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第68話『呪いの終着点』

ついに始まりました第4章!ソウルイリュージョンはここからが本番ですよ!ぜひお楽しみください!

 その男──クイン・エルガーは最高とも言える人生を送っていた。


 頭脳は天才、運動は天武、顔面は天使。さらには資産家の両親の元、金も余るほどあった。まさに完璧。これ以上は上げようのない物をぶら下げ、街中を歩く。

 そうなれば自然と女は寄ってきた。美人で。美麗な。顔面国宝の女は選び放題決め放題。さながら女体バイキングだ。


 何をやっても成功する。サッカー、バスケ、野球、バレー、陸上競技、水泳、フィギュアスケート。千差万別、全てのスポーツを網羅し、それでいて余すことなく一位をかっさらう。

 そのためにする努力など料理で使う小さじ程度。他選手との莫大な努力値の差は、有り余る才能によって埋めるどころか山をも作り出し、相手を絶望させる。


 最強。完全体。人間として。個の生物として。クインは完成された生物であると。自他ともに認める人間の完成形だと。人々は、クインは言った。


 なんでも金で解決できる。なんでも才能で解決できる。


 女も。

 友人も。

 人脈も。

 スポーツも。

 武道も。

 会社経営も。

 研究も。

 新製品開発も。


 何でも。何もかも。自分の手の中に収められる。やろうと思えば世界だって獲れる。牛耳れる。

 人生イージーモード。こんな過去も現在も未来も、バラ色な人生はこれまでの人類史の中で他にいただろうか。いない。いるはずがない。

 これからも。この先も。自分は神によって作られたバージンロードを歩いていくのだと。彼はそう思っていた。




 ──ついさっきまで。

 彼の手元に手紙が届いたのは先日のことだった。


『君とお話がしたい』


 粗めの紙に染み込んだインクの羅列。このような古臭い方法で意志を伝えてくる人間は未来においてそうそういない。

 普通なら破り捨てる。だって自分は神に選ばれた最高の人間なのだから。このようなどこの誰とも知らない人間の手紙の言うことなど見るにも値しないのだから。


 しかし──逆に興味も出てきた。あらゆる物が揃ってる便利な未来で、こんな古典的な方法で連絡してくる人間などいないからだ。


 「行ってくる」と伝えた時、父親は「やめておけ」と言った。


「どこの誰とも知らない奴と会うのは危ない」


 なんて。父親には感謝している。愛してもいる。だが父親は自分よりも馬鹿だ。それでいて才能がない。

 例えばだ。猿が「一と一を足せば十だよ」と言ったとして、君たちは信じるだろうか。──信じるわけが無いよな。それと同じ。

 自分よりも馬鹿で。なんの才能もない父親の忠告など聞く必要なんてない。聞く理由なんてない。


「ま、安心しなよ父さん。危なくなっても、俺は強いから」


「そうか……」


 十歳の時に空手の世界チャンピオンを再起不能にさせた自分が、そこいらの有象無象に負けるはずもない。

 馬鹿な父親はそれでも護衛をつけてくれた。心配症だが、父親の懇願を無視するほど、性格も悪くはない。


 自分より弱い護衛だが、最悪の場合は盾にでも弾除けにでもなるだろう。




 結果的に言うと──父親の意見が正しかった。行くべきではなかったのだ。


 捨て駒くらいにはなるだろう。それくらいには期待していた護衛は蚊が潰されるかのように瞬殺。虫のように命を散らした。たった一人の老人によって。


 使えない──そんな考えが浮かびすらしなかったのは、自分でも驚いた。

 そう思った理由くらいは分かる。だって自分は天才だから。天賦の才を持って生まれたから。神に選ばれた人間だから──。




 ──そんな人類格差の不公平を体現している男は。額をコンクリートの地面に押しつけながら。子鹿のように、震えていた。


 クインの前に座っているのは老いた男。顔にはほうれい線があみだくじのように入っており、半分ほどしか開いてない目を見れば、かなりの歳を重ねてきたことが分かる。

 顔──というのは不思議だ。どこにでもありふれたパーツでも、所有者のオーラによっては、怪物のような威圧感を出してくる。


 男もそうだった。顔だけなら、どこにでもいるような。特別良くもなく、悪くもなく。平凡な人生を歩んできたのだろうと予想ができる。

 だが、こうやって目の前にすると話が違う。──怖い。怖いのだ。

 目が。鼻が。口が。頬が。耳が。歯が。舌が。瞼が。髪が。その全てが男への恐怖を増長させているのだ。


 恐怖するのは顔だけでなく。鍛え上げられたであろう胴体もそうだ。

 どう足掻いても老人の体ではない。強烈な肉体美を誇る彼の体にはミノタウロスが宿っているかのようで。美しき魅せる筋肉でありながら、奥に潜む狂気的なパワーは人間の根幹にある『恐怖』を直に刺激してくる。



 男の両隣には二人の男女がいた。部下と言うよりは側近。下手すればもっと近い関係性にも見える。


 まず右側。男の大腿に縋り付くかのように女が座っていた。

 艶のある水色の髪は女の肩になだれ込んでいる。一般的に大きいと言える乳房は男の大腿によって少し潰れており、どことない色気を感じられた。

 だがこのような状況で興奮なんてできようはずがない。女の顔は、見飽きるほどの女体を眺めてきたクインから見ても『美人』と言えるが、どうしても好意的に見ることができなかった。


 次に左側。男の横で貼り付けたような笑顔をしている青年が立っていた。

 橙色の髪をした普通の好青年。体格もさほど大きくはなく。小さくもなく。平均値をそのままコピペしたような体格だ。

 人畜無害。そんな雰囲気を出している彼だが──腰に装着してある武器が雰囲気を邪魔していた。


 チャクラム。日本では円月輪と呼ばれる武器。小さい円盤の外側に刃がついた投擲武器を二個。腰に引っさげていた。

 刃が光る度に。金属音がなる度に、クインの恐怖が増してゆく。

 男が合図をすれば青年がチャクラムでクインを殺す。必ず。絶対に。予感じゃなく、そんな確信がある。



 傲慢に暮らしてきた。強欲に暮らしてきた。彼は常に頂点だった。黄金に舗装された約束された勝者への道であった。

 自分より上の人間なんておらず。自分より強い人間なんておらず。天井値、完璧値、唯我独尊。この世全ての生物の完全上位互換。自分が。自分だけが。この世の頂点である──。

 ──二十五年間蓄えられてきた自尊心は、この男を前にして破片すらできないほどに壊れきった。



「信頼ってのは、大事だと思うんだ」


 声がした。獣が唸るかのような。重力を累乗させるような低い声。

 体全身が硬直し。死神の鎌が刃先で心臓を撫で回す。男の一声で。ちょっとの命令で。クインは自害できる自信がある。


「だって信頼がなきゃ何もできない。物の貸し借りだってできないし、店で買い物だってできない。双方の信頼によってそれらは成り立つものなんだからな」


 男の言葉を一つ一つ脳髄に刻み込む。一単語でも忘れてしまえば、この男の機嫌を損ねてしまうかもしれないからだ。


「じゃあ相手を信頼させるにはどうすべきかって話なんだが……俺はまず名前を知ってもらうべきだと思ってる」


 クインは頭を垂れて男の方へ顔を向けていない。男の顔、体、声がそれを許してくれないからだ。

 だというのに男は身振り手振りでコミカルに話している内容を分かりやすくしようとしていた。

 優しさ……じゃない。ただ単にクインへの興味が一切なく、クインの事情を一切考えていないのだ。


「まぁ俺は有名人だし。お前だって俺ほどじゃないにしろ、なかなか有名だろ?俺もお前も、互いの名前くらい知ってるだろうけど……そうじゃなくてだな」

「自分の口で言うんだ。ネットとか他者から聞いたとかじゃなく。自分の。口で。自分で言うからこそ、相手に信頼の意志を伝えることができる。自論だが、俺はそう思ってるんだよ」


 唾を飲み込む。──飲み込んでいいのか。

 呼吸する。──呼吸していいのか。

 震える。──動いてもいいのか。


 高圧的な見た目に反してアクティブに動いている男だが、その恐ろしさは数マイクロメートルも変わることなく。ずっとクインを踏みつけ続ける。


「てなわけで。俺から呼びつけたんだし、まずは俺から自己紹介をさせていただこう」


 乾いた音がクインの耳に刺さった。

 自己紹介。この男の名前をクインは知っていた。と言うより、現代の日本にいるならば、知らない人の方が少ないだろう。

 どんな単語が出てくるか分かる。分かりきった答えがやってくる。これまでの人生で、これからの人生で。答えの分かっているものを、ここまで恐怖しながら待つことはないはずだ。


 男は震えながら待っているクインを嘲笑うように。己の名を叩きつけた。




「──エンテイ。エンテイ・グラディウス」




 ──エンテイ。またの名を『唯一王』と評される。裏社会の絶対帝王。

 この世の理を無視した。この世の道理を無視した男。悪の体現者。長い長い歴史の中で、この男ほど人に恨まれた経験を持つ者はそう居ないだろう。


「まぁ。知ってるだろうけどな」


 現代(二二二二年)において。家族の名前の次に、エンテイの名前を知っている、とも言えるくらい。この悪辣爺の名前は日本全土、それを超えて世界全体にまで浸透していた。


「合計で……何人だったか。確か公式の記録があったんだよな。警団連も暇だよなぁ。どれくらいだっけ?」


「──五十二万人です」


「そうだったっけ。なんせ昔のことが多いからなぁ。俺も殺した人間は覚えてねぇんだよ」


 正確に記すなら五十二万四千五百三十人。この男が直接殺した人数である。非公式の記録ももちろんあり、この男が間接的に関わっているのを含めれば、数は数百倍にも膨れ上がると言われている。

 この数は東京から始まった一九四五年の無差別空襲にも匹敵する数であり、それを個人が直々に殺したと考えれば、その有名さの理由もよく分かるはずだ。


「まぁそれくらいにもなるか。政府のバカが何回も討伐部隊を送り込んできたからな。ほとんど殺したのは政府とも言える」


 怪物。なんて生易しい言葉で表せられるような男じゃない。──地獄を作り出す者。死神ですら彼の前では赤ん坊。下手な死神よりも人の命を奪っている。



「……話が逸れたな。自己紹介の続きといこう。呼びつけたのは俺らだし、次はお前らが名乗ってやれ」


「──いいのですか」


 初めて女が口を開いた。甘い、甘い声。それも柑橘系のような爽やかさがある声だ。


「あなた様の次に……私の愚名を……?」


「あぁ、俺が許そう」


「あの……僕は?」


「今回はこいつに譲ってやれ。次は……そうだな。俺がお前の名前を言ってやる」


「──ありがたき幸せにございます」


 ──目。眼球。それは人間の中でもトップクラスに大事と言える部位だ。視界を取り入れ、脳に貼り付ける。人間はそれを元にして動く。

 人間はほとんどを視界に頼って生きている。突然、視界が暗闇になった時。その恐怖は計り知ることができない。


 側近二人の大事なはずの眼球は異様に変化していた。

 まるで死んでいるかのように。光を反射する機構を失ったかのように。ハイライトが消え去っているのだ。

 虚ろ。虚無。目から分かる感情が全くもって読み取れない。そんな目をしているのだ。


「なんて……なんて優しき……あぁ、愛しております。愛しております。貴方様のためなら、命すら惜しむことはないでしょう」


「いい子だ。それでこそ俺の側近だ。お前の忠誠を、愛を……俺は快く受け入れるぞ」


「なんて……なんて──幸せなんでしょう」


 ──クインの鼻腔にアンモニアの強烈な臭いが漂ってきた。それがなんなのか。今のクインに考える余裕は残っていない。



「エンテイ様直属の側近。私の名前はオブスキュラと申します。──幸福の至り。エンテイ様の次に名前を言えるなんて……私以上の幸福者は他に居ないでしょう」


 女は──オブスキュラは恍惚とした表情で身に余る幸福に身をなじらせている。

 気味が悪い。気持ち悪い。気分が悪い。見てて不快。不快さしかない。不快でしかない。

 これほどの不快感は初めてだった。エンテイへの恐怖に匹敵するほどの不快感をクインは感じていた。


「じゃあ次に……僕の名前はヴィンクルム。エンテイ様直属の側近。エンテイ様の次に名前を言えなかったのは、少し残念です」


 男──ヴィンクルムの声は静かで。オブスキュラよりも特別な感じはしてこない。

 してこないのだが──エンテイとは違う部類の恐怖を身にビシビシと感じる。


 エンテイが『気分ひとつで相手を拷問し、見せしめにし、晒し首にするような独裁者』だとすると、ヴィンクルムは『何をしでかすのか分からない連続殺人鬼』のような、系統の違う恐怖が放たれていた。



「こっちの自己紹介はこれで終了。それじゃあ次に君の方から名前を言ってもらおうかな」


 来た。必ずやってくると分かっていたが、いざ来ると恐怖と緊張で嘔吐感が込み上げてくる。

 しなければ。しなければ殺される。不敬とみなされて殺されてしまう。


「わ、わた、し、は」


 バラバラになった言葉を繋げながら喉を揺らして声を出す。拙い話し方。言葉を覚えたての幼児みたいだ。


「クイン……エルガーと。申します」


「クインさん……へぇ、いい名前じゃないか。名前だけでご両親から愛されてるのが分かるよ」


「あ、あり、がとう、ございます」


 言い切った。言い切れた。恐怖と緊張から解放されて体の力がちょっと抜ける。この場にて初めて精神的に安定した瞬間だった。


「私も。エンテイ様に名付けてもらったオブスキュラ……愛されてるのを感じておりますよ」


「僕もヴィンクルムって名前は好きですよ。エンテイ様が付けてくださった素敵な名前……何度でも言いたくなります」


「当たり前だろ。俺が愛情込めて付けてやった名前なんだからな。クインさんのご両親と同じように、な」


 頬を紅潮させながら感謝を述べる二人へのご褒美として、エンテイは二人の頭を優しい手つきで撫でた。

 表情は変わらぬまま。目は虚ろなまま。二人は幸せを体現するかのように。甘美の声を漏らしていた。



 ──時間にして十秒。撫でてもらっている二人にとっては数瞬の、待っているクインにとっては数時間にも思えるご褒美は終わった。


「よし、それじゃあ本題といこうか」

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