客人 正統派イケメン⑦
マヨヒガなる妖精郷にも似た異界に迷い込み二ヵ月近くが経った。
坊野のお陰で体も随分とマシにはなった。
と言っても戦うなどもっての外で日常生活も少し厳しいぐらいなのだが。
「……うぅむ、この国の文字は本当にややこしいな」
私は今、用意された小さな住居で読み書きの勉強をしている。
教本は坊野に用意してもらった。
読み書きを勉強したいと彼に言った際、
『言葉も繋げられたしマヨヒガの力を使えば文字も読めるし書けるようになると思うけど』
と提案されたが遠慮させてもらった。
向学心というよりは不自由な暮らしの中での手慰みという意味合いが強かったからだ。
「漢字、ひらがな、カタカナ、どれか一種類ではいけないのだろうか?」
始めてみればこれがかなり難解だ。
お陰で良い暇潰しにはなっているのだが。
「言葉の使い方も複雑だしよくこのような言語を扱えるものだ」
一人称、二人称だけでどれだけあるのか。
そんなことを考えながら書き取りを進めていると、
「おっと芯が切れたか」
シャーペンの芯がなくなってしまった。
詰め替えをしながらしみじみ思う。
改めてこのシャーペンというのは便利なものだ。
いやこれに限らず鉛筆、ボールペンなどもそう。
「上質な紙も含めこのようなものが我が国にもあれば」
さぞ文官たちの大きな助けになっただろうと、そこまで考えて苦笑が漏れる。
「……もう何もかも手遅れだろうにね」
あの愚か極まる不忠の徒を倒しはした。
しかし敵も味方も甚大な被害で生き残りは数える程度。
ここから国を立て直すなど最早、あり得ない。
「おや」
溜息を吐き再度、勉強に取り掛かろうとしたところで呼び鈴が鳴った。
入ってくれと大声で答えると少しして彼はやって来た。
「よっアルトス」
「やあ坊野」
気さくに挨拶をしてくれる彼に手を上げて軽く答える。
坊野、この異界の主にして恐らくは数十年ぶりに出来た友人だ。
最初に出くわした時は何か薄ら寒いものを感じ武器を向けてしまったが彼はまるで気にしていない。
親身になって私の世話を焼いてくれた。本当に頭が上がらない。
(……あの時は張り詰め過ぎてどうにかしていたのだろうね)
異界の主という特異さを除けば彼は只人だ。
立ち振る舞いも隙だらけで警戒心の欠片もない。
それだけ平和な世界で生まれたというのは少しばかり羨ましく思う。
(しかしどうしたものか)
警戒心から名を偽ったままここまで来てしまった。
言い出す機を完全に逸してしまったのではなかろうか。
「勉強の調子はどうだい?」
「はは、日本語というものは学べば学ぶほど複雑さが増すね」
「まー、そうかもなあ。日本語は他所と比べても面倒みたいな話も聞くし」
「ほう」
「ただ言語だけで世界に数千とかあるらしいから中にはこれより遥かに難解なのもあるだろうな」
数千……うんざりするような数だな。
彼の世界はどれだけ広大なのだろうか。
「それはさておき飯にしようぜ。もう良い時間だしさ」
「うん、そうしよう」
二人で住居を出て最初に運び込まれたスナックなる店を目指す。
「まだ体は痛むかい?」
「残念ながらね」
だが何時までもじっとしていては回復も遅れてしまう。
だからこうして食事の度に少し歩くことを挟んでいるのだ。
「ところで私から一つ良いかな?」
「良いけど何よ?」
「……スナックから普通の住居に移るという話をした時のことを覚えているかな?」
坊野は彼が住まう集合住宅を提案したのだが私はそれを辞退した。
出来れば違う場所が良いから変えてくれと。
「その際、私は理由を告げなかったが君は何も聞かなかったね」
「ん? ああ。いきなり異世界に飛ばされたわけだしな」
警戒心や一人で考えたいこともあったのだろう。
だから近くに人が居ない環境を望んだと考えていたと彼は言う。
「概ね合っているがより正確に言うなら本当に警戒していたのは一人だ」
「うん?」
「私以外にも二人客人が居ると言っていたね。その内の一人を私は本気で警戒していたんだよ」
その者からは私の知るどんな怪物よりも大きな力を感じた。
魔猪、怪猫、赤き竜、白き竜、いずれとも比較にならない。
「マヨヒガという異界の性質は説明されていたが、それでも尚恐ろしい」
揺籃の中に居るような安らぎを与えてくれる場所で害したり害されたりはあり得ない。
聞いた当初は半信半疑でも、直ぐに本能でそういうものなのだと理解は出来た。
だが頭で大丈夫だと分かっていても見えない壁を隔てたところに居る怪物への警戒を捨てきれなかった。
それほどまでに恐ろしいのだ。姿の見えぬ怪物が。
「そんな存在が身近で暮らしているようだが……坊野、君は本当に大丈夫なのかい?」
未だ名を偽っている身で何をとは思う。それでも彼は友だ。
既に何もかもを失ってしまい未来などありはしない私だけれど友のためなら剣を取ろう。
最後の最後に騎士らしい振る舞いをして逝けるのであれば我が人生にも意味はあったと胸を張れる。
「やっぱアイツ、そんなにやべえのか」
呆れ半分感心半分といった様子で坊野が呟く。
「……あんまプライベートな部分を話すのはどうかと思うんだけど」
仕方ないかと溜息を吐き彼は私を見つめる。
「アルトスが警戒してるのはお前と同じで異世界から来た奴でさ」
「……」
「そこでアイツは変わった形で人類を滅ぼそうとしてたらしい」
でも、と強く言葉を区切った。
「今は違う。アイツはただの女の子……いや女の子? 実年齢的に……」
「はは、すまない。どうやら私の杞憂だったらしい」
ううむと唸る坊野に私は思わず笑ってしまった。
この様子を見れば私の懸念が杞憂であったことは明白だ。
いや頭では分かっていた。それでも彼の言葉で直接、聞いてみたかったのだ。
(もう先がない身だからね。心残りは一つでも減らすに限る)
私がここに迷い込んだ理由について考えていた。
この異界は私が穏やかに人生を締め括るための時間をくれたのではなかろうか。
憂いが全て消えた時こそがきっと……。
「心配してくれてありがとうな」
「良いさ」
そうこうしている内にスナックへ到着した。
これから食事を用意してくれるわけだが、
「時に坊野。ここは酒場なのだろう?」
「うん? ああそうだな」
「まだまだ万全には程遠いがそれでも酒精を嗜める程度には回復したと思うのだが」
折角だし異世界の酒を楽しんでみたい。
そんな私の下心が伝わったのだろう。坊野はそうだなと頷いてくれた。
「何か希望はあるかい? 銘柄は分からなくてもこんな味が良いとかさ」
「君に任せるよ」
「それが一番困るのよ母ちゃんは」
言いつつどれにすっかなと棚を眺めていた坊野だが、
「うぉ!?」
「どうかしたのかい?」
「ああいや、ちょっと前に友達から聞いた酒が混ざっててさ」
「……にしては反応がおかしくないかい?」
「変人に纏わる酒でな」
変人に纏わる酒か。その変人を肴に飲むのも悪くはなさそうだ。
「坊野、それにしよう。何という名の酒なんだい?」
「日本酒っつー俺の国の酒でな」
彼は続けてその名を口にした。
「――――名前はエクスカリバーってんだ」
この世界で聞くことのないはずの名を。
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