第52話『タイガーファイト』
片鼻を押さえ、鼻血を吹き出す。とりあえずの止血だ。これで気にならない程度には血を抑えられる。
──イヴが構えた。
──呼応するようにパルムも静かに構える。
──空気の張り裂ける音と共に、互いの拳が頬を打った。
「ぐづっ──!!」
「ははは──!!」
殴る。殴る。殴りまくる。防御を捨ててのシンプルな殴り合い。頼りになるのはパワーとスピードだけ。
頬には頬を。腹には腹を。人中には人中を。胸には胸を。拳には拳を──。
出鱈目な速さだ。流れた血が地面へと落ちるまでに十の拳が交差する。
もはや拳を視認できる者はおらず。音だけが二人が殴り合っていることを証明していた。
「ぐ──ぎ──」
イヴの拳は名の通り雷速。多少身体能力が強化されたところで、そのスピードとパワーは覆るものではない。
電気によって体の動きを加速&強化。更にはスーツによって身体強化までされている。同じスーツならば強化倍率の大きいイヴの方が速いのは当然だ。
だから殴り合いではイヴが優勢。油断しない限りさっきのようなことは起こらない。──そのはずだった。
──徐々に。徐々にパルムの拳が加速していく。手数も増え。回転数も増え。徐々に。徐々に拳が増えていく。
スピードが上がればその分パワーも上がっていく。パワーは前からパルムが優勢。なら唯一勝っていたスピードすら追い抜かれればどうなるか──予想に難くないだろう。
「まだでしょっ!! もっといけるでしょ!!」
押されていく。無数の手数に押されていく。地面に刺して耐えている脚が悲鳴を叫んでいる。
一撃喰らう度に意識が飛びかける。飛びかけた意識が殴られて戻ってくる。こんなものを連続で喰らい続ければいずれ──。
「もっと私を楽しませなさい──!!」
──壊れる。完全に速度を上回ったパルムの一撃。イヴはコーナーまで殴り飛ばされた。
「ぁ──ぃ」
頑丈だった柱はぐにゃりとへし曲がる。折れなかったのは流石と言うべきか。そしてそんな攻撃を喰らっても意識を完全に失わなかったイヴも褒めるべきだ。
「が……ぅ……」
押し負けたのか。なぜ。──パルムは急に加速し始めた。何らかのトリガーを引いたのか。無条件で強化などできるはずがない。少なくとも弱点はあるはずだ。
イヴだったら『充電の消耗』という大きな弱点がある。パルムはなんの弱点を抱えているのか──。
血反吐を床に吐き捨てた。体の中で血がギュルギュルと巡り回っている。行ってはならない方向に。行ってはいけない場所に血が迷い込んでいる気分がする。
呼吸が。喉が。血が。考えが纏まらない。動かなければ。追撃がくる。くるはずだ。だから動かなければ──。
「──ほらほらぁ!!」
──顔面に向けて振り下ろされた拳を回避。コーナーは音を立てて粉砕された。
転がって逃げようとする──そこへかかと落とし。ギリギリ見切ったイヴはくるぶしを叩いて攻撃を逸らした。
続く追撃の拳を避けて──すかさず首に肉切りチョップを喰らわせる。
「っ──落ち着いてくれないかな……!!」
──五万ボルトの衝撃。これはだいたいスタンガンと同じくらいの電圧だ。スーツで強化されているのは身体能力であり、抵抗力は特に弄られていない。
だったら直接首に電流を流されれば気絶とまではいかなくとも、体のあちこちが麻痺してくる──はずなのだが。
パルムは何事も無かったかのように動いていた。
「私を落ち着かせたかったら、ぶっ殺す以外に方法はないわよっっ!!!」
電撃すら意に返さず。イヴの首を掴んで──ぶん殴る。
「──ぁ」
衝撃は脳までやってきて。色んな考えも吹き飛ばされて。イヴの意識は真っ黒に途切れて──。
──また引き戻される。
「まだ倒れるのには早いわっ!!」
腹部を蹴り飛ばされて──なんと場外へと落下した。
「だっ──!?」
視界が安定した時には既にリングの外。周りには観客がおり、皆がイヴを見ている──あ、下敷きになった人がいたようだ。
「だ、大丈夫……?」
……少女に乗られて嬉しかったのか。名前も知らない男は満足そうに気絶していた。
とりあえず無視して──ブラッドバトルには場外負けというルールがない。なので場外へと出たならば速やかにリングへ戻らないといけないが──。
「──ひゃはははは!!」
──場外負けがないのなら、場外で戦闘するのもルール違反にはならない。
ド派手に飛び出てきたパルムはイヴに目がけて飛び蹴りを放った。
「ちょっ──!?」
避ける──も、巻き添えを複数人の観客が喰らってしまった。
「なんで……!?」
「まだバトルの最中よ!? 止める理由がどこにあるの!?」
「他の人たちが巻き添えに──」
「それもルールの範疇よ!!」
逃げ惑う観客などお構い無しに。パルムはまだまだ攻撃を放ってくる。
なんとかしてリングへと戻りたい。これ以上は他の人を巻き込むわけには──しかしパルムとの実力差がそれを許さない。
加速したパルムは座席をもぎ取ってイヴにぶん投げる。
「ぅ──それルール違反じゃないの!?」
ネズの方へ顔を向ける。──頭の上で大きな丸を作った。つまりオーケーだ。
ハンドバトルなのだから素手のみで戦わなければならない──それは間違いだ。
このブラッドバトルはルール無し。ハンドバトルも禁止なのは武器の持ち込みであって、武器の使用では無いのだ。
となるとパルムはルール違反などではない。プロレスにだって場外バトルはあるのだ。これくらい考えれば分かるもの……とイヴに言うのは酷だろう。
そういうわけでバトルは続く。
座席投げに乗じてパルムは接近。ボディブローからのアッパーと連撃を決めていく。
接近戦、格闘戦は不利なのは分かっている。だったらイヴにだって策はある──。
消えそうになる意識を繋ぎ止め。次なる攻撃がやってくる。血塗れの左拳による殴打。真っ向から喰らう余地は残っていない。それなら小細工を弄させてもらう。
「──大放電」
──イヴの体が金色に光った。
「──!?」
──次の瞬間。パルムの体がぶっ飛んだ。
続くのは音と雷。電気とは思えない重苦しい音。そして極太の雷が全方位の地面に流れる。
リングが。天井が。観客──は綺麗に当たらなかった。
イヴのやったことは単純明快。溜め込まれていた電気を全方位に向けて放出する。それだけだった。
拳を振るっても先に相手の攻撃が当たる。拳を振るっても軽く避けられる。──だったら全方位に逃げ場のない攻撃をすればいいのだ。
目論見は見事に成功。放電はパルムに直撃し、距離は大きく離れた。
パルムが離れているうちにリングの上へと飛び乗る。
「これでよし──どうせ倒れてないんでしょ。早く来て」
──煙の奥で立っているパルムに向けて。イヴは言い放つ。
「──ケリをつけよう」




