アンジェリカの望み
「ギルバード様、離縁してくださいませ」
アンジェリカのその言葉はギルバードにとって衝撃的なものだった。
幼いころから傍にいるのが当たり前。
ギルバードの望みにアンジェリカが従うのが当たり前。
そして自分を心から愛し慕っている、それが当たり前だったからだ。
ギルバードにとってそんな相手であるアンジェリカの拒絶。
「もう貴方に振り回されるのはうんざり」
アンジェリカの言葉の刃はギルバードの胸にぐさりと深く刺さったようだった。
「……アンジェリカ、何を言っている? 我々は夫婦だ、これからも一緒にいるのが当たり前だろう?」
ギルバードの言葉を聞き、アンジェリカがフフッと笑う。
「あら? 可笑しいですわね? 貴方の中では一緒にいるのが夫婦ですの? でしたらここ数年私の宮に貴方が来ることなどなかったのですから、私たちはとっくに夫婦ではなかった……ということかしら?」
「そ、それは勘違いがあったからだ、君が、アンジェリカが色々と問題を起こしていると、そう聞いて、私は距離を置いていたのだ、そう! これは、君のためでもあったんだよ」
「まあ、私のため? ですか、それは有難うございます」
「わ、分かってくれたか、アンジェリカ……では、私はこれから君のいる薔薇の宮へ居を移そう、今後は夫婦仲良くゆっくりと過ごしていこうじゃないか」
ギルバードはアンジェリカが自分の望みを受け入れてくれたと安堵する。
今までずっとそうだった。
アンジェリカは常にギルバードの望みに従ってきた。
それが当たり前だったからだ。
だからこれからもそれは変わらない。
ギルバードだけはそう思っていた。
周りの冷めた目にも気づかずに。
「無理ですわ」
「えっ……?」
「だって私、貴方と仲良くする気なんてありませんもの……」
「ア、アンジェリカ……?」
ニコリと美しく微笑み、アンジェリカはギルバードを切って捨てた。
アンジェリカのこれまでの不遇を思えば当然の行動だ。
レイは (だよねー) と心の中で頷いた。
「私、これまで貴方のためにずっと頑張ってきましたわ。王妃に相応しくあれ、貴方の妻に相応しくあれ、そして国母に相応しくあれと、周りの期待に沿って努力してまいりました……」
アンジェリカは生まれた時からギルバードの妻になることが決まっていた。
だから幼いころから自由などなく、王妃に相応しくあろうと本人も周りもその行動や態度を律してきた。
だけどそれを踏みにじったのがギルバードだ。
ギルフォードの母エミリを愛しアンジェリカを裏切った。
いや、ギルバードならそれより前から色々とやらかしていた気がする。
それでもアンジェリカは国のためとエミリと良い関係を築こうとした。
でもまたそれをギルバードが裏切る。
自分に都合の良い相手をエミリの友にし、アンジェリカを遠ざけた。
そしてその友に色々と吹き込まれてしまったエミリは誰も信じられなくなり、自ら命を絶とうと思うほど追い込まれ、実際に決行してしまった。
(うん、普通に考えて元王様は最悪な夫だよね、アンジェリカ様が三行半を突き付けるのも当然だ。ここまでよく耐えたと思うよ……)
うんうんと自分の思考に納得するように頷いているレイの前、アンジェリカは最終通告をギルバードに告げた。
「貴方はそんな私を、私の努力を、全て裏切り、踏みつけたのです」
「アンジェリカ……?」
「そんな人と夫婦でいられる訳がありません、貴方の顔などもう見たくもないぐらいですわ」
笑顔を消しアンジェリカは言い切った。
レイから見ればアンジェリカの主張は当然だが、ギルバードは口を開け茫然としている。
言われた意味が分からない。
何故嫌われているのか分からない。
そんな様子だ。
「母上は城を出てどちらで暮らすのが望みですか? 実家のリアード侯爵家に戻られますか? それとも王都内にあるタウンハウスでの暮らしが良いでしょうか?」
「そうねぇ……」
固まったまま動かなくなったギルバードのことなど無視しつつ、ジェラルドがアンジェリカに今後の希望を聞く。
王家にはあちこちに所有する屋敷がある。
アンジェリカがどこに住みたいかで渡すものが変わってくる。
出来れば穏やかな場所で過ごして欲しい、とジェラルドはそう考えているようだ。
悩むアンジェリカを見て、ギルフォードが声を掛けた。
「義母上、私が賜る領地へ来ていただくことは出来ませんか?」
「まあ、ルオーテへ?」
「はい、私は辺境伯の地位を頂きましたが、S級冒険者として冒険者の仕事も続ける予定ですので、義母上に来て頂ければ心強いです」
「へ、辺境伯?! S級冒険者?! なんだそれは?! 聞いてないぞ!!」
ガタンと大きな音を出し、ギルバードが立ち上がる。
そんなこと聞いてないぞ! と驚きの顔でいるが、他の王族は全く驚いていない。
つまりギルバードだけには聞かされていなかったということだ。
家族でないと言われたも同然。
驚く姿は悪あがきのようでみっともなく見える。
(ジェラルド様のお陰であの糞領主とはもう顔を合わせなくって良くなるんだよー、それにギルフォードさんが領主なら絶対に街が綺麗になるよね! てか私が綺麗にするし!)
ギルフォードに話を聞いてから、レイはワクワクしていた。
街の衛生意識改革。
クリーン活動。
美化委員会の発動。
そして可愛いものを増やす、推し活動。
ギルフォードの名を借りてやりたいことは山積だ。
そこにアンジェリカが参加してくれたらどれだけ心強いか。
(ギルフォードさん、ナイスアシスト!) とレイが心の中でサムズアップをしていると、アンジェリカと視線が合う。
『私、レイ様のお傍に行ってもよろしいですか?』
その目がレイに問いかけている気がして、レイは笑顔で頷いた。
アンジェリカがルオーテに来たら……
アイスを食べにマルシャ食堂へ行ったり、可愛い小物を見にサラ商店に行ったり、美味しいご飯を食べるためにドルフの牛丼屋に行ったりしよう。
体を動かしたいとアンジェリカが言ったら、ジェドのところに行って乗馬を楽しむのもいいかもしれない。
それからアンジェリカが新しい恋を始めたくなったら、モーガンを紹介して街歩きデートとかをしてもらうのもいいだろう。
なんなら冒険者ギルドで一緒に売店のアルバイトをするのも楽しいかもしれない。
スタイルの良いアンジェリカに似合う制服とか作っても楽しそうだ。
ルオーテにいるレイの知り合いが聞いたら心臓が止まりそうな恐ろしい未来を描きながら、レイはギルフォードにも「賛成です」と笑顔で頷いて見せた。
「私、ギルフォードの下へ参りますわ。いいえ、ギルフォード、是非貴方のお手伝いをさせて頂戴」
アンジェリカの決意を聞いて皆笑顔になる。
ギルフォードもホッとしたような安堵の笑みだ。
「義母上、助かります。国政を知る義母上が来て下さったらとても心強い。それに屋敷の女主人の仕事も担って頂けたら、私としてはとても助かるのですが、宜しいでしょうか?」
「ええ、勿論ですわ、任せて頂戴。レイ様が成人されるまで私がしっかりと貴方の屋敷を管理いたしましょう」
「有難うございます」
(ん? レイの成人? はて? 何で私の成人までなの?)
何故そこで自分の名が出るのかレイには分からなかったが、アンジェリカがやる気になっているので突っ込みはしない。
前世持ち得意のスルーを発動する。
「アンジェリカ様、私に色々と教えてくださいね」
疑問はしまい、レイはアンジェリカのルオーテへの移住を後押しする。
「ええ、レイ様、是非。お茶会を開いて領地の令嬢をお呼びして、可愛いものと美味しいもので埋め尽くして驚かせましょう」
「まあ、お義母様、でしたら私とジェシカも呼んでくださいませ」
「お義母様、私も、私もジェフリーと一緒に参加したいですわ」
盛り上がる女性陣の様子をジェラルド、ジェイク、ギルフォードが優しく見つめる。
皆とても仲が良く、幸せそうな様子だ。
「そんなこと……そんなことは絶対に許さない!」
ただ一人取り残されたギルバードがそう叫ぶ。
「アンジェリカは私のものだ!」
とどこまでも自分勝手な発言だ。
自分がアンジェリカにした仕打ちなど、彼の中では無かったことになっているのだろう。
レイは呆れて表情を取り繕うことも出来ない。
(うわー、最っ低! 自分のものだって、こんな奴が良く王様でいられたよねー。ジェラルド様は本当に大変だっただろうなー……)
王族の皆も言葉を無くす。
こいつ今更何言ってんだ状態だ。
「父上……」
「ギルフォード! お前なら分かってくれるだろう?!」
ギルフォードが声を掛けるとギルバードの顔に希望が浮かぶ。
お前だけは自分の味方だなとその目が訴える。
だけどギルフォードは厳しい顔でギルバードの望みを切った。
「父上、どうか義母上に自由をお与えください」
「じ、自由?」
「はい、私の母のように苦しめることはもうやめて欲しいのです」
「苦しめる……?」
今回の事件がきっかけで、ギルフォードは封印していた過去を思い出した。
父が無理やりエミリを側妃にしたことでエミリは王城内で苦しんでいた。
平民として育った女性が貴族として過ごすのはとても大変なことだ。
堅苦しいしきたりや、陰口、陰湿ないじめ。
メッサリアのことがなくてもエミリは心を壊していたかもしれない。
ギルフォードが思い出す母の姿はどこか儚げで、悲しそうな笑顔ばかり。
それがアンジェリカのせいだとそう思い込んでいたギルフォードだったけれど、それこそが間違い。
全てギルバードの束縛のせいだったのだ。
だからこそギルフォードはアンジェリカにも自由を願う。
母のようになって欲しくはないから。
「S級冒険者ギルフォード・サーストンとして望む、元王妃アンジェリカを我が領地の特別政務官として迎え入れたい!」
S級冒険者は国王と対等。
国を守ってもらう以上、その望みは出来る限り叶えなければならない。
S級冒険者になったじっちゃんは、スピアの森を買い冒険者を辞めることを望んだ。
もしかしたらその時すでにレイのことをじっちゃんは見つけていたのかもしれない。
愛し子であるレイを護るため、森で生きることを選択してくれたのかもしれないが、きっとじっちゃん自身が人ごみに疲れていたのだと思う。
誰もかれもがS級冒険者だとじっちゃんを崇拝する中、ただのロビン・アルクとして、レイの祖父として静かに暮らしたかった。
無口で優しいスキンヘッドなじっちゃんを思い出し、レイはそんな気がしてならなかった。
「この国の王として、私ジェラルドがS級冒険者ギルフォード・サーストンの願いを受け入れる。元王妃アンジェリカ・フォークラースへはルオーテの街での政務官としての職務を与える。ギルフォードとよく相談をし、領民に尽くすよう心掛けよ」
「はい、ジェラルド国王陛下、承ります」
ギルバードが何か言う前に、ジェラルドが国王としてアンジェリカに指令を与えた。
もう誰もギルバードを国王だと思ってはいない。
この国の国王はジェラルドなのだ。
「ギルフォードさん、良かったね?」
レイはなんて声を掛けていいのか分からず、疑問形になってしまう。
だけどギルフォードはそんなことなど気にせず、レイに笑顔を見せてくれた。
「ああ、有難う、レイのお陰でまた母上と暮らせるよ」
母親に出来なかったことをこれからアンジェリカにしてあげたいのだろう。
優しさ溢れるギルフォードの言葉を聞いて (ギルフォードさんてば、本当に甘えん坊なんだから) と笑ったレイだった。
こんばんは、夢子です。
今日もお読みいただきありがとうございます。
また、ブクマ、評価、いいねなど、応援もありがとうございます。
ギルバードは精錬の宮へドナドナされて行きましたとさ。
終わりが近づいて参りました。
最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。




