第85話『深淵より覗く鏡面』
「──ぅ、ぅ」
瓦礫を押しのけながら、イヴは目を覚ます。
「なにが──ぁ」
そして──状況を理解した。
人が死んでいる。殺されている。オブスキュラの後ろに人がいる。避難民だ。
その前には迅鋭が。未だ素手。傍から見ても分かる。──劣勢だ。
なぜかって──自分のせいだ。
スーツを取りに行かなければ、瓦礫に押し潰されずに済んだ。そのまま迅鋭に武器を渡すこともできた。
それ以上に……避難民が死なずに済んだはずだ。迅鋭が武器を持っていればオブスキュラを止められていたはずだ。
「ぅ……ぁ」
なにを、やっている。なにを、しているのだ。
──ダメだ。自己嫌悪は後にする。今はとりあえず手にある武器を迅鋭に渡さなければ。
「──っぁ!?」
立ち上がろうとすると、脚に強烈な痛みが走った。静かに目を脚へと流す。
一際大きい瓦礫がちょうど右足を潰していた。完全に折れている。
「なん……なんで、なんで……っ!」
痛い。痛いのも辛いが、動けないのが何よりも辛い。役たたずどころか、戦犯になっていることが。
何よりも。何よりも──。
「──安心してください。もう大丈夫です」
「ぅえ……?」
背後から──パッカーが現れた。
「よく壁にかかった武器を取れましたね」
「パッカー……さん」
「警備兵とロボットは無力化しました。後は──幻水様があの女を倒すだけです」
パッカーはイヴが持っていた剣を手に取り、立ち上がる。
「──よく頑張りましたね」
「ぅぁ──」
違う。何もしていない。自分はまだ何もしていない──。
──その言葉は出てこず。伸ばす手が届くこともなく、パッカーは走り出した。
* * *
「幻水様! これを!」
パッカーの叫びに迅鋭は反応しない。聞こえてないのではなく、それは分かっていたからだ。
「死に損ないが──」
──見えた。パッカーの手には『刀』がある。
あれを迅鋭に渡す気だ。──それだけはまずい。迅鋭に刀を渡すなど、鬼に金棒。阻止しなくてはならない。
即座にアームを展開。迅鋭に一本。刀を壊そうと三本のアームを引き伸ばす。
「──」
迅鋭は後ろにバックステップ。同時にパッカーは刀を投げる。
転がり、バク転でアームを避けながら、刀に目も向けずに、刀へと近づく。
剣とハンマーで刀を壊そうとする──が、それよりも迅鋭の方が早かった。
アームを踏みつけて空中にジャンプしながら刀をキャッチ。体を回転させながら──抜刀。
迫ってきていたアームを全て叩き落とした。
「──ふぅ」
「ちっ……!」
オブスキュラへと戻るアーム。そこで気がついた。──超高圧でも耐えられるはずのアームに傷がついている。
「……これは」
──暗黒の刀身。柄には赤い稲妻のような線が血走っている。
無機質。無骨。それ故に持ち手の恐ろしさが直で伝わってくる。
剣を持つ前と後で明らかにオーラが変わった。まるで別人かと思えるほどに──。
「さてと──オブスキュラ、よ」
「……」
依然として優位なのは変わらない。極長の射程に変幻自在のアーム。刀を持ったとしても射程の差は歴然だ。
だと言うのに──なんなのだ。この感情は。
これはまさか──恐怖。
「──覚悟は出来てるな」
──鳥肌が総立ちする。
迅鋭が影を纏ったかのように。ドス黒いオーラが。どんどんと。どんどんと大きく──。
「……?」
知っている。この感じを知っている。なんで──。
「……ふん」
関係ない。怖くても、恐ろしくても関係ない。信じてくれる人がいるから。待ってくれているから。
「刀を持っただけでしょう。──私の方が強いのは変わらない」
「そうか。それはいい事だな。幸せな夢想が覚めない内に終わらせてやろう」
* * *
二本のアームが形状を変えて襲いかかってきた。片方はチェーンソー、片方は槍へと変化する。
──『羽衣』。神速の防御技。体に刀身の残像を纏いながら、二本のアームは逸れて地面と後方へ斬り飛ばされる。
迅鋭は大きく踏み込み『波紋』を使用しながらオブスキュラへと走り出した。
(速い!? スーツも着てないのになんて速度──!?)
一本は盾に変形。もう片方で避難民を掴んで盾にしようとする──。
(ダメだ間に合わない──!)
──選んだのは迎撃。
掴もうとしたアームを鎌へと変形。ナノマシンの盾で視界を防ぎつつ、隙間から鎌を振り抜く。
これを──余裕を持って回避。鎌を足蹴にし、盾をも乗り越える。
「嘘でしょ──」
刀を振り上げている。単純な大振り。普段なら避けられるだろうが、この切羽詰まった状況では避けられない。
体を支えていた一本のアームを使って迅鋭の刀を受け止める。
バランスが崩れかかるも、なんとか残った一本で体を支える──。
──そこへ放たれた首への踏みつけ。
瞬間的に呼吸は止まり、アームは制御とバランスを失い──倒れる。
背中から落ちるオブスキュラ。その上に迅鋭は着地する。
掴まれていた刀を引っこ抜き、倒れているオブスキュラに突き刺す──。
──その前にアームが到着。チェーンソーが振り抜かれるが、迅鋭はそれを捌きつつオブスキュラから離れる。
「このっ──!!」
三本のアームが追撃。殺意の籠った鉄の蛇が喰い殺そうと牙を向ける。
──半透明の膜にアームが触れた瞬間。凶暴な蛇が従順になったかのように、アームは迅鋭から逸れて離れていく。
「なんっ、で!?」
二本のアームは大剣へと変化。片方は縦に、片方は横一閃に斬りつける。縦と横からの斬撃なら流石に避けられない。
──そんな考え、迅鋭にはお見通しだ。
斬撃が十字にやってくるなら、斜め上へと良ければいい。迅鋭は『波紋』でジャンプし、斬撃を避けた。
目で追うのが必死の中、迅鋭は空中で体を捻り──オブスキュラの肩を斬り裂きながら着地した。
「っ──ぁあ!?」
深紅の粒は火花のように飛び散る。紅化した刀身は斬り裂いてもなお、再度オブスキュラへと向けられた。
傷は深い。出血もある。だが命を奪うまでには至らない。片腕は使えなくなっただろうが、アームを駆使して戦うオブスキュラにとっては、対して影響のあるものでもないだろう。
だからまだだ。もっと深い傷が必要だ。命に届くほどの深い傷が。
──止まらない迅鋭。オブスキュラの目に静かな『恐れ』が宿っていた。
「っぁあ──ぁ!!」
そんな自分を誤魔化すかのような攻撃。アームを変形させることもなく、ただ無造作に薙ぎ払う。
──しゃがんで回避。『波紋』を使って一気に距離を詰める。
迅鋭の唐竹割りを二本の変形したアームで防御。アームのパワーならばスーツの着てない迅鋭などすぐに押し返せるはずだが──精神的に押されているオブスキュラではそうはいかない。
アームを使って後方へと逃げるオブスキュラ。追いかけようとする迅鋭に斧へと変形したアームがやってくる。
『羽衣』で弾きながら最接近。追撃の刀は既に構えられている。
「っ、あぁもう!! もう!!」
防御壁──は間に合わない。剣のアームで防御しながら、ランスへと変化したアームで射突を放つ。
「──」
──当たらない。もはやどうやっても当たらない。
構えの完了している刀。その特異な構えからは、その攻撃場所が素人でも分かる。
(横に一閃……防げる……防げる……!)
壁よりも強度が弱いといえ、剣は鋼以上の強度。鋼で鋼を斬ることができないように。迅鋭の刀では防御を突破することは不可能だ。
だがオブスキュラは気がついていない。真に注目すべきなのは迅鋭の構えではなく──迅鋭の手であった。
猫科の動物のような特有の形。それは刀を掴むのではなく、挟み込むことにより可能とした神速の剣。幻水流の最奥たる、その技の名は──。
「──『鏡面の波』」




