第1章
アストラシェス僧院では、第一僧院から第七僧院に至るまで、一日の多くの時間が瞑想と祈りに当てられている。畑仕事や食事の仕度、僧服の仕立てなどは交替で行なわれるとはいえ、やはり人には向き・不向きといったものがある。アストラシェス僧院では、「自分が苦手なことを求むることこそ真の修行なり!」ということもなく……作物を育てることに特に才を持つ者、畑仕事を好む者は本人の希望によりそうした仕事に従事することが出来たし、それは料理や裁縫についてもまったく同様のことが言えた。ゆえに、冬以外の季節は、春の種蒔きにはじまり、秋の収穫期まで、多くの僧が畑仕事に従事していたとはいえ――これもまた、本人の希望により、「それよりも自分はより多くの時間を祈りや瞑想に当てたい」といった申し出があれば、割とあっさり信認される。もちろん、この場合こう思う者もあるだろう。畑仕事も食事当番も仕立ての仕事もさぼり、祈りや瞑想と称してたださぼっているだけなのではないか、と……だが、アストラシェス僧院では、「生ぐさ坊主はクリオラどまり」という言葉がある通り、第三僧院ティスティアナへ至れるくらいの僧というのは、もはや言葉数も少なく熱心に働く者ばかり、のみならず、アスラ教の聖典の教えにも通じた信仰熱心な者ばかりとなり、仲間内でそのような嘘をつく者があれば、おそらく誰に責められずとも当人の良心が痛みだしたことだろう(また、第三僧院へ上がれるのは<割礼の儀式>を受けた者だけであり、ここにゼンディラが十三歳にして去勢手術を受けた理由もあった)。
僧院の起床時間は朝五時であり、就寝時間は存在しないが、消灯時間のほうは夜の八時頃である。ただし、年に数度、断食祈祷を行なう月や大斎戒期と呼ばれる、一年の中でももっとも身を慎んで過ごさねばならぬ年末から年頭にかけての時期など、一晩中多くの僧が寝ずに祈りを捧げる期間があり――この時期のみ、僧院の大伽藍では煌々と灯りが燈ることになるのだったが……その大伽藍の天井から下がる、蝋燭の光によく似せた発光ダイオードの橙色の光に、ゼンディラは幼い頃から魅せられていた。その大伽藍の高所で輝く光は、大伽藍での夜の礼拝時以外見ることの出来ぬものであったが、実は中位惑星系にある一般家庭ではよく見慣れた、半永久照明だったといえる。
ゼンディラは、特にこの祈りと瞑想ということにおいて、第一僧院のメセトナにいた頃からすでに秀でた特質を有する者として、第一僧院大僧正より第二僧院大僧正へ申し送りがなされていた。そしてゼンディラは、第二僧院大僧正より、容姿に秀でているのみならず、性格的にも純真で信仰心が厚く、将来必ず第七至高僧院へこの者は至るであろうと、そのように第三僧院大僧正へ申し伝えられた者でもあった。事実、確かにゼンディラは二十五歳で第七至高僧院アストラシェスへ至るまでの間、他の仲間の僧たち誰からも愛されていた。僧院の生活というのは、厳しく孤独を強いるものであるが、そのかわり同じ宗教を信じていることからくる、何にも代えがたい共同体の仲間意識がある。また、中には周囲に打ち解けず、無口で誰とも口を聞かない者や(大抵の場合、こうした者は「アスラ神に沈黙の誓いを立てた」と語る場合が多い)、信仰熱心すぎるあまり、僧院での他の仕事において協調姿勢をまったく見せないといった者もいるにはいたが、ほとんどの場合において僧たちはみな寛容な態度で接していたと言ってよいだろう。
その点、ゼンディラは畑仕事も熱心にこなしたし、料理について格別な才能はなかったにせよ、それでも各僧院にいる料理長役の僧の手伝いには熱心だったし、裁縫に関してはもし山を下りたら仕立て屋として暮らしていけるくらいの才があったと言えたに違いない。何より、ゼンディラは日々全般における労働において、他の者に仕えることを厭わなかった。また、こうした姿勢というのは他の誰の目から見ても明らかだったため……彼という存在を嫌う理由自体、多くの者には見当たらなかったに違いなかった。
ところで、朝五時に鐘の音とともに起床したあと、大伽藍では朝の祈祷の時間をすべての僧たちが持ったのち、その後の仕事へそれぞれ就くということになる。食事当番にも掃除当番にも当たっていなかった者は、そのまま祈りと瞑想の時間を過ごすことになるのだが……アストラシェス僧院では、この祈りと瞑想のやり方というのが、おそらく少々変わっていたに違いない。
僧たちはその全員が、祈りと瞑想の時間を持つ時――それぞれに用意された真っ暗な個室に別れて祈りに専心するのである。ゼンディラは、僅か四歳にしてこの暗闇に初めて閉じ込められた時……一番慕っていた、母親代わりにも等しい尼僧の名を口にして泣きじゃくったものだった。それはヴィランもまったく同様だったようで、ふたりは時を確かめる方法もない闇に四時間も閉じ込められると、「あんなことに一体なんの意味があるのか」と、非常に訝ったものである。尼僧たちは「どんなふうに闇の中で祈ったり瞑想すればいいのか」という、そのやり方について一切教えてくれなかったせいもあったろう。だが、六歳になって読み書きを覚え、口頭で語られたものを聞くというのではなく、自分でもだんだんに聖典を理解できる幅が広がりはじめた頃……祈りと瞑想によって得られたものについて、上僧たちに順に聞かれたことがあった。何分、ゼンディラとヴィランは同い年であったが、その他の僧たちは口減らしのため僧院へやられた十代の少年もいれば、俗世間の生活が嫌になって出家したという二十代や三十代、あるいは四十代の者もおり、彼らはそれぞれ返答のほうがまちまちだった。
「何故かはわかりませんが、祈りと瞑想を続けるうち、どのくらい時間が経ったのか、時間を当てられるようになりました。暗闇の瞑想室から出てきて時計を見ると、大体合っているのです」と言う者もあれば、「幽霊とは思いませんが、何かこの霊山の精霊のような気配をいつでも絶えず感じています」と答える者、「死んだ祖母の霊と交信しました。ですが、もしかしたら夢を見ていたのかもしれません」と語る者などなど……ヴィランは正直に「途中から眠くなってきて寝ちまった」と答えたし、ゼンディラもまた、「暗闇に対する不安と恐怖しか感じませんでした」と、ありのままのことをそのまま話した。
この祈りと瞑想のための個室は地下にあり、ここに光を持ち込むことは厳禁とされていた(ただし、一日に一度掃除当番の者が清掃にあたる時のみ例外である)。また、石造りの狭い空間で、本当に「何もない牢獄のような場所」であることは、自分でも掃除当番で入ることがあることから――誰もが理解していることでもある。にも関わらず、完全に視力を奪われたに等しい環境下で、ただ黙想していると……そのうち、闇の中に「何か」いるのではないかと感じはじめたり、己の想像の産物であろうと理解していても、目に見えぬ霊の気配に近いものを感じ、目を閉じ続けることが難しくなってきたりする。無論、目を開けようと閉じようと、あるのはまったく同質の<闇>でしかない。この闇の中で、修行僧たちは、おのおのの答えを見つけねばならないと言われている。まず、不慣れなうちはアスラ聖典にある言葉を暗記し、ひたすらそれを唱えよ、とは一応助言されはする。ゼンディラにとって幼き頃の修行の日々の第一の困難は、とにかく暗闇に対する恐怖を乗り越えることであったに違いない。無論、当時はまだ聖典に書き記された言葉すべてを覚えていようはずもない。だが、とにかく聖典の聖句や警句などを、覚えている限り順に唱えていくことによってしか――暗闇の与える恐怖、引いてはバスラ=ギリヤークの誘惑を退けることは出来ないのだと、彼はそのように直感的に理解していたのである。
こうしてゼンディラは、闇が与える恐怖を克服するために、祈りと瞑想以外の時間はとにかくひたすらアスラ聖典を覚えることに専心した。この黙想は、午前の何時から何時までと決まっているものではなく、ヴィランなどぐっすり眠ったつもりでも、ほんの一時間程度しか経ってないことがわかり、「チェッ。もう一眠りしときゃよかった」と思うことがあったし、慣れた年上の僧であれば「今日はこんなところでいいだろう」と理性的に判断し、人手の足りない畑仕事に従事するといったこともあったろう。
だが、ゼンディラはその後だんだんに別名<闇部屋>と呼ばれる祈りと瞑想の間から出てくる時間が遅くなっていった。本人としてはそんなに長く篭もっていたつもりはないのだが、ハッと気づくと五時間以上もの時が過ぎているなど……メセトナの大僧正は、彼の中に他の者にはない宗教的資質をこの時からすでに見てとっていたのである。
第一僧院メセトナから第二僧院クリオラへ進むためには、こうしたある一定の期間祈りと瞑想に専心したことへの心の変化といったことの他に、高僧たちから受ける口頭試問がある。第二僧院へ進むためには大体のところ、アスラ聖典と他にある外典二冊について、通読したことさえあれば――それほど難しいことはないと言われている。だが、第三僧院ティスティアナ、第四僧院ナストラナヌク、第五僧院ゴンディスレセンテ、第六僧院ソーディナシェル……といったように進むにつれ、だんだんに高僧たちの仕掛けてくる質問は抽象的なものに変わってくるという。
ここで一応先に、アストラシェス僧院が崇める神について、説明が必要になってくるかもしれない。彼らが主な聖典としているものには二種類あり、ひとつがメトシェラ正典と呼ばれる、惑星メトシェラが誕生してのち、この惑星においていくつもの王朝が生まれては滅んでいったという、約二千年にも渡る歴史書。そして、こちらの歴史書よりも信者たちにとって大切なのが、その後アスラ=レイソルという名の神人が現れ、混沌とした世界を変え統一していった彼の言行録を書き記したものである。アスラ=レイソルは神人とも人神とも言われるが、彼本人が自分で語っているとおり、元はただの人間である。ただ、時としてある種の神通力を使い、気象すら操っていることから……この全宇宙を治める神から力を借り、人ならぬ存在として次から次へと戦争に打ち勝ち、惑星メトシェラを初めて統一した人物として、やがて神にも等しい存在として崇められ、人民の信仰を集めるに至ったわけである。
ゼンディラがアストラシェス僧院にいた頃で、アスラ=レイソルが惑星メトシェラへ降り立って千百年ほどの時が過ぎていたわけだが、彼自身にしてもアスラ=レイソルが「神である」と思ったことは一度もない。ゼンディラがアスラ聖典及び、メトシェラの人口の約七十%以上を占めるアスラ教の信者のひとりであったのは、あくまでアスラ=レイソルが実在した歴史的人物として偉大であったこと、またこのふたつの大典と呼ばれる正典と聖典、それから小典と呼ばれる二冊の外典が非常に優れた歴史物語であり、詩や警句も多数収めた文学的にも素晴らしい読み物であったことが大きい。
アスラ=レイソルが惑星メトシェラを統一するに至ってのち、千年の時が過ぎた今……彼の高弟たちが書き記したと言われるアスラ=レイソルの言行録の信憑性というのは、一言一句彼の語った言葉として本当にそうだったのかどうか、彼が全宇宙を治める神に祈れば、雨が降って乾ききった大地を潤し人民を喜ばせたとか、あるいは大嵐によって敵軍を壊滅せしめた――といった記述も、伝説的人物を彩るため、誇張がされた疑いというのが決してないわけではなかったろう。だが唯一、確かに彼が長く戦乱の大禍にあった惑星メトシェラを統一し、妹のアストラーダ=レイソルに政権を委ね、自身は戦争によってあまりに多くの血を流したことを悔い改め、晩年はアストラ要塞を僧院とし、そこで血の穢れを清めるため一心に祈りに専心していた……という、その部分については間違いなく真実であろうとゼンディラも素直に信じることが出来る。ところが、その後アスラ=レイソルは140歳近くまでも生き、アスラ王朝を治める一族の実質的な宰相であり続け、最後はアストラシェス僧院へ迎えにきた千人もの天女たちとともに天空の国へ帰っていった――というところ。小さな頃はそれでも、こうした物語的描写にうっとりすることも出来たし、そのような光景を思い浮かべ、死後の世界に憧れを抱くことも出来た。だが、僧院での生活にも慣れ、聖典の通読も十度を過ぎる頃には……ゼンディラ自身、他の学僧たちにそうと教わらなくても、歴史的事実とこうした物語的描写については分けて考えるようになっていったものである。
さて、ここであるひとつの疑問が生じるに違いない。メトシェラというひとつの惑星を統一したアスラ=レイソルという人物は、確かに優れた歴史的人物であったに違いない。また、彼を彩る伝説的色彩といったものも、彼が成し遂げた偉業のことを思えば許容できる範囲内と言えたかもしれない。それでも、彼本人を神と同一視したり、アスラ=レイソル自身がたびたび力を求めていたこの全宇宙を治めると言われる神――こちらにしても存在の不確かな汎神論的存在としか思われぬのに、惑星メトシェラの人々はどのようにして「神であるとは証明できぬ存在を神として信仰し続けることが可能であった」のだろうか。それは、ゼンディラがアストラシェス僧院に居続け、七つある僧院を順に登り、僧として位階が上がっていったこととも関わりがあったろう。アストラシェス僧院においては、第一僧院であるメセトナにあってさえも、「アスラ=レイソルを神と信じるか」とか、「神人として崇めるか」といったような信仰告白を求められることはない。アスラ教の本態とは、思想としてもっと曖昧模糊としており、信仰の鍵は何より、祈りと瞑想に専心することによって己の中の闇・虚無心・世俗的に成功したいという隠れた欲望など、聖典の中に描かれるバスラ=ギリヤークに象徴される悪鬼に打ち克つことなのだ。
このバスラ=ギリヤークは、本人が聖典の中でそう名乗っているとおり、人ではない。本当かどうかはわからないが、惑星メトシェラが誕生した時から存在する、地霊のような存在である。バスラ=ギリヤークはアスラ聖典のほとんど最初から登場し、アスラ=レイソルを常に窮地へ追いやろうとして苦しめに苦しめる。たとえば、アスラ=レイソルをあらゆる遊興に誘い、あるいは酩酊状態といった低い精神状態へ堕落させようとするも失敗し、のちはおもに、彼の敵に力の限り味方するか、あるいはアスラ=レイソル軍の将のひとりに憑依し、彼を裏切らせるなど……実態のある人でないがゆえに殺すことも出来ず、アスラ聖典における戦いというのは実は、表面的には乱立する王朝を統一するということのように見えて、アスラ=レイソルのほとんど果てしのないバスラ=ギリヤークとの精神的・霊的戦いといって過言でないのである。
アスラ教の信者たちにとって何より肝要なのは――表面的な世俗的成功を手に入れることよりも、己の内なるバスラ=ギリヤークに打ち克つことだと言われている。そのために必要なのは、歴史書である二冊の大典、あるいは<法>とも呼ばれる外典に触れ続け、生涯に渡って学び続けること、<法>に書き記されたことを守り、祈りと瞑想に専心し続けることが……アスラ=レイソルが至った悟りの境地へ至る唯一の道とされている。
正直なところを言って、ゼンディラはアスラ=レイソルのことは<神>として信仰の対象にしていたわけではなく、彼が生きた時代にバスラ=ギリヤーク的存在がいて、人々を惑わした……ということは信じようと思えば信じられるにしても、今も彼が生きて働いていて、この僧院に住む僧たちを惑わしたり、善良な民草を堕落させるべく虎視眈々と狙っているなどとは――半ば、迷信であるようにしか思えなかったものである。
惑星メトシェラに住む人々は、子供をしつける時、今でもよく「そんな悪い子はバスラ=ギリヤークにさらわれてしまうよ!」と言うことが多いし、実際ゼンディラもヴィランも尼僧たちにそのように言われて育ってきた。ゼンディラにしても、第一僧院であるメセトナや第二僧院クリオラにいた頃くらいまでは、まだ十代前半の多感な時期だったこともあり、暗闇の片隅にバスラ=ギリヤークが――毎年、大斎戒期に劇で見る、赤銅の肌の、顔に目玉が八つある怪物がいるのではないかと怯えたこともあった。だが、彼の場合第三僧院ティスティアナへ移る頃には、心の迷妄とともにこれらの幻影を振り払うことが大切なのだと、だんだん気づきはじめていったのである。
アスラ教においては、「これが概ね正しい解答だ」といった答えのある教理問題のようなものは存在しない。ただ、第三僧院から第四僧院、あるいは第五僧院……といったように、僧として位階が上に上がろうかという時のみ、普段<祈りと瞑想の間>で何をどんなふうに祈っているかを聞かれたり、アスラ聖典のある箇所を指して「この時のアスラ神の行動をどう思うか。あなたはどう考えるか」といったように質問されるわけである。普段の共同体における生活態度全般といったことも当然大切ではあるが、本質的な信仰心に歪みがないかどうかを、そのような形で問いただされるわけであった。
ゆえに、ゼンディラはその後、十六歳の時に第三僧院ティスティアナへ、十八歳の時に第四僧院ナストラナヌク、二十一歳の時に第五僧院ゴンディスレセンテ、二十三歳の時に第六僧院ソーディナシェルへと移るそのたびごとに――(今度こそ、口頭試問で落ちるかもしれない)との緊張感と不安を覚えたものだったが、結局のところ彼はどこかひとつの僧院で足止めされ、その後なかなか上の位階へは上がれなかった……という経験すら経ずに、二十五歳の時、とうとう第七至高僧院アストラシェスへ至ることが出来たわけであった。
千年もの伝統を誇るアストラシェス僧院において、ゼンディラほどの若さで、こんなにも早く第七至高僧院へ至った者は他にいないと言われている。多くの場合、第四僧院から第五僧院、あるいは第五僧院から第六僧院へと上がろうかという頃、修行僧生活にも若干の緩みや堕落が見られてきたり(稀にではあるが、一度第六僧院まで上がった者が、第五僧院や第四僧院へ再び落とされることがある。また、これはアスラ僧にとって非常に不名誉なこととされている)、あるいは、第四僧院にいるのが居心地が好い……といった場合、その僧のほうでわざわざそれ以上上の僧院を目指そうとしないといったこともあったろう。とはいえ、ある程度の歳月を経れば、自然と上の僧院へ上がれるよう配慮されている場合が多く、大体のところ上の僧院へ行けば行くほど僧たちの年齢もまた上がってゆく。
さらに、第六僧院から第七至高僧院へ上がれるまでには、どんなに早くても五~六年の時を要する……と言われていた。にも関わらず、ゼンディラが第六僧院ソーディナシェルからほんの二年ほどで第七僧院へ至れたことには、あるひとつの理由があったに違いない。というのも、その頃第七僧院の大僧院長であったゾシマ長老が、病いにより、自身の寿命が長くはないと悟っていたことにより――ゼンディラに対し、自身が今の今まで経験してきたこと、あるいはアスラ教の真髄についてなど、ひとりの修行僧として約六十年かけて得たものを、この若き見どころのある青年に授けたいと、そのように切望したことが……ゼンディラが異例の、二十五歳という若さにより第七至高僧院へ入門することが許された大きな理由だったと言える。
実際、そのような求めをだしたわけでもないのに、第七至高僧院への入門許可を受けた時、誰より一番驚いたのはゼンディラ本人だったことだろう。何分、第六僧院ソーディナシェルにいた僧たちは、一番若くて四十二歳であり、毎年第七至高僧院へ登りたいとの希望をだしているにも関わらず――もう十年もソーディナシェルで修行を積み続けている六十九歳の僧までいたほどなのである。
だが、彼、この六十九歳のユーリッディは、ゼンディラが第七至高僧院へ召された時、誰よりもそのことを喜び、ゼンディラのことを祝福してくれたものである。ゼンディラもまた、涙を流して喜んでくれたこの老僧に対し、「わたしも、早くあなたと第七僧院で会えることを楽しみにしています」と答えていたものだった。
こうして、ゼンディラが第七至高僧院へ登った時……そこには十二人の高僧たちがいた。みな、矍鑠としてはいるが齢七十を越えており、柔和な顔つきをした、目の見えぬシヴァータ老、腰の曲がっていることを毎日神に感謝しているアーガス老、同じくリウマチであることを喜ぶブラフマー老、八十を過ぎているとは思えぬ、活力あふれるモントナ老、解釈含め、誰よりアスラ聖典に通じていると言われるダリハス老、祈りと瞑想に専心するあまり、五十六年誰とも口を聞いていないというマロス老、第一僧院から第七僧院に至るまでの畑管理をしているドゥルート老、祭祀を取り仕切る最高責任者であるゴーティマ老、大典や聖典に収められた言葉の朗誦に秀でたディオルン老、外典に収録されている信仰者を鼓舞するための聖歌を歌うに長けたコリエス老、ほとんど神業とも言われる僧服仕立ての腕を持つカリーリャ老、そしてこのアストラシェス大僧院の中で最高位の位階者である、大僧院長のゾシマ長老である。
ゼンディラは何も、第七至高僧院へ至ってから、これら十二人の長老たちに初めて会ったわけではなく……彼らのほうではゼンディラのことを、彼が極小さな頃から知っていたし、ゼンディラのほうでも僧院の年間行事などを通し、その時々で長老たちの顔を見たことがあるか、あるいは親しく学びを受けたこともあるという、長年に渡ってそのような関係性であったわけである。
ゆえに、ゼンディラは自分だけがあまりに若いことに対し、最初は戸惑ったとはいえ、自分は十二人のこの長老たちの従僕であると考え、誠心誠意勤めることを、まずは第七至高僧院へ上がった初日にアスラ神に誓ったのであった。たとえば食事の給仕や、畑仕事の見回りへのつきそい、僧服仕立ての助手、祭祀を執り行うための練習参加、聖歌の歌唱や聖典の朗誦見習い、あるいは老僧たちへの薬を塗っての体のマッサージやその他日常の雑事の手伝いなど――彼はまだ若かったこともあり、自分に出来そうなことは日々なんでも精力的に行った。
ゾシマ長老のみならず、他の長老たちもみな、老い先短いことを感じていたから、「どんなことをも学び、吸収したい」と考えている若い魂に、自分たちの知っていることを折に触れてそれとなく伝授しようとしたものである。たとえば、アスラ教の聖歌における独特の歌唱法について、聖典の朗誦のコツ、僧服の神業的仕立てについて、畑仕事の知恵、特別な食事のレシピ、他には無論、おのおのが達成したアスラ教の真髄についてなど……ゼンディラは第七至高僧院へやって来るずっと前から、誰に対しても仕える者として、他者を自分より一段も二段も上の存在として謙虚な態度で接したことから――ここでも長老らの目に敵い、表面上はどうあれ、目下の者に対してでない、むしろ対等な友としての寵愛を受けるに至ったのである。
ただ、そんな中アスラ神に沈黙の誓いを立てているというマロス老だけは、唯一ゼンディラにとって最後まで謎の深い存在だったに違いない。彼は誰の、どんな問いかけにもピクリとも笑わず無表情だったし、意思表示をする時にも必要最低限の身振り手振りによって伝えるというそれだけである(それ以上、何か深く彼と話をしたければ、マロス老のほうでは筆談という形を取ることになる)。だが無論、ゼンディラは一日のほとんどを祈りと瞑想に費やしているマロス老のことを心から尊敬していたし、いつか、筆談でいいから「祈りと瞑想の極意」について、彼に教えを乞いたいものだと考えていたのである。
こうして、まるで周囲で時が止まっているかのように落ち着いている十二人の長老たちとは違い、毎日忙しいゼンディラではあったが、彼はこのような僧院という場所にあってさえ将来に夢を持っていたし、自分が人として穢れの少ない充実した日々を送っているとも感じていた。そして、第七至高僧院において、ゼンディラがそのように実感するのは何より、長老たちがふとした瞬間に話してくれるアスラ信仰に絡めた人生の話によってだったろうか。
十一人いる長老たちが誰しもみな、ゼンディラにそのような話をしたがったわけではない。というよりむしろ、最初のうちはアスラ神に仕えるということの本質についてなど、真面目な信仰について、長老たちは何かの折に触れふと話してくれるのであったが……夜眠る前に強張った筋を伸ばすためのマッサージをしたり、あるいは背中に出来た発疹に薬を塗ったりする間など――長老たちは機会を捕えて、自分が何故僧院へやって来ることになったか、若かった頃の過失や不名誉な過ちについて……一種、何かの懺悔をゼンディラにするかのように語ってくれることがあった。
そうした告白の一部の中には、その長老自身、語りたくて語ったわけでないだろうものも含まれていた。ただ、赤ん坊の頃に第一僧院の門前に捨てられ、その後僧院内での暮らししか知らぬゼンディラのことが別の意味で心配になったのであろう。彼らは世間の穢れやそこに住む人々の愚かさや狡賢さ、互いに嘘をつきあい騙すことの虚しさ、さらには男女間に存在する愛情の難しさについてまで――「かつて自分にも妻がいて家族というものがあったのだ」という、それらのものを捨て去らねばならなかった複雑な経緯についてなど、苦しい胸の内を語ってくれた長老もあった。確かに、そうしたことというのはすべて、今は遥か昔に過ぎ去ったことであって、その長老にしても何か人生自慢したいわけではなかったろうと、ゼンディラは話を聞いていてそのように感じた。ただ、その謙虚で控え目な語り口調からわかるのだ。長老としての権威が失墜しかねない過去を話してくれるのも、若く物を知らぬ自分に対し、何か思うところあってのことなのだろうという、そのことが……。
そして、長老たちの個人的な過去話の中でも、ゼンディラにとってもっとも興味深かったのが、何よりゾシマ長老の話であった。彼は齢七十を過ぎ、自身の寿命を感じているとのことだったが、ゼンディラにはそのようにはまったく感じられなかったものである、肉体こそ、七十を越えた老人のそれであったかもしれないが、顔など皺も少なく(奇妙な言い方だが、老人として必要最低限の皺があるといった程度)、背中もまったく曲がっておらず、その歩き方たるや、ゼンディラと一緒に僧院敷地内を歩きまわる間――やもすれば、彼のほうが息を切らしているほどであった。
ゾシマ長老もまた、他の長老たちと同じく、質素を旨として生活していたが、それでも、アストラシェス大僧院の最高責任者として、ひとつだけ大きな特権に浴していたとすれば……その昔、アスラ=レイソルが迎えにきた天女たちとともに天へ昇っていったという、僧院の最上階からしか見ることの出来ない景観が、ゾシマ長老の部屋からは見晴るかせるということだったに違いない。
ゾシマ長老はその後、ゼンディラが第七僧院へやって来た半年後に亡くなったわけだが、その半年の間、何かの用事のついでに彼のことを部屋へ呼んでは自分の身の上話をしたものである。まず、ゼンディラが何より一番驚いたのは、ゾシマ長老がそもそも、惑星メトシェラの住民ではなかったということだったに違いない。彼は元は高位惑星系の本星(首惑星ともいう)、エフェメラの出身であった。
ある意味当然のことながら、惑星メトシェラの住人たちは、<既知宇宙>という概念自体持ち合わせていない。これは、地球発祥の生命体である人類が、その後宇宙へ進出し、現在までで約4万4千年かけて高位惑星系・中位惑星系・その他メトシェラのような辺境惑星を含む下位惑星系を形成するに至るまで――それでもまだほんの宇宙の片隅を切り取るように支配する宙域を持ったに過ぎないことを示す言葉といって良かっただろう。つまり、本星エフェメラからメトシェラまでは遥か五千光年もあったが、これほど広い宙域であってさえ……この全宇宙に比べればまったく小さかったという、この小ささがどれほどのものかを、ゾシマ長老はまず、ゼンディラに説明しなければならなかった。
(ゾシマ長老はなんと壮大にして手のこんだ法螺を吹くのだろう!)と思うでもなく、ゼンディラはゾシマ長老の語る言葉を、むしろ一言一句聞き洩らすまいとする弟子の熱心さでもって耳を傾けていたものである。
ゾシマ長老は、本星エフェメラから、ここ惑星メトシェラまでの距離について、あるいはここへ至るまで他にどういった人々の住む星がおもにあるかを図に書き記して説明したのち、自身の生い立ちからはじめ、何故こんな辺境惑星までやってきたかを順にゼンディラに話してくれたのであった。もっとも、それは多分に長い身の上話であり、ゾシマ長老にしても、一晩ですべて可愛い弟子に語り終えたというわけではない。次の会話は、ゾシマ長老が何回かに分けて話してくれたことの、大体の要約といったところである。
「何故、そんなにも文明が発達した最高位の惑星から、こんな田舎の辺鄙なところまでやって来ることになったのですか……?」
その時点で、ゼンディラにしても本星エフェメラと惑星メトシェラの文化の違いや、エフェメラを含めた高位惑星系の星々が持つ、遥かに理解を越えた科学文明技術の粋について、十分理解していたわけではない。正直なところを言って、「エフェメラでは人々はみな体内に埋め込んだナノチップによって、互いに連絡を取りあう」、「下層市民たちは誰もみな仕事などしておらず、仕事らしきものをネット経由でして働いた気になり、毎月の手当てをもらっている。まあ、毎日ある一定時間ゲームをしたり、企業の求めるアンケートに答えたりしているわけだな」、「彼らの上にいるのは、試験を受けて合格した国認定の役人たちだ。彼らは下層市民を満足させると同時に、下層市民たちを管理するために存在している」、「国のトップに立てるのは、遺伝子その他においてもっとも優れた者たちで、このトップグループにかつてわたしもいたことがあるのだよ」……などなど、まるで当たり前のように言われても、ゼンディラにはさっぱりちんぷんかんぷんだった。
ゼンディラがこの時彼なりに理解できたのは――メトシェラにもやはり、州ごとに責任者がおり、その中でもっとも偉いのは首府にいる惑星全体を治める女王陛下であるように、本星エフェメラでは最高星府議会というのがあり、その議会の最高責任者である議長がもっとも高位の地位にあるということらしい……くらいのことだったに違いない。他の市民の暮らしについては、コンピューターという言葉自体をゼンディラは理解しなかったものの、それでも文明がもっと進歩すれば(ここメトシェラでは何百年先のことになるかわからないにせよ)、そのような人のかわりに働いてくれるシステムのようなものが出来、人間は楽をして働かなくて済むようになるというのは……(まるで夢のような話だ。そして、エフェメラその他の惑星では、そのような人間の最高度の文明にすでに達しているのだ)と思い、自分の限定された理解の範囲で少しばかり羨んだという、それだけである。
「私は……あらゆる環境や文化、物質的な物には確かに恵まれていたろう。だが、家族や友人や同僚といった人との関係において恵まれなかったものでね。それがまあ、突き詰めていえば私がこんな辺境惑星……失礼。惑星メトシェラへやって来る結果を招いたのだ。私は三人兄弟で、上に兄、それから次に姉、それからこの私がいた。ところが母は政略結婚で嫌々ながら結婚したらしく、私を生んで間もなく、愛のない父との生活が嫌になり、隣の惑星ローゼリアの実家へ帰ってしまった。私はゼンディラ、君と同じく母親の愛を知らずに育ったんだ。代わりに理想的な母性愛とやらをプログラムされた家政婦のアンドロイドが屋敷にいたが、私にとって母親の代わりにはならなかったよ。父親は星府の高級役人で忙しい人だったけど、年の少し離れた兄のほうがね、性格のよく出来た人で、弟の私の面倒をよく見てくれたんだ。姉のこともまあ、とりあえず嫌いではなかったね。ところが……のちに私はこの兄のことも姉のことも大嫌いになる。ゼンディラよ、一体このわたしの身にその後、成長してから何が起きたと思うね?」
「ええと……」
ゼンディラには、彼の想像力のすべてを駆使しても、想像することが困難だった。まず、彼には血縁が誰もいなかったし、そんなゼンディラが今までの人生でこっそり夜眠る前に夢想してきたのは……自分に家族が存在してさえいれば、その家族をきっと自分の命より大切にしただろうという、そんなことばかりだったのだから。
「そうだな。話せば長くなるが、父親が死んだ時、兄と姉と私の三人で財産を分けることになったわけだ。正確には、ローゼリアに戻ってすでに再婚している母にも、父は財産を残していたんだがね……姉のネリーが怒り狂って弁護士を差し向けたんだ。母は資産家の貴族と再婚していたから、当然すぐ姉の言い分を聞き入れて財産放棄してきたわけだよ。これで、父の残してくれた資産は概ね三等分にすればいいということになると思うだろうが……まあ、簡単にいえば我々三人の間ではこれが大きな兄弟喧嘩の種になったわけだ。父は高位惑星系のみならず、中位惑星系の星々にも結構な不動産投資をしていたから、不動産としてより価値の高い土地や建物のことで、誰がどの場所を相続するか、あるいは処分してその金を分け合うかなど、検討すべき資産があまりに多すぎたわけだな。こう言ってはなんだがね、姉のネリーは目狐のように強欲で、兄はそんな妹の人格をよく問題にしては私を味方につけようとするんだが……兄のネイサンは父の死の前に、惑星投資に失敗して借金まであるくらいだったから、ネリーはネリーで心配だったわけだ。その頃兄の投資のやり方にはギャンブル的なところが見られたから、父からどれほどの資産を受け継ごうとも、結局のところすべてスッてしまうんじゃないかと、姉の言い分はこういうことなんだね。ゼンディラよ、君は私の兄と姉、どちらの言い分がより正しいと思うかね?」
「わたしは、生まれてから今に至るまで、財産というものを持ったことがありませんから、正直まったくわかりません」
ゼンディラは苦笑しつつ、あくまで控え目にそう答えた。
「そうなのだ。ゼンディラよ、私が私の死後も覚えていて欲しいのは……このことなのだ。私は今、私の父と兄と姉、この三人の人格すべてを合わせても――ゼンディラよ、到底君の足許にも徳という意味で遥かに及ばないということが言いたいのだ。いいかね?ゼンディラよ、もしかしたら君は、エフェメラでは下層階級の人間こそ一番働いていないと聞き、驚くとともに、メトシェラの人間もそのようになれればどんなにいいかと、そう思ったかもしれない。惑星メトシェラの一般市民の生活、貧しい農耕民の生活といったものは苦しいものだからな……が、まあ、文明が遥かに発達しており、唸るほど金があっても人は不幸になれる――人間というものは、どんなに恵まれた環境に生まれようとも、自分で自分を不幸にできるという悲しい種族なのだよ。このことを、ゼンディラ、君には何よりまず覚えておいて欲しい」
「はい……」
ゼンディラは、十分に、とは言えないまでも、ゾシマ長老の言いたいことを、なんとなくではあるが一応理解した。彼自身は今の今まで、(自分に血の繋がった家族がいたらどんなに幸福だろう)、(もし財産がたくさんあったら、もっとも貧しい人の元に真っ先に食糧を届けよう)……そんなことをぼんやり考えたことはあるが、実際に自分に家族がいて恵まれた出自であったにせよ、それならそれでまた別の問題が生じてくるのだろうということは――家族も、なんの資産も持ちえていない彼にも、一応理解は可能だったのである。
このあと、少しの間沈黙が落ちた。その日はちょうど満月であったため、窓から見える隣の山頂にある花崗岩の霊廟が青白く、冴え冴えと静かな光沢を放っていた。そこにはここ、アストラシェス僧院で生涯をまっとうした僧たちの眠る墓が、どこか芸術的な趣きさえ持って連なっているのであった。
ゼンディラはゾシマ長老の部屋へ来て、この大僧院長の話を聞くのが好きだった。それが昼でも夕方でも夜でも……その日によって窓から見る景色は違ったし、時にはいつもは眼下に見える白い霊廟が押し寄せる青白き雲海によってまったく見えないこともあり……朝の極早い時間にその上に太陽が昇ってくるのを見た時には――(おお神よ、アスラ=レイソルよ!!)と、心の中で叫んでしまったほどである。
「ゼンディラよ、君はこの景色に神を感じるかね?」
この時、ゼンディラはただ、ゾシマ長老の部屋まで、新しく仕立てた僧服を届けにきただけであった。けれど、その出来立ての服を手に持ったまま、ゼンディラはただ、窓外の景色に時間を忘れて見惚れていたのである。
「す、すみません……あんまり朝焼けの光景が美しかったもので……」
「いいのだよ。私自身、自分が大僧院長になった唯一の特権が、この部屋の窓から見える、日々姿の少しずつ異なる景色なのだからね。人間というものは、こういった素晴らしい言葉に尽くせぬほどの自然の景観に出会うと――その背後に、人知を超えた大いなる存在を感じるものらしい。その者が、もし無神論者で、神を信じていなかったにしても……」
「…………………」
ゼンディラはどう答えていいかわからず、ただ黙ったままでいた。自分の心の内を見透かされたように感じたこと、また、僧服を置いてすぐ出ていけばよかったのに、部屋に居座ってしまったことを恥かしく感じていたせいもある。
「つまり、人間の脳の構造がそのように出来ているということらしい。大体のところ同じ理由で、宇宙の大海原を人が旅するという時……その恐るべき果てしない光景を前に、人は畏怖さえ覚える。そしてその畏怖という感情はちょうど、神に対する恐れの感情によく似ている。ゼンディラ、君もいつか、ここ惑星メトシェラを出て、宇宙船で旅することがあるかもしれない。その時、私が今言った言葉の意味をどうか思い出しておくれ」
「そんな……わたしがここ、メトシェラを出ていくことなど、生涯決してありませぬ。何故といって、わたしはここアストラシェス僧院に忠誠を誓った者ゆえ……」
それ以上、何をどう言っていいかわからず、ゼンディラはただ、膝を屈めてゾシマ長老に新しい僧服を渡し、頭を下げてそのまま部屋を辞去した。
そして、この日の夜のことだった。ゼンディラは就寝前にゾシマ長老に呼ばれ、彼の若かった頃の人生について、随分長い話を聞かされたのは。何分、僧院の朝は早い――というより、ここ第七僧院においても起床時間は五時である。だが、年をとると人はより早く目が覚めてしまうものらしく、長老たちは四時半、もっと早ければ四時には目覚めて第七礼拝堂へ集いはじめるのである。もっとも年若い自分がそこへ一番遅れて到着するのはどうかという気がして、ゼンディラにしてもやはり、四時過ぎくらいには礼拝堂へと向かうのだった。
ゆえに、ゾシマ長老はいつでも、ゼンディラの身を慮り、長く自分の部屋に留め置くことはないのだが……途切れ途切れに彼に伝えるべき、あるいは伝えておくべきだろうと考えることについて話すうち、長老自身、何をどこまで話したか忘れてしまうことがあるようだった。だが、この日の夜話そうとしたことは大切なことであったがゆえに――ふたりは夜更けまで、時を忘れて随分長く話をすることになったのである。
>>続く。




