第74話『フライヤーの遠足』
空は快晴。燦々と降り注ぐ光の雨は葉緑素を持たない人間ですら気持ちよく感じさせる。
気温も二十度前半で過ごしやすい。まさに春の訪れ。実際のところは夏に差しかかろうとしているのだが。
たまの休日くらいは休みたい、と思う人間は多いだろう。フライヤーの面々も迅鋭を除いた全員がインドア派。旅行よりもみんなで家でゴロゴロしてる方が好きな人間だ。
──だがしかし。今日だけは。この日だけは違う。家にいるなどもってのほか。早起きが苦手なイヴとヴォッシュも今日は日が昇る前に目を覚ました。
その理由はただ一つ。──待ちに待ったあのイベント当日だからだ。
「──こ、ここがファーブル本社かぁ!」
やって来ましたファーブル本社。東京都中央区にある高さ百メートルを超える高層ビルを目の前に、ロアが大いにはしゃいでいた。
「でっかいなぁ……さすがはファーブル社。私たちの家くらいなら十個くらいは入るんじゃない?」
「十個で済んだらいいんだけどな」
横の広さですら、自宅の縦の大きさを超えるほど、ビルはでかい。下手すりゃ三桁は家をまるまる入れることができるかも。
その大きさは例えるなら城。一国の主が住まう城砦である。
千華街から離れるのは初めての迅鋭。あまりの大きさのビルに口を栗のように開けて唖然としていた。
「はわ、はわわ……」
十代の女子ですら許されるか微妙な口上を漏らす。
「なんじゃ……こ、これはなんじゃ!?」
「ビルだよ。ファーブル社のビル」
「それは知っとる! じゃがその……ホログラムやテレビで見てた時よりもずっと大きいぞ!?」
「そりゃあ、あれは映像だったからな。実際にその目で見たら大きさが分かるのは当然だろ」
「じゃがこれは──想像以上じゃ!」
年甲斐もなくはしゃぐロアに迅鋭が混じり、場は更に混沌とし始めてきていた。
周りの目もそろそろ気になる。ロアと迅鋭の首根っこを掴み、三人はビルの中へと入っていった。
自動ドアを超えた先は『神秘』とすら言える空間であった。
大理石とプラスチックを混ぜたような不可思議な感覚の床。半透明の美しさを極めたような未来チックな壁。天井に広がるプラネタリウムのような模様。
千華街のような若干のレトロを感じる場所も悪くは無いのだが、ここは別格すぎる。男女問わず誰でもテンションが上がる要素がいくつも散りばめられていた。
壮大さに固まっているフライヤー。そこへ一人の女性がやってきた。
長いブロンドの髪。カメラのレンズのような特徴的な青い瞳。女性らしさを強調した体に纏われる清楚な制服。そして特徴的な──白くて大きい兎耳。
胸につけられたネームプレートには『社長秘書 パッカー』の文字が。ってことは結構偉い立場の人だ。
「──お待ちしておりました。フライヤー様」
パッカーはさざ波のような美麗な声でフライヤーへ挨拶をおこなう。
「本日、我が社を案内させていただきます、パッカーと申します。よろしくお願いします」
「あ、代表者のロア・カミリンです。本日はお招きしていただきありがとうございます」
丁寧なお辞儀。伊達に歳を食ってるわけではなさそうだ。きちんと礼儀はわきまえている。
パッカーは面を上げながら、迅鋭の方へと顔を向ける。
「……貴方が幻水様ですね」
「いかにも。儂が幻水迅鋭じゃ。そっちじゃ[ラストサムライ]の方が馴染みがいいか? それとも『ブラッドバトルチャンピオン』か?」
「いえ、『幻水迅鋭』の方が知ってる者も多いかと」
「直接名前を知ってくれているとは。嬉しい限りじゃの」
自然と手を差し出されて握手をする。ぴょこぴょこと動く耳が気になったのが、チラチラと上へ視線を向けた。
「耳が気になりますか?」
「あ、すまなかった。不快じゃったか?」
「いえいえ。いつもの社長のセクハラと比べればそんな」
「……あはは」
会話もほどほどに。パッカーとフライヤーはまず入ってすぐの検査場へと足を運んでいた。
「会社にはスーツを脱いで入ってもらいます。その後に手荷物検査とX線検査。武器や危険物がないかをチェックさせてもらいます」
言われるがままスーツを脱衣。元々着てなかった迅鋭はX線検査のみとなった。
「厳重な警備ですね」
「こんなご時世ですから。特に今日は発表会。何が起きてもいいように万全の準備を整えているんです」
先に検査を終えた迅鋭とロア。残る三人を待ってる間にパッカーは警備関係の説明を始めた。
「まだ発表すらされていない最新型のファイアーウォール『ローアイアス』をはじめとし、対電子兵器防御システム『アライブ』、対人間制圧部隊アンドロイド『ラビット』、対機械破壊装置『アンドロメダ』。これらの他にも世界最高峰の機材を多数揃えております。反乱軍だろうがなんだろうが、我が社をテロやら襲撃することなど万に一つもありえません」
「お、おお……」
「全然わかんない」
ともかく凄いってことだ。理解できていない二人はそう納得するしかなかった。
検査を終えればエントランス。そこを抜けた先にあるエレベーターホールにやってきていた。
「社長はまだ発表会の準備中でして。準備が完了するまで、社内の見学をしてもらいます」
エレベーターが来るまで少し時間がある。だからその間の暇つぶし、時間つぶしとして、パッカーがホログラムを展開した。
「見学できる階は十五階から二十五階まで。それぞれ事務ブース、開発ブース、製造ブース、歴史ブースなどがございます」
「他のは分かるんだけど、歴史ブースってなに?」
「歴史ブースとは、これまでファーブル社が製造してきた製品の歴史を並べたブースです。博物館を想像していただければ、どんなものか予想がつくでしょう」
「なるほど」
どうやら歴史ブースは社外からやってきた来客者用の場所らしい。やはり大手の企業は金の余裕がある。
フライヤーにも歴史ブースを作ろうかと一瞬悩んだが……まぁアルバムで十分か、と思い頭のゴミ箱へ考えを放り込んだ。
──と、ちょうどいいタイミングでエレベーターがやってきた。
外はガラス。なんならエレベーターそのものもガラスでできた完全に透明な箱だ。
「……」
「何してるの迅鋭? 早く乗りなよ」
「え、これ、乗るのか? 乗れるのか?」
「乗れるに決まってるでしょ。ほら早く」
「わわ、ちょっ──」
ファーブル社はエレベーターも最先端。一階から最上階まで行くのに五秒ともかからない。しかも特殊な技術により気圧差も感じないようになっている。
だが……初めて乗る迅鋭には少々キツかったようで。エレベーターが開くと同時にヘロヘロの状態でニュルりと飛び出た。
「う……ぇ……」
「そういえば迅鋭はエレベーター乗るの初めてだっけ」
「だらしないなぁ」
開けた先にあるのは──最初の目的地。事務ブースである。
ここでは書類の作成や整理、その他の雑用の業務をおこなっている場所だ。
「うわ、ドリンクバーある」
「社員は使い放題飲み放題です」
「最高じゃん!」
もちろんコーヒーも完備。自分のデスクにあるリモコンを使えば、全自動で作ってくれたコーヒーを持ってきてくれるハイテク技術付きだ。
「うわぁ……しかも全部パソコン最新型じゃん! 平社員なのに私の使ってるやつより高スペックだし!」
「仕事をスムーズにこなせるように必要なこと。社員のストレス軽減するのに社長は尽力しています」
「──」
「買わないわよ。もうパソコン三台もあるんだから十分でしょ?」
天の川のような輝く視線を向けるも、ロアに一蹴される。
「こういう所で働いてみたいよねぇ。OLとかになってさ、バリキャリなんて呼ばれたりして」
「カレンは人間と話すの苦手でしょ」
「『もしも』の話だよ『もしも』の!」
次にやってきたのは研究ブース。エレベーターは嫌だと迅鋭が駄々を捏ねたので、階段でやってきた。
ここも文字通り、開発をおこなう場所だ。スーツに武器、家具に日用雑貨など、その種類は多岐にわたる。
「──おぉ!」
この場で興奮したのはヴォッシュ。ガラス越しの精密機械たちを卑猥な視線で舐めるように見ている。
「あれタキオンの最新機種じゃん! 確か一個で億超えてなかった!?」
「一億二千万ですね」
「やっべぇ! しかもあっちはナノ単位で物質の調整ができる『全央装置』じゃねぇか! あ、待ってあっちも──!」
飛びつくように食い見る兄を妹は冷ややかな目線で眺めていた。
「童心に帰る家族を見るのってこんな感じなのか……」
「テンションくらい上がらせてあげたら? こんな機会は滅多にないんだしさ」
機械好きには垂涎の光景なのだろう。最近は仕事も忙しかったようだし、これくらいは多めに見てあげるとするか。
──なんて思ったが、社員の人に怪訝な目で見られ始めた。迷惑になる前に次のブースまで引きずることにする。
次は製造ブースだ。ヴォッシュが子供のように喚いていたので仕方なく気絶させてエレベーターに乗車。降りる頃には男二人はぐったりとしていた。
この場所は製造を主とする場所だ。スーツなどの精密機械はどうしても子会社に委託して量産するのが難しいので、開発されたスーツはここで製造している。
『人間』は一人か二人程度。製造工程のほとんどを機械やアンドロイドが仕切っている。人件費削減の極地と言ったところか。
「……思ったより夢がないわね」
「工場なんてそんなもんでしょ」
無機質な塗装をされている程度で、見てる分には面白みがない。喜ぶのはヴォッシュみたいな機械オタクくらいか。今は気絶してるけど。
「精密機械を量産する機械って高そうだよね。いくらするんだろう」
「一台で二十億。それがここにな二十台ありますから──」
「──よ、四百億」
「やっぱりスケールが違う……」
あんなコピー機みたいな代物が二十億。それが二十台。超大手ともなるとこれが軽く買えてしまうのか。
「私たちも買ってみる?」
「全員の内蔵を売っても届かないわよ」
「体を売れば?」
「まずやらせないし、自分の体にどんだけ自信があるのよ」




