ep28
3人で向かったのは、近畿地方の山奥。
そこには“国家遺伝子・ゲノム第三研究所”と呼ばれる施設があった。
――表向き、国が管理する遺伝子研究所は「第一」と「第二」しか存在しない。そのどちらも市街地から少し離れた場所にあり、主に農業や畜産のための遺伝子研究が行われている。
でも、カイルが教えてくれた第三研究所は違う。公式には存在しない、秘密の施設。そこでは人知れず、国家レベルの極秘研究が進められているらしい。
山奥の林道を抜けた先に、突然現れた高い塀。上には有刺鉄線が張られ、監視カメラがいたるところに設置されていた。まるで「入るな」と言わんばかりの無機質な威圧感。中の様子はまったく見えず、人の気配も感じない。
「三手に分かれて侵入口を探そう。正面からはさすがに無理だ」
ショウの提案で、あたしたちは三方向に散らばった。正面ゲートは無人だったけど、見るからに分厚く、簡単には破れそうもない。
前回、カイルが私を助けてくれた時に開けた通路は、完全に塞がれていた。
「せっかく開けたのに、きっちり塞がれてやがる……」
カイルが舌打ちする。
あたしは一度建物から離れ、高い木に登って施設全体を見下ろせる場所を探すことにした。何か、見落としているものがあるかもしれない。
「レイラ、侵入口が見つかったよ」
木の上から周囲を眺めていたあたしに、ショウが声をかけてきた。
「お前、まるで猿だな」
するすると木を降りたあたしを見て、カイルが苦笑いする。
「レイラのお転婆ぶりは昔からすごかったからね。木登りくらい可愛いもんだよ」
ショウがそう笑ったので、あたしはニヤリと返す。
「ショウは昔、木登りは怖いって泣いてたよね」
「え? なんか言った? ここならカメラの死角だよ。中を通れば建物内に入れるはず」
ショウが指さしたのは、コンクリの縁に半ば埋もれた排水構造物だった。浄化槽から続く細いメンテナンス用の通路が、建物の下へと伸びている。
「この山奥じゃ下水道なんて整備されてないからね。浄化槽を経由して、施設に侵入するしかない」
そう言いながら、ショウはいつの間にか防毒マスクとゴーグルを3つ取り出し、あたしとカイルに手渡した。
……つまり、浄化槽を泳げと。
「別に嫌じゃないけど、汚水の中を泳ぐのはちょっとね」
あたしが眉をひそめると、ショウは平然と答えた。
「ここは接触ばっ気槽って呼ばれる処理段階で、汚水ってほどじゃない。まあ、気分は悪いけどね。銃だけは濡らさないように」
「なんでそんなに詳しいの?」
「レイラに会う前、ちょっとした事情でバイトしてたんだ。工場の排水施設で」
「なるほどね……」
あたしは小さくため息をつき、ショウと二人で浄化槽の巨大な蓋に手をかけた。
「せーのっ」
金属が軋む音と共に、あたしたちは重たい蓋を持ち上げる。その瞬間、カイルが目を見開いた。
「二人とも馬鹿力だな。俺一人じゃ、びくともしないぞ」
「まあ、確かに少しだけ遺伝子的なチートもあるかもね」
ショウが軽口を叩きながら中に飛び降りた。あたしも同時に、ひらりと開口部に飛び降り、狭い足場にバランス良く着地した。
その様子を見て、カイルがため息を漏らす。
「すげぇな、二人って、ちょっと完成しすぎ」
浄化槽内には、使われていない空の点検パイプが一本通っていて、幸い私たちは濡れずに進むことができた。
やがて建物のすぐ裏手に出ると、そこには廃病院のような4階建ての施設が静かに佇んでいた。不気味なほどの沈黙と、風すら止まったような空気が支配している。
「2階に行こう。前にあたしがいたのはそこだった」
そう告げると、カイルが「そうだな」と頷く。
「昔は俺たちの仲間が各フロアにいたんだ。今、使われているのは2階だけらしい」
慎重に歩を進め、やがて事務所の前に辿り着いた。ドアの隙間から中を覗くと、数人のスタッフが打ち合わせをしていた。
あたしは銃を構えて突入した。ショウとカイルがすぐ後に続く。
「あ、あなたは……白兎レイラ!」
以前、あたしの採血を担当していた看護師が驚きの声を上げる。
「指名手配犯がいるぞ!」
「警察に連絡を!」
「銃を持ってる、逃げて!」
騒然とする室内。悲鳴と混乱の渦の中、あたしは天井に向かって一発撃った。
パンッ。
乾いた音が響いた瞬間、部屋が凍りついた。
「静かにして! ここにいるスタッフはこれだけ? みんな集めて」
あたしが叫ぶと同時にカイルが男性スタッフのひとりにナイフを突きつけた。
「この建物にいる全員を連れて来い」
「い、いえ、これで全員です。私たちは細々と研究をしているだけなので……」
怯えながら答えた男によれば、この建物にいるのは八人だけ。少なすぎる。肝心の人物――土宮達起がいない。
「土宮達起はどこだ!?」
ショウが叫ぶ。
「知ってる人を連れてきて!」
あたしは銃口を向けながらスタッフたちに詰め寄る。
「誰?」
「所長のこと?」
「ここにはいないと思うけど」
スタッフたちは顔を見合わせ、土宮の所在を知らない様子だった。
「ちょっと、所長って誰のこと?」
あたしが問いかけると、女性スタッフが困ったように答えた。
「ここの責任者です。ほとんど姿を見せないので、今どこにいるのか。あなたが前に来たときも、会わなかったでしょう?」
まさか、どこかに隠れてる? でも全室を調べていたら時間がかかりすぎる。
「人質を取って呼び出す?」
ショウと視線を交わす。
「ジジイが一人で隠れてるってのか!? いい加減にしろよ!」
カイルが苛立ちを露わにする。
その時――
「君たちが探しているのは、彼のことかな?」
背後から、静かな声が響いた。
声がして、反射的にそっちを向いた。
そこにいたのは、全身チューブに繋がれ、車いすに座った老人と、それを押す白衣姿の男だった。
……まさか、と思った。けど間違いない。この老人は――10年前、血まみれで倒れていたはずの、あたしたちの長老だった。
「……長老。ほんとに、生きてたんだ……」
でも、彼は何も答えなかった。感情の抜け落ちた、ただの人形みたいに座っているだけ。確かに生きてはいる。でも、魂はもうどこか遠くに行ってしまったようだった。
「とりあえず、関係ないスタッフは解放しよう」
ショウの言葉に、あたしとカイルは頷いた。
「みんな、出て行って。もし警察に通報したら、絶対にただじゃおかないから」
「俺たちのことを話せば、どこまでも追って殺すからな」
カイルの目は本気だった。あたしも銃を構え、スタッフたちを建物の外へ追い出す。
無言で、逃げるようにぞろぞろと外へ出ていく彼ら。……たぶん、誰かが通報する。だから、もう時間がない。
残されたのは、あたしたち3人と、長老。それから、彼の車いすを押していた白衣の男だけになった。空気が重い。息が詰まりそうなほど、張り詰めた静寂。
その空気を破るように、ショウが一歩前に出て、長老の目の前に立った。
「……どうして、みんなを殺したんだ。あなたは、あんなに優しかったのに……」
けれど長老は、やっぱり何も言わなかった。
代わりに、白衣の男が口を開いた。
「もう話せないんだよ。この人は10年前、逃げずに現場に残って負傷した。命だけは助かったが……こうなってしまった」
淡々と語るその男は、どこかで見覚えがあった。




