第71話『地獄への片道切符』
──シャワーも浴び終わり、迅鋭は帰路に着いていた。
時間は十七時を過ぎた頃。夕暮れも顔を覗かせ、頬を赤く染めている。つられて建物もその壁を紅潮させていた。
この時間帯になるとすれ違う人の数が多くなる。仕事帰りに夕食への買い物。目的は千差万別だ。
となると売り手は好都合。声を上げて自店の商品を声高らかに宣言する。
「はぁい安いよ安いよ!! バラが百円!! モツは二百円!! 今日の晩酌にもどうだい!?」
肉屋『ミライ』では店主のロナリーナが今朝の新聞紙を丸めて肉を広告していた。風貌と夕暮れが重なり合うと昭和感をどことなく感じる。
この店の肉はなかなかいい物だ。近くの牧場から直接輸入した鮮度マシマシの超優良品。それをロナリーナの努力によってコストを抑えて販売している。
新鮮なお肉はどれも舌を弾けさせるほどの美味さだ。バラ、ロース、ハラミにタン。果ては苦手な人の多いレバーまでもが、このお店のだと美味しく感じる。
加えて安いときたら買わない手はないだろう。ご近所からはもちろんのこと、最近では全国放送のテレビでも紹介されたそうだ。
ただ──テレビで見ただけの人は知らない。ミライには裏メニューなるものが存在する。
それがそう『メンチカツ』だ。お得意様にだけ教えられる暗号をロナリーナに伝えることによって作ってもらうことができる。
サックサクの衣にジューシーな牛肉。一度食べてしまえば他のメンチカツには戻れない。そう言い切れるほどの美味さを誇っている。
「──うむ。美味い」
焦げ茶の衣と中の油を咀嚼しながら目的地まで移動。汗水垂らして仕事をした後の買い食いほど美味いものはないだろう。
メンチカツを食べ終わり、指に付着した油も舐めとる。本体もさることながら滲み出てきた油まで美味しいとはどういうことだ。これで栄養バランスが完璧だったら毎日三食メンチカツでいいかもしれない。
「……ん?」
袋をクシャクシャにしてポケットに入れていると、見知った顔の二人が何やら話をしているのが見えた。
桃色の髪。しっとりとしたプルツヤ肌。青色の瞳。片方はカティだ。ちょっと調子に乗ってる大学生ならすぐにナンパしに行きそうなほどの美人であるが、勘違いするなかれ。彼女はれっきとしたアンドロイドである。
「あ、迅鋭さん! 聞きましたよーお仕事やってるんですって?」
「お主が煽るからの」
「そんな『あなたが発破をかけてくれたから』だなんて」
「言っとらんわ」
いちいちモーションが大きいカティを横目にもう片方へと顔を向ける。こちらも顔見知りだ。
青色の髪をした成人男性。顔はそこそこだが体はなかなかに鍛えている様子。白いシャツからは分厚めの胸板がくっきりと浮かび上がっている。
「ゲートか。カティと一緒におるのは珍しいの」
「さっき偶然会いましてね。一緒にデートってところですわ」
「デートじゃないですよー。私はまだ彼氏とは認めてませんので! 認めて欲しかったら収入をもう少し増やしてください!」
「ありま、手厳しいな」
名をゲート。骨董品店を営んでいる男であり、ロアとは幼馴染の関係である。
ゲートの店にある骨董品はどれもオシャレ。機能美を求められるこの時代とは逆行したような、一昔前のレトロな品々が数多く揃えられている。
「店はどうした? ついに潰れたか?」
「あんまし不吉なこと言わないでくださいよォ。言霊が宿るとか言いますし。今日はただの定休日です」
「人が来ないのに休んどる場合か。フライヤーは何でも屋じゃが、金は貸さんぞ。ロア殿も家計簿を見て苦心しとるし」
「なーんでみんなして僕に手厳しいんですかー!」
手をブンブンと振って抗議するゲート。その姿がなんとも滑稽で、二人は声を上げて笑った。
「迅鋭さんはこのまま帰るんですか?」
「その前にスーパーに用があっての。ロア殿が卵をご所望じゃ」
「ちょうどいいですね。僕らもスーパーに用があるんですよ。どうせなら一緒に行きませんか?」
「いいぞいいぞ。儂も話したいことがあるからの──」
──その時、慌ただしい道の奥に人だかりができているのが見えた。
人だかりは……おそらくいい理由じゃない。ザワザワとした声の中に狂気じみた叫び声が聞こえたからだ。
喧嘩か。それとも事件か。野次馬根性とも違う正義感が迅鋭の興味を引いた。
「なんじゃろう……」
「行ってみますか?」
「なんか悪い予感しかしませんけど」
「行くぞ」
人をかき分け、二酸化炭素でぬるくなった空気に身体を捻り込む。ご婦人の高価そうなバックに身体を痛ませながらも人混みを抜け出すと──お目当ての場所に着いた。
予想は大当たり。人だかりの中心は気持ちのいい光景ではなかった。
半分以上抜けた髪。それも引きちぎったかのような歪な抜け方をした五十代くらいの男性が店の前で酔っ払いかのように暴れていたのだ。
「が──ぁぁ!!」
「お、お客様こまります!」
体は何も食べてないかと思えるほどやせ細っており、顔も骨が飛び出ている。そのくせ目玉はギンギンに開いているので怖いったらありゃしない。
片手で数えられるほどしか残ってない歯を鳴らして男は暴れ回っている。風貌からして子供にも悪影響。店の従業員の人も迷惑してそうだ。今すぐ止めなければ。
「こら、やめんかお主──」
「──あ?」
──男が従業員の顔面を掴んだ。
「ぐ、ぎゃぁぁぁぁ!?」
不格好に伸びた爪が従業員のこめかみと頬にくい込み、血肉をかき混ぜる。
「おい!!」
迅鋭が怒鳴るも男は力を弱める気配も見せず。掴まれている従業員の悲鳴は徐々に大きくなっていく。
「カティ!! ゲート!! なんか武器になりそうなもんを持ってこい!!」
「え? え?」
「こ、これはどうですか!?」
投げ渡したのは──モップ。ふわふわの先は戦闘意欲を喪失させにくるが、相手からしてみれば関係ないようだ。
従業員の顔を掴んだまま迅鋭に飛びかかる。地面を壊しながら数メートル。汚く伸びた爪を立てて振りかぶる──。
フワフワじゃないモップの先端を男の喉へと突き刺した。人間の弱点は喉。この部分に攻撃を受ければ、まず怯むはずなのだが──そうはいかなかったようだ。
喉仏を潰しながらさらに踏み込んでくる。スーツを着ているようには見えないが、迅鋭を軽く押し返すほどのパワーをモップから感じた。
「チッ」
悪態をつきながらモップから手を離す。自由となった体は攻撃を与えた主へと一直線。不気味に伸びた爪を今度こそ振り下ろした──。
──実態が消える。それはまるで水のように。野次馬たちの目にも水が切り裂かれたかのように見えていた。
ほんの数刻の静寂──思考停止していた男の髪と首が掴まれた。
「仕置だ。少し寝てろ」
──男の体が引っこ抜かれる。体は空中で海老反りに。つるん、と抜けた従業員の血を指から放ちながら、地面へ顔面を叩きつけられた。
動きは止まった。顔から流れた血が血溜まりを作っている。痛々しい姿だ。自業自得だが。
「怪我は大丈夫か?」
「は、はい……」
とは言いながらも決して軽傷ではない。医者を──と言おうとした時にはカティが電話をしていた。流石はアンドロイド。判断が早い。
「迅鋭さんは無事で?」
「今の見とらんかったのか? かすり傷ひとつないわ」
心配で寄ってきたゲートに軽い塩対応。むしろ元気なんだなと安心させてくれる。
「しかし何者じゃこいつ」
「この近くでは見ない顔ですね……よその人?」
「店と関係あるか?」
「いえ……」
じゃあ尚更はた迷惑なやつだ。人を傷つけ、物を壊し。これは罰金だけじゃすまないはずだ。
「何があったんじゃ」
「僕が店番をしてると、急に外から叫び声が聞こえてきて。外に出てみたらこの人が暴れてたんです」
「暴れてた……と。なにか恨まれるようなことは?」
「僕も店長もしていませんよ……」
理由は「誰でもよかった」か「何でも良かった」かのどちらだろうか。ニュースで答え合わせをしてくれるか不安だが、その前に疑問が一つ。
この男のあまりにも不可解な行動についてだ。ただ暴れたいだけだったとしても、あの姿は異常だった。意味不明な言葉に動き。明らかに正常ではない。
「うーむ……」
「迅鋭さん、なにを?」
「引っかかる。こやつ、なんでこんなことを──」
倒れている男の服をまさぐっていると──胸ポケットからポロッと何かが出てきた。
「……分かるか?」
「いえ。なにかの……粉?」
それは病院で貰うような透明の袋に入れられた白い粉であった。
「もしかして──」
「──ドラッグ、ですね」
電話を終えたカティが二人の元へとやってくる。
「ドラッグ……麻薬のことか」
「ちょっと拝借を」
迅鋭から渡されたドラッグを開けて──ひとつまみ。なんと舌の上に乗せたのだ。
「はぁ!? ちょ、大丈夫か!?」
「忘れましたー? わたしはアンドロイド。薬は効きませんよー」
「だけど絵面的にマズイんじゃ……?」
口の中で粉を転がす。唾液に似た液体で粉を溶かして飲み込んだ。
「──美味しくないです」
「当たり前じゃろ」
ドラッグはつまるところ粉薬だ。美味しいわけがない。まず粉薬が好きな人間などこの世のどこにいようか。
しかしカティが確認したのは味ではなく、その成分である。
「これは──あれですね。最近流行ってる『スバル』です」
「スバル……」
──稽古の時に聞いた。巷で流行している最新型危険ドラッグ『スバル』とかいうやつ。まさか「気おつけろ」と言われた当日に実物を見ることになるとは。
「まじか……じゃあここら辺にシャブを売ってる可能性があるんすか?」
「絶対とは言いきれませんが、まぁ多分そうでしょうね……ニュースでもやってましたし」
「物騒な世の中になったなぁ」
胸に引っかかるものはあるが、ともかく解決。帰った直後にまたダイマとかと会うことになるとは。相手はどんな反応するだろう──。
──などと考えていた。そんな瞬間。
「──」
湧き溢れる勢いの野次馬の中で。ある女と目が合った。
フードを被っていて顔全体は分からない。だが奥から覗くハイライトのない虚ろな水瞳が『只者じゃない』と主張しているかのようだ。
女は迅鋭と目が合うと、少し微笑み、人混みの中へ消えていった。
「どうかしたんですか?」
ケティの声に集中していた心が引き戻される。
「……いや」
近くにやってくるパトカーと救急車の音を聞きながら、迅鋭は心ここに在らずな声で言葉を返した。




