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第55話『不革命前夜』

「──パルムが勝利したようだぞ」


 マザーが居座る部屋に無断で入ってくるネズ。入ってきて早速掲げるようにそう言った。


「……あれが勝ちだって? ほとんど不意打ちじゃないの」


「だが相手側も負けを了承している。戦った本人のイヴ。そして──幻水迅鋭も」


「……つくづく甘い男ね」


 ネズは机にあった角砂糖をひとつまみ。マザーは不満そうに自らも角砂糖を口に入れた。


「議論の余地がある勝利なんて勝利とはいかないわ。反論の余地のない完全勝利。私はこれしか認めない」


「手厳しいなぁ」


 戦いの前にはリラックスが必要だ。そのために必要なのが糖分。角砂糖だ。だからマザーは角砂糖を常備してある。

 いつも試合の前にはこうやって角砂糖を舐めているのだ。


「……じゃあこの後の試合も。アンタは幻水迅鋭に反論の余地もなく勝てると?」


「愚問ね。──『破滅の求道者』、『有史以来の怪物』、『戦の母(アタシ)を超える逸材』……そんな看板を背負った奴を多く見てきたわ。どれもこれもアタシの前じゃ五分と持たなかったけど」


 ──椅子の横に鎮座していた杖を手に取る。


「同じことよ。今回も」


 ネズは全てを見透かしたかのような目でマザーを見ていた。


「そのわりには随分と余裕のなさそうな顔じゃないか。それに前のアンタならさっきの俺の質問にキレてる」


「……」


「気がついてるんだろ?相手が今までに見たことの無いレベルの化け物だって。勝てるかどうかすら分からない……なんて思ってるんじゃないか?」


「……アンタのそのクソ生意気な態度。前から変わらないね」


 ワンテンポ。間を置いて口を開く。


「──そうよ。認めるわ。アタシはあの男を恐れている。怖がっている。『殺されるかも』とまで思ってるわ」


「素直だな」


「だからこそよ。アタシには幻水迅鋭の前に立つ責務がある。逃げる選択肢なんてない。じゃないと──」


 ──何かを言おうとして口を閉じる。


「……もう行くわ」


 まだ角砂糖を食べようとするネズの横を通り過ぎた。


「──チャンピオンに恥じぬ戦いを期待してるぞ」


「減らず口を……」


 ──歩く背中はとても大きく。とても強大。誰もがひれ伏すようなオーラを纏いながら。ブラッドバトルの王者は戦場へと足を運ぶのだった。




 一方その頃。迅鋭も試合前の準備を始めていた。


「──迅鋭さん。痛い?」


「……痛くない。まったく痛くないぞ! 凄いの!」


 折れているであろうアバラ付近を押してもらう。普通なら耐え難い苦痛が襲ってくるはずなのだが──本当に痛くないようだ。


「骨も固定されてる。これなら派手に動いても肺に骨が刺さる心配はない」


「未来の技術にはいつも驚かされるのぉ……」


「はいはい。もうすぐで死ぬかもしれないなのに冗談まで言える余裕があるなんて。やっぱり迅鋭さんは凄いな」


「そりゃ親分だからな!」


 そういえばイヴ以外は迅鋭がタイムスリップしてきたことを知らない。……まぁ今伝える必要は無いだろう。


「生きていたらまた今度……な」


「そ、そんな不吉なことを言わないでほしいでやんすよ」


「冗談じゃ。儂が死ぬわけなかろう」


 心配そうに見つめる面々だったが──迅鋭の目を見ると、どこか安心感を覚えた。

 炎のように熱く。氷のように冷たく。嵐のように激しく。花畑のように穏やか。──そんな瞳をしていたからだ。



「……迅鋭」


「どうしたコアン?」


「……やっぱり。貴方も敵の情報を知ろうとはしないのだな」


「戦ってたらおのずと見えてくる。昔から儂は強かったからの。敵の情報など聞き入れなくとも一騎当千の活躍をしたものじゃ」


 胸を張って言う。冗談として聞き流してしまうような事だが──迅鋭が言うと冗談には聞こえない。実際冗談じゃないし。


「……もう一度だけ言わせてくれ。──ありがとう。命を……助けてくれて」


「まだ気にしとったのか。あれはやりたくてやったことじゃ。でもそうじゃな……感謝する気持ちがあるんなら──」


 迅鋭はニコッと笑い──。


「──またいつでも遊びに来い。居候の身ゆえ、毎回とはいかぬが、できるだけ構ってやる」


「……我を子供扱いするな」




 これで話は終わり。心置きなくマザーと戦える──前に。もう一つだけ聞いておきたいことがあった。


「──んで。なんでおるんじゃお前は」


 ──パルムのことだ。コアンを殺そうとした敵のはずだが、イヴの隣でコーヒーをちびちび舐めている。


「いいでしょ。私とこの子は友達だし。友達と試合を見るの夢だったんだぁ」


「……いつ友達になったの」


「一度拳を交わせば戦友(とも)って言うでしょ?ほら、私ママに二十四年くらい抑圧されて暮らしてきたし。友達なんて居たことなかったんだよねぇ」


「二十四歳なんだ……私十五歳だよ。世代が結構違うけど話噛み合うの?」


「……」


「──いひゃい」


 無言で頬をつねられている。「年齢のことは言うな」という意味だろう。


「警戒しなくてもコアンを殺す気はないわよ。戦う力も残ってないし」


「コアン。お前は良いのか?」


「我は……皆が居るから。それにお姉ちゃんは嘘を言ってないし」


「さっすが私の妹。いいこと言うわね」


「……ならええが」


 ……みんなも文句は言ってなさそうだし。とりあえずは良しとしよう。




 ──話が終わったタイミングと同時に扉が開かれた。


「──よし」


 出陣。進む先は一つ。道は一本。逸れる心配はない。

 踏み出す迅鋭の背中にアビドスたちから言葉が贈られる。


「頑張ってください親分!」

「信じてますよ迅鋭さん」

「応援してるでやんす!」

「勝ったらディナーにでも招待してあげるわ!」

「……ご武運を。兄貴」

「勝っても負けても。我はしっかりとここで見届けるぞ」

「期待せずに待ってるわねー」


 アビドスたちだけでない。あんまり存在感のなかった他の選手たちからも応援の声が上がっていた。


 昔にも。こんな感じで応援してくれる人がいたっけな──。

 ──思い出すのは後だ。迅鋭は手を振りながら戦場へと向かって歩いていく。



「……死なないでね」


「当たり前じゃろ」


 不安を紛らわせてあげるために。落ち着かせてあげるために。イヴの頭を撫でる。……実際に落ち着いたのは自分の方だ。その感謝も多少は混ざってる。

 それが通じなかったのか。子供扱いが恥ずかしかったのか。迅鋭の手を払いのけた。


「──行ってくる」




 選手入場前だというのに割れんばかりの大歓声。会場は揺れに揺れていた。

 これから殺し合いが始まる。少なくとも良い事とは言えないだろう。──だがそれでも。これを見るために来たのだ。

 悪趣味だろうと。下衆(げす)な見世物と言われようと。ここにいる観客たちは中指を立てて言うだろう。「黙って見てろ」と。



「──今宵(こよい)始まるのは伝説の始まりと終わりか。それとも神話の続きか」


 静かになった会場の中心で。ネズは変わらない声を響きわたらせる。


「──宣言しよう。これから始まる戦いのため、選手たちは命を賭けて戦ってきた!! その中には重傷を負った者や、死んだ者もいる……そんな者たちのためにも。せめて残った観客!! あなた達だけは!! この戦いを見る責務がある!!」

「目を逸らすな!! 呼吸も止めろ!! この戦いはその価値がある──!!」


 ネズの声に観客は──声をあげない。分かっているからだ。そんなことを認めるまでもなく。金を賭け、道楽として見ている自分たちが。戦いの決着を見届ける義務があると。


 スポットライトは片方の入口を照らす。光は赤。出てくる者を熱く燃え上がらせる色だ。


「まずはコイツに出ていただこう──[ラストサムライ]幻水迅鋭!!」



 ──音もなく。影のような黒いモノを纏った迅鋭が入場する。

 足取りはスキップするかのように軽やかに。軽く。軽く。戦いの前とは思えないほど軽く。

 静かにリングへ上がった。


 スポットライトは逆側を照らす。光は金色。出てくる者の価値を表しているかのようだ。


「そして──このブラッドバトルの生きる伝説。最強不滅のチャンピオン──[戦の母]マザー・サイユウ!!」



 ──大地に足を突き立て。女は入場してきた。

 迅鋭とは対照的に、足取りは象のように重く。踏み込む度に地鳴りのような幻聴が聞こえてくるかのようだ。

 歩みは強く。そして強大。この歩みを止められる者は誰一人として居ないだろう。




「出揃った! 出揃った!! 出揃った!!!」


 ──二人の人間がリングに上がる。あとやることは一つだけだ。

 ネズは水を得た魚のように声を荒らげ始める。観客たちも耐えきれずに声がチラホラと出てくる。


 ──対面する二人は何も言わない。言わなくてもいい。このリングから降りるのは一人だけ。分かっているのはそれだけでいい。


「さて──始める前に今回は特別なフィールドを用意しましょう!! カモン!!」



 ネズがリング外へ出ると、けたたましい音と共に上から金網が降ってきた。


「あら、これは久しいね……」


「? なんじゃ?」


 金網はリングを囲むように置かれる。隙間があるとはいえ壁は壁。圧迫感と窮屈さを感じてしまう。


「今回は金網デスマッチ方式!! 狭きフィールドをさらに狭く!! 逃げ場のない空間で片方が死ぬまでの殺し合い!! ブラッドバトルでもっとも過酷なフィールドです!!」


 今まではこんな仕掛けなど見たことがなかった。マザーが驚いてないところを見るに、前々からありはしたのだろう。

 どんな戦いでも過酷なことには変わりないし、逃げ場などない。ならこれは観客を楽しめるためだけのフィールド。戦いには影響しないはずだ。


 ──だったらいい。いつも通り。戦うだけだ。



「見届けよ!! 笑っても泣いても現実は変わらない!! 変わらない最大最高の戦い(ベストバウト)を見届けるのだ!!」

「では構えて──」


 ──迅鋭は抜刀。逆手に持った本気の構えだ。

 ──続いてマザーも構える。杖を前に突き出したフェンシングのような構えを。


 スポットライトが二人を照らす。リングにはたった二人だけの世界がある。そんな世界において──最後の戦いが幕を開けた。


「──始めぇぇぇぇぇいぃ!!!」

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