第73話『復讐は恥を消す』
──その日の夜。次日に迫ろうかという時間にて。
老人の習性と言うやつか。迅鋭は依頼がない時、いつも二十時から二十一時頃に就寝する。そして起きるのは五時頃。まぁ早寝早起きだ。
しかしなぜだか今日は夜中に目が覚めてしまったようだ。
「……む」
自身の体温によって暖められた布団を押しのけ、体を起こす。寝起きで思考もどこか鈍っている。
そんな彼が夜中に目を覚まし、向かう場所は──用便だ。ほのかに感じる尿意を晴らすためにトイレへと向かう。
最初の頃はトイレに驚いていたのを歩きながら思い出した。
昔のトイレは貯糞の汲み取り式が多く存在しており、迅鋭が暮らしていた家もその方式だった。それが明治へと進み、腰掛け式の見慣れた形へと変化していった。
なのでトイレの方も進化してることくらいは予想していたが……。
「……まさか自動で全部やってくれるようになっとるとはな」
そう。ウォシュレットとかを通り越して全自動となっていたのだ。
座って『小』の方を出せば勝手に流される。『大』の方なら水で洗われ、綺麗に拭き取られる。自分の手を汚さなくても済むのだ。
更には糞尿から健康診断までやってくれるそうで。食事が偏ってるなら忠告してくれるし、体調が悪かったら病院まで紹介してくれる。
もう初めて使った時はそれはもう焦った。座ればどこからか声が聞こえるし、出したあとは急に水をかけられて拭かれる。何も知らなければほとんどホラーだ。
その後はロアたちにもパニックになってる所を見られ……『今となってはいい思い出』とも言えないくらいにはトラウマとなってしまった。
「まぁ慣れたが」
とはいっても生理現象は止められない。頑張って機能を覚えてトラウマも克服。一度慣れてしまうとこの便利さが染み付いてしまった。
「もう過去には戻れんのぉ」
トイレ掃除をやっていた過去が懐かしい。今じゃそれすらする必要が無いというのだから驚きだ。
過去に思いを馳せ、トイレへ向かっていた時──扉の隙間から明かりが見える部屋があった。扉に貼ってあるネームプレートには『ヴォッシュ』と書かれてあった。
確か明日はヴォッシュも仕事。夜更かしをしていては仕事にも影響が出るはずだ。
「何しとるんじゃろう」
これは注意しなければ。迅鋭の『祖父心』がくすぐられた。
木製の扉を開ける。木が圧によって軋む音を立てて開かれる──が、ヴォッシュからの反応はなかった。
部屋は恐ろしく質素。家具はほとんどなく、ベッド代わりの小さなソファと作業台があるだけ。これだけならミニマリストで話は終わるのだが異常な点がある。
──それは壁一面、床いっぱいに散らばっている書類だ。内容は難しくて迅鋭も読み取れない。
踏めばシワになるし汚れる。所々にある小さな点に飛び移りながら、迅鋭はヴォッシュのところまで移動した。
「これは──で……違う──だから……」
真後ろまで来ても迅鋭の存在には気がついていない。もしも迅鋭が暗殺者ならこの時点でヴォッシュの命は消えているだろう。
ただまぁ迅鋭はアサシンでも忍者でもない。頭を搔いて悩んでいるヴォッシュの耳元で言葉を囁く。
「夜更かしとは感心せんの」
「──うぉぁあ!??」
心臓がめくれるほどの驚嘆。跳ね上がった体が机と衝突してジワリと痛みを発生させた。
「お前っ、なんで!?」
「たまたまじゃ。老人も夜中に起きることくらいはあるわい」
机の上の書類に軽く目をやる。あるのは……なにかの設計図か。マネキンのような人の絵に何かアーマーのようなものを取り付けて──。
「夜中に起きたからって急に入ってくるなよ」
そこまで見たタイミングで書類は違う書類の下に隠されてしまった。
「気になってな。男同士じゃからいいじゃろ」
「よくねぇよ……俺にだってプライベートはあるんだからな」
「む、それは悪かったの」
悪態をつきながら睨むヴォッシュに心にもない謝罪をしながらソファへと座った。
「何をしとったんじゃ?」
「箱。箱の解析だ」
机に張り付くようにして作っていた書類とは違うことのようだが……そっちもそっちで気になる。
「箱って儂がゴミ捨て場で起きた時のやつか?」
「そうそれだ」
下の方にある大きめの引き出しから、あの白い箱を取り出した。
姿はちっとも変わらず。無機質な箱は何事もないかのようにヴォッシュの手で持たれている。
「まだあったのか。依頼の品なんじゃろ?依頼主には渡さんのか?」
「渡すって言ったってその依頼主が誰かも分からないんじゃ、渡すにも渡せねぇだろ?」
「依頼主が誰かも分からん……と」
それはまた不思議なことだ。『箱の奪還』の依頼はかなり高額だったらしい。そしてそれに見合った危険度ではあった。
なのに依頼主は受け取るどころか顔すら見せない。なーにか引っかかるものがある。
「中身も分からんのじゃろ?」
「あぁ。試せることは全部試したつもりだが、この通り。傷一つ付けれてねぇ」
バスケットボールのように指先でグルグルと回転させる。箱はそこそこの重さだが、スーツを着ていれば問題ない。
「箱の外装の成分は調べがついててな。お前は知らないと思うが『バレンニウム』ってやつでできてんだ」
「バレンニウム……金属か?」
「そうだ。百年くらい前に落下してきた隕石に含まれてた超希少金属。その硬度は地球上でもトップクラスに高いとされてる」
ロマンのある話だ。隕石から取れた鉱石。そんなもので作られた箱に入っているものは一体何か──誰でも気になることだ。
「何が入ってるんじゃろうな……」
「ペンダントの映像にあった『ソウルイリュージョン』ってやつが濃厚だが……それは開けてからのお楽しみってやつだな」
箱を引き出しに仕舞い、ヴォッシュは座り直す。
「はい、楽しいおじいちゃんとの話も終わり。老人は早寝早起きするもんですよ」
「今は若い体じゃ。もう少し夜更かしを楽しもうではないか」
「さっきと言ってることが違うじゃねぇか」
面倒そうな目つきで見てくる。流石の迅鋭もそんな目で見られちゃメンタルにズキズキとダメージをもらってしまう。
「──お主が本当のことを言ってくれたら、寝ることにするかの」
書類を整理しようとしていた──手が止まった。
「……気がついていやがったか」
「箱の方も気になったからの。じゃが今はお主の隠していることの方が気になる」
期待の眼差しを向けられヴォッシュは目が眩んでしまった。
しばらく考え、悩み──仕方なし、と口を開く。
「……お前もフライヤーだしな」
ヴォッシュはそう言うと、観念したかのように隠していた書類を出した。
「分かってると思うが、俺はロアの弟でも、ましてや子供でもない。ロアとは他人だ」
「それくらいは分かるわ」
「……くだらない昔話をするとしよう」
椅子の背もたれにうなだれ、体を伸ばす。話が長くなりそうな予感。迅鋭も楽な体勢に体を変えた。
ヴォッシュとカレンは普通の家庭で育った。父親は科学者、母親は医者。比較的に他の家庭よりも金持ち、くらい。特筆した部分はない。
両親も少し変な性格をしていたが、ちゃんと二人のことを愛してくれ、何不自由ない生活を送らせてくれた。
そんなある日──父親が血塗れになって帰ってきた。突然のことだ。母親はパニックになるヴォッシュとカレンをなだめながら、懸命に父親を治療したが、時すでに遅し。発展した医療でも父親を助けることはできなかった。
父親が死んでから数日。家の周りで不振なことが起きはじめた。黒服の男が家を影から見ていたり、怪しい人が訪問してきたりと。
後で知ったことだが、父親の研究を狙った裏の組織だったそうで。気が付かない間にヴォッシュとカレンも連れ去られそうになっていたようだ。
子供がいる母親は強い、とよく聞く。まさにその通りだった。
どんな相手にも気丈に振る舞い、人前では決して弱みを見せない。子供の前でも元気に明るい母親であり続けた。それが父親を失った子供たちにとって、どれほどありがたかったことか。
しかし──そんな日常も長くは続かなかった。あの悪夢の日がやってきてしまったのだ。
家族三人で夕食を取っていた時──轟音と共に家が崩壊した。
あの日と同じような突然。倒壊する建物から身を庇ってくれた母親。ボロボロになって三人で逃げ出そうとする。だがある男が目の前に現れた。
「──やぁロフトさん。初めまして、かな」
──唯一王。この世全ての悪の総帥。エンテイであった。
エンテイは母親を無惨にも殺害。その場にヴォッシュとカレンを残して去っていった。
それからの暮らしは大変だった。
最悪な園長が支配する孤児院で数年暮らすが、隙を見て二人で脱獄。
その時は最高の気分であった──が、この世界は子供だけで暮らすには、あまりにも難しく。生活能力のない二人は何度も死にかけた。
泥水をすすり、ゴミを食いながら、なんとか這い上がり生きてきた。
地獄の環境ながらも両親の才能を受け継いでいたのが功を奏し、ヴォッシュは医師免許を取得。カレンもネットコンサルタントになることができた。
地位も。金も。力も。手に入れた二人は復讐を決意。エンテイのことを調べあげて復讐に挑む──しかし完全敗北。
ボロ雑巾のようにされ、外へと捨てられた。久しぶりの『死』の感覚。二人で手を繋いで死を受け入れた──そんな時に出会ったのがロアであった。
「それからロアの家で暮らさせてもらいながら、仕事もしてる」
「ほう。昔からロア殿は優しかったんだな」
「それには同意するが、今の過去を聞いて最初に出る言葉がそれか」
壮絶な過去を聞いた感想が『辛かったね』とか『大変だったね』とかではなく『ロアは優しいな』なのが引っかかった様子だ。
「同情くらいはしてる。じゃが今の過去とその紙はどう繋がるんじゃ?」
「……」
素直な疑問だ。ぶつけられたヴォッシュは口ごもりながらも、その問いに答えを示した。
「……復讐はまだ、諦めてない」
「……ほう」
書類を握りしめて怒りを表す。
「だが今の俺じゃどう足掻いても奴は殺せない。殺すには……装備が必要だ」
「それが紙のやつか」
「俺の技術を入念に詰め込んだやつだ。これならエンテイを殺せる……正直、絶対の自信はないけどな」
「そうか……」
どす黒い殺意の目。何度も何度も迅鋭はこんな目を見てきた。いつ見ても苦手な目付きだ。
その目を見て迅鋭は悲しそうな顔をする。しかしヴォッシュは迅鋭がそんな顔をしているのも見ていない。視界にすら入っていない。
「……ヴォッシュ」
いつになく優しい声。澱んでいた心はほぐれ、ヴォッシュは声に反応した。
「たかだかお主とは数ヶ月の仲じゃ。じゃが……お主が死んだら儂は悲しいぞ」
「……」
「もっと長くいる三人は……もっと。もっと悲しいはずじゃぞ」
「……俺が死ぬって言いたいのかよ」
ヴォッシュの声には純度の高い『怒り』が混ざっていた。青筋が立っていることからも、その怒り度合いがよく分かる。
それに臆することなく迅鋭は言葉を続けた。
「それは死ぬ気の目じゃ」
「そんなことは──」
「ねぇことはねぇよ。俺が何年生きたと思ってる。何回お前のような目を見てきたと思ってる」
──迅鋭の言葉の凄みに、怒っていたヴォッシュは気圧されてしまった。
「……するしないは勝手だ。俺は先立たれるのに慣れてる。悲しくないかは別としてだけどな」
迅鋭は立ち上がり扉まで歩く。話をずっと聞いていたので眠気がやってきたようだ。
扉の前で立ち止まり──ヴォッシュの方へと軽く目を向ける。
「だが──ロア殿やイヴ、カレンを悲しませるようなことはするなよ」
一人になった部屋でヴォッシュはクシャクシャになった髪を見つめていた。
『憎め。俺を憎め。そして俺に刃を突き立ててみろ。──その刃をへし折ってやる。それが俺の楽しみなんだ』
エンテイの言葉が蘇る。あの時の恐怖と屈辱が鮮明に息を吹き返す。
誓った。エンテイに両親を殺された時から。『妹だけは守る』と。『エンテイは必ず殺す』と。
「……っ」
シワの付いた紙を前腕で引き伸ばしながら、またヴォッシュは机へと向かうのだった。




