第96話『灯台もと暗し』
「は……ぁあ……はぁ……」
震える筋肉を無理に動かして地上へと這い出る。荒れ狂った呼吸を止めるために肩を上下に揺らすが心臓は内蔵を圧迫するほど爆発的に動いている。
現在のロアは例えるなら四百メートル走を全速力で走りきったような状態。全身に乳酸が溜まり、激痛を発する。
スーツの許容上限も突破してエネルギーもカラカラ。大半の機能も使用不可となっていた。
「ふひゅ、ふ……ぅ」
生体感知システムを起動して地下水道に人が残ってないのは確認している。救出漏れはないはずだ。
……できることはやった。失った人ばかりを見てはいられない。
汗と水の混じった顔を拭いて顔を横にする。山積みになった人質たちはゾロゾロと起き上がり困惑の顔色を出し始めていた。
「……成功……か──ぁ」
安心。安堵。緊張していた体から力が抜け、ロアは大の字で地面に寝転がった。
* * *
寝たい。寝っ転がって眠りたい。だけどまだ眠るわけにはいかない。
イヴを探さなければ。必死に人質を助けてたから分からなかった。もしかしたら気が付かずにぶっ飛ばしたのかも。
あのイヴがまさか簡単に殺されるはずはないとはいえ、心配なものは心配。
疲労困憊の体を持ち上げて人質の場所へ。ガクガクの膝をゆっくりと動かして必死に歩く。
──何人かがロアに気がついた。そしてロアが自分を助けてくれたのだと気づく人も。
「あ、き、君!」
「大丈夫かい?」
倒れそうになるロアを男性が支える。
「ありがとう……君が助けてくれたんだよね?」
「……ま、まぁ」
こう直接言われると照れる──じゃない。今はイヴだ。イヴを探さなければ。
「すぐに救急車を呼ぶからね」
「私、警団連を呼びます!」
「あり、が、とう……でも私は──」
──見知った顔を見つけた。ピンク色の髪にふくよかな胸。家にも何回か遊びに来ていたイヴの友人『ミコ』だった。
支えてくれる男性を押し倒す勢いでミコへと近づくロア。
「ミ、ミコちゃん! だよね!?」
「え──ロアさん?」
ミコはかなり弱っている。さっきまでの出来事がよほどストレスだったのだろう。
「ロアさんが……助けて……」
「ミコちゃん! 確かイヴと一緒に居たわよね!? イヴがどこにいるか分かる!?」
「イヴ……ちゃん」
不規則な呼吸に虚ろな目。これ以上は話は聞けないか。ミコを寝転がらせようとした時──ミコが口を開いた。
「イヴちゃんは……統合政理局に行きました」
「……? え?」
「──」
それだけを口にしてミコは気絶するように目を瞑った。
「え、ちょっと……な、んで? え?」
統合政理局。現代で言うところの『中央合同庁舎八号館』だ。つまり──『内閣府』である。この時代では連邦本部と言われている場所だ。
なぜそんな場所に。あまりにも突拍子もない場所にロアは困惑を隠せずにいた。
「……イヴ」
──だが用もないのにそんな場所へ行くことは無いはずだ。
イヴは何かしらの事情があって向かったのだ。ドライそうに見えるが、正義感が強いのは知ってる。
「──カレン」
『人質は救出できた?』
「うん。全員救出できた。それよりも、よく聞いてカレン」
ロアの真面目な声にカレンも身構える。
「理由は分かんないけどイヴは連邦本部に向かった。ショッピングモールの電気を付けたら私もすぐ行く。迅鋭にも伝えておいて」
『へ? え? は? どういうこと──ちょ、ちょっとロア!?』
訳が分からずに困惑しているカレンを他所にロアは疲れていることも忘れて走り出した──。
* * *
──時間はまた少し前に遡る。
イヴは襲われてる市民を守っていた。やってきたテロリストを剣で叩きのめす。
「思ったより多い……」
光線を避けて避けて、ぶん殴る。武器もスーツも別段強力なものではない。イヴなら軽く避けられるし、イヴの一撃でノックアウトさせられるレベルだ。
だからこそ──イヴは疑問があった。
「……弱すぎる」
人数はいる。相手をするには面倒なドローンや、対処が難しい最新型防衛ロボットもある。一般人相手なら今のままで十分だろう。イヴが例外的に強いだけだ。
だがこんなことをすれば警団連と戦うことになるのは必然。そうなると、あまりにも装備が貧弱すぎる。
外部からの干渉を遮断するバリアを貼っていたファーブル社の時と違って今回はやろうと思えば警団連もすぐに干渉できるだろう。
一気に攻め込まれれば、貧弱装備のこいつらじゃやり合うのは不可能。もちろん人質を取られては、そんな無理やり攻め込むことなどできないだろうが。
「これで本当にテロになると思ってるの……首謀者はあのエンテイだよ……」
まず前提としての疑問だ。エンテイの目的は国家転覆。日本の支配である。
そんな男がこんなチマチマとショッピングモール占拠などするのか。こんなところに人員を割くのか。
──それになぜエンテイやその幹部が前に出てこない。
ファーブル社の時は宣戦布告だったから分かる。自分の力というより、自分の部下の力だけで大企業を占拠できるという見せしめの意味もあったからだ。
エンテイ自ら出てこないにしても、幹部すら見えないのはおかしい。さっきの放送はただの部下だ。さっき倒したのでそれは確実だ。
そしてその部下から『幹部は来ていない』という情報も聞き出した。
色々とおかしいのだ。やろうと思えばイヴ一人でテロリストを掃討できるかもしれない。エンテイがそんな戦力しか持っていないのか。
あのエンテイだぞ。九十年近く裏社会の皇帝として君臨してきた伝説の男が、こんな弱々しい戦力しか持ってないというのか。
「そんなわけがない」
裏がある。なにか裏がある。これはおそらく──本来の目的を見せないようにするカバーだ。
「何がしたい……何が目的だ……」
襲いかかってくるテロリストをぶちのめしながら思慮する。頭をフル回転させる。
わざわざ占拠して何がしたい。何をしようとしている。ショッピングモールを占拠することによって、何が得られる──。
「──時間?」
テロリストは数こそ多いが、スーツや武器は安物。そうなると警団連には勝てないだろうが、大きく時間を取られることになるだろう。
この場において最も厄介な戦力がこの場所に取られる。
「エンテイの目的は国家転覆……日本の征服──」
──エンテイは日本の中枢を襲う気だ。
「──総合政理局!」
占拠はフェイク。真の目的は連邦本部を襲撃することだ。
この予想が本当ならば合点がつく。テロリストは時間稼ぎをするために最小限の装備で多くの人員を配置。大本命のエンテイや幹部は直々に連邦本部を襲撃する。
だが──逆にチャンスだ。
エンテイは顔写真すら出されているのに九十年も裏社会で悪事をし続けた。性格の悪さもさることながら、かなりの目立ちたがり屋でもある。
ならばこの大規模なテロ。そのメインディッシュの時にエンテイ本人がやってくるはず。
多分だが警団連もこのことに気がついていない。気がついていたとしても、市民を助けることを優先するだろう。
この状況下ですぐに動けるのは誰だ。──自分だ。自分しかいない。
「私……だけ」
「──イ、イヴちゃん?」
おそるおそるミコが話しかけた。
「うわっ!? ミコ隠れててって言ったじゃん!」
「で、でも……イヴちゃん心配だから……」
「私は大丈夫だよ。だから隠れてて──」
──待て。下手に隠れた場合、見つかったら殺される可能性がある。
それならば逆に人質になっていた方が安全なのではないか。人質ならば雑に殺される心配はないはず。
「ミコちゃん。よく聞いて」
「ぇ……?」
「私はこれから統合政理局に向かう。ミコちゃんは人質に混じって隠れてて。必ず警団連……もしくはロアとか迅鋭が助けに来てくれる」
「な、なんでイヴちゃんそんな場所に──」
「説明してる時間はないの。ロアか迅鋭に会ったら『イヴは統合政理局に向かった』って伝えて。よろしくね──」
「待って──!」
イヴはすぐに走り出した。──手を伸ばして助けを求めるミコを残して。




