第44話『とても可愛い宣戦布告』
「──イヴの姉貴。さっきは舐めた口を叩いてすみませんでした」
「構わん。それよりジュース」
「は、はい」
戦っていた時の狂気はどこへ行ったのやら。もう完全に子分と成り果てている。イヴも親分感が様になってきたようだ。
「親分もなにか飲みますか!? なんでも買ってきますよ!」
「儂はいい」
「そうですか……」
「何やってるの。早く肩を揉みなさい」
「はいただいま!」
シュバっとイヴの元へ移動。絶妙な力加減でイヴの肩を揉む──あまりの上手さに顔が緩んでいた。
「この短時間で随分と子分根性が染み付きましたね」
「イヴは親分感が染みついてもうとるわ……ロア殿が見たら悲しむぞ……」
でもイヴも幸せそうで、アビドスも目をキラキラさせている。これでよかったのかもしれないな。
──なんて思ってた時。控え室のテレビに予定が追加された。
「──あ、親分! 親分の試合が追加されましたよ!」
「えっと……次の迅鋭さんの相手は──」
そこに書かれてあったのは──。
『幻水迅鋭VSコアン・サイユウ』
という文字であった。
コアンという名前に聞き覚えがあるのか。迅鋭とイヴ以外の二人は石像のように固まるほど驚いていた。
「……儂の相手。誰か分かるか?」
「分かるもなにも、とんでもない相手ですよ……」
「そんなに強いの?」
イヴが聞き返す。
「コアンの二つ名は『斉天大聖』。伸縮自在の棒を駆使して戦う少女で、強さは『戦の母』にも匹敵すると言われています。現状、最もチャンピオンに近い存在です」
「戦闘記録は百七勝七敗。連勝記録も『戦の母』に次いで二番目に多い……いくら親分でも二戦目で『斉天大聖』が相手だなんて……!」
「──分が悪い、かな? アビドスよ」
──破裂にも似た音を立てて扉は蹴破られた。
「なっ──コアン!?」
「いかにも。我こそがコアンであるぞ」
入ってきた少女にその場にいる全員が顔を向ける。──『斉天大聖』コアン。ついさっき画面に名前が出てきたばかりの少女だ。
「負けた途端に相手の軍門にくだる……情けない姿だな」
「それは否定しない。俺もお前の立場ならそう思うと思う。……で、なんの用だ」
「お主には用はない。用があるのは──」
──幻水迅鋭。そう言いたげに顔を向けた。
「警戒はしなくてよい。場外乱闘は性にあわん。ただ戦いの前に顔を見合せたくてな」
「……ませた娘じゃな。子供のくせに大物ぶった喋り方をしよって」
「これが我だ。個性と受け取ってくれ」
「未来には変な奴が多いの……もう慣れたが」
迅鋭は立ち上がりコアンと対面する。二人が立つと意外と身長差があった。コアンの前では迅鋭が大男に見える。
──のだが。コアンは迅鋭の頭らへんを見てフッと笑った。
「こうして見ると思ったより背が低いな。もっと大きいかと思ったが」
「あ? チビがよく言うのぉ」
「我はまだ十四と二ヵ月。これから成長していく。お主は……もう期待はできまい」
「お前……」
皮肉の混じった煽りに迅鋭も少しずつ怒りを溜め込んでいく。
それを『隙』と取ったのか。それとも煽り目的か。コアンは動いた──。
──どこからともなく取り出した棒をコアンが薙ぎ払った。
誰も反応できない。迅鋭以外は。
──迅鋭は最小限の動きで棒を回避。ほとんど通り抜けるかのように棒はコアンの真横まで振り払われた。
「……物騒だな小娘」
「これを避けるか」
棒は一瞬にして収縮。球体となってコアンの手の中に収まった。
「コアン! てめぇどういうつもり──」
抗議しようとするアビドスを迅鋭は静止する。
「──今までの非礼。謝罪させていただく」
深々とお辞儀するコアン。
「戦う前に技量を見ておきたかった。挑発されても冷静。そして不意打ちにも対応するほどの警戒心──お主のような猛者と戦えること、心から感謝しようぞ」
「……気味の悪いガキじゃな」
少女らしい可愛い笑みを見せつけながら部屋を後にする。
「それじゃあ。リングの上で──」
コアン特有の緊張感から開放されたユダたちは地面に座り込んだ。
「こ、怖かったぁ」
以前にコアンの戦いを見たというのもあるのだろう。だからコアンの強さを知っている。自分たちでは叶わないということも。
故にまったく強さを知らないイヴは平然としていた。
「あの子……私より年下だった」
そんな緊張感の欠片もないようなことを言う余裕まである。
「……や、やっぱり親分はすげぇ。コアンの不意打ちを簡単に躱すなんて」
「部屋に入った時から攻撃したそうにしとったからな。ただ手の中から棒が出てくるとは思わなかった。あれはなんじゃ?」
「斉天大聖専用の武器『如意棒』。自分の意思で伸ばすことも、縮めることもできる伸縮自在の棒です」
「専用? 武器は事前に備えられとるものしかダメとか言っとらんかったか?」
「上位層になってくると、固有の武器を作ってくれるんですよ。なにやら裏社会でも有名な武器製造人がいるらしくてですね。その人に頼めば表では流通していない武器も作ってくれるとかなんとか」
「……ほう」
少し不公平な気がするが……コアンの実力ならば、そんな不公平が許されるのだろう。
──気が乗らなかったブラッドバトルだったが、コアンには少し興味が持てた。そしてコアンより強いであろう『戦の母』にも。
薄暗い廊下をコアンは歩いていた。目指すは元いた場所。選手控え室五号──のはずが。コアンはその扉を通り過ぎた。
歩いて。歩いて。歩いた先は──奥の扉。どこにも属さないその部屋には──『チャンピオン控え室』と書かれてあった。
「……」
コアンは扉を開く。
中は控え室よりも広く。それでいて豪華。照明も、机も、鏡も、床でさえも。部屋を構成する全ての物がそこにいる者の価値を表していると言ってもいい。
だからコアンは入るのに少し躊躇した。──それでも息を飲んで足を踏み入れる。
「……あと一勝。それで……私は貴女に届く」
空気が違った。雰囲気が違った。圧も。オーラも。コアンが出会ってきた全ての者から隔絶している。
声が震える。恐怖からだ。体が震える。恐ろしさからだ。目の前に。目と鼻の先にいるはずの。その女を怖がっているからだ。
「だから……その時は──」
「──『私を娘と呼んで?』かい」
──女の声はあまりにも低音で。聞く者全員を怖がらせる。コアンであっても例外ではない。
「バカ言うんじゃないよクソガキ。たかが十四のガキが私と並んだつもりかい。百年は早いよ」
「っ……なら、貴女を下して、貴女に認めてもらう」
ふぅん、と女は笑うようにコアンを見つめる。
「大きく出たわね。それくらいは言ってくれなきゃ、私の娘は勤まらないだろうけどさ」
「期待せずに待っとくよ。──どうせアンタは私のところへは来れないからね」
「なっ、なんで──」
「宣言が済んだならさっさと出ていきな。私の機嫌がいいうちにね」
「ぅ、ママ──」
──コアンの横をなにかが通り過ぎた。それは鋭く。早く。コアンの頬を軽く切り裂いた。
「……聞こえなかったかい?」
「……わか……りました」
次は頭を狙われる。そう感じたコアンは部屋の扉を閉めた。泣きそうな顔をしながら──。
──帰りの道中。コアンは一人の女性とすれ違った。
「──期待でもしてた?」
「……ちょっとだけ」
「あの人に情なんてあるわけないでしょ」
「でも……信じたいじゃん」
女は軽く笑った。
「まったく、誰に似たのやら」
「……」
コアンは自分の控え室へ足を運ぶ。
「じゃあね。お姉ちゃん」
「頑張んなさい。応援してるわよ」
女は去ってゆくコアンに手を振っていた。コアンは一切気が付かず。もしくは無視して部屋へと入っていった──。




