第90話『絶望の第二幕』
その日の夜。フライヤーは家で夕食をとっていた。
メニューは培養肉を使ったハンバーグに桜味噌のスープ、葉野菜のサラダと未来感のないシンプルなもの。
しかし迅鋭にとってはこれくらいが心地よい。
「『培養肉』に怯えてた最初の頃が懐かしいわね」
「複製された肉とかなんか怖いじゃろ……」
「あはは、あの時の迅鋭の反応面白かったね」
培養肉というのは、動物の細胞を使って作り出した人工肉。『牛を殺さずに肉を食べる』という思いで動物愛護団体によって開発された食べ物だ。
味は本来の肉より少し落ちるが、安価なので庶民の味方となっている。
「そういえばイヴはどうした?」
「今日は外でご飯食べてくるって。『最近は治安が悪くなってるからやめなさい』って言っても『私は強いから大丈夫』なんて言っちゃってさ」
「あー……そういえば、この前イヴが珍しく俺の工房に来たな。『スーツの性能上げて』って言われたぞ」
「なーんかイヴ、ファーブル社の一件から変になったよね。家に帰ったらすぐにどっか行ってさ、帰ってきたらボロボロになってるし」
「何やってるのかしらね……迅鋭は何か知ってる?」
「いや? 儂はなにも」
「心配ねぇ」と言葉を漏らすロア。
「イヴもいい歳じゃろ。隠し事の一つや二つあるくらいが正常じゃ」
「……そう、かしらねぇ」
「知ってる口だね。娘さんがいたの?」
「儂の子は息子じゃ。孫が女だったぞ。周りに女がほとんどおらんかったから、接し方が難しくての……」
思い出すのも億劫になる記憶が蘇り、ヨヨヨと涙が出てくる。
* * *
──その時だった。流していたテレビから緊急放送のアラームが鳴り響く。
「な、なんじゃ?」
「どうしたんだろう──」
ご当地グルメ旅というバラエティ番組が一瞬にして緊急ニュース速報に塗り替えられる。
肌艶のいい女性が切羽詰まった表情でホログラムを展開している。
『緊急ニュースです。東京都内で複数の大規模テロが発生しました。ただいま情報が錯綜しておりますが、現時点で判明している内容をお伝えします』
場面は転換。高性能ドローンによる各地の中継へと映像は変わった。
場所はホテル『フェルマー』。東京でも有数の高級ホテルであり、世界中の金持ちがこぞって泊まっている。
金箔がかかったような外見に、目立つように放射されているフェルマーという文字。ホログラムとは思えないほどリアルな星の雨。
どれもこれもが『金かかってんな』と思わせられる代物だ。
それが現在──フェルマーの上空が白い粉で覆われていた。
美しい外見は醜く白に染っている。それだけで安心感のあった見た目が、どこか禍々しい雰囲気へと変わっていた。
『ここは高級ホテル『フェルマー』。港区の象徴であった金の塔は、今や醜い白霧に覆われています』
映像はホテルの入口付近に向けられる。
そこには──錯乱して暴れている人間が複数。警団連も対応に追われている様子だ。
「屋上から何者かによって化学物質が散布されたとみられ、現在、周辺で複数の錯乱者や昏倒者が出ているとのことです」
「使用されたのは『スバル』と呼ばれる違法薬物です。吸引すると強い幻覚症状や攻撃性の増幅、心肺機能の異常興奮を引き起こす可能性があり、大変危険です。決して近づかないように」
場面は次に転換。今度はスクランブル交差点へと変わる。
スクランブル交差点は昔と変わらず。高層ビルに囲まれ、五つの大きな横断歩道が真ん中の道路に刻まれている。
未来において変わったのは上空に青色のホログラムが浮いていることくらい。
そんなスクランブル交差点は──赤い閃光と黒煙に包まれていた。
テレビからでも分かる熱。人々の悲鳴は暴風によってかき消される。
『スクランブル交差点では大きな爆発が発生。複数の車両が破壊され、死傷者も多数出ているとのことです』
現場では警団連の隊員が生き残った市民を引きずるように退避させている。
まさに地獄。渋谷のシンボルとなっていた場所は悪夢の具現化となっていた。
また場面は変わる。今度はショッピングモールへと変わった。その場所は──この家の近く。なんとイヴが遊びに行っている場所である。
「──はぁ!?」
「ここって、イヴが遊びに行ってる場所じゃない!?」
「なっ……」
迅鋭たちの困惑も構わずニュースキャスターは淡々と情報を放っていく。
『ここは千代田区に位置する大型商業施設『アバロン』です。アバロンでは複数の武装集団が館内に侵入し、現在多数の来場者を人質にして立て篭っているとみられます』
『武装集団は『碧愛会』と名乗っており、エンテイが率いる勢力と思われます』
ショッピングモールは至る所で黒煙が上がっており、壁には意味不明な赤い紋章が描かれている。
警団連は既に包囲網を敷いてはいるものの、まだ突入できずにいるようであった。
『三件の事件はいずれも、エンテイによるものの政府は判断。国家規模の同時多発テロと認定。緊急災害対策本部と防衛軍により、都内全域で最高レベルの警戒態勢レベル五が発令されました』
女性の声と共に赤いテロップが下と上に流れていた。
『外出は絶対に避けてください』
『現場周辺には近づかないで』
映像は上空へと引いていく。
美しいはずの東京の街は赤い光に包まれていた。人々の悲鳴と黒煙は中継しているドローンと共に上空へ登っていく。
そんな悪夢のような映像と共に、ニュースキャスターの声が響いていた。
『現在、警団連による制圧作戦が始まっています。繰り返します、これは訓練ではありません──実際に発生している、『エンテイによるテロ』です』
──それはまるで、日本の終わりと言うかのような。絶望的な映像であった。
* * *
「──ヴォッシュ! 車を出して!」
「分かった!」
──もはや話し合いなどしなくても全員の思考が一致していた。
イヴが。自分たちの娘が。テロの真っ只中にいる。
迅鋭を除けば、イヴはフライヤーの中で最強だ。だから大丈夫──そんなわけが無い。
自分より強くても。イヴは自分たちの仲間だ。
「──迅鋭」
「かたじけない!」
カレンに刀を投げ渡され、迅鋭と三人はすぐさま外に飛び出る。五人は吸い込まれるように車へと入り即座に発車させた。
「エンテイ……やりやがったな……」
「おそらくイヴが狙われたのはたまたまだよ。私たちをピンポイントに狙ったわけではないはず」
「それはそれで不運じゃな」
窓の外から街を眺める。
テロの被害はあの三箇所だけではなかったようだ。正確に言うと、テロの副産物として火が街を覆っている。
下手すればフライヤーの場所までやってくるかもしれない。……ここは消防士さんに頑張ってもらうとしよう。
車は最高速。ショッピングモールまではそこそこ遠いが、そのおかげで既に見えてきている。
──湧き上がる黒煙に、遠くからでも見える赤い紋章。ニュースと一緒だ。
「イヴはスーツを着ておるな」
「うん。着てるはず」
「だったら、そう簡単に殺られはせんだろう。儂は碧愛会とかいう奴らを倒していく。ロア殿はイヴを見つけてくれ」
「分かった」
「私たちは車からサポートするよ。ドローンはもう飛ばしてマッピングは終わらせてる」
「さっすが。頼りになる」
ショッピングモールは包囲されている。それは上空においても同じであった。
警団連の車両はショッピングモールを覆うように固められている。これでは碧愛会の人間は逃げることができないだろう。
ただし──それは迅鋭たちも入れないということをあらわしてもいる。
「どうする? 真正面からは入れてくれないぞ」
「下から行く。ロア、頼んだ」
「オッケー。迅鋭は私に掴まってて」
「何する気じゃ?」
「私のステルス機能は、私に触れてる人にも適用されるの」
「──なるほど。忍び込むのか」
車は急降下。ショッピングモールの一キロほど前の部分に着地する。
「迅鋭、ロア。……頼んだよ」
「任せて」
「すぐに戻ってくる」
──二人はそう言い残して飛び出した。




