第24話『白い弾丸は地に落ちる』
弾いた蹴りは威力を落としながらも壁を叩き壊した。直撃すれば──なんて考えなくても分かるだろう。防げたのは迅鋭にとっても予想外だった。
「若いっていいのぉ。もう少し歳を取ってたら今の蹴りで終わっとったわ」
「そうか、それは残念だったよ」
イラついている。それでいて怖がっている。目の前にいる男の得体がしれない。普通なら簡単に仕留められるはずが、むしろ押されているのは自分だ。下手すればこのまま──。
──考えるのはやめだ。頬を叩いて気合いを入れ直す。
「次で終わらせてやる」
迅鋭は『水斬甘雨』を納刀。別にアルクを舐めているわけじゃない。ただ単にその場は一刀流の方が適しているというだけだ。
「──楽しみに待っておこう」
──最後の攻防が始まった。
先手はアルク。ジャブ並の速度で放たれるストレート。フック。からのアッパー。普通の人間ならば見切るのも困難だろう。
だが迅鋭は普通ではない。軽く躱して首を斬り落としにかかる。
──避けた。体を屈めて避ける。溜めた力を解放するように。鳩尾に向かってかち上げるような後ろ回し蹴りを放った。
──迅鋭も避ける。回るように攻撃を避け、反撃にかかった。
目まぐるしく変わる攻撃と回避。スピードはアルクが上。だが迅鋭はその差を経験と技術で補う。
「っぁ──!!」
アルクの攻撃を回避。今度こそは、と首を目掛けて剣を振るう。
──手の甲で防御。すかさずのカウンターはギリギリで回避された。
後ろにはテーブル。横に動くには椅子が邪魔だ。よってこれ以上の回避はできない。アルクはそう判断する。
顔面を狙ったハイキック。腰を捻った格闘家顔負けの綺麗な蹴りだったが──。
──残念ながら躱される。机の上を転がって反対側へ。
「ちょこまかと……!!」
机の幅は一メートルから二メートルほど。アルクにとっては助走を付けずとも余裕を持って飛び越えられる距離だ。
よってジャンプ。迅鋭の顔に向かって飛び蹴りを放つ。
──その刹那。アルクの前方に真っ白の幕が貼られた。一瞬なにか分からなかったがすぐに理解する。
(布……テーブルから引っ張りやがったな……!!)
テーブルクロスだ。テーブルクロスを一気に引き、迅鋭の前方を覆い隠したのだ。
とりあえずそのまま蹴りを入れる。だがテーブルクロスによって狙いは外れ、あらぬ場所へと脚は放たれた。
──白い布はふわりと舞った後、地面へと落ちる。布の奥から現れたのは迅鋭。刀を構え、晒した隙を刈り取ろうとしている。
構えは取られた。だがまだ間に合う。アルクはすぐに拳を握り。迅鋭の顔面に向かって放った。同時に剣も動き出す。迅鋭の剣とアルクの拳は交差──。
──しなかった。刀を途中で止めたのだ。
(しまったブラフか──!!)
拳はもう止められない。空を切った腕と肩を掴み引っこ抜く。見事な一本背負いが決まった。
「ッッァ──!?」
アルクの攻撃をそのまま反転。地面へと投げ落とした。ならば衝撃も相応にやってくる。
体を起こして回転。足払いだ。刀ごと体勢を崩して地面へ落ちる。回転の勢いは上へ登り。つま先から迅鋭の胸元へと隕石のように落ちてきた。
血が吹き出る。──アルクの、だが。
刃で蹴りをガード。筋力が仇となり、脛を切り裂いた。
「クソっ──!!」
しかし怯んでなどいられない。そのまま脚に力を入れて無理やり蹴り飛ばす。
数メートルは転がりながらもすぐに起き上がる迅鋭。やはりというか、ダメージは無いに等しかった。
「が──ギッ──!!」
──血を出しながらも踏み込む。傷を負ってもなお脚力は迅鋭より遥かに上。離れた距離を一瞬で詰めるのもわけないことだ。
体を捻ったフック。狙いは顔面と分かっている迅鋭は刃で防御する用意を──違う。アルクの狙いはフックの攻撃ではなく椅子だ。木製の椅子を掴んで振り回す。
椅子は地面に叩きつけられ、その不可に耐えられず破壊。木片が飛び散って迅鋭の視界をまた塞ぐ。初めから狙いはこれだった。
怯むのを避けるために事前に目を瞑った迅鋭。破片が目に入るのは防いだ。狙ってくるのは恐らく胸。もしくは顔面。一撃で終わらせに来るはず──。
──目を開ける。体の動き的に狙ってくるのは胸の中心付近。すなわち心臓だ。そりゃまともに喰らえば一撃で終わる。
防ぐか。それとも避けるか。選んだのは──回避。バックステップで距離を取ろうとする──。
(来た──!!)
──違う。これも違う。心臓じゃない。本当に狙っていたのは──武器を持っている手だ。
どれだけ胴体を狙っても迅鋭なら避けられるし防げる。短い戦闘でそのことはよく理解した。現に胸を狙おうとした蹴りは回避できている。
ならば狙うは末端。刀を握っている手を破壊する。
──狙い通りの動き。迅鋭の右手にアルクの蹴りが突き刺さった。直撃だ。指と手の甲は完全に砕け散る。こうなっては握ることもできず。刀は後ろへ飛んでった。
「ち──ぃ」
残るは左手。武器は『水斬甘雨』のみ。これでは皮膚一枚斬ることが精一杯なのだが。
かといって取りに行くのもリスクがある。スピードは変わりなくアルクの方が上。下手に隙を晒せば殺されるのはこっちだ。
追い詰められているのは相手も同じ。あと少し。もうひと踏ん張りで倒し切れる。
後には引けない。進むべき道は前のみ。後退すれば傷は深くなる。ならば前進するのが最善なり──。
──怯むことなく左手で抜刀。その勢いでアルクの太もも付近を刀で叩く。
(怯みもしねぇのか!? 右手が砕けてんだぞ!?)
ダメージはない。しかし迷いは出た。
刀を地面に突き立てるようにして構える。片手は壊れている。『桃』も遠くへある。よって『涎牙』は使用不可。この状態でなんの技を出すのか。
隠していた恐怖が再臨。焦って出たフックは迅鋭に避けられた。
「──」
迅鋭の攻撃が迫る刹那。アルクの目に映ったのは──滝であった。
──刀の峰を蹴りあげる。刀は勢いをつけ、下から上へと半月を描きながら飛び上がった。
「ぁ──」
スルリと動いた。アルクの左腕。肘の関節部分を通り過ぎた。──左腕から大量に出血。前腕部が地面に落ちる。
刀の峰を蹴りあげることにより威力を上げた切り上げの斬撃。滝が逆流するかのように放たれるその技の名は──。
「──幻水流『逆滝流れ』」
普通の斬撃ならばいくらやってもアルクの腕を斬ることはできない。しかも今は片手での攻撃。単純なパワーは半分程度しかない。
だが刀を蹴ることによってパワーは増大。なおかつ迅鋭が狙ったのは関節部分。骨の隙間であり、骨や筋繊維による抵抗が少ない部分だ。
この部分ならばスーツを着ていようが、片手だろうが、関係ない。迅鋭の技術ならば容易に腕を切り落とせる。
「ぐ──ぁあぁああぁあああ!!??」
血を吹き出しながら倒れるアルク。迅鋭も勢いのまま倒れた。
「あぁクソっ……痛てぇな……」
「がァァァァ!? いっぐぁあぁああ!?」
腕は人体の中でもなかなか重い部類に入る。腕を斬られてしまってはバランスを取るのも一苦労だ。
アルクはまだ戦える。などと思ってはいるが、起き上がろうとしてもバランスが取れずに何度も地面に転がっている。
「すごいを通り越して呆れた闘争心じゃな……褒めてはやるが、無理せん方がいい。腕を斬られてすぐに立てる人間はおらん」
「ぼざっ……けぇ……!!」
「これ以上はお前を殺してしまう。それだとロア殿との約束も破ってしまうからの。儂としてもお主は斬りたくない。雇われただけで悪人でもなさそうじゃしな」
──また時間を少し遡って。迅鋭とロアは車の中でこんな会話をしていた。
「ねぇ迅鋭。その……」
「ん? どうしたんじゃ?」
言いにくそうにしているロア。そんな態度をされてしまうと余計に気になってしまうのが人の性だろう。
「お願いがあるの」
「おう。なんじゃ?」
「……できるだけ人は殺さないでほしいの」
「いいぞ」
「そりゃ迅鋭の時代から見れば無理もないことだろうけど、やっぱり相手は雇われてるだけで悪いヤツでもないから──ってえ?」
目を丸くして聞き返す。
「……いいの?」
「おう。というより最初から殺すつもりはなかったぞ?」
「……驚いた。てっきり『俺は人を殺さないと生を実感できないぜぐへへ』とか言うと思ってたから」
「そんな狂人じゃないんじゃから……」
ジト目で返す迅鋭から目を逸らして話を続ける。
「確かに言い方は盛ったけど……まさか即答されるとは思わなかったわ」
「儂も好き好んで殺しはせん。むしろ命をとるのは避けたいくらいじゃ。前回は殺さねば殺される状況だったから仕方なくやったんじゃ」
「そうなの……思ってたより甘いわね迅鋭って」
「そうか? これでも幕末では『剣鬼』と恐れられとったんじゃが」
「じゃあ歳を取って丸くなったんでしょ」
「そうかもしれんのぉ。ははは」
なんて。これから絵を盗みに行くとは思えないほど和やかな雰囲気なのであった。
──また時を戻して。
比較的に軽傷の迅鋭は立ち上がって吹っ飛んでいった『桃』を回収していた。
「儂が万斉さんじゃなくて良かったの。あの人なら容赦なく切り捨てられとったぞ」
「ふざけるな……!!」
血は出ている。痛みもある。──それでもアルクは立ち上がった。
「俺に情けをかけてるつもりか……!」
「つもりじゃない。かけとるんじゃ。その歳でわざわざ命を賭けるのはやめておけ。無駄じゃ」
「無駄……だと……」
「無駄じゃ。もっとハッキリ言ってやろう。──無意味じゃ」
殴りかかる──が、弱ったアルクでは当てることすら叶わない。
「お主には姉がおるんじゃろ」
「……」
「冷静になれ。誇りを捨てずに戦えばそりゃ自分は満足して死ねるだろうが……残った者はそういかん。悲しむぞ」
言葉は優しく。諭すようにアルクの耳に入ってくる。熱くなっていた頭もゆっくりと、ゆっくりと冷えていった。
「……くそっ」
大の字に倒れるアルク。迅鋭は懐から巻かれた包帯のような物を出してアルクへ放り投げた。
「腕を包め。出血は止まるじゃろう」
「……ちっ」
舌打ちをしながらも包帯を手に取る──。
──轟音。それと共に天井が崩壊した。




