第六話 黄昏時の黒い影
蘇奈は周囲をきょろきょろして誰もいないことを確認し、木の根に座った。
この場所は、最近、宿直のときに発見した「穴場」だ。
貴妃の寝所に近いため、夜以外の時間は、ほとんど人が来ない。
「ふふっ、掃除当番お疲れさま、あたし」
蘇奈は、いそいそと綺麗な麻紙の包みを取り出す。
午前に宝物庫の掃除当番が終わった後、配られたお菓子だ。
宝物庫の掃除は、荷の移動や棚の配置替えなど重労働をともなうため、凛冬殿近侍長官の清寧からじきじきに、ご褒美のお菓子をもらえるのだった。
麻紙を開いた蘇奈は、ぱっと顔を輝かせる。
「うわ、龍髭糖だ! いただきまーす」
この黄昏時、女官たちは夕餉や湯殿や寝所の支度に、忙しい。
そんな中、一人ゆっくりお菓子を味わう時間が、娯楽の少ない後宮における最高の贅沢だと蘇奈は思っている。
ゆえに、お菓子をいただけた日は、黄昏時にこっそり抜け出して、この「穴場」でお菓子を食べることを自分へのご褒美にしていた。
「おいしーい」
口の中でほろほろと溶けていく龍髭糖を味わっていると、がさ、と近くの植栽が揺れた。
「だ、誰?!」
薄闇に、何か黒く小さいものが見える。
「なんだ、迷い動物か」
蘇奈はホッとした。
四季殿には、晶峰山から小動物がよく迷いこんでくる。狸やウサギ、ときには珍しい妖獣もいる。その類だろう。
もうひとつ龍髭糖を口に入れようとした蘇奈の手が、止まった。
「おかしいわね」
植栽の下の小さなものは、どうしたことか動かない。
違和感を覚えた蘇奈は、少し迷って、龍髭糖を口にいれてからそっと近付いた。
「なにが落ちているのかしら」
目を凝らしたとき、蘇奈は気が付いた。
今日はやけに、周囲が暗い。
いつもは陽が落ちると、回廊にはまばゆいばかりに吊灯籠に灯火石が入り、「穴場」にいても手元がちゃんと見えるくらい明るい中でお菓子を食べられるのに。
「……なんだ、本だわ」
拾い上げて、あ、と声を上げる。
「やだ、《《また》》この本? 変なところばかりで見かけるわね。いったい誰が落としたのかしら……あ、でも、落とし主を探したら、ここでサボってたことバレちゃうわ」
明日にでも華月堂へ持っていって、花音に事情を話してこっそり返そう――そう思って、本を懐に入れようとした、そのとき。
何気なく振り返って、蘇奈は目を見開く。手に持っていたお菓子の包みが地面に落ちた。
獲物を呑みこむが如く覆いかぶさってきた黒い影――それが、蘇奈が最期に見たものだった。