第86話『空の蜘蛛は地に落ちた』
苛烈を極める迅鋭とオブスキュラの戦い。だが中央管理室でも同じく熾烈な戦いが繰り広げられていた。
「どうなってんの……!」
キーボードを叩く指が強くなる。時間制限による焦りで指先に汗が垂れる。
バリアを解除するには操作権限を取り戻すしかない。現在は何者かに外部から操作されている状態。ならばやるべき事なのは外部からのハッキングを排除することだ。
しかしどこから操作しているのかが完全に不明ときた。片っ端からパソコンで確認してみても、ひとっこひとり人間がいる気配がない。
一体どこから。どうやって。この大手企業のファーブル社を操作している。
「マクレランさん! なんか思い当たることない?」
「思い当たると言われても……私は電子関係は部下に任せていたから」
「ほんの些細なことでもいいの! 例えば、何かのプログラムを外注したとか、海外の非合法なアプリを入れてるとか!」
「……ダメだ分からない。だがうちは安全性には気を使ってる。外部から取り入れた物も全部大手の信頼できるものだし、それが出来ないものなら自社で作ったものだ」
実際に見た感じ、プログラムは全部メジャーなもの。メジャーだから穴があるのではなく、メジャーなのはそれだけ信頼があるものだからだ。
「じゃあ一体どうやって……」
どこの穴を付いた。どうやってハッキングをしている──。
「──ねぇ、もしかしてだけどさ」
カレンはパッカーの言葉を思い出していた。
『──まだ発表すらされていない最新型ファイヤーウォールを採用している』
そしてもう一つ。
『外部から取り入れた物も全部大手の信頼できるものだし、それが出来ないものなら自社で作ったものだ』
と。大手の信頼できるものっていうのは怪しく見えるが、これは事実だ。カレン自身の目で確認したから間違いない。
ならば怪しいのは──自社で作ったという点。
「──このファイヤーウォール。もしかして自分の会社で作ったの?」
カレンの言葉にマクレランは何かに気がついたように首を縦に振る。
「……そうだ」
「そうなると──」
カレンは指をキーボードで踊らせながら、ファイヤーウォールの構造を確認する。
「──やっぱり。完全に盲点だった。ファイヤーウォールそのものに仕掛けがされてる!」
──なんと、ファイヤーウォールに不可視の認証システムが搭載されており、外部の特定の人間ならば問題なく中へと入れる構造となっていたのだ。
灯台もと暗しとはまさにこの事。そしてマクレランは頭を抱えている。
「となると……まさか、社内の誰かが裏切ったということなのか……!」
「そうなるね……」
悲しむのも、ショックを受けるのも後。穴の場所さえ分かれば簡単。邪魔な穴なら埋めるだけだ。
カレンはすぐさま認証システムを強制破壊し、簡易的なプログラムをファイヤーウォールに詰めた。
──これにより外部からの動きはなくなり、自由に管理室で操作できるようになった。
「ふふ、相手が悪かったね──私の勝ちだ!」
エンターキーを高らかに押し込む。これにて操作権限はこちらへと戻ってきた。
カレンはすぐにバリア解除のボタンを──押した。
* * *
──迅鋭の刀はアームをへし折り、そのままオブスキュラを切り裂いた。
「──ぁ──ぁっ!?」
深い。だが瞬時に命を落とすほどでもない。
オブスキュラはすぐさまナノマシンを身体に貼り付け応急処置する。
「ふっ──!!」
大チャンス。このチャンスを逃す手はない。迅鋭は持ち手を変えて再度『鏡面の波』を放つ。
オブスキュラは逃げるために後ろへ下がる──が、背後には『衝撃吸収ガラス』が。
逃げられない。避けられない──アームを展開して盾を作る。
──二発目の『鏡面の波』。防ぐことはできた。しかしスーツを着てもなお、迅鋭の攻撃を踏ん張ることはできず、オブスキュラはガラスに押し付けられる。
「ぐっ、ぅ……!」
オブスキュラの背中で『ミシッ』というヒビの入る音がした。
(これは──やばい)
残りのアームを総動員させ迅鋭に襲いかかる──だが、即座に『羽衣』を使用し、全てのアームを叩き落とした。
そして──また盾に『鏡面の波』を放つ。
──ミシミシと。音が。
──パキパキと。ヒビが。
刹那の静寂の後──ガラスは崩壊し、煌びやかな雨のようにガラス片が飛び散る。
「──」
オブスキュラは支えを失って背中から落ちる。アームも何かを掴もうと暴れるが、迅鋭の『羽衣』によって全て叩き落とされてしまった。
「っ──幻水迅鋭ぃぃ!!」
「っちぃ──っ!!」
──アームは迅鋭を掴み、道ずれにして落下していく。
空中に放り出された迅鋭とオブスキュラ。アームはどこかを掴もうと、何度も壁とガラスを壊しながら落ちていく。
(外に壁が貼られてない……!?)
(カレンが解除したか……!)
バリアが消えていることに二人共驚嘆しながら、自由落下に巻き込まれていく。
「っ──なっ、ぐ……!」
「おぉ──ぉ──!」
七十二年の人生で一度も感じたことの無い浮遊感。下から吹き上げてくる落下の風で満足に体が動かせない。
だが動かせないことはない。迅鋭は歯を食いしばり、自分の下にいるオブスキュラに体を向ける。
刀の峰を足裏で踏みつけ、身体を捻り──アームに振り下ろす。
全筋肉を総動員。そして空中で器用に捻りを加えた斬撃はアームの一部を破壊し、足を抜くことに成功した。
「ぐっ、このぉ──!!」
空中で襲いかかってくるアームを刀で逸らし、アームを足蹴にして落下を加速。真下のオブスキュラ本体へと急接近する。
──オブスキュラの上に着地。顔面と腹部を踏みつけながら、心臓に刀を突き刺そうと刀を押し込む。
「ぐ、ぁ、あぁ、ぁぁあああ──!!」
──アームが壁の突起を掴んだ。
落下していた体は急停止。振り子のように両者の体はガラスへと向かい──透明の破片を撒き散らしながら、会社の中へと投げ飛ばされた。
空中で暴れながら──迅鋭はフロントの机の上に着地する。衝撃は緩和され、一応無傷で迅鋭は生還する。
オブスキュラは直で床に落下。衝撃がそのまま体内で暴れ狂うが、スーツの力で耐えることは可能。頭から流れる血を擦りながら立ち上がる。
「っ……く、ふぅ、ぉ」
「ここは……?」
周りを見渡す。周りには怯えている避難民が。となると、ここは一階。まさか二十五階から落ちてきたのか。
「──迅鋭!」
「ヴォッシュ……?」
避難民を統率していたヴォッシュの叫びと共に、避難民から声が上がった。
「あ、あれ襲ってきた女じゃねぇか!」
「なんでこんな所に!?」
「──もしかして、あれって幻水迅鋭!?」
「すごい! 本物の[ラストサムライ]だ!」
盛り上がる人々。そんな場合では無いのだが、ちょっと嬉しくなった。
オブスキュラは重症。アームを一本無力化、もう一本は半分壊している。残った四本のアームも、今のボロボロのオブスキュラでは前みたいに自由には動かせないだろう。
倒すならここしかない。迅鋭は再度刀を構えて動き出した。
* * *
「──動くな!! 警団連だ!!」
──瞬間、男のドスの効いた声がフロアに響き渡った。
声と同時に重厚な装備をした人間、ロボットたちが銃を向けながらこちらへと向かってくる。
迅鋭とオブスキュラは声に驚いて固まり、その隙に警団連は見事な陣形を組みながら二人を囲んでいく。
「……時間切れ、ね」
──オブスキュラの悪い笑み。迅鋭はすぐさま刀を握り直して斬りかかる──。
丸鋸に変形したアームが天井の照明を切断──轟音と共に照明が落下。その下にはお互いを抱きしめて震えている親子が座り込んでいた。
「ほら、助けないと死ぬわよ」
「っ──このっ!!」
斬らなければ親子は死ぬ。だが親子を助けにいけばオブスキュラは逃げる。
迅鋭が選んだのは──親子を助けることであった。
『波紋』と跳躍を混ぜたダッシュで親子へと近づき、二人を抱えて走り抜ける。後ろで壊れるシャンデリアの隙間から──オブスキュラの気味の悪い笑顔が見えた。
「また会いましょう幻水さん。次は……こうはいきませんわよ」
オブスキュラはそう言い残し、アームを使って飛び上がった。
警団連が放つ拘束弾をアームで防御しながらガラスを突き破り外へと飛び出していった──。




