第82話『ジャンヌ・ダルク』
──正面玄関入口。会社へと入ってすぐのホームは大混乱に陥っていた。
逃げようとする人が一極集中しており、あれだけ広かったホールに隙間なく人々が集まっている。
「ちょっと押さないでよ!」
「どうなってんだよ!? なんで外に逃げねぇんだ!?」
「おかぁさぁん!」
ガラスの外には、会社と外の世界を隔てるような、半透明な物質が生成されていた。これがパラセノイヤ。外と内を分かつ高強度のバリアだ。
スーツを着ていても壊すことのできないバリアに阻まれ、外へと出ようとする人たちで密集。特に入口付近の人はあまりの人圧に押しつぶされそうになっていた。
子供の泣き声。大人の慟哭。カオスの極み。人の波は感情さえも伝播し、崩壊するのは時間の問題であった。
後からやってきたイヴとロア、ヴォッシュはこの現状に冷や汗を垂らす。
「まずいよこれ……」
「どうするロア。ここまで混乱してる人間を鎮めるのは簡単じゃないぞ」
避難誘導用のロボットは使えない。武器も持ってないし、なにより民間人は傷つけたくない。
このような状況ですべきこと。それは──この人たちを落ち着かせることだ。
「──」
──ロアが走り出した。前触れもなく走り出したロアにイヴとヴォッシュは反応が遅れる。
ロアは人を掻き分けて受付カウンターへとよじ登った。
「すぅ──」
これにより。ロアは人々の視線の上に立つこととなる──。
「──そこを動くな!」
──猿のボスは一番高いところいる。
人間がいくら進化したといえど、猿としての本能は完全には消え去っていない。
よって人々の目線の上に立っているロアは必然的にパニックに陥っている人たちの視線を集めることが出来た。
しかしまだ不十分。これだけでは混乱は収まらず、まだ前へと進む人は一定数存在する。
「動くな! 私の名前はロア・カミリン! 何でも屋『フライヤー』のボスよ! 貴方たちの敵じゃない!」
──すかさず叫んだ二撃目。ロアもフライヤーも、知名度はさほどない。この中の人たちだって、知ってる数の方が少ないくらいだ。
しかし自らの名前と所属を明かすことにより、人々の不安は少し紛れる。人々は──少しだけロアを信頼することとなる。
時間にすれば一瞬だろう。すぐに『誰だよ』となり、また場は混乱することとなる。
勝負は一瞬。この一瞬で守れる人の数は大きく変わってしまう。
「敵は私の部下──ブラッドバトルチャンピオンの幻水迅鋭が止めてくれている! あの人なら、確実に敵は倒せる! だからまずは落ち着いて! 前の人に目を向けてあげて!」
幻水迅鋭。ブラッドバトル。
ロアは認めたくないが、富裕層の多いこの場において『幻水迅鋭』の名の方が『フライヤー』よりも知名度が高い。
チャンピオンの幻水迅鋭がここにいる。実際に戦闘を見たことのある人間にとって、これほど安心感のある言葉はないだろう。
──ロアは狙っていた。自分を一瞬だけ信じてくれるタイミングを。
最初から名前を出すだけなら信じられなかったかもしれない。だか注目を浴び、自分の名前と所属を出した、このタイミングでなら。一瞬だけ信じてくれる皆の心の底に言葉を響かせることが可能なのだ。
「幻水……迅鋭……!?」
「あ、あの[ラストサムライ]が!?」
「チャンピオン! ここに来てたのか!?」
「幻水迅鋭って誰?」
「グランドフィナーレのブラッドバトルのチャンピオンだよ! ほら、この前言ってた──」
冷静になれば、他人の言葉を受け入れる人も出てくる。迅鋭を知っている者の多いこの場なら、知らない人がいても隣の人が教えてくれるだろう。
広がっていた恐怖と混乱は瞬く間に鎮圧。人々のおしくらまんじゅうは収まっていった。
なら次にやるべきことは避難だ。入口にこれだけの人数が集まっていては格好の的。何グループかに分けて広い場所に隔離しなければ。
「とりあえず、この場は私が指揮する! 今からみんなを三ブロックに分ける! X線検査より前にいる人をAグルーブ! フロントより前をBグループ! それより後ろをCグループとするよ!」
混乱と絶望に満ちていた空間を収めたロア。危うく押し潰されそうになっていた人にとっては救世主。後方の比較的冷静だった人からしても救世主。
どこをとっても救世主な人間ならば。人々も素直に言うことを聞き始める。
「まずAグループはこの場に残って待機。私の仲間のヴォッシュって奴が一緒に居てくれるから安心して。Bグループは私と一緒に十五階の食堂まで着いてきて。Cグループはイヴって子と二十二階の歴史ブースに。この子は迅鋭くらいに強いから信頼していいわよ」
あまりにも的確な指示と、サラッと自分たちがリーダー格にされていることに驚くイヴとヴォッシュ。
ともかく場は収まった。人々は安堵し、人の波はゆっくりと解されていった──。
* * *
「──足腰の弱い人を優先的にエレベーターに! 若い人はできるだけ頑張って階段から上がって!」
まだごった返してはいるものの、先程よりは混乱も恐怖も少ない。これならロアが声を張り上げれば、皆が言うことを聞いてくれる。
ロアの手際の良さに感服していたイヴの肩をヴォッシュが叩く。
「金庫の方はやっぱりダメだ。完全にロックされてる」
「じゃあスーツも武器も無しか……」
「ここはイヴも大人しくしてろよ。迅鋭なら、あの女を何とかしてくれるはずだ」
「でも……」
──イヴはブラッドバトルでの戦いを見ている。
確かに迅鋭は強い。生身とは思えない身体能力に研鑽された剣技の結晶。口には出さないが、どれも憧れるほどに研ぎ澄まされている。
だが迅鋭だって人間だ。殴られれば血が出るし、ボロボロにもなる。超人だが無敵じゃないのだ。
「……やっぱり、迅鋭ばっかりに任せられない」
「イヴ……」
気持ちは分かる。だが今のイヴが行っても力不足だ。足でまといになるのなら、行かない方が──と、ヴォッシュは思い出した。
「──歴史ブースの武器ってさ。あれ取り放題じゃなかったか?」
「え? そうだっけ……流石に対策されてるんじゃない?」
「待て……ちょっと待て──ロア!」
誘導中のロアに二人が近づく。
「なに? 今忙しいんだけど──」
「歴史ブースの武器って確か磁力で繋がれてなかったか?」
「……言ってたわね。『アルグレイド磁石で固定してる』って」
「よし──ロア。上に行ったら、まずバーナーみたいな持ち運べて加熱できる物を探してイヴに渡せ。そしたらイヴは武器を展示している土台をそれで加熱しろ」
「……え?」
「どういうこと?」
突拍子もない言葉にロアとイヴは首を傾ける。
「いいか? 永久磁石は特定の温度まで上昇すると磁力が低下、もしくは無くなることがあるんだ」
「……なるほど。磁力を無くして武器を持ち出せるようにするのね」
「あぁ。アルグレイド磁石のキュリー点は千二百度。ガスバーナーとかなら簡単に加熱させられるはずだ」
「分かった。やってみる」
三人は手を前に出す。
「──これ以上、犠牲を増やさないわよ」
「「「ワン、ツー、フライヤー!」」」
さっきはできなかった掛け声を終え、三人はやるべきことを開始するのだった。




