客人 限界OLなラスボス①
「……」
駅務室奥にある四畳半ほどの小さな和室。
駅員が宿直に使うであろう部屋の中、笠付きの電球に照らされ俺は少女漫画を読んでいた。
思えばこんな風に黙々と読書に勤しむなんて久しぶりだ。
(……三年振り、ぐらいか)
大学を卒業して入った会社がブラックだったのがそもそもの始まりだ。
研修の時点で? とはなったが就活前から決めていたのだ。
昔から短気でやらかしていたから大人になったのだしこれではいけない。
入社した会社で嫌なことがあっても頑張ろうと。
それが間違いでドンドン余裕が削られて二十五ぐらいからは職場と自宅を行き来するだけの生活に。
それでこないだ遂に蓄積されたストレスが爆発してしまった。
(盛大にやらかしてあわや前科者になるかと思ったんだがなあ)
学生時分とは違うというのにつくづく成長のない男だと思う。
そう考えると昔からある意味で運が良いのかもしれない。
やらかした相手は皆、何も訴え出ることはなかったし。
(警察沙汰にならなかったどころかクビもならんとは……)
まあ流石に気まずくて職場には居られなかったので退職届け出したが。
退職金なんぞ出るはずもなかろうと思ってたが出たのも驚きだ。それもかなりの額。
(ひょっとしてマヨヒガ効果……や、違うな)
マヨヒガ相続したのは辞めた後だしな。
職探ししなきゃと鬱々してる時期に祖父さんの訃報が舞い込んで……。
(あ、よく考えたら俺もう職探しをする必要ないのか)
今更ながらに気付く自分の間抜けさに笑ってしまう。
祖父さん死後の後始末をしていたのだが忙しいこと忙しいこと。
ブラックによる摩耗に追撃まで来たのだ。頭が回らずとも仕方ないよな。
ともあれだ。安定した生活は確保できたのだ。
これを機に遠ざかっていた趣味を再開するのも悪くなかろう。
(特にこういうとこだと色々捗りそうだし……ん?)
ふと、虫の知らせのようにそれが理解できた。
「……誰かが来た?」
来訪者が来たという感覚。管理者ゆえのものだろうか。
人の敷地に許可なく踏み入った不法侵入者と言えなくもないが……。
(ここ、マヨヒガだしな)
人が迷い込むのは当然のこと。祖父さんの遺言書にもそうあったし。
(ならこのマヨヒガの主として客を迎えてやらんとな)
気分が上向いていたお陰もあってか俺はわりと乗り気だった。
壁にかけてあった帽子と黒いダブルのワークコートを身に纏い駅務室を出る。
随分長い間、読書に耽っていたから辺りはもう真っ暗。駅舎から漏れる微かな灯りだけが頼りだ。
導かれるようにホームの淵に立ち右手を見やる。
降りしきる雪の中、少女が一人線路を歩いてこちらに向かっているのが見えた。
あちらも俺に気づいたようで視線が交わった。
(これはまた)
小学校五、六年生か。
深い青のワンピースを身に纏った金髪碧眼の愛らしい少女。
十人中十人が不思議の国のアリスを想起するだろう。
迷い込むという意味ではある意味、この上なく似合っている。
しかし何故だか俺には分かる。決して見た目通りの存在ではないと。
「こんばんはおじさま」
近くまでやって来ると少女は軽やかな足取りでホームまで飛び上がった。
結構な高さがあるのに一息で、だ
そしてそのままちょこんとカーテシーをしてのけた。
可愛らしい……可愛らしいが……先にも述べた通り俺は感じ取っていた。
「私、迷子になってしまったみたいなの。ここがどこだか教えてくださる?」
この子は見かけ通りの少女ではない。
人知及ばぬ力を持つ強大な怪物だ。
多分、年齢も見た目通りではないと思う。
そして、
(……ぬう、何という限界OLオーラかッッ!!)
やばい怪物という印象が霞むほどに草臥れ切った限界OLオーラ。
ブラック勤めをしていたからこそ分かってしまう。
(社畜力7000……8000……ば、馬鹿な……ま、まだ上昇しているだと!?)
この数値。最早日常生活もままならぬほどなのに何故……!?
動揺する俺にコテンと小首を傾げる少女。
見た限りでは心身共に健康そうに見える。俺の見立てが間違っていた?
いやだが俺の感覚は確かに……。
「おじさま?」
「……あ、ああ……いや、すまない」
ってかおじさまて。俺まだ三十手前だぞ。
「ここがどこだったか……か。その前に君、名前は? 俺は坊野というんだが」
俺がそう問うと少女は何も言わずに微笑むだけ。
どうやら答えるつもりはないらしい。まあ構わないさ。
「この場所について説明すると長くなる。寒いだろうしとりあえず中に入ろう」
俺がマヨヒガを変える際に設定した寒さは雪国のそれだ。
しかし少女はけろっとしている。冷気でかじかんだ様子など微塵も見受けられない。
とはいえ見かけ愛らしい女の子を雪の中に放り出し続けるのは良心が咎める。
「そう? ならお邪魔させて頂くわ」
幸いというべきか少女は誘いを受けてくれた。
彼女を伴い駅務室へと帰還する。
「ちょっと待っててくれ」
「ええ」
空のヤカンを手に水場へ向かい水を注ぐ。ココアを淹れるためだ。
いきなり出すことも出来るしその方が話も早いだろう。
しかし俺としても冷静になる時間が欲しかったのだ。
あの凄まじい社畜力はかつての職場に居る奴隷たちが束になってかかっても勝てないレベルだ。
(よし、少しは落ち着いた)
ヤカンとマグカップ、ココアの素を乗せたお盆を手に帰還。
ストーブにヤカンを置き改めて少女と向かい合う。
「お嬢さんはマヨヒガって知ってるかい?」
「遠野物語の?」
おぉ、知ってるのか。
流暢に喋ってはいるが外人みたいだし不安だったんだよな。
「そうその遠野物語に出て来るマヨヒガだ」
「……この世界にも遠野物語、あるのね」
「うん?」
「何でもないわ。それよりおじさま。今その話をしたということはひょっとして」
「そう。ここはマヨヒガなんだ」
そしてその管理人が俺であること。
管理人として色々出来はするが君を外に出す方法は分からないこと。
包み隠さず俺は少女に打ち明けた。
「なるほど、ね」
「……すまない」
「いいえ。おじさまは悪くないわ。私を外に出せないのは私自身に問題があるということでしょうし」
「それはどういう」
と思わず口にするが少女は名を聞いた時と同じように微笑むだけ。
笑顔の拒絶。まあ、初対面の人間に立ち入った話はされたくないだろう。
そうこうしているとヤカンから笛の音にも似た甲高い音が響く。湯が沸いたようだ。
「とりあえず温かいものでも飲もうか。体も冷えただろう?」
「あら。ではお言葉に甘えて」
少女の前にマグカップを置きココアの素を入れ湯を注ぎ……気付く。
俺は牛乳なしで飲むのが好きだからついそうしてしまったがミスったな。
(一応、牛乳なしでもいけるってヤツなんだが)
まあ良いか。見た目相応の年齢ではないだろうし大丈夫だろう。
出されたものに文句は言うまい。
甘さが足りなさそうならクッキーか何かを出せば良い。
「どうぞ」
「ええ、ありがたく頂戴するわね」
上品にカップを傾け軽くココアを口にした。
ふぅ、と小さく息を吐きカップを机に置いたかと思うと途端に少女から表情が抜け落ちた。
不味かったか? と内心焦る俺に更なる追撃が加えられる。
(泣いた!?)
無表情のまま微動だにせず涙を流し始めたのだ。
気に入って頂けましたらブクマ、評価よろしくお願いします。




