第29話『侍は遅れてやってくる』
「──」
──手がある。足がある。体がある。呼吸もしてる。
まだ生きている。……なんで? なんで生きている。避けることなどできなかったはずだ。ましてや相手が自分のことを見逃すわけがない。
じゃあなぜ。なんで。──視界が徐々に晴れていく。感覚が徐々に戻っていく。
暖かさ。それと安心感。まるで祖父に抱き抱えられているかのような感覚がした──。
「──起きたか。雷娘」
目の前に──迅鋭がいた。
「……」
「よかった……生きてるな。儂はまだ仕事がある。もう少し眠っててもいいぞ」
「……ん」
素直にイヴは目を閉じた。『死ぬ』なんて言葉はどこへやら。イヴの頭には暖かな感情で埋め尽くされていた。
──イヴを置いて立ち上がる。
「──痛そう、じゃな」
──デクスターは片腕を失っていた。隠れていた灰色の機器が丸見え。あったはずの右腕は地面に落ちていた。
奪った主はもちろん迅鋭。イヴに気が集まっている間に不意打ちでデクスターの腕を切り落としたのだ。
運のいいことに、イヴを掴んでいた腕は迅鋭が半分ほど斬っていた腕。もう一度ダメージを与えれば切り落とせるほどには消耗していたようだ。
「未来のカラクリは痛みを感じるのか?」
「……痛みなど……感じない」
「じゃが儂の前にも随分とやられたようじゃな」
煽るように。嘲笑うように。迅鋭はデクスターへと言い放った。
余裕そうに喋る迅鋭だが、決して軽傷なんかじゃない。
右腕は指先から前腕に至るまでの骨が全て骨折。腕だけでなく肋も三本。その他を含めると十本以上は折れていた。
「……ロア・カミリン……と……ハク・ネテル……を差し出せ」
「しつこいのぉ。ロア殿は確かに魅力的な女性じゃが、しつこい男は嫌われるぞ?」
それでも余裕そうにしているのは──迅鋭が『侍』だからである。
痛みに耐え、歯を食いしばり、それでも戦うことを美徳とし、なおかつそうしなければ生きていけない時代だったからである。
「邪魔……するなら……排除する!!」
──残った腕を変形。剣にして斬りかかる。
最初の時のスピードと超反応が無くなっていた。もはやカカシ。度重なるダメージを負った迅鋭でも見切れる速度だ。
避けてのカウンター。装甲に発生してある亀裂に刀を突き立てる。
「ぬんッッ──!!」
──頭突きで刀を押し込んだ。どうやら刺した部分は重要な場所だったようで。デクスターは電気を漏らしながら、もがき出した。
刀を引き抜く。もう放っておけば壊れそうだが──ダメだ。完全に壊さなくては気がすまない。
上段の攻撃。──流れるように中段への横薙へ。──と思いきやいつの間にか首元へ。
不規則。それでいて瞬速。逃げ道はいくらでもあるはずが、『次はどう来るか』という思考に固定され、防ぐことしかできない。
機械であるはずのデクスターであっても術中にハマり、迅鋭の攻撃を防ぐことしかできていない。その技の名は──。
「──幻水流『飛沫』」
アイ、アルク、イヴ。三人によって外殻はダメージを大きく受けていた。そこに迅鋭の斬撃──。
スクラップ寸前にまでデクスターは追い詰められていた。
「わた……せ……」
──腹に斬撃。
「わた……せ……」
──腕に斬撃。
「わた…………せ……」
──頭に斬撃。
それでもデクスターは膝をつかない。踏ん張って。ボロボロになりながらも使命を果たそうとしていた。
「……アッパレと言うべきじゃな」
──そんなデクスターの姿に迅鋭は心の底から敬意と言える感情を浮かべていた。
敵ながら命令を遂行しようとする意思は尊敬する。過去から来た迅鋭は『機械とはそういうもの』というのを知らない。──だが知ってたとしても敬意を払っていたただろう。
「──せめてこの技で葬ってやろう」
──持ち方を変えた。握るのではなく、人差し指と中指で挟み込むような持ち方だ。そして指を猫科の動物の爪の如く。力を込めながら折り曲げる。
刀を持つ右腕を左側へ。できる限り後方へ下げる。
「幻水流……奥義──」
意識を取り戻したアルク、そしてアイは迅鋭とデクスターの戦いを見ていた。
「生きてたのか……焦らせやがって」
生きていた。一応は敵のはずなのだが、ちょっとだけ安心する。
──アイは少し違った。迅鋭のこれから出す技に『恐怖』を抱いていたのだ。
(なに……何をする気なの……)
それは猫が持つ野生の勘と言うやつか。本能というものか──。
込める。ただ込める。ただひたすら込める。力を。全身のバネを使って放つ奥義のために。
手の甲に浮かび上がる血管。膨張する前腕の筋肉。息を吐く時はゆっくりと。息を吸う時は一気に──。
踏み込む。全神経。全筋肉。全存在を込めて踏み込む。狙うは首。放つは刀。重さによる遠心力と、自前の筋肉によるパワー。掛け合わさった時の剣速は目にも映らない。
何一つない海。波紋一つない湖。魚がおらず、風も吹いていない池。まるで一本の線のごとく。全てを反射する鏡のごとく。自然を冠したその奥義の名は──。
「──『鏡面の波』」
──剣は──デクスターの首を──通り抜けた。
落ちる。あれだけ重かったはずのデクスターの体が地面に落ちる。
切れた頭はボーリング玉のようにゴロゴロと転がり、瓦礫の場所で止まった。
「……」
戦いの終わりは静寂に。豪邸での死闘は──迅鋭たちの勝利で終わった。
「──終わったか」
──迅鋭の刀。『桃』は刀身の真ん中辺りから真っ二つにへし折れていた。奥義に耐えきれなかったのだ。その前から刃こぼれもしていたので、壊れてしまうのは仕方ない。
「ヴォッシュに謝らんとな」
そういうと迅鋭はアルクの方へと歩いて行った。
「無事か?」
「そう見えるか……?」
「いいや見えない。意地悪なことを言ったな。悪かった」
「そう思うなら……さっさと……リベンジマッチだ……」
フラフラと流血したまま立ち上がろうとする。──迅鋭はため息を出して蹴り倒した。
「馬鹿。無理に決まっとろうが」
「……あークソ。動けねぇ」
「よう頑張ってくれたの。ロア殿が逃げる時間稼ぎもしてくれたんじゃろ?」
「別にそんなんじゃねぇよ。依頼主のついでだ」
「でもしてくれたのは事実じゃ。……感謝する」
「……腕切り落とした奴に言われても嬉しかねぇよ」
「そうか?お前も儂の右手粉々にしたんだし、おあいこじゃろ?」
「どこがだよ」
……同時に笑い出す二人。殺し合いをしていたとは思えないほど爽やか空間だ。──そんな二人に割って入るようにアイが飛び込んでくる。
「──私を抜いて楽しそうな話をするにゃ!」
「……なんじゃお前」
「黒猫のアイだよ! アンタとは初対面だったわね」
アイ。アルク。アイ。アルク。と、二人を交互に何度も見る。
「……娘か?」
「あー……実は姉なんだ」
「姉!? 何歳!?」
「二十六歳だよー。意外でしょ? よく若く見られるんだにゃん♡」
「……二十六歳で……にゃん……じゃと?」
「おい。それ言うな」
「すまん」
あまりのマジトーンに思わず謝ってしまった。
「……ま、まぁ。とにかく一件落着。さっさとロア殿を連れ戻して、カレンやヴォッシュとも合流するかの」
「俺らも重症だ。できれば連れてってくれ」
「つーれてってー」
「バカ言うな片手しか使えんのじゃぞ儂」
そんな気の抜けた会話をしていた時。飛ばされたデクスターの首から──声が聞こえてきた。
「──幻水桃」
──ピクリと。迅鋭が反応する。
「……おい。お前。なんでその名前を知っている」
「……? どうした?」
デクスターの顔がピカピカと赤く光っていた。
「やはりか──やはりお前だったか幻水迅鋭。先に名前を聞いておくべきだったな」
──迅鋭はデクスターに掴み掛った。
「お前──なんでその名前を知っている!! ここは三百年後の未来だろ!? 俺は有名じゃないんだろ!! なら──なんで俺の妻の名前を知ってるんだ!?」
デクスターは変わらずに赤いマスクのまま。顔の奥で赤い光がピカピカと点滅している。
しかし──迅鋭、アイ、アルク。そして意識を取り戻したイヴ。彼らの目からはデクスターが笑っているかのように見えた。
「なるほど……なるほど。あぁ最高だ。このような手間をかけた甲斐があった。これで……これで──」
「答えろ!! 答えろカラクリ!!」
「安心しろ。直にわかるさ」
もはや今のデクスターは機械とは到底思えない。それほどまでに。デクスターは人間のように笑っていたのだ。
「お前が受ける地獄を楽しみに見てるとするよ──幻水迅鋭」
音は完全に消え去り。デクスターの機能は全て停止された。
「……くそっ」
悔しそうな顔をして立ち上がる。
「……大丈夫か?」
「……あぁ」
迅鋭は血が滲み出てくるほど。拳を握り締めていた。




