいわい
「いやごめん。本当に申し訳ない」
微かに滲ませた不快感。只人にはそれだけで十分恐怖に値するだろう。
だが私に恐れを成しての謝罪というわけではないように見える。
「……俺、最低だ」
本気で消沈しているらしく戸惑ってしまう。
何だろうこの男、情緒不安定なのだろうか?
「ガキの時分に散々からかわれて嫌な思いをしてるっていうのに」
誰に聞かせるでもない独り言なのだろう。
だが漏れ聞こえるそれを聞いて何となく察することが出来た。
「えぇっと、私の名前はそちらの世界では名前に使われるような類のものではないのかしらぁ?」
「あ、うん。でもだからって許されることじゃないよな……」
頭を抱えてしまう。本当に面倒くさい男だ。
何で馬鹿にされた私が気を遣う必要があるのか。
「異なる世界の交流とはそういうものだし気にすることはないと思うわ」
「……そう言ってくれるとありがたい」
「ところで私の名前はどういった意味を持つの聞いても良い?」
場の空気を変えるための言葉でもあるが純粋に興味を引かれたというのもある。
無明の天。灼熱の深淵。威や忌、畏を表す私の名がこの世界どはどのような意味を持つのか。
坊野は頬をひくつかせ視線を彷徨わせていたがやがて観念したように答えてくれた。
「……愛や恋を題材にした歌」
「……へえ?」
「それも何つーのかな。高尚なものというわけでもなく幅広く浸透した世俗の文化と申しますか」
「なるほど」
確かにそんなものを名前にしているのは奇矯と言わざるを得ない。
というか私が彼の立場でも噴き出していると思う。
親は何を考えてそのような名前をつけたのか。
(まあでも、私のそれよりはマシかしら?)
生贄には必ず不幸不吉を示す名が与えられる。
そうすることで一緒にそれらを連れて逝かせようという狙いがあるのだ。
逆説、それは私を殺せなければ天は光を喪失し深淵は勢いを増すということでもある。
その通りにあの世界は破滅の坂を転がって行ってしまったのだから皮肉なものだ。
「フフ」
神々が自らの聖性が薄れ失墜していく様を思い出し笑ってしまう。
神なら何故、自分たちを救ってくれないのか。
信者に罵倒されながら臓腑を引き抜かれ泣き喚き許しを乞う神が居た。
人間のように呪いの言葉を吐きながらめそめそと殺された神が居た。
あれらは本当に傑作だった。
「……?」
「何でもないわぁ。それより私はここで何か答えを見つけなければいけないのよね?」
そうしなければマヨヒガからは出られない。
「あ、ああ。今のところ力づくで出られた奴は居ない。ってか出ようとした奴は居ないかな」
まあ納得ではある。
時間という制約が存在しないならばここで無理を通す必要はないだろう。
目の前の男は容易に殺せるがこの異界は私の全霊を以ってしても崩せない。
でも、
「幸せ、幸せねえ」
頬に手を当て思案する。
よく分からないというのが正直な感想だった。
(最初は使命を果たすことだけを考えていた)
約束の時が迫るにつれ死の恐怖を感じ始めた。
逃げ出してからはただ生きたいとそう願っていた。
力を得てからは私を追い詰める者たちへの憎悪。
誰も手出し出来なくなってからは蹂躙の愉悦を。
(そして世界の終わりを眺めながら退屈を覚え今に至る、か)
振り返ってみれば一度として幸福というものについて考えたことがないのだ。
今改めて考えてみるがあてのない逃走劇を繰り広げていた頃より光明が見えない。
「坊野さん。あなたにとって幸せって?」
「え?」
「少し参考にさせて欲しいなあって。ダメかしら?」
「いやダメってこたぁないけど」
そう大したことは言えないとどもる彼に大丈夫よと笑いかける。
男のくせに何と歯切れの悪い。堂々と言えば良いのに。
「朝気分良く目が覚めるとか、ご飯が美味しく感じるとか……友達と楽しい時間を過ごすとか?」
「フフ、素敵ね」
本当につまらない男。ハッキリ言って時間の無駄だった。
少なくとも私の参考にはならない。
食事や睡眠、生命活動に必要な一切を私はもう必要としなくなっている。
友人なんて生まれてこの方一度も居たことはない。だって世界の全てが敵だったから。
(ああでも)
一つ、思い出した。
少しでも飢えと渇きを満たそうと泥を啜っていた頃のことだ。
あまりに惨めで憎悪と涙が止まらなかった。
でも心のどこかで温かなものを感じてもいた。まだ生きているという喜びなのかもしれない。
(あの頃感じたそれを突き詰めて行けば幸福というものに辿り着く? ないわね)
と、そこまで考えて気付く。別段焦る必要はないことに。
この異界が時間の制約から解き放たれているということもあるがそもその話、だ。
急いであの世界に戻る理由がないのだ。だってもうやることがないから。
とりあえず最後まで見るかとは思っていたけれどすっかり白けていたし。
(結末の見えた芝居より私に何かを期待させたこの男を観察している方がよっぽど有意義だわ)
ここに留まれるというのであれば好都合ですらある。
幸福などというものについて考える必要はないだろう。
「とりあえずラブ……ソングの住居を決めようか。何か希望はあるか?」
住居の様式は分からずとも狭い広いとか大まかな希望は言える。
それに合わせてくれようとしているのだろうが、
「出来ればあなたの近くに住みたいわ」
「え゛」
「異なる世界ともなれば困ることも多々あると思うの」
何かと頼りにすることもあるだろうし近くに住みたい。ダメ?
と少し縋るように言ってみる。簡単に騙されてくれるだろう。
「……や、ダメではないけど。実はさあ」
曰く、彼はこの東京という都市で決まった住居を持っていないのだとか。
あちこちを転々としながら暮らしているらしい。
「あら、それは好都合だわぁ。だってあなたに着いて行けば色々な場所を見られるのよね?」
異世界のことを学ぶなら丁度良いと手を叩く。
すると坊野は少し気まずそうに了承してくれた。
「よ、よし。じゃあ今日の住居を決めようか」
何かあるわねこれ。
私が嫌という感じではなく今住んでいる場所を見られたくない?
なら、こうだ。
「今暮らしている場所はどういったところなの? 飽きるまで住んで次にという感じなのでしょう?
まだ飽きるほどは滞在していないんじゃない? だったら私もそこで良いわ」
いやそれはと言葉を濁す坊野に更にこう続ける。
「何か私に気を遣っているのかしら? なら尚のことよ。私のせいでというならその方が気が咎めるもの」
「……分かった」
諦めたように肩を落とすと着いて来てくれと言い歩き出す。
それから歩くことしばし。やたら色彩豊かな光の装飾が施された建築物に辿り着く。
私の世界にもあった城のような見た目だが小さいし……。
「ここは?」
「え、えーっと……あの、ら、ラブホテルって言って……」
忙しなく視線を彷徨わせる坊野を見て察した。
ラブが愛でソングが歌という意味だと聞いた。ならばホテルは流れから察するに……宿?
「……連れ込み宿というわけね」
私の名前がラブホテルでなくて本当に良かったと思う。
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