ep42
山の稜線には、まだうっすらと雪が残っている。春の訪れには、もう少しかかりそうだった。
肌寒い風が吹く午後、元班長のエイジに呼ばれたリュウジは、今では使われていない特別任務捜査班の部屋へと足を運んだ。
「リュウジ、ご苦労だった。辛かっただろうが……」
「話はそれだけですか」
リュウジは無感情な声で応える。
エイジはため息を吐き、少しの間黙ってから、言いにくそうに口を開いた。
「レイラは……妊娠していたんだ」
「え?」
思いがけない言葉に、リュウジの切れ長の目が大きく見開かれる。
エイジは複雑な表情のまま続けた。
「上層部から伝言を預かった。──『始末してくれて助かった。もし子孫が残れば、取り返しのつかない事態になっていた』だと」
重苦しい沈黙が流れる中、エイジは声を落として話を続ける。
「俺もクローン技術には反対だ。特に、動物を道具にするような実験はな。トウリの過去も聞いた。あいつがなぜ死んだのか。いや、今はその話は関係ないな。今日、お前を呼んだのは、これを返しておきたくて」
そう言って、エイジは手のひらに青い石を乗せて差し出した。
「これ、お前がレイラに渡したんだろう。彼女のポケットに入ってた。ある人から託されたよ『これは、リュウジが持っておくべきだ』ってな」
リュウジは無言のまま、ラピスラズリを受け取った。そして何も言わずに背を向け、部屋を出ていった。
外は冷たい雨が降っていた。
傘も差さずに、リュウジはレイラの墓の前に立ち尽くしていた。
彼女と初めて出会った日のことが、脳裏に甦る。
あの日──廃屋で彼女を見つけた瞬間、自分の中の何かがざわめいた。
澄んだ瞳を見たとき、どうしようもない動揺に襲われたのを、今でもはっきり覚えている。
そのあと、雨が上がって、空を見上げたレイラが、ぽつりと呟いた。
『ねえ、あれはなんていう色?』
──群青。どこまでも続く、深い青。
リュウジは固く握りしめていた拳を開く。
手のひらに乗った青い石が、容赦なく降り注ぐ雨に濡れ、まるで泣いているようだった。
『きみは、もっと強くなるよ』
ショウの言葉が胸の奥から蘇る。それは、これからリウジが背負う試練を示していたのかもしれない。
彼はそっとラピスラズリを握りしめ、ポケットにしまった。
雨は止む気配を見せなかった。
灰色の空。冷たい雨。
まるで、自分自身の心を映し出しているようだった。
大粒の雨が顔に当たる。
リュウジは空を見上げ、目を閉じる。
やがて、雨粒と混ざって、頬を伝う涙がいくつも流れていった。
「……俺は、最低だ」
空に向かって、誰にも届かない声を放つ。
もし──もしレイラが妊娠していたと知っていたら。
どんな手を使ってでも、二人を逃がすべきだった。
あのとき、もう少しで、二人の願いは叶うところだったのに。
「最低だよ、オレは……」
自嘲するように、笑いながら、何度も、自分を責める言葉を口にした。
ただ、虚しさだけが胸に残った。
了
本来であればここで完結する予定でした。でも、違うエンディングも……と思い、もう少し続くバージョンを書きました。この先、もう一つのエンディングがあります。




