第58話『遺言は一回だけ』
横に振るわれる鞭。斬撃の入った鞭は杖と比べても範囲は広く。如意棒と比べても軌道が読みずらい。
髪の先を切られながらしゃがみ、迅鋭は接近する。
「ひひっ──!!」
振るわれる手首について行くように鞭は軌道を変化。大地を割るような叩きつけに合わせて斬撃の鞭はリングの床へと振り下ろされた。
横にジャンプ。今度こそ剣の射程距離内へと入った迅鋭は首元めがけて剣を薙ぎ下ろした。
──手首を返して鞭を引き寄せる。鋼鉄以上の強度を持つ鞭はそう簡単には切られない。迅鋭の斬撃を持ってなお防がれた鞭を斬ることはできなかった。
戻ってくる鞭の先端を警戒して距離をとる。せっかく接近したが、欲張るのはよくない。
「やっぱり近づかれるのは嫌ね」
右へ左──いつの間にか上へ。先端の軌道が読めない。故に攻撃のタイミングが微妙に掴めない。
基本的に達人レベルになってくると、無駄を減らすために攻撃はギリギリで避けることが多い。迅鋭もそうだ。
しかし鞭の軌道が読めなければギリギリどころか、躱すのすら難しい。体力を多く消費するとしても大きく回避しなくては。
「ほら、休んでいる暇はないわよ──っ!!」
──床を壊しながら鞭が迫ってくる。先端は相変わらず見えやしない。
横に避けて──と思ったら方向を急に変えてきた。また後方へ下がって鞭から逃れる。
──鞭は止まらない。避けても、避けても。雛鳥のように迅鋭を追いかけ続ける。
変則的な軌道がとにかくやりずらい。下手に弾けばさらに先が読めなくなる。つまり避けることしか対処法がないのだ。
そうなると蛇のような鞭の動きが厄介で──なんて思考の無限ループに陥ってしまう。
考えすぎるのは性にあわない。──殺られる前に殺る。これが迅鋭のモットーだ。
「っしッッ──!!」
空気を叩いて発射された先端が目先を通り過ぎる──ここだ。
迅鋭は『波紋』を使ってマザーへと近づく。このリングの狭さなら一足もあれば届くはずだ。
近づいて攻撃。防がれればまた離れればいい。ヒットアンドアウェイ戦法だ。地味だが確実に勝つためにはこれしか──。
──なんて甘い考えが命取り。背中に感じる痛みが教えてくれているかのようだった。
「っづ……!?」
背中の肉が切り裂かれる。斬れるだけでなく周りの肉もこそぎ落とされた。
「油断したわね」
間髪入れずに先端が迅鋭の頭にやってくる。痛みに悶えたい体を気合いで動かして避けき──。
──れなかった。突然軌道を変えた先端は迅鋭の瞼までも切り裂く。
見えない。斬られた右目が見えない。まさか眼球をやられたのか。
「っくそっ──」
目を抑えながらリングの端へと移動。普通の格闘技とかならドクターストップがかかるだろうが……これは普通の格闘技ではない。
「これは殺傷力を保ったままできるだけ重量を減らしてるの」
目玉は──無事だ。痛みで焦っていただけで、眼球に損傷はない。斬られたのは瞼だけだ。
だが見えないことには変わりない。
「だから手首をちょっと曲げるだけですぐに軌道が変わってしまう。でもそれはデメリットでもあり──メリットでもある」
片頬は欠損。背中は損傷。おまけに右側の視界は使えないときた。利き目が使えなければ距離感を測ることは困難となる。鞭使い相手にそれが意味することは──『死』だ。
「手首の微細な動作で変幻自在、自由自在に鞭を動かせるの。回避や防御の難しさはアンタが身をもって体験したでしょ? それにその右目……」
「……眼球は切れておらん。手元が狂ってしまったようじゃな。もう一度だけお情けで当たってやろうか?」
「強がっても無駄よ。アンタの負けは──決定してるんだから」
右足に強烈な痛みが。ふと視線を流すと──右足首にマザーの蛇腹剣が巻きついていた。
刃の部分はがっちりと喰い込んでおり、脚からは血がトプトプと流れ落ちていた。
「なっ──!?」
顔面と背中の痛み。そして死角となっていた右側からの攻めにより反応が遅れてしまった。
「ほぅら、散歩のお時間よ──!!」
マザーの動きに鞭も呼応する。先端部分にいる迅鋭も引っ張られ──空中を飛んだ。
「ッッ──だ!?」
──金網に体が叩きつけられる。金網の伸縮性は皆無。ほとんど壁と言ってもいいぐらいの硬さをしていた。
背中と同時に後頭部にも衝撃がやってくる。意識と視界が朦朧となり、痛みは少し紛れた──。
──が、また『痛み』によって意識が戻ってくる。
「まだまだ行くわよ──!!」
鞭が動き出した。脚から土に埋まった野菜のように引き付けられた迅鋭は、空中を虹のような軌道を描き──地面へと叩き落とされる。
「ぐぁ──!」
止まらない。手首の動きだけで金網へと叩きつけられ、金網に負傷した背中を削られながら、反対側の金網へと叩きつけられる。
今度は一気に引き抜かれ、マザーの方へと引き寄せられる。鮮血の火花を前方に撒き散らしながらマザーのところまで吸引され──ぶん殴られた。
「──」
──刃部分で拳を防いだ。マザーの拳は縦に軽く切り込みが入る。
しかし迅鋭も無事じゃすまない。体をバウンドさせながら金網まで殴り飛ばされた。
「う……くっ……!」
「まだ余力が残ってたの。しぶといわね」
脚に巻きついた鞭は一向に離れてくれない。むしろ遠心力によりさらに深く刃が喰い込んでしまっている。
「まぁいいわ。その綺麗な足を一本貰うわね──」
また鞭が動き出した。さすがにあと一回振り回しを受けてしまったら脚がちぎれる。
「くそっ……!!」
それだけは避けなければ。迅鋭は刀を鞭に向けて突き刺した──。
鞭の動きに合わせて迅鋭も引きずられる。体は中に浮き、半円を描きながら金網へと体が迫る。頂点付近で無重力を体内に感じ──地球の重力へと戻された。
──鈍い音を立てて衝突。無くなった頬と左腕が壁に打ち付けられた。
「が──が!?」
落下して分かる──折れた。左上腕部が折れている。あと奥歯も何本か折れた。
「左腕は折れたでしょ。そして右足も──あら、まだ粘るのね」
──刀を鞭に巻き付ける。来るはずだった衝撃は刀と脚に分散。ギリギリで脚はちぎれずにすんだ。
「ぐ……あぁ──!!」
マザーが驚いている間に鞭を脚から引き剥がす。
どす黒くなった脚。引き剥がした時に肉ごと行ってしまったのか、脚は見るに堪えない姿へとなっていた。
完全に動かないというわけでは無いが、動かしてしまえば最後。場合によっては右足がおさらばするかも──。
「はぁはぁ……」
左腕は折れた。右足は使えない。右目は見えない。じゃあ使えるのは……右腕と左脚だけ。ここまで絶望的な状況は他にあるだろうか。
ここまでくればマザーは攻撃しなくても勝つことができる。放置してれば『失血死』という名の死神が顔を出してくるだろう。
「でも……それじゃあダメよね」
鞭がマザーの周りで暴れる。パン、パン、と空気を叩く、音速の壁を破る衝撃が聞こえてきた。
「ここのチャンピオンとして。相手に『失血死』なんて不名誉でダサいことはさせないわ」
──終わらせる気だ。最初に放った音速の攻撃をしてくる気だ。その時でも避けきれずに頬を吹き飛ばされてる。動くこともままならない今の状態では避ける方法など──ない。
「遺言くらいは聞いてあげるわよ?」
勝ちは決まったも同然。この状況で迅鋭に勝ちの目は存在しない。そう確信したマザーは勝ち誇った顔でそう言う。
「……遺言はない」
「いいの? 今なら沢山の人間があなたの最期を見てくれるのに」
「……儂は既に一度死んだ身。周りには誰にもおらなんだから、その時は神様に聞いてもらったわ」
「……は?」
マザーは顔を傾げる。観客も頭を傾げる。テレビで見ているアビドスたちも。泣きそうな顔をしながら疑問を顔に出していた。
当たり前だ。迅鋭の言っている言葉が本当ならば迅鋭は一度死んでいる。死んだ人間が復活するなどありえないことだ。
しかし迅鋭は現に生き返っている。遺言は──もう言ってあった。
「『もう一度だけやり直したい』……神様も儂の言うことを聞いてくれたんじゃな。思い通りにならなかった人生じゃったが、最後の最後で儂の願いを叶えてくれた。ありがたいと思う反面、もっと昔に儂の願いを叶えてくれたら……なんて思うがな」
「……頭を打っておかしくなったの?」
「こっちに来てから儂も同じことを思った。じゃがここは現実。儂もしっかりと生きておる。神様がこう言っておるんじゃろう。──『新しき世界で生きよ』と」
──消えた頬の奥から見える歯茎。残った頬は不敵に上がり、迅鋭の顔に笑顔を貼り付けた。
「遺言は一度だけ。二度も遺言を言うのは強欲というものじゃ。──だがもしあと一回。言ってもいい状況が来たなら、儂はこう言おう」
「──やり直しをさせてくれてありがとう、と」
迅鋭の言っている意味は分からない。頭がおかしくなったとしか言えない言動をしているからだ。
だが──なにを言おうとしているかは分かる。
「──今回は言ってもいい状況じゃないって?」
「遺言は死ぬ前に言うもんじゃろ?」
──この場で死ぬ気は無い。──ということはこの戦いを『勝利』で終わらせると言っているのだ。
「──やっぱり。アンタは面白いわ」
マザーが構える。片腕を後ろへ。鞭も後ろへ。またマッハの斬撃がやってくる。
狙いは必中。当たれば即死。次は──ない。
「防げるなら防いでみなさい。止められるなら止めてみなさい。逆転できるものなら──やってみなさい!!」
腕が動き出す。連動する鞭は地面と空気を擦りながらうねりを見せる。
伝播する力は迅鋭に狙いをつけて振り下ろされ、殺意の籠った先端は迅鋭に向けて放たれた。
当たる直前の引き戻し。この動作にて音速を超える準備は完了。衝撃は先端へと送られていき──迅鋭へと放たれる──。




