第95話『ミッションインポッシブル』
──時間は少し前に遡る。
飛び散る血飛沫と慟哭に耐えながら、ロアは作戦実行の時まで待機していた。
高鳴る心臓。成功しようが、失敗しようが、この出来事はロアの心に大きく残ることになる。
床を壊して人質を地下水道に落とす。単純にテロリストから人質を救出するだけならこれだけでいいだろう。
だがこの作戦は素人目に見ても問題が山積みだ。
まず落とした後のリカバリーだ。地下水道には大量の水が流れている。スーツの力で落ちた時の衝撃は緩和できるが、酸素に関してはスーツの管轄外だ。
そしてもう一つはテロリストの対応だ。そりゃ時間さえあれば迅鋭は全員対応してくれる。しかし一瞬で殺せるほど超人じゃないのも分かっている。
最後に。シンプルに数の問題だ。人質の数は甘く見積っても二百。これを一人で対応する。
「無理ゲー……でもやる」
自分の頭をぶん殴る。ズキズキと浸透する痛みが脳を冷静にしてくれた。
『ロア。もうそろそろでブレーカーを落とすよ』
「その前に一つ。地下水道はどこまで続いてるの?」
『えっと……二キロ先の川まで続いてるよ』
そんなに長時間は流せない。何人か必ず溺れ死んでしまう。──もうこれ以上は誰も死なせたくない。
「……決めた。水道を一旦堰き止めて、途中の道を爆破して地上に繋げる」
『ご、豪快だね。でもどうやって地上に送るの?』
「水にマイクロ波を当てる」
『空気と水蒸気を膨張させるのか』
「正解」
後ろから聞こえるヴォッシュの声にロアは指を鳴らす。
液体から気体に変わる時に体積が大きくなるのは小学校で習っただろう。ロアがやろうとしてるのはそれだ。
水道の中間地点を堰き止め、水を大量に貯める。そして下方にマイクロ波を発射。一気に体積を膨張させて人質を地上へと打ち上げる。
堰き止めている間は人質も圧迫される。かなり痛いし苦しいだろうがとりあえず我慢してもらう。地上へ押し上げれば、後は警団連が対応してくれるだろう。
『いい考えだけど……できるの? テロリストから逃すためには短時間で助けないとだし、熱膨張させるなら、かなりの熱量がはいるでしょ。スーツを着てるとはいえ、人質にも危険が出るよ』
「数回に分けて打ち上げる。熱に関しては下部をプラズマ加熱にして一部分を急速加熱させるわ」
『……できるか?』
説明しても無理がある作戦だ。どう考えても現実的ではない。
──しかしロアは何一つとして躊躇わずに答えた。
「──私を誰だと思ってるの? なんでもお任せ、何でも屋『フライヤー』の社長よ」
『……ふふ。そうだったね』
あまりにも答えになっていない答え。だがこれ以上に頼りになる答えがあるか。
『じゃあ合図と共にブレーカーを落とすよ』
「準備万端」
『一、二、三──止めて!!』
──ロアの眼前は暗黒に塗りつぶされた。
* * *
制限時間は極わずか。具体的な数字は分からないが、とにかく短時間だ。
スーツの力を最大限に引き出してダッシュ。人質は固まって集められていた。パニックで移動する人間がいたとしてもプラスマイナス十メートル程度。と、仮定しておく。
手首に装備された『貼り付けショット』と名付けられた杭を地面に発射。同時に杭に爆弾を装着していく。
まさか「敵を杭に打ち付けて拘束する」という物騒で一回も使わなかったアイテムをここで使うことになるとは。何があるか分からないものだ。
移動移動移動。人質が騒いでいる。突然目の前が暗闇になったのだから当然か。そしてテロリスト側もパニックになっているのは同じであった。
「おい! 何人か制御室に行け! 残ったヤツらは全員ライトをつけろ! 人質もだ! 従わねぇなら無差別に殺すぞ!」
マルクスの、声がする。
伊達にリーダー格をやってはいないようだ。対応がかなり早い。これはトロトロしていられないぞ。
──ロアはさらに加速。呼吸すらも後回しにし、脚を動かして杭を発射。
発射数は百を超えたが、まだ半分にすら到達していない。気が落ちそうになるが、無理やり気合いをぶち上げた。
暗闇ではあるが装備された暗視ゴーグルによって視覚は問題なし。だが先が見えないという点でいえば付けてても付けてなくても変わらないか。
「か──は──」
呼吸が止まりそうだ。だが動きまで止めてしまうと反動が来る。体が止まってしまう。
だから走れ。今は走り続けろ。代償を受けるのは終わった後だ──。
「っ──!?」
──頬を切り裂きながら光線が通り過ぎた。
驚きのあまりつまずいて転んでしまう。──だがすぐにリカバリー。転がりながらも杭を打ち続け、立ち上がってまた走り出す。
恐らく今のは偶然だ。パニックになったテロリストが乱射した光線。たまたま当たっただけで、自分が何をしているかを知られたわけじゃない。
迅鋭ならばテロリストを全員殺してくれる。だから今は動き続けろ──。
* * *
設置完了。ここまでの所要時間は一分弱。許容時間内だ。
心配なことは数多くあるが、とにかくやるべきことはやった。
ロアは爆弾のスイッチを──押した。
──直後、大きな破裂音と崩壊音を引き連れ、地面が大きく歪み、揺れた。そして内蔵が浮かぶ浮遊感もロアは体験する。
「成功した……!」
喜ぶのはまだ早い。これは第一段階。次は水道を堰き止める。
ショッピングモールから離れた安全な場所の距離までは約三百メートル。地下水道の流速は秒速三メートルなので、だいたい百秒で到達する計算だ。
「いっく、ぞぉ……!!」
瓦礫を蹴り飛ばし、人質よりも早く水に──着地。『リーシェント効果』を応用した『|アンチ・フリッドシューズ《水蒸気歩行靴》』を発動させて水の上を走り抜ける。
三百メートルくらいならスーツを着てれば十秒もかからない。ロアはすぐに到着した。
「人は──いない!」
『クレボイス』を使用して地上に誰もいないことを確認。両生類のように壁にくっつきながら、天井に杭を射出。
広さは先程よりかは小さめでもいい。だが今回は爆破して水を堰き止める時間が必要だ。よってさっきよりも素早く終わらせる。
連射、速射。邪魔なテロリストが居ないので今回はすぐに終わる。──だがここでアクシデントが発生した。
「──あれ? あれ!?」
──弾切れ。杭が無くなってしまった。
どうする。杭なしで爆破するか。……ダメだ。杭がないと指向性を持たせられずに地上まで穴を開けられない可能性がある。
何回も試行錯誤できるならいいが、爆弾の数も制限があるし、何より時間が無い。
残り時間は五十秒を切った。あと少しで人質たちが流されてくる。
「──パルス波!」
一度射出した杭を抜き出し、壊したい範囲に線をつける。
「半分は爆発で壊せる。残り半分をパルス波で……間に合うかなぁ」
──迷う暇は無い。まずは杭を刺してる部分を爆破する。
音を立てて天井を爆破。内部へと走る衝撃は地上まで穴を開け、崩壊した瓦礫は水道へと落ち水を堰き止める。
──成功。水は止まってきた。爆破の衝撃で半分以上は壊れてる。音は不安だったので、壊す範囲が狭められるのは行幸。
「エネルギーチャージ、フルパワー」
手のひらに高密度のエネルギーが集まる。本来は壁に穴を開けるために使う装置のものなので不安だが、もうこれしか方法は無い。
平常時に使うエネルギーの約二十倍を集約され──解き放った。
「──|リミットオーバーパワー《許容値限界突破》『インベーションホール』!!」
蜘蛛の巣のような脈線が天井を包む。ヒビは内部へと入り込み──地上十メートルまでの風穴を開けるに至った。
「やったぁ成功! あとは──」
靴を解除して着水。濁った水の底へと足をつけ、地面に両手を重ねた。
「わぁぁぁぁ!? ヤダヤダなんだぁぁ!?」
「おぼ、ぼれれ、るるる!」
「だずげ、でぇぇ!」
「おごっ!? なんぶぁ!? なんでこんな時に壊れてんだよォ!?」
流されてきた人質がやってきた。かなり広い水道を横幅まで埋めるほどに密集している。これは好都合だ。
──また両手に高エネルギーを圧縮させる。
(エネルギー制限解除。スーツ耐久許容上限解放──)
流されてきた人たちは壁に押し当てられ停止。後からやってきた人は前の人に押し当てられる。
道を塞いだことによって水は溜まっていく。その量はどんどんと増えていき──吹き飛ばすのに十分な量になった。
(──マイクロ波、放出)
数秒前に放ったパルス波をマイクロ波へと変換。最大値エネルギーを水中に放出した──。
──膨張した気体が人質たちを一気に押し上げる。苦労して開けた大穴を高速で通り抜けて、地上へと飛び出した。
「「「わぁぁぁぁぁ!?」」」
大成功。溜まっていた人質は全員地上へと押し上げられた。
だがまだ全員じゃない。
(──次!)
空の空間に突入してくる水。荒れ狂う液体を意に返さず、ロアはまた地面に両手を重ねるのであった。




