第81話『希望の光、優しき光』
カードキーを使って中央管理室へと侵入。中は無人であり、誰かが入ったような形跡もなかった。
「あれ、おかしいな……?」
カレンの予想では、今回の事件は内部からの操作によるものだと思っていた。
しかしこの場所に誰かが入った形跡がないとなれば話は別。必然的に外からハッキングをしてこの事態を作ったということになる。
「だとすると……あの強固なファイアーウォールを誰にもバレずに突破したの……?」
電子技術に絶対の自信を持つカレンですら、ファーブル社の使用する『ローアイアス』を突破することは容易ではない。
しかもそれを一切気が付かれずに、となると、もはや不可能な領域だ。
そんなことができる人間もエーアイもこの世にはない。……はずだ。
「どうかしたのかカレンさん?」
「い、いや。ちょっと考えてただけ。今取りかかるよ」
──考えるのは後。速急にやるべきことはパラセノイヤの解除である。
パソコンを立ち上げ、見事な指さばきで画面を操作する。
社長であるマクレランも多少はパソコンの知識があると豪語していたが……カレンが動かして数秒するうちに、何をしてるのか分からなくなっていた。
「な、なにか手伝うことはあるか?」
「お水ほしい。走って疲れた」
「分かった!」
上着を脱ぎ、髪を後ろに結ぶ。額には水晶のような粒汗が流れていた。
「大手なだけあって面倒なシールド何個も使ってるね……これは時間かかるぞ……」
紙コップに入れてきてくれた水を一息で飲み干し、まるで勝手知った工房に戻ったかのようにキーボードへ手を伸ばした。
カレンの後ろにはマクレランとアイス。二人はカレンのタイピング技術に感嘆を漏らしていた。
「その……アイシクルさん」
「アイスでいいです」
「分かった。アイスさんよ。まず助けてくれたことには感謝する。ありがとう」
頭を下げるマクレランを見ることすらせず、アイスは口を開く。
「今は藁にもすがる状況ですから」
「本当に感謝はしてる。してるのだが……聞かせてくれ。なぜ君はスーツを着ている?」
マクレランの問いにもアイスは眉一つ動かさない。
「この会社に入る時にスーツは脱がされるはずだ。なのになぜ君はスーツを……」
「私は貴方の、貴方たちの敵ではありません。……今言えるのはここまでです」
話を終えた直後、複数の重低音が廊下から聞こえてきた。――アイスの手に冷気が纏わりつく。
マクレランの前を通り過ぎてアイスは入口の方へ。続いてマクレランも急いでついて行った。
その先には──多数の警備ロボットとドローンが。廊下の奥で赤光をギラつかせ、アイスが作った氷を溶かし、無数の銃口を向けている。
「カレンさん。どれくらいかかりますか?」
「……二十分で終わらせる!」
「分かりました。マクレランさんは下がってて」
発生した冷気は『氷』へと変換されながら、アイスの腕に張り付いていく。
「マクレランさん」
「……なんでしょう」
「災害保険には入ってますか?」
「え……はい」
「では、この辺の景観をちょっと変えます。ご了承ください」
「へ──」
反論も。疑問も。それらを口にするより早く。アイスの氷は体を伝って広がり──廊下の半分を氷の楔に封じ込めた。
* * *
──思えば、悲惨な人生だった気がする。
産まれた瞬間に両親は蒸発。父親が兎だったのか、母親が兎だったのかすら、今になっても分からない。
その時から分かっていたのは──自分は『異端』であること。
特徴的な長い耳は当たり前のように引っ張られたし。小さな尻尾は当然の権利かのように踏まれた。俗に言うイジメだ。
それが子供の間だけならまだしも、孤児院の先生にすらやられたのだから、日本も末期だなと子供ながらに感じたものだ。
耐えて、耐えて。ずっと耐えたら、いい生活ができる──そんな甘い考えも十歳になる頃には消えていた。
この世は地獄だ。幸福の総量は産まれた瞬間に決まる。そして私は他の人よりも幸せを少なくされてしまったのだ。
神様は信じてる。だってこんなにも最悪な人生を神様が与えてくれた、と思う方が。幾分かこの世界をマシだと思えるから──。
「──ほ、惚れました! お父様! あの子を僕の秘書にしてください!」
──そんな地獄をこじ開けて、無理やりスポットライトを照らしたのが、あの人だった。
孤児院に突然やってきた超大金持ち。学のない私でも知ってるような会社の社長の御曹司に最初は良い印象なんて持っていなかった。
どうせコイツも周りと同じ。下手すら周りの奴らよりも、もっと酷いと。
あの人の父親である『グレン・ファーブル』の養子に入った時は絶望すらしなかった。諦め、と。どうにでもなれ、と。そう思いながら、敷地に足を踏み入れたのを覚えている。
ただ──それからの日常は、思っているより楽しかった。
苦手だった数学の勉強。頭を回転させることが恐怖でしか無かった私に、グレンお義父様は優しく、丁寧に教えてくれた。初めて問題が解けた時の嬉しさは今でも覚えている。
礼儀やマナーを覚えて。秘書としての仕事を覚えて。そして──温かさを教えてくれた。
生きる意味や理由を考える暇すらないほど、私の人生はファーブル一家によって潤されていった。
「ねぇパッカー! 僕の秘書になってよ!」
あの純粋な笑顔に。あの元気な言葉に。私はどれほど救われたと。
あの人は何も思っていない。それでいい。あの人はそういう人だ。だから好きになった。
灰色だった人生に色をつけてくれた彼を。──マクレランを。ファーブル一家が守ってきた会社を守るためなら。私は──なんだってする。
* * *
「──ぐ、ふ」
光が見える。粉が、落ちてくる。焦点を失った視界が戻ってゆき──眼前に立つ敵にピントが合った。
「スーツもないのに頑丈ね。これだからアガリビトは面倒なのよ」
「……昔から、よく言われます」
髪に引っ付いた瓦礫を指で払いながら立ち上がった。
さっきのは走馬灯だろうか。走馬灯に引っ張られてるのか、『美しい髪をしてる』とマクレランが言ってたのを思い出す。
「何分経ちましたっけ……?」
「七分ね。上出来じゃない? スーツ無しにしては、ね」
残り三分。肋が折れ、片目が潰れた今の状態じゃあ時間稼ぎは無理だろう。オブスキュラの言う通りスーツもなしによくやった方だ。
「……」
やろうと思えば、逃げられる。両足は健在。オブスキュラが油断してる今、火事場の力を出して全力を出せば撒けるはずだ。
──だが、まだ残り三分残っている。マクレランとの約束は『十分の時間稼ぎ』だ。社長との約束は絶対。守らなくてはならない。
「……思えば」
「ん?」
潰れた左目の裏に──記憶が映し出される。
どれもこれも幸せな思い出。昔の最悪な思い出は無かったかのように。全部──マクレランのおかげだ。
「──幸せな、人生でした」
だから、パッカーは一点の後悔も、曇りもなく。眩いほどの笑顔で──そう言った。
「……そう。じゃあ幸せなまま死になさい」
そんな笑顔に、オブスキュラのアームは無慈悲に刃を突き立てた──。
* * *
「──」
──アームの刃は地面に突き刺さっていた。
「──待たせたの」
──迅鋭はパッカーを小脇に抱えながら、オブスキュラを睨みつけていた。
「え……」
「あら、これは意外なお客さん」
目線は変えず、パッカーを地面に下ろす。
「動けるか?」
「……はい」
「会場全員の避難はさせた。じゃがあの警備兵やロボットまでは止めれなんだ。──まだアレらを壊せるくらいの余力は残ってるじゃろ」
自分よりも小さいはずの迅鋭の背中が。今だけは大きく見える。それは自分が見たこともない『偉大な父親』のようで──。
「──後は任せろ」
迅鋭とは今日初めて会ったばかりだ。なのに──なぜかこの人のことは信用できる。任せていいんだ、と思える。
だからパッカーは『はい』とだけ言い、警備兵やロボットのいる場所へと走っていった。
「ふぅ──さて」
二本のアームがオブスキュラの体を持ち上げ、四本のアームは威嚇するように迅鋭に向けられる。
体が持ち上がっているのもあるが、パッと見の体格差はクマと小鹿にも例えられるだろう。
「貴方は確か……ブラッドバトルチャンピオンでしたっけ?」
「八代目幻水家当主。そしてフライヤーが戦闘員。[ラストサムライ]こと幻水迅鋭じゃ」
「……随分と異名が多いのね」
「どれも気に入っておる」
それほどの体格差、身長差がありながら、迅鋭は臆することなく前へと進む。指を鳴らし、肩を鳴らし、オブスキュラを睨み続ける。
「では、幻水さん。私の前に立つということは──私と戦う、と受け取っていいのかしら?」
「それ以外にどう解釈するつもりだったんじゃ?」
「侍である貴方が。刀もなしに私と?」
「おう。儂は銃などからっきしだしな。持ってきた刀は取られとるし、展示品の武器も使えなくなっとるし」
「──私に武器無しで勝てるとでも?」
──オブスキュラのアームが襲いかかってきた。
丸鋸。そして当てつけのように刀へと変身させ、迅鋭に向かって振るう。
それを──迅鋭は軽く躱した。アームに飛び乗り、『波紋』を使って飛び上がる。そして──。
「──ぶっ!?」
顔面に膝を叩き入れた。
勢いのまま迅鋭は着地。その隙を狙ってくるアームも器用に回避し、距離を取った。
「どうした? 儂は素手じゃぞ。貴様が着とるスーツは最新型じゃなかったか? 使い手が悪いとスーツも可哀想じゃな」
「……へぇ」
珍しく悪い顔をしながら煽る迅鋭。オブスキュラは流れ出た鼻血を指で拭き取りながら──満面の笑みを迅鋭に見せる。
「面白い人ですね。貴方は」
「昔は『堅物のクソ真面目』って言われてたがの。ま、歳とって落ち着いたってことか」
「……やっぱり面白い人」
アームは形を変える。丸鋸や刀はそのまま。ドリルに鉤爪と、殺傷力のある物へと変身し、全アームが迅鋭へと向けられる。
迅鋭は軽く一度流し見し、拳を鳴らして──構えた。




