第88話『リザルト後編』
「──とりあえず。今回は『正当防衛』ってことにしておきますね」
エレベーターに乗りながら、マキアは迅鋭に言う。
「で、す、が。今後はこのような危ないことはしないこと。幻水先生が強いのは分かりますが、それでも一般市民という扱いなんですから」
「むぅ。もう少し褒めてくれてもよいのに」
「そうだぞマキア。先生がいなければ、一般市民にもっと被害が出ていた。そもそも俺らは助けようとしてもできなかったじゃないか」
「そ、それはそうだけど……」
「先生は立派です。近々表彰されるかもですよ?」
「表彰するなら、儂だけでなくフライヤーの皆も表彰してくれると嬉しいんじゃが」
なんて会話をしつつ一階へ到着。マキア、ダイマの背中を見ながら、迅鋭は外へと踏み出した──。
「──お久しぶりです、迅鋭さん」
──薄暗い影の中から、聞き覚えのある声がした。マキアとダイマは声に気が付かず、そのまま歩いていく。
「……アイス、か」
「素晴らしい活躍でしたね」
影から出てきたアイスは壁に背中を預け妖艶な笑みを浮かべながら迅鋭を見つめる。
「どこにいた。もしや貴様、あの女の仲間ではないだろうな」
「そんなに警戒しないでください。私はオブスキュラの仲間ではありません。正直、ここでテロが起きるとは思ってもみませんでした」
「どうだか……」
「私は迅鋭さんのお仲間のカレンさんと一緒にいました。気になるなら聞いてみてください」
「考えておこう」
嘘か本当か分からない言葉に迅鋭は苛立ちを隠せずにいた。そんな迅鋭を見てアイスはさらに口角を上げる。
「『暴力は何も生まない』と。貴方はそう仰ってましたね」
「……」
「ふふ、ですが……結局貴方はオブスキュラを暴力で片付けた。本質的には貴方は幕末の頃と何も変わっていないのですよ」
「……言いたいことはそれだけか?」
「あら、図星でしたか?」
人を煽るその表情に苛立ちを加速させる──だが図星というのも事実だ。
結局、迅鋭はオブスキュラを『殺す』という手を使って止めようとした。あれだけ講釈を垂れていたにも関わらずだ。
反論なんてできない。情けない話である。
「私はなにも責めてるのではありません。『剣鬼』とまで恐れられた貴方が、あんな腑抜けたことを言うもんだから、一体どれだけ生ぬるい環境で余生を過ごしてきたのかと思っていたのですが……ふふ」
「何がおかしい」
「おかしいのではないのです。嬉しいのですよ」
アイスは迅鋭の前をゆっくりと歩いていき、出口の方へと歩いていく。
「貴方の暴力はこれからも必要になるでしょう。私のボスの予想では、このテロはまだ序章にすぎません」
「は? ボスだと? それより──まだ序章って、どういうことだ」
「そのまんまの意味ですよ。あの男、エンテイが動き出している。既に老衰寸前のあの性悪男が動く理由なんて一つしかありませんから」
歩みは止まらない。もっと聞きたい情報はある。止めようと迅鋭は肩を掴んだ。
──瞬間、迅鋭の手のひらに鋭い痛みが走った。手を見ると薄い氷の膜が貼っている。
「っ……なんだこれ……」
「ダメですよ。女性の体に許可もなく触れたら」
アイスはそう言うと、また歩みを再開した。
「お前の……目的はなんなんだ?」
「私の目的はボスに従うこと。ボスの目的が知りたいならボスに聞いてください」
「じゃあお前のボスは一体誰なんだ……!」
「ふふ──それでは迅鋭さん。また近いうちに会うことになるでしょう」
まだ質問の答えが返ってきていない。迅鋭がまた呼び止めようとする──。
「──迅鋭!」
「ロア殿──」
──その瞬間、ロアがこちらに走ってくるのが見えた。
「怪我とかない? 無事? 生きてる?」
「……死んでたらここにはおらんわ」
「良かったぁ──ん? あれって……発表会の時に隣に座ってた人よね。追いかけなくていいの? 何か話したかったんじゃ……」
「……大丈夫じゃ」
アイスは止まることなく出口から会社を出ていく。迅鋭はその後ろ姿を見ながら、唇を噛むのだった。
* * *
同時刻。イヴは脚に巻かれた包帯をみながら、迅鋭と同じように唇を噛んでいた。
──何も出来なかった。いや、それよりももっと酷かった。
自分の欲求のためにスーツに手を伸ばし。そのせいで武器を渡すのが遅れ、迅鋭の命を危険に晒した。
何よりもそのせいで複数の罪のない一般人が殺された。しかも結局武器を届けるのもやったのはパッカー。
今回イヴは何もしていない。なにも、だ。
「……っ」
小粒の涙が頬を伝う。自分の情けなさに自然と涙が溢れた。
「──イヴ」
──ロアの声が聞こえ、すぐに涙を擦りとる。
「脚の方はどう? 動ける?」
「……うん。ちょっと痛いけど大丈夫」
ピョンピョンとジャンプし、動けることを証明する。その姿にロアと迅鋭はクスリと笑った。
「瓦礫に潰されるとは情けないのぉ。スーツを着てないのに油断しすぎじゃぞ」
「……ごめん」
「……まぁ、生きてて何よりじゃ。よく頑張ったの」
一番頑張っていたはずの迅鋭から労いの言葉。イヴはまた泣き出しそうになるが、プライドから押しとどめる。
「迅鋭の事情聴取も終わったそうだし、さっさと帰りましょう。もう今日は疲れたわぁ……」
「ヴォッシュとカレンは?」
「カレンはトイレ。ヴォッシュは──あ、そこにいるわ」
壁にもたれかかって立っていたヴォッシュを見つけ、ロアが駆け寄る。迅鋭と目が合うと、ヴォッシュは少しバツの悪そうな顔を浮かべた。
「お疲れ様ヴォッシュ。お腹減ったでしょ? 今日は私も疲れたから、出前頼んでみんなで食べましょうよ」
「……いい考えだな。俺ピザ食べたい」
「ピザ! いいわねぇ!」
はしゃぐロアの後ろに迅鋭が立つ。
「頭は冷えたか?」
「……意見は変わらない。あの女は斬るべきだった。生きて捕まえるのが無理なら、殺すべきだった。それは変わらない」
すぐに「でも」とヴォッシュは付け足す。
「……掴みかかったのは、悪かった。お前がいなけりゃ死んでたかもなのに。……ごめん」
「意見が変わってないのは不満じゃが……まぁよい。儂もお前の気持ちを考えておらなんだ。悪かったの」
「いいよ……別に」
「? なによ、あんたたち。喧嘩でもしてたの?」
「そんなところじゃ」
「ダメよ喧嘩は! これから『お疲れ様パーティ』をするんだから! みんな仲良く、ね?」
「段々と話大きくなってきてないかの……?」
* * *
カレンも戻ってきたので、フライヤー五人は帰ろうとする──その直前にダイマによって呼び止められた。
後ろを振り向くとダイマの他にもマキア、マナも立っている。
「どうした? まだ何か聞きたいことが?」
「いえ。そうじゃなくてですね──」
「──その前に。本日はどうもありがとうございました。幻水先生のおかげで数多くの人の命を救えた。……感謝してもしきれません」
三人は深々と頭を下げている。マキアはさっき『いいことじゃない』と言ってしまったのを気にしてるのか、ちょっと顔がクシャっとしていた。
「構わん。儂が勝手にやったことじゃ。それじゃあ後の仕事頑張って──」
「──あともう一つ。これは忠告です」
マキアが前にスっと出てくる。
「幻水先生は今回オブスキュラと交戦し深手を負わせました。それにより、今後オブスキュラ……ひいてはエンテイが幻水先生になにか仕掛けて来る可能性があります」
「……エンテイ」
ヴォッシュが強く拳を握る。カレンも少し眉が動いたような気がした。
迅鋭は二人を気にしながら話を聞く。
「報復かもしれませんし、先生を邪魔に思い排除するかも。理由を予測することはできません。ですが何かしら貴方と関わる可能性が大きいです」
「特に最近は……ね」
「最近?」
「あれ? もしかして幻水先生ってニュースとか見ていません?」
フライヤーで顔を見合せ、頷く。迅鋭ではなくフライヤー全員がニュースを見ていなかったようだ。
マキアは呆れながらスマホを起動し、動画を五人に見せた。
『テレビ局にエンテイの脅迫状が届いた』
という全国放送のニュースであった。
最初こそイタズラかと思われたが、筆跡鑑定からすぐにエンテイと特定。国民を震え上がらせた手紙の内容は『日本征服するわ。そのまま渡してくれたら何もしないけど、無視するならテロ起こすね』という、ふざけたもの。
だがこんなにもふざけた内容であったとしても、『エンテイならば確実にやる』と、九十年近い歴史が証明している。
「今回のテロはおそらく第一段階。まだエンテイは何かをするつもりです」
「……『序章』か」
アイスの言葉が脳内で反復。自然と口から漏れ出た。
「幻水先生……本当にお気おつけください」
「安心せい。お前は儂よりも、自分の心配をしろ。お前が死んだら儂も悲しいぞ」
「……はい」
話を終えて帰ろうとした時──ダイマが叫んだ。
「全員──!!」
──周囲にいた警団連が一斉に背筋を伸ばし、五人に足を揃えて体を向ける。
「──敬礼!!」
一般市民を救い、最悪の敵を退けた。その英雄『フライヤー』に最大限の敬意を込め、皆が頭に手を当て敬礼する。
ロアとカレンは照れくさくなって頬をかき、ヴォッシュとイヴは気まずそうに俯く。
迅鋭は──アイスの言葉を思い出した。『結局、貴方はオブスキュラを暴力で片付けようとした』と。
事実だ。ならば自分は敬われるような人物ではない。
だから迅鋭はダイマたちの方へ顔を向けることなく、背中を向けたままファーブル社を立ち去るのであった。




