第46話『遊楽にて戯れる』
──縮地。瞬間的に相手との距離を詰める歩法。これは独自のものではなく、様々な流派の武道でも採用されている。
未来においてもそれは健在。身体能力が向上していても殴るためには距離を詰める必要がある。近接武器を扱うのなら決して逃れられない運命。縮地という技法も切っても切れない関係にある。
──だがここに例外がいた。
迅鋭が縮地の応用である『波紋』を使おうとした刹那。目を見張ることが起こったのだ。
──伸びたのだ。コアンが手にしている如意棒が明らかに伸びたのだ。
「──!」
どういう理屈で。どういう原理か。そんなことを考えている余裕などなかった。
これが初見ならば──迅鋭とて必ず当たっていただろう。
しかし迅鋭は控え室にてコアンの一技術を見ている。だったら避けることなど造作もない。
避けながら使用し損ねた『波紋』でコアンとの距離を詰めて剣を振る。
──刀と棒がかち合った。如意棒の収縮が間に合ったようだ。
コアンが足払い。力の勝負ではスーツのない迅鋭では勝ち目がなく。迅鋭は地面に倒れる。
如意棒を縮めながら倒れている迅鋭に叩きつける。
空振り。だが予想していたようだ。立ち上がろうとする迅鋭に蹴りを入れる。
「ぐ……ぅ……!?」
休憩を挟む余裕などなく。コーナーポストに向かって如意棒は振り下ろされる。
間一髪で逃れた。攻撃したいところだが、倒れている状態では十分な斬撃を出すことはできない。生半可な攻撃では反撃されて終わりだろう。
だから体勢を整える。好機を見送るのだ。必ずやってくる最高のタイミングに――。
──離れた。棒の射程距離からも。だがそれは現在の長さの射程距離から。
棒を伸ばしながら横薙ぎ一閃。リング全体に届くほどの長さ。伸縮のスピードが早すぎる。迅鋭も反応が遅れてしまった。
「チィ──!!」
刀を斜めに。滑らせるようにして棒を受け流す。金属の擦れで火花が飛び散り、棒は迅鋭に当たることなく弾かれた。
──だが少なからずその行為によって隙が生まれる。
それを見逃すコアンではなく。全身のバネを使ってジャンブ。前転しながらかかと落としを放った。
控え室でアビドスから話を聞いた。どうやらリングの床は特殊な素材で作られてるらしく、硬さとしなやかさ、そして強度がかなりあるそうだ。
その強さは『大砲を至近距離から発射されても無傷』だそうで。眉唾にも思えたが、実際に立った迅鋭は床の『強さ』を身をもって実感している。
確かに床は硬い。そしてしなやか。そして強い──はずだ。
──そんな床にヒビが入っている。動かなければ直撃していた。想像するだけで下半身が震えそうになる。
弱音を飲み込んで次なる攻撃の対処へ。
コアンは刀の射程に入らないように如意棒を振り回す。縦、横、下。棒を回転させて次の攻撃を予想させない。
上へ下へと流して攻撃を捌く。
──少し離れて地面に如意棒を突き刺した。
固定した棒を掴んでジャンブ。顔面に向けてドロップキックを放つ。
「ぐっ、づ──!?」
刀で防ぐ──も、端まで蹴り飛ばされた。
そこへ追撃。棒を伸ばして脳天に叩きつける。
避ける──が、横への薙ぎ払いまでは避けきれず。寸前、刀で防ぐも、また端まで叩き飛ばされる。
「づ……!!」
好機──。如意棒を縮ませながら接近。迅鋭に棒を振り下ろす。
横にステップでこれを──。
「──」
──コアンは迅鋭から目を逸らしていなかった。
片方の手に握られていたのは球体。その色。その形は見たことがある。あの控え室で見た如意棒──。
──球体が膨張。射出された如意棒は迅鋭の顔面を貫いた。
「ぐぶォ──!?」
鼻から大量に出血。顔面の骨にヒビが入る。
「く……そっ──」
──コアンのターンは終わらない。
二刀流へと変貌したコアンの連続攻撃。短くなった棒による連携。小回りの利いた棒術は防ぐだけでも手一杯だ。
とにかく離れなければ──後ろへ下がれない。足を踏まれている。
「逃がさぬ」
刹那のタイミングで晒した隙。そこへ如意棒の一撃を──防いだ。だが棒は二本ある。
──脳天に一撃。下がった体へ腹部に膝蹴り。迅鋭は血反吐を吐きながら吹っ飛んだ。
「か──ふっ──」
意識は──飛んでいない。なんたるタフネス。なんたる耐久力。しかしノーダメージなどでは決してない。
詰まった息。頭から流れる血が視界に入り塞ぐ。痛いのは頭よりも首。酷いむち打ちになったようだ。
「ふヴ……ふ──」
呼吸を整えさせる暇など与えない。瀕死の相手を見逃すほど余裕もない。コアンは今度こそ頭部に向けて如意棒を──。
「──っ!?」
──その時。右耳に鋭い痛みが走った。
優しく触れる──痛い。耳に切れ込みが入ったようだ。
どのタイミング──ついさっき。迅鋭に膝蹴りをしたタイミングだ。
迅鋭は蹴られながら『水弾き』を放っていた。引き気味に放っていたので狙った場所からは外れてしまったが……当たっただけ良しとしよう。
小さいながらも突き刺すような痛み。耐えて迅鋭の方へ攻撃しようとする──が、そんな悠長なことをしている間に迅鋭は復活した。
「ふぅ……チャンスを逃したな」
「……強がるな。優勢なのは我の方だ」
「そうじゃな。儂は追い詰められとる。いやはや、予想よりもお主が強くての。今回も峰打ちで終わらせようとしたんじゃが……少々キツいな」
「……ならば今までのは本気でなかったと?」
「当たり前じゃ。子供と戯れるのに最初から本気を出すやつがおるか」
血を流しながら。骨を折られながら。まだ本気を出していない、とのたまう。
虚勢か。その方が納得できる。むしろ本当に本気を出していない方がコアンにとっては怖い──。
「──次は本気じゃ」
──刀を逆手に。前へと突き出す。構えが先程と違う──それだけじゃない。威圧感も変わった。
……本気じゃない、という言葉は本当のようだ。
「……まぁよい。殺す気になったのなら我としても本望──」
「──いや。殺す気はない」
──まだ。この期に及んで。
「貴様……」
「不殺……とまではいかぬがな。儂はもう意味もなく人は殺さん。決めたんじゃ」
「……この場で我を殺す。それは意味の無いことだと言うのか」
「あぁ。無意味だ」
「無意味……か」
──その言葉はコアンの怒りの点を貫いた。
このリングで何度も戦った。何度も、何度も。その中で殺人を犯してしまったこともある。
全ては母に会うため。母の前に立つため。母に認められるため。母に──愛されたいため。
それが無意味だと。幻水迅鋭。この男は無意味と言った。
「無意味……か……!!」
どれだけの犠牲を。十四の年月を戦いにつぎ込んだのだ。それを無意味と。無意味と断定した。
「……? 何をそんなムキになっとる。当たり前じゃろ。こんな遊楽で殺す殺さないの話になる方がおかしいんじゃ」
「遊楽だと!? 我──私はその遊楽に命を懸けてる!! 他の……他の奴らだって!! ママだってそうだ!!」
「それがおかしいと言っとるんじゃ」
怒っている。憤慨している。迅鋭に。自分の全てを否定している迅鋭に。──心の底で。図星だと分かっているから。
「っ……なら黙って死ね。その遊楽でお前は死ぬんだ!!」
──迅鋭は遠くにいるネズを睨みつけた。ネズはそれに手を振って応える。
「歪んだ子供を矯正するのは大人の役目じゃ。──来い。黙って欲しいなら実力で黙らせてみよ」




