第38話『最初の難関』
バターを敷いたフライパンに解いた卵を入れて優しく伸ばす。溶き卵にマヨネーズを入れるとふわふわ感もアップだ。
いい感じに焼けてきたらフライパンから卵を外して──用意していたチキンライスの上に乗せる。これぞ皆が大好きなオムライス。
「ふふーん。いい感じにできた」
金色に輝く半熟の卵幕。甘い匂いが食欲をそそり。ケチャップをかければ見栄えまで良くなる。これほど完成された料理は他にあるか。
「迅鋭も喜んでくれるかな──」
そんな感じで料理をしていた時。ロアのスマホに電話の通知がやってきた。
通知の主はイヴ。なんだろうと思い電話に応答した。
「もしもし。どしたの?」
『ロア? 今日はちょっと遅くなるから』
「遅くって……友達と遊んでるの?」
『まぁそんな感じ』
はいそうですか──と素直に納得できるほど、イヴとの関係は浅くない。さっきのおねだり。そして駐車場から聞こえてきた駄々をこねて暴れていた音。
両方合わされば怪しさは倍増。もしかすれば悪いことをしているのかも。なんて思ってしまう。
『迅鋭がさ。どーしてもデット・デックスを見てみたい、とか言うからさ。友達の家でシリーズを観てるの』
「デットなんちゃらのビデオは家にあるでしょ」
「あ、えっと……と、友達も紹介したくて。ほら迅鋭だって若い女の子とも仲良くしておきたいだろうし」
「ふーん……ほんとに?」
『ほんとだよ……ほんとほんと』
怪しい。やっぱり怪しい。怪しさ満点だ。ミステリー物なら怪しすぎて逆に犯人じゃないくらいには怪しすぎる。
「……悪いことしてないでしょうね」
『し、してないよー。フライヤーの仕事以上の悪いことは』
──怪しいことには変わりない。だがまぁイヴも高校生だ。隠し事の一つや二つくらいはあってもいいだろう。
それにイヴの言ってることが本当ならば迅鋭が一緒にいる。なら多少危ないことをしたとしても安心だ。
「はぁ……遅くならないようにね」
『――はーい! ロア大好き!』
「ご飯は? 外で食べてくる?」
『うん。友達の家で食べるよ』
「それは悪いわね。また今度お礼しなくちゃ」
『え!? お礼!?』
「……なに焦ってるの?」
『あ、焦ってなんかないよぉ。私からお礼は言っておくから。ロアは……しなくていいよ』
「そう? じゃあ失礼のないようにね」
『はーい。それじゃまた』
「気おつけてね」
電話は終了。──ふと小さかった頃のイヴを思い出す。
遅くとも六時には帰宅していたイヴ。あの子が夜まで遊ぶなんて。大人になったなぁ、と思う反面、どこか悲しさがやってくる。
──そんなことを思ってはいるがやっぱり怪しい。絶対に何かを隠している。
「心配ねぇ……」
とは思ってもできることなんてなく。そう呟くくらいしかロアに出来ることはなかった。
──ロアの考えは的中。イヴは今まさに『悪いこと』をしようとしていた。
「──これで完璧」
メルトホテル。ヴォッシュが言うにはこの地下に裏カジノがあるらしい。
「あー痛い……痛いわ……」
「いつまで言ってんの。行くよ」
「お前……後でロア殿にチクってやるからな」
「そうなれば共犯だね。説教は仲良く一緒に受けよう」
見た目は普通のホテル。見上げるほどの高さ。エントランスはホテル特有の特別感があり、黒いソファに机と、ホテルらしい家具が揃っている。
特徴は特になく。本当にただのビジネスホテルだ。間違ってもカジノなんかがあるような感じはしない。
「ここに本当に賭博場があるのか?」
「ヴォッシュが嘘をついてなかったらね」
イヴは迷うことなく一直線に受付のところまで歩いていく。ちょうどカウンターには美人めなお姉さんが立っていた。
「こんにちは。どのようなご要件で?」
「……」
「……? ど、どうかなされましたか?」
イヴは黙ったまま後ろを向く。
「……バカ侍が合言葉を言って」
「は? 儂が? なんで?」
「その……あんな言葉を言うの恥ずかしいし」
「……ほう」
──攻守逆転。今のところ迅鋭がイヴの言うことを聞くメリットはない。むしろここまで無理やり連れてこられたのだ。やり返すなら──今しかない。
「儂は別に賭博場なんぞ行きたくないからのぉ。このまま帰っても良いし? お主が恥ずかしさを我慢して言うのも一興……か?」
「う……ずるい」
「ずるくなどないぞ。無理くり連れてこられた儂のことも考えるべきじゃと思うが」
「ただ? お主がちゃーんと儂に『すみませんでした。お願いします』と言えたら? 儂が言ってあげてもいいんじゃがなぁ」
ここぞとばかりに詰め寄る迅鋭。イヴは顔を真っ赤にしながら悩み抜き──『お願い』をすることにした。
「ご……ごめん」
「ダメじゃ。謝罪はちゃんとするんじゃ」
「……髪を掴んですみませんでした」
「はい次」
「……やって」
「やって? 『やって』とお主は言ったのか?」
「……やってください」
「今回の場合は『私じゃ合言葉は恥ずかしくて言えないので、どうか私の代わりに合言葉を言ってください』ではないのかか? ん?」
「……私じゃ合言葉は恥ずかしくて言えないので、どうか私の代わりに合言葉を言ってください」
「そんじゃ今言ったことを連続で」
「む……髪を引っ張ってすみませんでした。私じゃ合言葉は恥ずかしくて言えないので、どうか私の代わりに合言葉を言ってください……」
「──よく出来ました」
大人気なくやり返せて迅鋭もニッコニコだ。受付の人は若干引いた顔で二人を見ているが問題ないだろう。多分。
そんなわけで再トライ。次は迅鋭が受付の人に話しかける。
「えっとなんじゃったっけ……あぁそうだ。おほん。『──我はホムンクルス。永劫の金に魅入られし者。この我を那由多の渦に沈ませたまえ』……で合っとるか?」
「……」
「……あ、合っとるか?」
……受付の人は何も言わない。真顔のまま突っ立っている。
さすがの迅鋭も無言のままだと恥ずかしくなってきた。後ろにいるイヴも共感性羞恥をモロに喰らっている。
「……何か間違えたかの儂」
「合ってると思うんだけど──」
──バチン。と大きくて下品な指パッチンが。この美人さんがやったとは思えない音と同時に──なんと背後の壁が割れて下へ続く階段が出てきたのだ。
「──ようこそおいでくださいましたお客様」
声色が変わった。謎の緊張感が二人を襲う。
「……あの」
「どういたしましたか?」
「なんでちょっと間があったんですか?」
「その……失礼なのですが、御二方がお金を持っているようには見えなくて。イタズラかと思って固まってしまいました」
「はぁ……」
言われてみればそうか。カジノなどは金に余裕のある者が楽しむ道楽。必然的にお金持ちの人間が多くなるのだ。
イヴは私服。迅鋭は袴。どっからどう見てもギャンブルを楽しむ格好ではない。受付の人が間違うのも無理はないだろう。
「ですが──合言葉を言ったからには裏カジノ『グランドフィナーレ』へ行く覚悟はあるのですね」
「あるよな?」
「もちろん。デット・デックスのためならどこまでも」
「らしいぞ」
「分かりました。では案内しましょう。黄金が蠢く光の世界へと──」




