第66話『パンパンパンパンパンパン』
「いやぁ、大変だったねぇ」
──土下座。額を引きずるぐらいに土下座。相手への謝罪の最上級。『すみません』を最大級に表したポーズだ。
「どうか……どうか指一本……いや腕一本で勘弁してください!」
「貰っても困るよぉ。それに気にしなくていいよぉ。タピオカは全部処分になって今日は休業になったけどぉ」
「──申し訳ございませんでしたぁ!!」
額はまだまだ上がらない。嫌味を含んだ言い方に『切腹』の二文字すら頭に思い浮かぶ。
「まぁロアさんには前にお世話になったからねぇ。ロアさんの顔に免じて、今回は許してあげるよぉ」
「うぅ……この、このご恩は……二度と忘れません!」
「私もふざけてたからねぇ」
割とガチ泣きしていた目を擦り、ロアへの感謝がより一層強くなる。
「当たり前だけど給料とか無しね」
「はい……それはもう本当に」
結局、この場においては時間の無駄でしかなかった。自業自得だが。
しかし迅鋭の自信はかなり失われてしまったようで。
「うぅ……やはり老人は家で寝とるべきなのか……これではフライヤーの恥じゃ……」
大の大人がメソメソと泣いている。はっきり言って情けない。
「……仕方ないですねぇ」
情けなさすぎる迅鋭を見かねてか、ニャモはどこかに電話をかけ始めた。
しばらく話をし、電話を切る。
「知り合いのところに雇ってくれるように言ってあげましたよぉ」
「──ニャモ殿ぉ!!」
泣きじゃくりながら足元にしがみつく。
「迅鋭さんは接客業とかダメそうですしねぇ。ちょっと簡単なやつにしておきましたよぉ」
「ありがとう! ありがとう!! ありがとう!!! このご恩は、このご恩はぁ!!」
「大袈裟すぎですよぉ」
流れ落ちる涙を拭きながら立ち上がる。
「それで……儂はどこに行けば?」
「ここを出てずーっと右に進むとねぇ──」
──白いエプロン。白いマスク。白い頭巾。汚れひとつ無い衣服を身に纏い、迅鋭はベルトコンベアの前に立っていた。
「今から焼く前のパンが流れてきます。その上にこのゴマをひとつまみして乗せてってください」
「はい」
やってきたのはパン工場。これからやるのはパンの上にゴマをふりかける仕事だ。
特に必要な技術もなし。接客をする必要もなし。本当にただただ無心でゴマを乗せるだけの簡単なお仕事だ。
「無理言ってすみませんでした」
「いえいえ。人手はいくらあってもいいですからね。とりあえず今日残りの一日、頑張ってみましょう」
「分かりました」
そう言って職員のロボットは自分の持ち場へと帰っていった。
さて、ここから仕事開始だ。等間隔に流れてくるパンの上にゴマをふりかける。
「このくらい……か」
焼いてない小麦粉の塊。ゴマを落とせば粘りによって自動で引っ付く。こぼす心配もない。
簡単だ。びっくりするほど簡単だ。単純作業ならこれを続けるだけでいい。
「これはなかなか楽しいな。天職を見つけてしまったかもしれぬぞ」
ベルトコンベアはリズム良くパンを流してくる。鼻唄を流せばちょっとしたカラオケみたいだ。
これなら大丈夫。もうタピオカの時のような失敗はしない。なんならずっと続けていられる。
──そんな甘っちょろい考えは、すぐに崩れ去ることとなった。
小麦粉。小麦粉。小麦粉。ずっと変わらず小麦粉が流れてくる。形は多少違えども、結局は小麦粉。変わらない、変わるはずがない小麦粉。
リズムに乗るのもすぐに飽きた。飽きてしまえば最後。この無機質な小麦粉の塊と直接向かい合わなくてはならなくなる。そのための現実逃避でもあったのかも。
ただ。ただただ無心に。ゴマをパラパラふりかける。落とされ、乗って。連れていかれるのはオーブンだろうか。焼かれるのだろうか。
焼かれた後はどうなるのだろうか。ゴマは焼けくずになって消えるのだろうか。じゃあなんでこんなことを──。
「──なわけないか」
焼けくずになるわけが無い。だってそれじゃこれをしている意味が無いからだ。
「ダメじゃダメじゃ。無心になってはダメじゃ。……そうだ。瞑想しよう。瞑想しながらやればすぐに終わる」
呼吸を整える。心臓の鼓動を耳で聞く。吸った空気が全身に巡る感覚を味わいながら……不純物を吐き出すように二酸化炭素を口から放出する。
吸って、吐いて。吸って、吐いて。想像力を回転させながらゴマをふりかける。瞑想してても仕事はキチンとこなさなければならない。
吸って吐いてゴマを振り掛ける。
吸って吐いてゴマを振り掛ける。
吸って吐いて。ゴマを振り掛ける。
吸って吐いて。吸って吐いて。吸って吐いて──。
「──あ!」
──なんてしてたらゴマを振り掛けるのを忘れてしまった。
ちょうど近くにアンドロイドがいたので、すぐに呼んで素直に報告する。
「一つパンにゴマをかけ忘れてしまったんじゃが……」
「あぁ。別に大丈夫ですよ。そこのパンはゴマがなくてもいいんで」
「そうなんですか。良かったぁ」
とりあえず一安心。また瞑想をしたいところだが、ゴマを忘れても困る。また無心でゴマを振り掛ける。振り掛け続ける。
……ゴマがなくても大丈夫?
「……これ、する意味あるのか?」
ダメだ。考えてはダメだ。せっかくニャモが紹介してくれた仕事なのだ。途中で投げ出す訳にはいかない。しっかりと刑期を勤めあげるのだ。
ふりかける。乗せる。パラパラ、パラパラと。
鼻にこびりつく小麦粉の匂い。焼けてたらいい匂いなんだろうか。こんな小麦粉の匂いからは想像がつかない。
焼けてる匂いを嗅ぎたい。こんな小麦粉の匂いは嫌だ。だいたいどうやったらこれが食べ物になるのだ。不思議で不思議でたまらない。
食べたらバレるだろうか。触れたらバレるだろうか。もう手のひらでグシャッと潰してしまいたい。ゴマを振らなくてもいいならやってもいいのではないか。いっその事踏み潰してしまっても──り
「だ、ダメダメじゃ! やったらダメなことくらい想像つくじゃろ!」
変なことを考えてしまう。だがこうしていれば時間も結構経ったはずだ。時計を見て確認する──。
「──十分……だと……!?」
初めてからなんと十分しか経過していない。びっくり仰天なんて可愛い表現では済まされないレベルの衝撃だ。
終業時刻は十七時頃。あと残り四時間五十分はこれをやり続けなければならない。
「……ぁ」
パンが。流れてくる。ゴマを。かけなければ。
パンは。流れてくる。ゴマを。かけなければ。
パン。流れてくる。ゴマ。かけないと。
パン。パンパン。パンのなり損ないがやってくる。パンの過程がやってくる。パンが。パンはやってくる。
パンだ。またパンは来る。なんで頼んでもいないのにやってくるのだろう。
というか便利な機械が沢山あるはずなのに、なんでゴマをふるのは手作業なんだろう。不思議だ。
不思議に思っても。やっぱりパンはやってくる。止まることなくやってくる。
パン。パンパンパンパン。
嫌だと思っても。それでもパンはやってくる。パンパンパンパン。
違うことを考えようとしても、頭のどっかにパンが浮かんでくる。
ロアの顔……あの美人な顔……あれ、ロアの顔はパンだったっけ。もっと肉感があったような。
イヴの顔もパンになった。あんな美味しそうな顔をしてたっけ。もっと可愛らしかったはずだが。
カレンの顔はパンだった。そうだったっけ。もっと整ってた記憶がある。
ヴォッシュの顔はパンになっていた。思い出した。そうだ、ヴォッシュはパンだ。ちょっと黒ずんだパンだ。
パンだ。やっぱりみんなパンだった。じゃあ必然的に自分もパンになってくる。それならずっとパンが頭にあるのも納得だ。
パン。パンパン。パンパンパンパン。
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン──。
「────。──────ぁ」
「……ねぇロア。迅鋭どしたの?」
時は過ぎ。迅鋭は死んだ表情で家へと帰宅。そのまま死んだ顔で椅子に座っていた。
「なんかパン工場のバイトしてきたんだって」
「なるほど……相当キツかったんだ」
もう見ただけでその過酷さがビシビシと伝わってきた。あの死んだ表情の中にある目には何が映っているのか……焼かれてないパンが映っているのかも。
そんなこんなでイヴが帰宅。
「ただいまー」
「おかえり──って買い食い? 感心しないわよ」
「いいじゃん。ちょうど美味しそうなパンがあったから」
「──っひぃぃぃぃぃ!!??」
部屋の隅っこに逃げ込む迅鋭。体を丸めて携帯のバイブレーションのように震えまくっている。
「パンいやだパンいやだパンいやだパンいやだパンいやだパンいやだパンいやだパンパンいやだいやだパンパンパンパンパンパンパンパン……」
「……こりゃ重症だね」
震えている迅鋭が珍しくて面白がっているのか、イヴは軽くパンを近づけた。
「ひぃ!?」
「こら。いじめないの」
イヴを『パン』と叩くロアであった。




