第48話『降臨』
──勝った。勝者は迅鋭。観客もそう確信して盛り上がりを見せていた。
あの斉天大聖を倒した。『戦の母』に次いで最強の少女を地に落とした。盛り上がるのも無理はない。
だが迅鋭は下を向いていた。──コアンだ。コアンの方へ顔を向けていた。
コアンは気絶していなかったのだ。最大威力で顎を撃ち抜かれ。それでもなお精神力で意識を保っている。
動けてはいない。立つことなどできない。這いずって。もがいて。それでも迅鋭の方へ行こうとしている。
「う……ぅ……」
──泣いていた。涙で床を濡らしていた。
「やだ……まだ……まだ……やれる」
歳相応の少女のように。それ以下に。惨めに。情けなく。コアンは泣いている。
「ママに……ママに……認めて……もらうもん……」
涙と鼻血で顔を濡らしながら。たった一つだけ手元に残った如意棒を握って。立っている迅鋭の所まで体を動かす。
指も痺れ。頭も痺れて。体は動かない。動けない。でも──認められたいから。母の前に立って、母に認められたいから。だからこんな場所では負けられない。
「やだ……やだやだ……いやだ……こんな……ところで……終われない──」
──迅鋭は納刀する。
「──降参じゃ」
コアンは耳を疑った。
「いいのか? ギブアップしなけりゃお前の勝ちだぞ?」
「子供の遊びじゃぞ。大人気なく勝つ方がおかしいわ」
「子供を容赦なくぶん殴ってるのに?」
「遊びで殺されるのは割に合わんからの」
眼前に手を差し伸べられる。手を出しているのは相手。さっきまで殺そうとも思っていた相手だ。
「それに──お前の強情さには本気で負けじゃ」
──コアンは手を取った。理由……なんでだろうか。あえて言うとしたら──『なんとなく』だ。
「……いいの?」
「さっさと『戦の母』とやらを倒して帰りたいが……子供の夢を潰してまで戦おうとは思わん」
「お情けの勝利が嫌というなら話は別じゃがの」
「……いや、もう良い。感謝する」
「子供らしい喋り方の方が似合っとるのに」
「悪いが──これが我だ」
ネズは少しつまらなそうな顔をしている。
「んだよ……つまんね」
「まだ『戦の母』とやらと戦えぬ訳ではなかろう」
「でもなぁ……」
「待つのも人生の楽しみの一つじゃよ」
「老人みてぇなこと言いやがって」
「ほら。文句言わず、さっさと勝ち名乗りを上げろ」
「はいはい」
戦いは終わった。──勝者はコアン。戦った二人が決めたことだ。その事実を負けることは誰だってできない。
ネズも文句を言いながらも納得した。だからこれでいい。いい……のだ。
「……ありがとう」
「感謝は一回でいい。儂が勝手にしてることじゃ」
「それと……すまない」
「……? 何を謝ることが──」
──コアンは嬉しそうに。悲しそうに。諦めたように。笑った。
「貴方からもらった勝利を……無駄にしてしまって──」
──飛来する音速。見えることのない何かがコアンの頭を──。
「──」
死ぬ覚悟をしていたのだろう。緊張が解けたのだろう。コアンは目を瞑ったまま動かないで立っている。
だが一向に『死』がやってこない。目を開けて居場所を確認する。
──ここはまだ現世。コアンは迅鋭の腕の中にいたのだった。
「……え?」
「──どういうつもりじゃ」
観客の声はピタリと止んでいた。会場は信じられないほど静かに。虫の歩く音さえも聞こえないほど。静寂に包まれていた。
理由は──ある女が出現したからだ。
女は歩く。無音を。静寂を切り分け。コツコツと音を立てて歩く。
──女は拍手しだした。まるで相撲の柏手のような。会場を包むかのような音を。
ゆっくりと歩いていく。歩く先には何もおらず。観客は女を避け、大海を割ったモーセのように歩く。
「──素晴らしいわね。私の一撃を弾くなんて」
──時代遅れのパンチパーマ。背丈の低い中肉中背。しわがれたダミ声。昭和の白黒映画から出てきたかのような顔、体、雰囲気。
女はそんな姿をしていた。悪く言えば『おばさん』、良く言えば『誰が見ても思い浮かべる母親像』といったような。
「褒めてあげるわ」
服装も昭和の主婦のような。焦げ茶色の上着に紫のロングスカート。見たことがない人でも懐かしさを感じる格好だ。
手に持っているプラスチック製の杖……あれが武器か。だとしたらおかしい。どうやって遠くからコアンを攻撃したのか。銃でも中に仕込んでいるのだろうか。
「アンタが幻水迅鋭……なるほど。ネズが褒めるのも分かるわ」
「……そういう貴様が『戦の母』か」
「そう。アタシは──マザー・サイユウ。ここでは『戦の母』と呼ばれているわね」
『戦の母』──迅鋭はマザーに怒りと侮蔑の目線を向けた。
「貴様……この子を殺そうとしただろ」
「そうよ。まさか防がれるとは思ってもなかったわ。初めてよ……初見で、しかも不意打ちで。アタシの攻撃を弾くなんて」
攻撃?と観客がザワザワしだす。──パン。と大きな柏手。また観客の声はピタリと止んだ。
「なぜこの子を殺そうとした。お前が……母親なんだろう」
「まぁね。コアンは私が産んだわ。母子手帳は無くしちゃったけど」
「ならばなぜ──」
「──敵から情けをもらうだけに飽き足らず。勝ちまで譲られる。そんな生き恥を晒しては私の名前にまで傷がつく。だから殺そうとした」
──そんな。そんな理由で我が子を。迅鋭の刀を握る力が強くなる。
心臓の近くにまで差し迫っている死への恐怖。何度も感じたはずの母への恐怖。重なり合った恐怖はコアンを襲い、体を守るための震えを起こす。
──迅鋭の腕が。暖かくて優しい腕が。コアンを強く抱き寄せて安心させてくれる。
震えも小さくなり。肋骨が壊れそうなほど鳴っていた心臓は静かになっていった。
「逆になんでアンタはなんでコアンを助けようとするの?」
「子供は宝じゃ。どんな時代においても希望となる存在。助けるのは普通のことじゃろ」
「偽善もここまで来ると尊敬が出てくるわね」
──マザーは杖を地面に付ける。
「強さは認めるわ。精神性も認めてあげる。──私の前に立つことも」
「傲慢じゃな。王にでもなったつもりか?」
「つもりじゃない。『王』よ。私は『戦の母』であり、ここのチャンピオン。頂点なのよ」
「頂点とは権利の象徴。何をしても。何をやっても。私は許される。私は、何をしても、ね──」
──灰色の影がリングの外から飛び入ってきた。
「なっ──!?」
女だ。灰色の髪を後ろで結んだ女。見たことはない。少なくとも迅鋭は。
女の手にはナイフが握られており、刃先はコアンに向けられている。
完全な不意打ち。戦いの後というのもあり、迅鋭は反応が遅れてしまった。
天井の照明が銀色に反射する。迅鋭が刀を抜こうとするがやはり遅すぎた。ナイフらコアンの首へと──。
──刺さる直前、選手の入場口から大ジャンプする影が一人。影は雷を纏いながら女の方へ落下した。
気配を察知した女は影から離れるように回避する。
「……ふぅん。お仲間さんがいたんだ」
砂煙が晴れ、奥から現れたのは──イヴだった。既にオーバーボルトモードになって交戦準備ができている。
「ごめんねママ。しくじっちゃった」
「使えない娘ね──パルム」
「もー酷いなぁ」
女──パルムは笑いながらナイフを構えた。
「ちょうどいい時に来たなイヴ」
「感謝してもいいけど」
「助かった。お前が居ないと守れなかった」
「……素直なの腹立つ」
「めんどくさいの」
迅鋭はマザーを睨み。イヴは女を睨む。不意打ちは不発。四人は膠着状態に陥った。




