第37話『イヴのおねだり』
「──小遣いか? 儂は貰っとらんぞ?」
迅鋭は何事もないかのように言った。
場所は駐車場。車の点検をしているヴォッシュを手伝っている迅鋭のところへイヴはやってきていた。
期待を胸に込めて向かった──のだが、返ってきたのは無慈悲な一撃。イヴにとって最悪な答えであった。
「──へ?」
「あれ? お前貰ってないのか?」
「あぁ。儂は使わんから──」
──言い終わる前に掴みかかる。
「な──なんで貰ってないの!?」
「いた、痛い痛い。苦しい」
ヴォッシュに離されながらも諦めきれないイヴ。粘りに粘って迅鋭に迫った。
「居候の分際で銭まで貰うのはさすがに悪いじゃろ。それに儂はまだ未来の金勘定が分かっとらん。使わん銭を持っておくくらいならロア殿が自由に使うべきだと思って」
「──ば、ばかぁ!」
砂の交じったコンクリートの地面に大の字で寝っ転がる。
「その感じ。ロアとカレンにも断られたな」
「……断られた」
「何に使うか予想はできるが、まぁ今回は諦めるんだな。俺も余裕はないし──」
「──やだ! やだやだ! やだやだやだ!」
子供がおもちゃコーナーで癇癪を起こすように。手足をバタバタと暴れさせる。行動はもうそのまんま子供のようだ。
誰にも見られない場所とはいえ、見ている2人が恥ずかしくなってきた。
「お、落ち着かんか……」
「暴れるな暴れるな地面壊れるだろ」
「やだ! やだー! 映画見たい見たい! 特典も欲しい!! ほーしーい!!」
「何歳だよ……暴れてもお金は出ないぞイヴ」
「欲しい欲しい欲しい欲しい! お金お金! 映画が見たいのー!」
勢いは止まることを知らず。イヴの強烈なおねだりは砂埃を巻き上げていく。
「……昔からこんななのか?」
「イヴはデット・デックスのことになると別人のようになるからな。この状態になったイヴはテコでも動かないぞ」
「……儂の子供もここまで酷くはなかったぞ」
細かく飛び散る破片が顔にかかって痛い。長時間にいるとお肌が悪くなりそうだ。
「こらイヴ。高校生になったんだから、それはやめなさい」
「やーだー! デット! デットデット! デットが見たい! デットが見れないと死んじゃう!」
「ほら」
「ほら、じゃなかろう。こういうのはきちんと叱らないと子供は理解せん。変に甘くするからこうなるんじゃよ」
「子育て経験のある奴に言われると説得力あるな」
「でも俺は叱るのとか苦手なんだよ……あとこの状態のイヴに近づける度胸がない」
イヴは見た目にそぐわずパワーがなかなかに高い。ばたつかせている手足にぶつかりでもしたらタダじゃ済まないだろう。特に迅鋭はそうだ。
「お金だってあげられるならあげたいんだけどな……」
「甘やかすのはいかんぞ。放置してれば疲れて癇癪もやめるだろう」
「そう言われても──」
──あ。脳裏に浮かぶ一つの案。昔に行ったあの場所ならイヴの要望を叶えられるかもしれない。
「──そうだ。おーいイヴ」
暴れるのを止めてヴォッシュを見つめる。
「お金は渡すことはできん。でもお金を稼ぐことならできるぞ。それもすぐにな」
──ニヤリと笑うヴォッシュにイヴは飛びついた。
「──大好き! さすがヴォッシュ!」
「ははは……迅鋭。後で地面直すの手伝ってくれ」
「仕方ないのぉ……」
イヴが駄々をこねていた地面はボッコボコにくぼんでいた。直すのに苦労するのは誰の目から見ても明らかだろう。
そんなヴォッシュの苦悩も考えることなく。イヴは迫る。迫りながら聞く。
「で? で? どうやったらお金もらえるの!?」
「メルケール通りにあるメルトホテルは分かるか?」
「うん! 分かるよ!」
「あそこのホテルの隠された地下にはな──大きなカジノがあるんだ。一回だけ同僚と行ったことがあってだな。結構稼がせてもらったぞ」
「……賭博かぁ」
──思ったよりも非現実的な提案に肩を落とす。
「お金がない! あと未成年! 私は入れない!」
「まーまー待て。話は最後まで聞け」
ブーブーと口を鳴らすイヴを止めながら話を続ける。
「あそこは裏カジノだ。つまり──日本国憲法は通用しない」
「……何が言いたいの?」
「年齢制限ってのがないんだよ。ゆりかごに入った赤ん坊でも入ろうと思えば入れるんだ」
「おお! ……でもやっぱりお金はないよ。元手がないとギャンブルもできないじゃん」
「それも安心しろ。──イヴに最適なゲームが一つある」
また悪どい笑みを出しながら話し出す。
「──『ブラッドバトル』。リングの中で相手とぶん殴り合い、最後まで立っていた方が勝利。これは元手も要らないし一回勝つだけで大金を得られる」
「私にピッタリじゃん!」
「それ危なくないかの?」
盛り上がってるところへ入る迅鋭。だが至極当然な心配だ。いくら強いとはいえ、まだ十五歳の少女がやるようなことでは無い。
それに場所はカジノ。悪い大人がいっぱい居る場所だ。無知なイヴが行ってしまえば利用される可能性も大いにある。
「そりゃあ危ないさ。ロアに言っても許さないだろうし、俺も普通なら許さないな」
「普通なら……?」
「そうだ。だからイヴ。行く場合には一つ条件を呑んでもらうぞ」
「呑む呑む! 呑み干す!」
──ヴォッシュは迅鋭に指を指した。
「──お前だ迅鋭」
「……?」
「お前が一緒に行くこと。それが条件だ」
「……は? 儂? 儂がか?」
「そう」
キョトン。という言葉が似合う顔をしている。迅鋭、そしてイヴも。
「……なんで?」
「どれだけ強くてもイヴ一人じゃ心配だ。でも俺がついてったところで約立たずだし意味ないだろ。カレンも同じ。ロアも戦いには約立たないし、まず行くことを許さない。──だから迅鋭だ」
「儂を連れてったところで、知識もないし意味無い気が──」
「──よし分かった!」
──迅鋭の後ろ髪を掴む。
「は、ちょ、痛い、痛いぞ!」
「そこは安心しろ迅鋭。店の人に聞けば大体のことは教えてくれる。最悪の場合は暴れて逃げろ。あそこ普通に違法な場所だから警団連にゃ捕まらん」
「それ全然大丈夫じゃな、痛い痛いわ!!」
ズルズルと引きずっていく。目指すは裏賭博場。メルトホテルは二年ほど前にロアと泊まりに行ったことがあるので覚えている。その時にはカジノがあるとは思っていなかったが。
「じゃあ迅鋭。イヴをよろしく頼んだ。──あ、合言葉があるの忘れてた。エントランスの受付に『我はホムンクルス。永劫の金に魅入られし者。この我を那由多の渦に沈ませたまえ』って言うんだぞ。忘れるなよ」
「合言葉ながいな……って待て!? 儂は行くとは言ってな──やめ、やめんか! 禿げるわ!!」
新人の意見は通りにくいのが会社というもの。年齢など関係なく。下っ端の迅鋭は先輩のイヴに振り回される。
──そんな様子をヴォッシュは意味深な顔で見ていたのだった。
「あんまり遅くならないようになー」




