新しい暮らし
「あら、おはようおじさま。朝食はもう出来ているから居間に運ぶわね」
「ああ、ありがとう」
朝起きて廊下に出るとエプロン姿のテュポーンに出くわす。
彼女が住み着いてこちらの時間でまだ四日ほどだが元から駅舎で共同生活をしていたからな。
最早、我が家かな? ってぐらいに馴染んでいた。
「お待たせ!」
居間でぼんやりしていると複数の食器を浮かせたテュポーンがやって来た。
もう隠す必要もないから異能の力をフルに使ってやがる。
「お口に合うと良いのだけど」
「ご謙遜を。見てるだけでもう食欲をかきたてられるような出来じゃないか」
ふっくら白ご飯にお揚げのお味噌汁。だし巻き卵に白菜の浅漬け、ほうれん草のおひたし。
そして何と言ってもメイン。鮭の西京焼き。これ絶対に美味いやつ~って綺麗な焼き色をしてやがる。
食材はマヨヒガブランドなので良いものではあるが、調理したのはテュポーンだ。
マジで俺の雑な男料理とは全然違うのな。
「あらまあお上手。ふふ、それじゃ食べましょうか」
「ああ」
いただきますと両手を合わせて食事を始める。
「そうそう。おじさまにお借りした漫画なんだけどあれとっても面白いわね」
「だろ? 愛してるぜババア★★は特に好きな作品の一つなんだよ。気に入ってくれて嬉しいわ」
「漫画なんて読んだの高校生の時以来だったけど時間を忘れて読み耽っちゃった」
お世辞でも何でもなく本当に楽しめたようで俺としてもホっとしたよ。
オタクの性というべきか、自分の好きなものをついつい布教したくなるのだ。
テュポーンも俺の持ち込んだミステリー小説とかは読んでたが漫画はノータッチみたいだったからな。
折角だしと布教してみたら……ふふふ、同好の士が増えるのはやっぱり嬉しいもんだ。
「他にもおすすめある?」
「貴様に直撃とかハバネロとトリカブトとか色々あるぜぇ」
「それも少女漫画?」
「おう。俺の専門だからな」
専門ってのは違うか?
いやでも消費だけではなく同人とはいえ供給もしてるし専門で良いのか?
とりあえずそろそろ新刊の原稿に取り掛からないとな。
締め切りとか気にしないで良いからついつい後回しになっちゃう。
「……別に悪いというわけではないのだけれど意外ね」
学生生活の記憶なんてもうすっかり忘却の彼方だけれどと前置きしテュポーンは続ける。
「男子が教室に持ち込んでた漫画は異能とかが出て来るバトル? とかそういうのが主だった気がするわ」
「あとはスポーツとかもかな?」
「うん」
うちもそんな感じだった。
ちょいと柄悪いのが多い高校だったからヤンキー漫画とか熱かった記憶あるわ。
「おじさまはそういうバトル漫画とかは読まないの?」
「まー、まったく読まないってことはないが自然と数は減ってったな」
今でも継続して読んでるのは小さい頃から愛読してるのだけ。
新規で開拓とかはしなくなった。
俺がそう答えると何故? と問われたので素直に答える。
「ああいうのは読んでると羨ましくてねえ」
「羨ましい? ああ、まあ異能の力とか実際に使えるわけではないものね」
いやそういうことじゃないんだが……まあ何か納得してるみたいだし良いか。
「でもそういうことなら私が力を貸してあげましょうか?」
自分の異能で空を飛ばせたり手からビームみたいなのを撃たせてあげようかとのこと。
ちょっと心惹かれるが……異能の力を貸してくれるっていうなら別のことを頼みたい。
「別のこと? 何でも仰って。出来ることなら力になるわ!」
「マジ? じゃあ飯食った後で相談させてよ」
「任せて頂戴」
にしても……。
「ほうれん草うめえ」
噛むとシャキシャキとした食感と共に青臭さが溢れ出す。
だがそこで不快にならないのは和え衣に使った梅肉と醤油、鰹節がカバーしてくれるからだ。
爽やかな風味が口内を満たし得も言われぬ満足感を与えてくれる。
「ほうれん草がお好きなの?」
「うん。いや昔はそうでもなかったんだがな」
何ならある時期までは嫌いだった。
アンチほうれん草の急先鋒だったという自負がある。
「どんな自負……」
「いやさ、初めて食った時にもうコイツとは合わねえなって幼心に思ったのよ」
草じゃねえか! つってな。
出された食事に難癖つけるのは幼児ながらカッコ悪いと思ってたから口にはしなかった。
それでも腹の中ではほうれん草に対する敵意を育んでいたものだ。
「あのー、三食丼って分かる?」
「甘く味付けをしたひき肉と卵をそぼろにしたやつよね?」
「そうそれ。あれが晩飯とかに出て来た時とか内心キレてたよね。何でお前がそこ居座ってんだよつって」
「えぇ……」
「真っ先に殺してやると言わんばかりに初手で始末してたもんだ」
だがそんなアンチほうれん草な俺に転機が訪れた。
大学に入って一人暮らしを始めて二ヵ月ぐらいの時か。
「当時俺は気の緩みでちょっとやらかしてな。こりゃいかんと猛省したのよ」
「な、なるほど……ほうれん草関係ある?」
「あるんだ。だらしねえ俺に活を入れるため戒めのほうれん草を食うことにしたわけ」
「戒めのほうれん草。何十年と生きてて初めて聞く単語だわ」
これから一週間晩飯にほうれん草を食うことで己を戒める。
食い終えたら禊が済んだってことで気持ちを切り替えようってな。
「んで和え物を作って食べてみたんだが」
「が?」
「あれ? 何かこれ美味くね? ってなったのよ」
動揺が胸を支配したね。馬鹿な、コイツにそんなポテンシャルはなかったはずって。
何かの間違いだと口に運んでいる内にほうれん草はなくなってしまった。
「んで次の日もあり得ないと和え物パート2よ。でも美味い」
そうして三日、四日と続けていく内に俺も認めざるを得なくなった。
ほうれん草うめえわ。そりゃどこぞの水兵さんもこれ食ってブチ上がるわけだってな。
「とまあそんな感じで俺はほうれん草と歴史的和解を果たしたのよ」
今じゃすっかり好物の仲間入りよ。
「ちなみに原因はマジで分からん」
特別料理上手ってわけでもなければ大人になって味覚が変わった自覚もない。
マジで唐突にコイツうめえってなったんだから驚きである。
「なるほど。一つ良いかしら?」
何だい? と続きを促すテュポーンは真面目な顔でこう問いを投げた。
「戒めはどこ行ったの?」
……その日の内に忘却の彼方ですかねえ。
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