第11話『幻水流の真髄』
真っ暗なコンテナ。頼りになるのは聴力と触覚のみ。外から聞こえる足音にロアは何度も体を震わせた。
レオは言っていた。「生け捕りにしろ」と。ヤクザの言う言葉には負の信頼がある。もし捕まったら──考えるだけでも恐ろしい。
「あーもう、なんでこんなことに……」
『ごめん……もっと早く気がつくべきだった』
「いや私がもっと早く出ていれば──なんて考えてもあとの祭りか」
『今イヴを向かわせた。それまで辛抱できる?』
「辛抱って──」
──発砲音。どうやらヤクザの一人が違うコンテナに向かって発砲したようだ。
「いくらイヴでも間に合わないわよ……!」
『あーうー……ダメだどうすれば……!!』
通話しているロアの横で。迅鋭は何かを考える素振りを見せていた。
「……小娘。聞こえとるか」
『え? ……聞こえてるよ』
「ここには何人いる」
『……二十』
「なるほど──儂一人で十分じゃ」
立ち上がる迅鋭──今の言葉を聞いて思わずロアは声を漏らした。
「ばっ、ばか! 二十人だよ!? しかも全員銃を持ってるし……なによりアンタはスーツも着てないのよ!?」
「スーツとやらが何かは知らんが、ここで待っていては殺される。なら戦った方がまだ生き残れる可能性があるじゃろ」
「で、でも──」
「鉄砲との戦い方も。複数人との戦い方も。既に経験済みじゃ」
刀を抜く。銀色の刃は暗闇の中でも星のように輝き。戦いの道具とは思えないほど美しいと感じる。
美麗な刀──そして刀を持って佇む迅鋭に。ロアは頬を赤く染めながら見惚れてしまった。
「迅鋭……」
「見ておれ。年季の違いを見せてやる」
――幻水流。一五六九年に初代幻水家当主である幻水源之助によって作られた剣術。
幻水流の真髄は『水の如し変幻自在』である。対刀、対槍、対弓、対銃。武器だけではない。対集団戦。対決闘戦。対閉所戦。対多数戦──。
あらゆる局面において対応できる剣術として編み出されたのが幻水流。まさに水のように変幻自在に戦うのが特徴である。
力の脱力と硬直。極めて精密な力の操作によって水のように刀を操る。幻水流と相対した者は幻水流をこのように表現もしていた。
『型はあっても形なし』
幻水流に伝わる技には型はある。しかし技の使用者によって、攻撃の形は大きく変わるのだ。
水を注げば地面に落ちて水溜まりを作る。器に注げば溜まり、いずれは溢れる。その間にも水は形を変えて動き続けている。
いつ、如何なる状況においても水のように対応できる剣術。それが幻水流。水は時間が経っても変わることなく。未来においても流れを作り出す――。
ヤクザたちは倉庫の隅々に散らばって迅鋭とロアを探していた。さほど大きくない倉庫。見つかるのはもはや時間の問題だった。
──そんな時。一人のヤクザが開いているコンテナを見つけた。それはちょうどロアたちが隠れているコンテナだった。
「あれかもしれないぞ」
近くにいた二人を引き連れてコンテナへとゆっくりと近づく。相手は女性。しかも情報によると丸腰だ。だが──油断はしない。油断すると裏をかかれる。それが組長に教えられたことだったからだ。
だから銃も構えたまま。引き金に指を入れていつでも発砲できるようにする。場合によっては生け捕りも諦めることも考えておかなくては。
コンテナの扉を握る。あとは引くだけでコンテナの中とご対面だ。警戒を緩めることもなく。男は扉を引いた──。
ドンピシャ。中に居たのは震えながら怯えているロアであった。
「見つけ──」
──男の視界は真っ黒に染まった。
物陰から猫のように迅鋭が飛び出てくる。刀は一人。扉を開けた男の首を切り裂いた。
「こいつ──!?」
速い。速い──が、見切れないほどじゃない。残り二人は迅鋭に銃を向ける──。
(猿かこいつは──!?)
──のだが、銃口は迅鋭に向けようとしても、どうしても味方の方へと向けられてしまう。もちろん狙ってのことだ。
戸惑っているうちに手前の一人の首を掻き切る。
「このっ──」
──もう何をしても遅い。死体を盾にしつつ目くらましとしても利用。死体に気を取られているうちに横へと回り込み──男の頸動脈へ刃が滑り込んだ。
時間にして約三秒。たった三秒で三人の命が消えた。確かに近接戦で刀が有利な状況だ。たが凄まじいことには変わりない。まさに達人技と言えるだろう。
あまりの早業にロアも声を出すことすらできずにいた。
「──待っていろ。すぐに終わらせる」
迅鋭が教わった銃の対処法。それは『撃たれる前に殺れ』である。
素人の鉄砲。玄人の剣。近接戦ならまだしも、鉄砲の間合いならば玄人とて勝ち目は薄い。幻水流とて妖術でもないのだ。アニメのように撃たれる銃弾を切り裂くようなことはできない。
だから単純明快。撃たれる前に殺す。そうすれば銃弾にも当たらず、ダメージも受けない。
闇に紛れて不意打ち。おおよそ武士らしくない戦い方ではあるが、状況が状況。むしろこれでも迅鋭は劣勢に立たされていた。
紛れても場所が徐々に、徐々にバレてゆく。七人ほど斬ったあたりから相手も対策を生じ始めてきた。
「回り込め!」
「見つけた!! 角に追い詰めろ!!」
ヤクザという社会のはぐれ者。そのコンビネーションには目を見張るものがある。迅鋭と比べれば『殺し』の経験など無いに等しいが、こと『連携』に関しては驚くべき能力を持っている。
一人が迅鋭を見つけた。迅鋭が一人のヤクザを見つけた。互いが互いを視認。どちらも戦闘態勢には入っている。
距離にして約五メートル。ちょっと不安な距離だが、依然としてヤクザ側が有利。刀が届く前に銃弾を放てる。
(この距離なら当たらないだろう)
そう思えるほど、五メートルという距離は大きい。刀は届かない。届くはずがない、と。
迅鋭は構えている。当たるはずのない距離で。当たるはずのない場所で。
ヤクザはほくそ笑んだ。馬鹿め、と。仲間の仇だ、と。引き金を躊躇いもなく引いた──。
──地面が叩き壊れるほどの衝撃。その音と共に迅鋭は動いていた。否、動いていない。
動いていないのに動いている。この矛盾した言葉が目の前に事象として起こっているのだ。
人は動く時、必ず予備動作が発生してしまう。『走る』ならば体を落としたり、前を向いたりする。『殴る』なら拳を引いたり、構えたりする。このように何かしらの動作を通じて行動するのだ。
だが今の迅鋭の動きは違った。刀を構えたまま。スライド移動しているかのように。構えから動かずに相手を斬れる間合いにまで移動したのだ。
原理は『硬直』にある。足の裏を筋肉で引き締める。そんなシンプルなことによって『動かずに動く』という矛盾した行動を可能とした。
弱点としては『超短距離』でしか使えない点。だがこの技は『来る』と分かっていても見切るのは困難。故に幻水流を代表する技として扱われている。
──使う際に地面に波紋のような跡ができることから名付けられた。
技の名は──幻水流『波紋』。




