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第60話『凪』

 ──ドクン、と。大きな鼓動が体を揺らした。

 緊張。あまりの威圧感に思わず身が下がる。下がっているはず……なのだが、磁石のように引っ張られる感覚もした。


「終幕……だって……?」


「あぁ。これにて『終わり』じゃ。次の一撃で儂はお主を確実に殺す」


 できる。この男ならば本当にできる。根拠のない確信があった。


「一直線」


「……は?」


「曲がったり、しゃがんだり。そんなことはせん。──首に目がけて一直線。これが儂の攻撃じゃ」


 ──自分のことを舐めている、そう思うことすら傲慢というものだ。この男は先程、自分の攻撃を軽く防いだ。自分が出せる最高速の攻撃を、だ。

 やろうと思えば今この瞬間にでも不意打ちができよう。それを防ぐ術をマザーは持ち合わせてなどいない。


 じゃあ何のために──それはマザーの尊厳を大事にしてくれているからに他ならない。


 「その強さには敬意を払う」と、迅鋭は言った。

 「頂点としての誇りがある」と、迅鋭は言った。


 だから不意打ちなんて真似はせず。真正面から。堂々と。勝負をしようとしてくれているのだ。──わざわざ勝負になるレベルまで落として。


「……」




 長い間──戦ってきた。

 親に捨てられ。物心ついた時には山の中。人間は不思議なもので、本能的に『生きよう』と、雑草やらキノコやらを食べて生きてきた。

 人の温かさなど感じたことがなかった。感じるタイミングがなかった。『愛』など幻想。言葉すら当時は知らなかった。


 それは突然であった。いつものようにクマを狩猟して食べていた時、ロズワルド――ネズの父親と出会った。


「飢えているな」


「……」


「──愛に」


 そうして連れてこられたのは森とは真反対の世界。ロズワルドから文字を教わり、道徳を教わり、道理を教わりながら、ブラッドバトルへと導かれた。


 ──戦った。戦い続けた。傷だらけになりながら。山での経験が効いたのか、前人未到だった無敗の百連勝も軽く成し遂げてしまった。

 そこで私は思った。──楽しいと。命を懸けた命の奪い合い。相手は本気で殺しにくる。自分も本気で殺しに行く。それが何よりも楽しかった。

 食事よりも。

 人との会話よりも。

 ハグよりも。

 寝ることよりも。

 なによりも。なによりも──。


 戦っている時だけだ。マザーが『愛』を感じられるのは。

 相手の血を浴び。相手の肉を斬り。

 相手に殴られ。相手に睨まれる。

 そうやって命の危機に瀕している時が最高に楽しく。最高に気持ちよく。最高に『愛』しあえる。


 子供を作ったのは『愛』をもっと感じられるかと思ったからだ。成長して、自分に届くぐらいの強さになれば。もっと自分が『愛』を感じ……愛せると思ったから。

 そもそも自分に子育てなどができるわけがない。産まれて初めて感じたのは土の苦い味。子供に与える『愛』など知らない。知らないなら子供に教えることだってできない。

 強くして、徹底的に強くして、憎悪を鍛え上げ、嫌悪を鍛え上げ、復讐心を鍛え上げる。それを自分に向けてくれれば。自分はもっと『愛』を感じられる。娘を愛することができる。


 愛したくても愛せない。相手と戦うことでしか。相手を愛することしかできない。それがマザーという人間であった。




 ──迅鋭の行動はマザーにとっての『愛』そのものだ。

 血を流し、肉を削がれながらも自分を一番に思い、殺しに来てくれる。自分よりも強くて、人間としても素晴らしい男が。自分を『王』と認めて殺しに来てくれる。


「──は、はは」


 これを『愛』と言わずしてなんという。ずっと求めていた。ずっと欲しかったものが。今、目の前にある。


「そうね……そうね」


 ──これが自分の子供じゃなくて少し残念。

 そんなことを思う自分に驚きがあった。もしかすれば。過去に違う選択肢があったのかも。自分の子供を。愛せていたのかも──。


 今更だ。そんな都合のいい妄想をしてはいけない。自分が娘にやってきたことを考えてみろ。そんなことをしていい権利などあるわけが無いだろう。


「──アタシはここの王。チャンピオンよ」




 ならばすることは決まっている。ブラッドバトルの頂点として。コアン、パルムの恥とならぬように。──残りの人生全てを投げ出してでも。この男と決着をつける。


「受けて立つ」


「そうか。──なら今一度名を名乗らせていただこう」


 構えは解かず。体は動かず。しかし迅鋭はマザーの目をしっかりと見つめて。己の真名を告げる──。






「──『ラストサムライ』幻水迅鋭。参る」


「──『戦の母』マザー・サイユウ。参る」






 ──構えは同じ。またマッハの鞭打ちを放つつもりだ。何度も見切られているが、マザーが最も信頼する技はこれ。変えることなどできやしない。


「──」


「──」


 呼吸が止まる。空気が止まる。観客の声も那由多の先へと消える。──ハナから消えていた。

 本人だけでなく、見ている人。観客席や、テレビの前、果ては『グランドフィナーレ』にいる全員が。黙ったまま静かに。二人の決着を見届けている。


 酸素、二酸化炭素すらも二人に圧倒されるかのように。雑音すらも平服するかのように。静かに。ただ静かにその時を待つ。


 どちらかの勝利を願っているとか。金をかけてるとか。そんな思いは無粋。ただこの一瞬の勝負を。彼ら、彼女らは真剣に見ている。

 どちらが勝っても負けても。新たなる時代がやってくる。そんな勝負を──。






「──ぁああああああああ!!!!」


 気合一閃。怪獣のような雄叫びを上げながらマザーが動き出した。

 最速最高。五十年近い人生の中でも最強最速の一撃。手足の限界を超え。体の限界を超え。脳の限界を超えて。その攻撃は放たれた。


 走る。鞭は走る。長年連れ添ってきた女の願いを叶えるため。道のない空気に足をつけ、跡をつけ、印をつけて。

 願うのは持ち主の幸福。そうやって願うのならやるべきことは一つ。──絶殺だ。

 走って壊して斬り裂いて。向かうは男の脳天。鉄の蛇は目と体を真っ赤にしながら迅鋭へと襲いかかった──。






「幻水流──」



 ──ずっと。静かだった。


 ──始まりも。

 ──途中も。

 ──そして終わりも。



「──『神凪(かんなぎ)』」






 金網の中で命が消えた。それは苦痛と苦難に殴られ続けた女の命。──マザー・サイユウの命であった。


 刀を半身だけ抜き、相手の首へと押し付ける。刃はマザーの首を半分ほど切り裂いていた。

 人は三寸(九センチ)切り込めば死ぬのだ。ましてや首。図太い血管の頸動脈が切れてしまっては、どんな人間も生きることはできない。


「──」


 マザーの手から武器が落ちる。自らの生命線とも言える武器を落とした。これが意味することはつまり──。


「──俺の勝ちだ」




 抜刀術はその特性上、先端の軌道が円を描くようになる。それでは時間的なロスが発生してしまう。

 もしも──剣先が円を描かずに直線になれば。遠回りするより一直線に進んだ方が近道なのは言わなくても分かること。刀の方においても同じことだ。


 ──幻水流の中でも唯一の抜刀術。それが『神凪』である。

 刀を抜ききらずに抜刀。『波紋』を使用して相手の懐に一気に入り込み、刀を抜きながら相手の首に押し付ける。

 これなら直線の攻撃で時間的なロスもなく、なおかつ懐に入るため相手の攻撃も避けることが可能だ。


 もちろん強い点ばかりではない。相手の懐へと飛び入る都合上、タイミングを間違えば自分から攻撃を喰らってしまう。それに射程距離と攻撃範囲も通常の抜刀術と比べても極小。

 つまり効果的で最適なタイミングで放たなければ真価を発揮できない、まさに神業とも言うべき技なのである。




 ──満足だった。最高の男が最高の技で自分を殺してくれた。


「……ふ」


 もう望むものはなにもない。心残りは……無くはないが、これ以上はダメだ。むしろ自分にはこれだけでも過分すぎるほど。

 あれだけ人を殺して。自分の子供までも殺そうとして。なのに最後がこんな幸せでいいのか。嬉しくていいのか。




「──満足して眠れ」




 あぁ。いいんだ。幸せに死んでもいいんだ。でも、やっぱり──コアンとパルムには悪いことをしてしまったな。最後に謝りたかったな──ぁ──。



 ──長年ブラッドバトルに君臨したチャンピオンは、唯一の心残りを胸に抱えて、永遠の眠りに身を委ねた。

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