第50話『前座戦は涙と共に』
その場はとりあえず解散。迅鋭たちは控え室に戻ってきていた。
傷は治らないが気休めくらいは必要だ。未来式の包帯を頭に巻く。へし折れた肋の痛みは痛み止めを飲んで誤魔化す。とりあえずはこれで動けそうだ。
「──さ、さすがに無茶ですぜ兄貴!」
「そうよ! 相手はあの『戦の母』なのよ!?」
「ベストコンディションならまだしも、そんなボロボロの体じゃ勝てるわけないでやんす!」
「……なんでお前らがおるんじゃ?」
「ネズに言ったら入れさせてくれた」
「そうか……」
迅鋭の身を案じてか。アンポンタンは必死になって迅鋭を説得していた。
「今更言ったところでどうにもならんじゃろ。それにさっきも言ったが、時間を空けてしまっては、あの女はその娘を殺しにくる」
「……」
元々待機していた部屋ではなく、迅鋭のいる控え室へとやってきていたコアン。
イヴとユダによって応急処置されたようで。可愛らしい顔が血の着いた包帯によって台無し……とまではいかないものの、かなり痛々しいことになっていた。
「タイミングは変えん。あの女は今日殺す」
「こ、殺す……」
──無駄な殺生はしない。そう言ったのは他でもない迅鋭だ。あの時は頭に血が上っていたが、アビドスは迅鋭のその言葉に惚れていた。
だからこそ迅鋭の『殺す』という言葉は重く。絶対に殺すという確信的なものがあった。
「……幻滅したか?」
「……いえ。親分は『無駄な殺生はしない』と言いました。だから親分が殺す時は無駄じゃない殺生ということです」
「なんじゃ。出会って半日も経ってないというのに、儂のことを理解しとるではないか」
「……仮に親分が死んでも。俺は親分を尊敬し続けることを誓います」
「嬉しいが少し違うぞ──儂は死なんし負けん」
柔らかい目付きが一転。目に入った物を全て壊し尽くすような。鋭い目へと変わった。
「自分の子供を殺すような奴を儂は許せん。理由が理由なら多少は納得したかもしれんが、あの女は『負けたから』などという理由で殺そうとした。──生かしておく理由などない」
そう憤る迅鋭をコアンは申し訳なさそうに見ていた。
「……すまぬ」
「謝ることなんてないよ」
「だが……我のせいでお主まで要らぬ戦いをする羽目に……」
「元々私はお金が欲しくて参加したからね。戦えるならむしろありがたいよ」
コアンを不安にさせないためにか。イヴは無機質ながらも優しい言葉をかける。
「それに勝てばいいんでしょ。勝つのは私得意だよ。だって私は強いから」
「……ぅ」
──コアンの目から熱いものが流れる。
「ごめん……なさい。ごめんなさい……」
「──随分と女の子らしい泣き方をするんだな、コアン」
嗚咽を漏らして泣いているコアンの前にアビドスは立った。
プライドからか、恥ずかしいからか、涙を止めようと目を擦るコアン。
「……こう見るとただの子供だな」
──アビドスはコアンの前でゴリラのように胸を叩いた。
「親分の強さはお前が理解してるだろ? 俺だってよく理解してる。姉御も相当強い……らしいし。そう心配しなくても大丈夫だ」
「なんで私は『らしい』なの」
べしべしとアビドスを叩くイヴ。
「そうじゃ……なくて……こんなに優しくされたこと……久しぶりで……!」
「……あ、あー。そっちな。分かってたよ。分かってた」
「嘘こけ」
アビドスの馬鹿な返しに控え室は笑いに包まれる。──泣きじゃくっていたコアンも笑みを浮かべていた。
──時間は過ぎ。前座戦であるイヴの試合まで残り五分を切っていた。
前座とはいえ相手はコアンの姉。実妹であるコアンを殺そうとした相手だ。ハンド戦でも殺される可能性は十分以上ある。
それにマザーの娘ならば強いのも確実。油断ならない相手なのも確実だ。
そんなパルムと戦うはずのイヴは──まだ控え室でポテトを貪り食っていた。
「あ、姉御! 試合前に食べ過ぎですぜ!」
「そうでやんすよ!」
「だって何も食べてなかったからお腹がすいてて……」
ポンが買ってきていたポテト。サクサクの食感に最高の塩加減。摘む手を止められる者などこの世に存在しないだろう。
「そうよ。こんな遅い時間にポテトなんて体に悪いわよ」
「……はぁい」
「じゃあ残りは儂が食べておく」
「あ、ダメだよ。そのポテトは私の」
「俺っちのでやんすからね!?」
……緊張感が無さすぎる。あのリングの上のシリアスさはどこへ行ったのか。
コアンも心配で思わず声をかける。
「あ、相手はパルム・サイユウ。我の姉で近接戦のプロだ。スーツの能力は──」
──黒服によって控え室の扉が開かれる。『試合開始前』の合図だ。
「──行ってくる」
「ま、待てイヴ。スーツの能力だけでも聞いて――」
「もう遅いよ。どうせ戦えば相手の能力は自然と見えてくる」
自分より背の低いコアンの頭を撫でて──イヴは扉に向かって歩く。
「あと私の方が歳上。敬語使って」
「……はい」
「それと呼び方は『姉貴』ね。どうせアンタもバカ侍の舎弟になるだろうし。つまりバカ侍より上の立場にいる私は『姉貴』なんだから」
「その……舎弟になる気は特にないのだが……です」
「なる。もう四人がなってるんだからなる」
「いやその……」
「なる。絶対になる。なるからなる。なるといったらなる──」
「これ。圧をかけるな」
鞘でベシンと頭を叩かれた。
「痛い」
「さっさと行かんか。迎えに来た男が困っとるぞ」
「はいはい」
──向かおうとしたイヴの服の裾をコアンがつまんだ。
「……頑張ってくれ……ください……姉貴」
「──」
──嬉しさと恥ずかしさで顔が紅潮。赤くなった顔を見せないようにコアンの肩を叩く。
気合いは入った。負けられない理由もできた。イヴは改めて扉へと向かう。
「行ってくる」
「怪我は適度にな。ロア殿への言い訳が通用するくらいにしておくんじゃぞ」
「──言い訳しなくてもいいくらいの圧勝を見せてあげる」
イヴはそう言って、みんなからの応援を背中に受けながら、外へと出ていった──。
──会場の明かりは既に消えており。スポットライトは入口を照らしている。
一歩踏み込めば戦いからは逃げられない。──逃げるつもりなど毛頭ない。燃え上がる声援の中、イヴはライトの下へと踏み出した。
リングの上ではパルムがポールに背中を預けてゆったりと待っていた。
「遅かったわね。待ちくたびれて眠っちゃうところだったわ」
「そのまま眠ってくれたら楽に終わるんだけど」
「そうは問屋が卸さない……ってね」
小柄なイヴと比較的に大柄なパルム。格闘技は体重差が物を言うが、スーツがある現代じゃその常識は通用しない。多少の体格差ならひっくり返すことが可能だ。
──ならば勝敗を分けるのは戦闘技術。イヴの本分、得意分野だ。
「悪いわね。前座戦とはいえ、私だって勝たないとママに殺されちゃうかもなの。子供のアナタには悪いけど、大人気なく勝たせてもらうわ」
「悪いと思わなくてもいいよ。私が勝つし」
「あらそう。なら勝った後は私のことも守ってくれるの? コアンみたいに」
「私は守ってあげてもいいよ」
「ふぅん……そう」
二人は端と端へ。どちらも準備万端。あとは試合開始のコールを待つのみだ。
「では構えて──」
──イヴは構えず。その場で垂直にジャンプする。
──パルムは手を前に。空手の『前羽の構え』のような構えをとる。
会場も。控え室も。緊張で静かになる。心配そうに見つめるコアン。そして──チャンピオンの控え室で肘をついて見ているマザー。
数々の思惑が入り交じり、交差する。命運がかかった前座戦が今、始まった──。
「──始めぇぇぇぇいい!!!」




