第92話『常世の地獄』
人質となった一般市民たち。彼らは猿のように身を寄せあい恐怖を耐えるためにふるえていた。
その上に──光線の銃声が響き渡る。
「動くな!! お前ら全員が人質だ!!」
「そうだぜぇ! 仲間外れが居なくて良かったなぁ!」
──この場所には非番の警団連の隊員がいた。
万年雑用を任され、仕事らしい仕事もほとんどできず。犯罪者を相手するような、子供たちの憧れの的としての姿なんて夢のまた夢。
そんな男がこの場にいた。
運のいいことに彼はショックスタンと呼ばれる電撃警棒を護身用に持っていた。これは人間だけでなく、アンドロイド相手にも有効な警団連の一般装備である。
──これで一人だけでも持っていく。ようやくヒーローになれるチャンスが舞い降りたのだ。
男はこっそりと警棒を取り出──。
──男の心臓が撃ち抜かれる。
「動くな。そういったはずだ」
地面に倒れる男。周りにいた市民は悲鳴をあげてパニックになる。
「ちっ──あ? なんで……」
騒がれると面倒なので数人ほど撃とうとした時──男に着信が入った。
耳をタップして応答する。
『──やぁ、マクルス。元気かい?』
「ヴィンクルムの兄貴。なんですか? 今取り込み中ですが」
『ほらあれだよ。俺もさ、もうそろで命を失うかもしれないことをするからさ。愛する弟分と話くらいはしとこうかなって』
「切りますね」
『待て待て。お前……碧愛会みたいなアングラな組織じゃあ兄貴分の言葉は絶対だろ? なぁに僕の言葉遮って切ろうとしてんの』
「……じゃあなんですか。要件を早く言ってください」
マルクスと呼ばれる男は、イラつきながらヴィンクルムの言葉を待つ。周りの市民はその姿に恐怖していた。
『お前のことだから、どうせ人質全員生かしてんだろ?』
「騒いだり抵抗したやつは殺しました。だいたい元いた客の一割は殺したと思いますが」
『──半分殺せ。お前らがやるべきことは目立つことだ。残虐に、残酷なことをして目立て』
「……了解」
マルクスは電話を切ると──ゆっくりと市民へ銃を向けた。
* * *
──床が人々の血に染っていくのをロアは影に隠れて見ていた。
本当は助けたい。前に出て楽しげに撃っている男たちを片っ端からぶん殴ってやりたい。
だがそれじゃあダメだ。自分が死んでしまっては誰がフライヤーのみんなを纏めるのだ。支えていくのだ。一時の短絡的な感情に支配されてはいけない。
だから今は耐えるのだ。人々の悲鳴に耳を塞いで、策を考えるのだ。
「っ……逃げ道……アイツらにバレない逃げ道……」
ロアのステルス機能はロアに触れている人間にも発動する。時間さえあれば市民を一人ずつ抱えて外へと放り出すのだが……そんな悠長なことはやっていられない。
やるなら一瞬で。それでいてテロリスト共がすぐに追いかけられないようにする。
──無理じゃないか。そんなこと。
「……っ!」
悲鳴が、聞こえる。助けを求める声が聞こえる。死にたくないと。妻だけは、子供だけは殺さないでと。そう叫ぶ声が──。
──考えろ。考え抜け。頭が燃え尽きるまで考えろ。
「全員……全員──地下水道!」
このショッピングモールの地下には確か大きくて長い地下水道があった。そこからなら外に出られるかも。
ロアはすぐさまカレンを呼び出す。
「カレン。このショッピングモールってすぐ下に地下水道があったわよね」
『え? そうだね。うん、確かにそうだよ』
「地下水道までは直下何メートル?」
『……水道までは十メートル。着地までは十五メートル』
十五メートル降りれば広めの地下水道に降りれる。──スーツを着ていれば、頭から落ちても致命傷にならない高さだ。
「みんな聞いて。今からタイミングを見極めて床を破壊する。迅鋭はみんなが逃げるまでの時間稼ぎをお願い」
* * *
「時間稼ぎ……とな」
迅鋭も物陰に隠れながら、一般市民の虐殺を見ていた。
「敵の数は何人だったか?」
『七十二。奇しくも迅鋭の年齢と一緒だね』
「嬉しくもない偶然じゃな」
簡潔にすら言わなくてもいい。──状況は最悪だ。
敵は人間、アンドロイド、ロボット全て含めて七十二。これらを誰にも気が付かれずに殺し切るのは不可能だ。
しかも迅鋭どころか、フライヤーにとっても未知数な『エレファント』がいる。
この状況をどうやって打開するか。何もかもが絶望的な状況を──。
「──いいことを思いついたぞ」
『どんな方法?』
「この施設の明かりを消すんじゃ。暗闇に紛れればある程度自由に動ける。それに市民が逃げるまでの時間稼ぎもできよう」
『ナイスアイデア! 電源設備まで案内するからすぐに向かって!』
「了解」
物陰から蛇のように出てきた迅鋭。カレンの指示に従いながら電源設備のある制御室へと向かう。
「ロア殿は儂が明かりを消すと同時に市民を地下へ誘導してくれるか?」
『やってみる……けど、みんな暗闇でパニックになるんじゃ……』
『それなら誘導するんじゃなく、直接地下水道に落としたら? 床を落下させたら嫌でも水道内を移動することになるでしょ?』
「それは良い考えじゃが、まずそもそもどうやって床を落とすんじゃ?」
『私が頑張って気が付かれずに床に杭を打っていく。人質を囲むように杭を打ったら爆破させて床ごと水道に落とす』
「爆破? 市民が巻き込まれるんじゃ?」
『安心して。本来は鍵を破壊する用の小型爆弾。直接触れるくらいしないと巻き込まれないわ』
「それじゃあ逆に威力の弱い爆破で床を落とせるのか?」
『そこも安心して。私のは特別で『爆風の出ない爆弾』なのよ』
『できるだけ音を減らすようにお兄ちゃんが頑張ってたからねぇ。鍵穴ごと壊すように内部に衝撃が向かうようにしてるの。だからロアが均一に杭を刺すことができて、きちんと爆破させれたら──地面を落とすことができる』
なんとも非現実的な作戦だ。だがこれ以上の虐殺を止めるにはこうするしか方法はない。
暗闇なら迅鋭は数の差を気にせずに戦える。隙さえあればロアは人質を逃すことができる。
互いが互いを信用していないとできないこの作戦。どんな結果であれ一蓮托生。死ぬ時は──二人一緒だ。
* * *
「──ふぅ。休日でもねぇのに人が多いな」
逃げられない場所での虐殺。撃てば絶対にどこかに当たる的を撃っているかのようだ。
それでありながら未だ半分どころか、四分の一すら殺せていない。これがエンテイならば数秒で終わらせられていただろう、とマルクスは考えた。
「カンナ! カンナ! 大丈夫だからね! 絶対、ママが守ってあげるから──ぎゃ」
──娘を守る母親を、娘ごと撃ち抜いた。
「爺さぁん! アタシを置いていかないでおくれ、爺さぁ──」
──血塗れの爺に泣すがる老婆の頭を撃ち抜いた。
「痛いよ……痛いよママ……助けてよパパ──ぁ」
──両足を失い、泣きじゃくる子供を撃ち抜いた。
「殺して。殺して。死なせて。死なせ──」
──虫の息で這いずっていた男を撃ち抜いた。
そろそろ面倒くさくなってきた。十分殺したので、もうやめてもいいかも。
──だが他ならないヴィンクルムの命令。それを無下にする訳にはいかないだろう。正直、殺すのは賛成だし。
「ははは!! こんだけ人を殺せる機会なんて滅多にねぇや!!」
「マルクスさん! あの爆弾使っていいか!?」
「あ? あれか……警団連用だからな。一個だけだぞ」
「よっしゃぁ!」
下品な笑い声は人々の恐怖をぶち上げる。赤色のプールとなった床には死体の陸が積み上がっていた。
なんとかして逃げようと市民の一人通路へ飛び込んだ──金属の拳が市民を完全に潰す。
砕け、歪んだ地面には──グチャグチャになった──。
「──いやぁぁぁぁ!!」
それは体長五メートル。超重厚な金属の鎧に体を纏わせた──巨大な人型ロボットであった。
ロボットは赤褐色の眼光を人々に向ける。まるで人間のように拳を握り、その無機質な腕を市民に叩きつけた。
拳の一撃は人間の命などゴミのように潰し。薙ぎ払いの一発は軽く十人以上の命を奪う。
圧倒的暴力。絶望し、震え上がらせるほどの暴力。常世の地獄と言うにふさわしい景色であった──。
「おい、なんでエレファントが起動してんだ?」
「そこで潰れてる馬鹿が逃げようとしたから自動で始動しちゃったんだろ。どうする? また防衛に当たらせるか?」
「まぁいいや。半分殺すのは面倒だし、エレファントに殺らせよう」
「おっけー。あ、マルクス桃ジュース飲む? そこで見つけたんだけど超美味いよ」
「んな餓鬼じゃねぇんだから──って美味ぁ!?」
「だろ? 最近のジュースって超美味いだろ?」
「舐めてたわジュース……最近アルコール摂りすぎたし、ジュースに変えようかな」
鮮血が雨のように飛び散り、肉が大地のように重ねられるような地獄で。マルクスは平然とジュースに舌鼓を打つ。
死神か。悪魔か。もしくはそれ以上か。この男に一切の情は存在しないのだろう。
人々の目から希望が消えていく。数秒前まで隣にいた人が、まばたきをすると肉塊になってるような地獄に希望などなく。
救いの声は悲鳴と慟哭によって掻き消えていった──。




