ep8
翌朝。
リュウさんが帰ったあと、制服に着替えようとして鏡に映った自分を見て、一瞬固まった。
肌のあちこちが赤くなっている。幸せな朝だった。けれど、それが長く続かないことは、あたしも彼もわかっている。
赤い跡にそっと指をあてる。
「……なんか、リュウさんのモノって感じ……」
それも悪くないかも。鼻歌まじりに玄関のドアを開けた。
警察本部はすぐ目の前だから、そのまま制服姿で出勤する。
警務部に着いて驚いた。あたしの席が消えていた。周囲の同僚たちが、妙に冷たい視線を送ってくる。
「白兎さん、ちょっと来て」
困惑気味の上司に手招きされる。
「あの、私の席は」
「きみ、何したの? いきなり高垣管理官の秘書って」
「え?」
ざわめく空気。チラチラと向けられる視線。とくに女性職員の目が怖い。
「地味な顔して、やることやるのね」
「もう『お手付き』ってやつでしょ」
「おはよう、皆さん。ご機嫌いかがかな?」
突然、朗らかな声が響いた。振り返ると、高垣翔が満面の笑みで立っていた。フロアが静まり返る。
「なかなか来ないから、迎えに来たよ。さあ、行こうか。秘書さん」
彼は当然のように私の手を引いた。
「秘書」と言っても、仕事内容はスケジュールの管理と調整、書類作り、決裁書類の受付、電話や来客対応など簡単な仕事ばかりだった。先日、銃を隠し持っていることに気付いたはずなのに、銃の『じ』の字も出てこない。決して難しい仕事は与えられない。
だが問題は、彼の女好きだった。すれ違う女性職員全員に声をかけ、あたしはそのたびに、後ろで大きなため息をついていた。
頭痛は日に日に悪化していく。女性職員たちの視線も、鋭さを増していった。
「お疲れさま。今日も帰っていいよ」
定時になると、そう言われて一日が終わる。
食事に誘われても、常に警戒心を張っていた。薬を盛られるか、拉致されるか──でも、いつもただ食事して終わりだった。盗聴器を仕掛け、GPSで追跡しても、これといった証拠は掴めない。
でもいつか大きな事件を起こして、あたしをアリバイに使うか、犯人に仕立て上げる気かもしれない。そんな妄想ばかりが膨らんでいった。
~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~~ ~~~~~~~~~
警察本部、正午。
「ああ。ちょっと、きみ」
高垣翔はすれ違いざま、制服の警官を呼び止めた。
「何か?」
振り返ったのは、千田リュウジ。呼び止めた男を鋭い眼で睨んだ。
「彼女、よく働いてるよ。さすがきみたちは優秀だ。TNTの、千田リュウジくん」
にこやかな笑みを浮かべたまま言うその姿に、リュウジは眉をひそめた。
「お前、何者だ。何を企んでる。そんな演技、いつまでも通じると思うな」
「おやおや。警部補のきみが、警視の僕にその口の利き方で大丈夫かい?」
高垣はリュウジの制服の左胸にある階級章を、指先で軽く押した。階級章はその名の通り、警察官の階級によって、色や棒で区別されているバッジのようなものだ。
「交通部の千田くん。まあ、僕はそういう細かいことは気にしないけどね」
リュウジはその手を鋭く払いのけ、顔を近づける。
「レイラを犯罪に巻き込む気か」
その一言に、高垣は楽しげに微笑んだ。
「巻き込む? また穏やかじゃないな。きみは彼女の何なんだい? ナイトのつもり?」
「あいつに、ナイトなんかいらない」
それだけ言って背を向けたリュウジに、高垣は呟いた。
「今は何もしないよ。──今は、ね」