第61話『一時代の終わり』
勝者は決まった。リングに最後まで立っていたのは幻水迅鋭。共にリングへ上がったマザーは死亡。どこか幸せそうな顔をしたまま眠っている。
いつもの勝ち名乗りすら上げる必要も無い。どちらが勝ちかは明確だからだ。ネズも黙ったままリングに立つ迅鋭を見つめている。
そして観客も騒ぎはしない。人が死んでショックだからか。チャンピオンが死んでショックだからか。それもあるにはあるだろう。
──敬意だった。迅鋭がマザーを倒す直前、相手に敬意を払ったように。観客もマザーに敬意を払っていた。
これまで面白い戦いを見せてくれたマザー。自分たちを楽しませてくれたマザー。チャンピオンとして君臨し、最後まで誇りを捨てなかったマザー。そんな彼女を前に湧き上がることなどできようか。
黙ってうつむき、黙祷を捧げる。それこそが『見て楽しむだけ』の観客にできる最大限の敬意であった。
戦いが終わり、金網も必要はなくなる。上へと持ち上げられる金網を見ながら迅鋭は入口の方から複数の走ってくる音を聞いた。
「──迅鋭!!」
まず走ってきたのは──イヴだった。
入口から数メートルはあるはずの道を一足で駆け抜け、リングの上にいる迅鋭に飛びつく。
「うぼ!?」
度重なる傷。底を尽きた体力。もはや迅鋭にはイヴを受け止め切ることができず……いやこのスピードだと万全の状態でも無理そうだ。
「し、死んだらダメだよ! すぐ控え室に持ってくから!」
「持ってくな持ってくな。自分で歩ける」
右足を踏み込むとグチュリと生々しい音を出して血が滲み出る。その姿があまりにも痛々しく、イヴはやはり迅鋭を持とうとした。
「やっぱダメ! 私が運ぶ!」
「わざわざ良い……子供に運ばれるのは儂でも恥ずかしい」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
「……今日は随分と心配してくれるな。いつもはツンツンしてるのに」
迅鋭が言うと、イヴは顔を背けながら答えた。
「……連れてきたの……私だし。死んじゃったら……ロアやみんなが悲しむし」
「イヴは悲しんでくれんのか?」
「……私も悲しい……し」
「はは……そうか」
遅れてやってきたのはアビドス達たち7人。
「──親分!!」
最初にたどり着いたのはアビドス。大きな体で迅鋭に飛びかかる。
「親分! 親分! やっぱり親分はすげぇよ!」
「いた、痛いわ! 怪我しとるのが分からんのか!?」
「あ、すまねぇ……」
じゃれつく大型犬を押しのけ、次に到着していたユダに肩を貸してもらう。身長差は軽く屈んでもらって対処。少し恥ずかしさがある。
「お疲れ様です迅鋭さん」
「おぅ。来てもらって悪いの」
「チャンピオンのためならなんなりと」
「これこれ、恥ずかしいことを言うな」
「恥ずかしくなんかありませんよ。もう貴方は誰もが認めるブラッドバトルのチャンピオン。ここの王様なんですから」
「……あんまり実感が湧かんの」
「湧かなくても事実は事実です。貴方はこれから有名になっていきますよ。道ですれ違う人々に『よ!チャンピオン!』なんて言われたりして」
「それは御免こうむりたいな……」
リングを降りると待っていたのはアンポンタンの三人組。
「兄貴なら勝てるって信じてたぜ!」
「祝賀会でも開こうでやんす!」
「もちろん私たちの奢りよ!」
「おぉ! いいのそれ! フライヤーの皆も呼んでいいか?」
「いいぜ! 百人くらいまでなら呼んでも問題はねぇよ!」
「イナバ物置じゃないんでやんすから」
……よく考えてみると、特にこいつらなんもしてないな。なんて思いながらイヴと目を合わせる。
「これでロア殿への手土産はできたな」
「ちょっとは説教がマシになるかもね」
「だな」
これで終わり──の前に。まだ二人ほど話していない人がいる。
コアンとパルムだ。二人はリングの上にいた。死んでいるマザーの近くに寄り、複雑そうな顔をしている。
「……ママ」
「結局。私たちのこと、抱きしめてもくれなかったわね」
「……」
顔からは毒が全て抜けたかのように安らかに。どこにでもいるような、普通のお母さんといった顔をしていた。
「生きている時にも……これくらいの顔を見せてくれたって良かったのに」
母親のこんな顔は見たことがなかった。自分たちにすら見せなかった顔を迅鋭が──少し妬ける。
「……どうするコアン。復讐でもしてく?相手は死体だけど」
コアンは母親の髪を少し撫でてから立ち上がった。
「私はママを恨んだことなんて一回もないよ。復讐なんて興味無い」
「……ほんとにママの血。引いてるの?」
「お姉ちゃんは恨んでるの?」
「当たり前でしょ。あんたより十年は長く生きてるのよ? その分私もママに殴られてるの」
「じゃあお姉ちゃんは……どうするの?」
心配そうに見つめるコアン──パルムは目線の主の頭を撫でながら答える。
「……私に残ってるのはコアンだけ。あとは貴女のために生きていくわ。そんな貴女が『してほしくない』って顔をするんなら、私はしないわよ」
「お姉ちゃん……」
「ごめんねコアン。殺そうとしちゃって」
「そんなの……気にしてないよ」
母親を失い二人っきりとなってしまった姉妹。この先二人は生きていけるのか──なんて疑問は、抱きしめ合っている二人を見れば答えが出てくるだろう。
こうして確執は消えていった。感動ポルノ的な話の終わりに、試合が終わって初めての拍手が鳴り響くのには時間はかからなかった──。
拍手もほどほどに。リングの上で満足そうに眠っているマザーを置いて。二人は迅鋭の元まで歩いていく。
「満足したか?」
「あぁ……今一度感謝をさせてくれ。──ありがとう」
「私からも感謝を」
これまた綺麗なお辞儀をするコアンとパルム。
「感謝しとるんじゃったら……そうじゃな。祝賀会に来い」
「──いいの!?」
「儂が主役の祝賀会じゃよ。主役が言うなら問題なし、じゃ」
「俺らも構わねぇぜ」
「人はいればいるほど楽しいでやんす!」
「言ったでしょ? 百人来ても大丈夫って!」
「親分が言うなら仕方ないな……」
「誰も貴女たちを嫌がる人なんていませんよ」
「ロアたちにも紹介してあげる」
「──みんな……!!」
必ずやるとパーティを約束して。今度こそ迅鋭たちは戻っていく。
その後ろでネズはリングのコーナーへと上がり、高らかに指を突き上げて叫んだ。
「──しんみりする時間は終わりだ!」
ネズの声に観客が反応する。
「マザーは散った! チャンピオンは陥落した! 次なるチャンピオンは幻水迅鋭! 次なる王は幻水迅鋭だ!」
いつも以上にハイテンションに。
いつも以上に嬉しそうに。
いつも以上に楽しそうに。
「王の凱旋に声一つ無いとは実に寂しいじゃないか! 全員黙祷で声は貯めてあるだろう!? だったら最後にコールでもしようじゃないか!!」
自分の願いを叶えてくれた迅鋭への恩返しとして。
これまで王の座で座っていてくれたマザーへの鎮魂歌として。
「──マザーもそれを願ってるはずだ!」
──ぽつり、ぽつりと。声が上がっていく。
「──迅鋭」
──声は広がっていく。
「──じーんえい!」
「──迅鋭!」
──円となって座る観客の声は重なり合って相乗していく。
「──迅鋭!!」
「──じんえーい!!」
「──最高だったぞ迅鋭さん!!」
広がって広がって。やがては地面を揺らすほどの歓声へと成長していった。
「物投げてごめんなさい!!」
「お、俺も罵声を出しちゃってすまねぇ!!」
「もう二度としないから許してくれ!!」
途中の暴れていた声への謝罪までもが聞こえてくる。──謝らなくても迅鋭は許していた。だがそれはそれとして嬉しい。
「──だからまた!! 最高の戦いを見せてくれ!!」
「──はは」
照れくさくなるような歓声の中。迅鋭は笑った。
「……やっぱり。チヤホヤされる方が嬉しいな」
血みどろの足。血みどろの体。どれだけ嬉しくても痛みは治らない。
だがそれでいい。この痛みが勲章であり、マザーと戦った証なのだから。マザーが持っていた『誇り』なのだから。
迅鋭たちは会場を後にする。壊れんばかりの、溢れんばかりの歓声を背中に浴び続けながら──。




