どうして
「やめてあなた!どうか話だけでも聞いて欲しいの!」
「うるさい!俺の人生は終わったんだ!」
「やめて、早まらないで!お願い!!」
そんな夫婦の声が部屋中へ響く。怯える息子の姿、普段通りゲージの中、虫を食す青い蛇。
数分も経たないうちに、鈍い肉体が潰れる音が屋上から地面に向かって鳴り響いた。
「きゃああああああああああああああああ!!!!」
一度も顔を上げたことなどなかった蛇がこの時初めて、むく、と様子を伺うように顔を上げる。
4月というにはあまりにも暑い日。今にも蝉が鳴き出しそうな気温だった。太陽に焼かれてしまいそうなオレンジの髪と、熱に負けず育つ葉のような緑を髪色に巻き込んだ俺の名は、久遠瀧。普段は家の近場で清掃の仕事をしている。休日の今日は、やっと就職が出来たと喜んでいた祖父の為に好物のチーズケーキを買って帰るんだ。
「その前に、母さんに人数分でいいか確認しとかないと。」
そう思い携帯を取りだし、電話を掛けるも何度たっても不在着信のままだった。どうしたものか…いや、人数分買っておけば失敗はないだろう。
「いつの間に携帯でも変えたのか?あの人…」
そんな独り言を呟きながら、歩く先に華やかに目立つケーキ屋のドアノブに手を掛け入店すると、甘い香りが店内に漂っている。この店ではチーズケーキのホールは人気で中々ないらしく、バラバラに売られたチーズケーキのみがそのケースへ取り残されている。
「これでいっか。…あの、すみません。このチーズケーキを人数分…じゃなくて、みっつ。」
その声に振り向いたくせ毛の女店員は、この暑さの中負けない笑みを浮かべては
「誕生日ケーキでしょうか?ロウソクは何本おつけしますか〜?」
なんて聞いてくる。なんだ、そのな質問は。そもそもばらばらに売られたケーキを誕生日用だと確定するだろうか。それよりも、こんなケーキに普通ロウソクは立てない。と、なんでもかんでもツッコミたくなる中、店のBGMにかき消されるような声で
「あぁ…いや、そのまんまでいいです」
「にしても暑い…さっさと帰らないとケーキがダメになりそうだ。」
信号が青になるまでの数分間は、何十分に感じるほど長く、ようやくその時が来る。太陽に照らされ、反射する白い横断歩道の眩しさに片目を細めながら横断すると、道路の右側から、突然大きな聞き覚えのある声が響いた。
「ど、どいてくれええええええ!!!轢いちまう!!!当たる、当たるうう!!!!」
「キャァァァァァァァ!!!」
先程まで静かだったこの街が一気にザワつく。突然通ったトラックが暴走し、こちらの横断歩道まで真っ直ぐ突っ込んできたのだ。
「え?じいちゃん……」
ぽかんとすることしか出来ず、俺は慌てることもせずにその場に立ち尽くしていた。すると、勢いよく誰かに身体を包み込まれ、感じたこともない速さでトラックを避ける。ドンッ!と大きく音を立て横転してしまったトラックはガードレールを酷く凹ませ、野次馬に包まれる中俺の身体を纏っていた腕は解かれ、立ち上がったその高身長の男性を見上げると、疲れた雰囲気も見せず、笑顔でこちらを振り向いた後目の前へその人は片膝を立てて体勢を低くした。彼の強膜は黒く、濁った青い瞳をしている。
「ごめんごめん、乱暴しちゃった。」
「目!!目、黒!!!ってかアンタ誰?!」
「第一声、それ?」
おちゃらけた声を出した彼にうぐ、と眉を寄せると
「いえ、ありがとうございます……それより、」
と後ろを振り返り、横転したトラックをぼんやりと眺めた。たしかに見間違いなんかではない。あの薄い白髪の髪型、薄緑のシャツ、嗄れた声。確実に俺の祖父だった。
近寄ることも出来ずにただポツンとその場にいると、立ち上がった彼の声から聞きたくもない言葉が聞こえる。
「あー、あれは助からないだろうねぇ」
「…は?」
初対面、命の恩人ではあるものの、思わずふぬけた声を出してしまった。彼の瞳に光はなく、ただ青白い肌の首元へ片手を当てて俺の方を振り向き、
「そうそれと、ケーキ助け忘れちゃった。」
忘れていた。先程買ったケーキの箱は指の先へ投げられている。そして、誰しもそれを踏んで歩いたのだろう。靴の跡はくっきりと残り、綺麗な白い箱の原型をとどめることは叶わなかった。
「ごめんね。」