ep12
「レイラに再会してから、何度、抱きしめたい衝動を抑えたか分からない」
ショウが、真っ直ぐにあたしの顔を覗き込む。
「なにそれ……」
気恥ずかしさに目を逸らす。
「二人きりになるたび、何度、キスしたい気持ちを飲み込んだか」
そう言って、彼はあたしの身体をそっと引き寄せた。
「僕の気持ちは、あの頃から何も変わっていないよ。レイラ。ずっと、ずっときみを想っていた」
耳元で囁かれたその声に、胸の奥にしまっていた想いが溢れ出す。あたしは彼のことが好きだった。初めての恋だった。甘くて、切ない記憶。昔の記憶に浸る間もなく、彼の唇が近づいてくる。戸惑いながらも、あたしは応えた。彼はもう、あの頃の少年じゃない。大人のキスだった。
その瞬間、彼の手が胸元に触れた。……と同時に、リュウさんの顔が脳裏をよぎる。
はっとして、彼をそっと押しやった。
「ま、待って、ショウ」
ショウは黙ってあたしを見つめている。何かを待つように。
「やっぱり、あたし、班の仲間を裏切れない」
任務対象者と個人的な関係になることは、決して許されない。それがたとえ誰であっても。
「レイラが裏切りたくないのは、リュウジくんでしょ」
彼の声は穏やかで、けれど少し寂しげだった。
「ごめん」
「レイラとリュウジくんを見ていれば、二人の関係くらいすぐに分かるよ」
空気が急に重くなる。
「リュウさんは、この10年、どんなに辛くてもあたしを見捨てなかった。彼がいたから、あたしはここまで来られたの。だから……」
銃の扱いも、戦い方も、全てを教えてくれたのはリュウさんだった。持ち前の身体能力をここまで引き出してくれたのも、彼だった。
「僕たちは、それぞれの場所で生きていくべきなのかもね」
ショウの声は優しく、でもどこかで諦めていた。
「レイラに辛い顔をさせたくて話したわけじゃないよ。ただ、もしきみがひとりで苦しんでいたなら……いや、違うな。とにかく、辛くなったら、いつでも来て」
あたしが何か言う前に、彼は静かにそう告げた。
「ショウ……」
何て言えばいいのか分からなかった。空気を変えたくて、ふと思い出したことを尋ねる。
「まさかとは思うけど……あたしたちにあなたのことを調べろって命じたの、あなた自身?」
「そうだよ。僕自身だ」
彼はさらりと答える。
「僕の存在には謎が多いから、調査対象になることで上層部も納得すると思ってね。それに、レイラに会って記憶が戻ってるかどうか確かめたかった」
「でも、どうしてあんなチャラチャラしたキャラに? 前のショウはそんなじゃなかった」
職場で女性職員に軽口を叩く彼を思い出して、思わず肩をすくめる。
あたしの知っているショウは、そんなタイプじゃなかった。物静かで、少し寂しがりやで、でも意志は強くて、身体能力も記憶力もずば抜けていた。
「怪しい方が動きやすいだろ?」
ショウはわざとらしく肩をすくめて笑う。その仕草がまた、妙に板についていて、あたしは苦笑した。
「ショウは、みんなを殺した犯人たちのこと、知ってるの?」
沈黙。
「まさかひとりで復讐するつもり?」
答えはなかった。「ねぇ」と声をかけると、ようやく彼が口を開いた。
「答えるつもりはないよ。だって、さっきが決めたじゃない。僕たちは、それぞれの場所で生きていくって」
「そんなの、ずるいよ!」
声を荒げてしまった。抑えきれなかった。
「レイラ……」
ショウが困ったように見つめてくる。
「どうして、こんなことしたの? あたしに近づいて、記憶を戻させて、でも家族を殺した敵のことは話せないなんて。何がしたいの?」
あたしは感情のままに言葉をぶつけた。ショウを責めても仕方ないと分かっていても、気持ちが止まらなかった。
「あたしが簡単に、今の仲間を捨てるって思ったの?」
ピクリと、彼の表情が変わる。図星だった。
「その通りだよ。記憶さえ戻れば、また一緒に戦えると思ってた。でも10年は、簡単に埋められる時間じゃなかった。ごめん、混乱させて。でもね、本当に会えてよかったんだ。僕はレイラには笑っていてほしいから」
「ショウ……」
言葉が出なかった。彼は微笑みながらあたしの肩に手を置いた。
「そろそろ帰ったほうがいい。明日も職場で会えるし、あまり長くいたら、リュウジくんに怪しまれるよ」
どうやって帰ったか、覚えていない。リュウさんに報告すべきだと思っても、どこから話せばいいのか分からなかった。
ふと唇に触れる。さっきショウがキスした場所。深呼吸しても、鼓動は早まるばかりで落ち着かない。リュウさんに会いたい。でも、今は会いたくない。うまく隠し通せる気がしない。
部屋の前に立ち、明かりがついていないことに安堵した。そうだ、今夜は彼、当直だった。
私はベランダに出て、夜空を見上げた。星が、小さく瞬いている。
「とりあえず、何もなかったことにしよう」
そう自分に言い聞かせる。ショウのことも、リュウさんのことも。明日からも、いつも通りに。でも思えば思うほど、ショウに抱きしめられた時の腕の力強さが、リアルに蘇ってくる。
ポケットに手を入れると、指先が触れたのは――リュウさんからもらったラピスラズリ。
掌にのせると、彼がかつて言った言葉が思い出された。
これがあたしの「乗り越えるべき試練」なのかもしれない。
「もう、どうすればいいの」
その呟きは、夜風にかき消され、誰にも届くことはなかった。
________________________________________
レイラが去ったあと、ショウはベランダで夜空を見上げていた。手には一枚の写真。写っているのは、笑顔のレイラ。
「10年も経って、突然現れて、一緒にいたいなんて。自分でも都合が良すぎるって思うよ」
苦笑交じりに呟きながら、彼の胸に孤独が広がっていく。
「僕は一人で真実を追うよ。やっぱりレイラを巻き込むわけにはいかないんだ」