第89話『愛と呪い』
──ファーブル社での一件から一週間。フライヤーの面々は特に異常なく暮らしていた。
あのテロはニュースでも大きく報道された。
特に元アイドルのカメラがテロの実行犯だったという事実は世間を大きく賑わせ、カメラの両親が連日泣いている姿をテレビで多く見ることになった。
同時にファーブル社に対してのバッシングが多く見られ、『なぜ警備が甘かったのか』ということや、オブスキュラがスーツを着て暴れたことから、『本当はあのスーツを軍に売る気ではなかったのか』という根も葉もないことばかりがネットに書かれ、ファーブル社は一時休業する事態にまでなったようだ。
「ファイアーウォールそのものに仕掛けがあるなんて、私以外には分からないだろうし、仕方ないと思うけどなぁ」
などと、どこか自慢げにカレンが言っていたのを迅鋭は覚えている。
オブスキュラは未だ見つからず。ファーブル社のテロからエンテイも動いている気配はない。
飽きたのか。諦めたのか。──そんなわけが無い。と、警団連は総力を上げて捜査をしているらしい。
* * *
何日も同じニュースばかり。警団連のバイトも最近はなくなってしまい、迅鋭は手持ち無沙汰となっていた。
暇つぶしのテレビも同じような番組ばかり。やることもなくなった迅鋭はソファへと寝転がった。
「暇そうだねぇ、迅鋭」
寝転がった迅鋭を見つめながらカレンがやってきた。手にはインスタントコーヒー。顔色が悪いので徹夜明けだろうか。
「ずっと気になってたんじゃが、それって美味しいのか?」
「? コーヒーのこと? ……飲んでみる? 頭がスッキリするよ」
飲みかけのコーヒーを手渡され、迅鋭は躊躇なく一飲み。
──駆け巡る苦味。極限に高められた苦味は舌全体を包み込み、顎の機能を混乱させる。
「うぐふぉ!?」
「あはは! いい反応!」
「にっ、苦いぞこれ!? 何が入っとるんじゃ!?」
「カカオ豆だよ。迅鋭にとって身近なものだったら……お茶だね。お茶と同じくカフェインってのが入ってるんだ。目覚めに一杯飲んだらそれだけで覚醒しちゃう」
「今の子はこんなものよく平気で飲めるのぉ……」
すぐさま冷蔵庫から『ぷりぷりストロベリー』を取り出して一気飲みする。
纏わりついていた苦味が洗い流され、甘い層が舌を覆った。この甘みがいい。くどくないのにこってりとした独特な感覚が癖になる。
「意外と子供舌だよねぇ、迅鋭って」
「否定はせん。昔から団子やらあんみつが好きだったからの。あ、ちょこれーと、とやらが美味しかった記憶あるぞ!」
「それ原材料コーヒーと同じだよ」
「ははは、面白い冗談じゃな」
なんて会話をしながらカレンは椅子へと座った。
「カレンは仕事をしておらんのか?」
「失礼な。私も『ネットコンサルタント』っていう立派な仕事をしてるんですけどー」
「こんさる……なんじゃそれ」
「ホームページのデザインとかにアドバイスしたり、会社のリスクマネジメントしたり。あとちょーっとアングラな部分だと、世間誘導とかデジタル攪乱の設計とかしたりするよ」
「よく分からんし、なんか難しそうじゃな……儂では一生理解できなさそうじゃ」
理解できないというより、したくないの方が正しい。まぁ迅鋭では理解できないというのも正しくはあるが。
「……」
──迅鋭はふとヴォッシュの身の上話を思い出した。
早くにして父親を失い、エンテイに母親を殺され、入った孤児院では酷い扱いを受け、脱出しても子供二人でホームレスのように生きてきた。
なんとも悲惨な人生。正直、迅鋭がヴォッシュの立場でも、エンテイを強く恨んでいただろう。
ヴォッシュは復讐心が強く出ているので分かる。それで少し衝突もしてしまった。
だが──カレンはよく分からない。普段から飄々としてるし、あまり自分のことを話さない子だから。
「……なぁ、カレン。お主の身の上話を聞かせてはくれんか?」
「どしたの突然?」
「いや、儂もフライヤーに入ってそこそこ経ったが、儂はみんなのことを全然知らん。だから……気になっての」
ヴォッシュの妹ということは同じ経験をしてるはず。同じ経験をしてるなら、エンテイに強い復讐心を抱いていても不思議ではない。
「……面白いことなんて何も無いよ。ただ小さい頃にパパとママをエンテイに殺されて、その後に行った孤児院で酷い目にあった。そんでお兄ちゃんと二人で逃げ出して死にかけてるところをロアに拾われた。それだけだよ」
「波乱万丈な人生ではないか。やけに体が小さいのはその影響か?」
「む、人が気にしてることを。私から見れば迅鋭の方が気になるけどね。迅鋭が産まれたのって幕末の頃とかでしょ?」
「あれ、言っておったか?」
「最初にあった頃に『大正』とか言ってたでしょ。それで七十二歳なら、ちょうど江戸時代の末期だし」
迅鋭は軽く自身の過去を思い出す──よく考えなくても、カレンに負けず劣らず波乱万丈な人生を送ってきたな、と感慨深い気持ちになった。
──それは置いておいて。あまりにも軽く話すカレンに迅鋭は疑問を持った。
「……カレン。お主はエンテイのことをどう思っとるんじゃ?」
「クズでカス。人類史の汚点」
言い過ぎ……ではないのがエンテイという男の恐ろしさ。街中にいる人に質問しても、同じ返答が帰ってくるだろう。
「おぉ……恨んでたりはせんのか?」
「もちろん恨んでるよ。でもパパもママも私が物心ついた時くらいに殺されたからね。お兄ちゃんと違って、あんまり実感が湧かないんだ」
──驚いた。カレンはヴォッシュが復讐に燃えていることを知っているのか。
「ヴォッシュが……そんなに恨んでいることを知ってるのか?」
「当たり前でしょ、妹なんだから。お兄ちゃんは目の前でママを殺されたし。私より恨むのは仕方ないよ。そもそもエンテイが最低最悪ってのもあるけど」
カレンはどこまでも変わらずに話をしていた。その裏ではどんなに悲惨なことがあったか。辛いことがあったか。
笑顔のカレンを見て、迅鋭の顔が少し歪む。
「……もしだ。カレンはヴォッシュがいざ復讐する、って言った時。それを手伝うのか──」
「──うん。手伝うよ」
即答。迅鋭はたじろいだ。
「私のお兄ちゃんだしね。それに──復讐する時、お兄ちゃん一人だと可哀想だから」
「カレン……」
それ以上は何も言えなかった。というより、迅鋭は何も言わなかった。
カレンの意思は固く。それこそヴォッシュの復讐心以上の頑固さだと迅鋭は感じた。
だからこれ以上は何も言わない。迅鋭は静かにジュースに口をつけるのだった。
* * *
「作戦の方はどう? ヴィンクルム」
ホログラムの地図を展開しているヴィンクルムにオブスキュラが話しかける。
迅鋭に斬られた傷はすっかりとなくなっており、もう既に万全の体調になっていた。
「──問題は無さそうだ。全てが成功して、エンテイ様に褒められるのが楽しみだよ」
「エンテイ様に褒めてもらうのは私よ。貴方は後」
「なんだよケチだなぁ。せっかく僕が前回サポートしてあげたのに」
「すぐにハッキング破られたくせに」
「結果的には良かっただろ? あのまま幻水迅鋭と戦闘してたら、オブスキュラは殺されてた。バリアが貼られたままじゃあ君も逃げられないだろ?」
「それはそうだけど……」
「ま、流石に今度は幻水迅鋭も干渉してこないだろう。トラウマが来なくてよかったね」
「……ほんっとに腹の立つ子ね。エンテイ様はなんでアンタを直属の部下なんかにしたのかしら」
「『碧愛会』の中でも僕が特別優秀だったかだよ」
「そろそろ調子に乗らないの」
煽り顔をするヴィンクルム。その頭を叩きつつ、ホログラムの地図を確認する。
「用意はできてる?」
「うん。前回動いたのはオブスキュラだけだったからね。部下はみんな暴れたがってる」
「準備万端ってことね」
「そうだよ──これが成功すれば、日本という国そのものが根底からぶっ壊れる」
「そして日本はエンテイ様の物に……ふふ」
──背中から飛び出てくる六本のアーム。迅鋭に斬られて破損していた部分も完璧に直されている。
肉体の傷も機械の傷も完治した。最高戦力がまた戻ったことにヴィンクルムは口角を上げる。
「じゃあ行こうか。──この日本をぶっ潰しに」




