第5話
「――っ!」
エウスタシオの横からリッカルドに届くように、魔法を唱える。その瞬間、殴りかかろうとした姿勢のままリッカルドの動きが止まった。よかった、間に合った。ふう、とひと息ついて、慌てる気持ちを抑える。徐々に周囲のざわめきもよく聞こえてくる。
「あの魔法、使える人なんていたの!?」
「あんな上位の魔法、見たの初めてだ……!」
私もあまり魔法は使いたくない。特に人を傷付けるような魔法は。この魔法はそんな心配はないけど、ただただ疲労が他に比べて倍以上になる。
人や物の動きを止める魔法はいくつかある。誰でも使えるのが対象を縛り付ける魔法。でも私のは違っていて、対象の動きを時間的に止める魔法で時に干渉することができる。詳しいことは自分でもよく分かっていないけど、とにかく時間に関係する魔法を使えるのは私くらいなんだとか。お母様がそう言っていた。
こんな特殊な魔法、王室が欲しがらないわけもなく……。それで王様は私に婚約を持ちかけた、というか半ば強制的に取り決めたんだと思う。リッカルドはそのことに気付いていなかったけど。
「お嬢様、魔法はそろそろ……」
「解いたら、すぐに拘束の魔法いれていい?」
「おやめになった方が」
「はは、嘘だよ。……っと」
リッカルドにかかっていた魔法を解くと、その拳は空振り床に倒れこんだ。この魔法の不思議なところは、対象の時間は止まるけど周りの時間は止まらないから、対象にも周りで起こっている出来事は伝わってくる。つまり、今自分に何が起こったか彼は理解しているということ。
「――ックソ! なめやがって! そいつは浮気した尻軽女なんだぞ!」
「……お言葉ですが、リッカルド様。お嬢様は、浮気などしたことはございません。妃になるためにどれだけの教育を受けてきたか――」
「はぁ!? 証拠があるんだぞ!」
そう言って、リッカルドは近くにいたファブリツィアの方へと目を向ける。彼女の侍女が持ってきたあの証拠によっぽどの自信があるのだろう。期待の眼差しでファブリツィアを見ているが、当の本人の瞳は右へ左へと忙しなく泳いでいる。
やはり、あの証拠は――。
「……エウスタシオ、もういい。下りなさい」
「っですが!」
「は! そうだぞ、王室に歯向かうとはいい度胸だ。処刑にしたって――」
「リッカルド様」
あんなもので浮気をしたと、何度も罵った相手の言葉を借りるかのように威張る彼に私の言葉を重ねる。もう、ダメな男の言いなりになんてならない。
「、なんだ」
「エウスタシオの言った通り、私は浮気などしておりません。差し出された証拠には魔法の痕跡がべったりとありました。――小さな子どもが見てもわかるほどに」
「なっ!」
「おそらくそちらの……ファブリツィア様のものでしょう。ご存じの通り、魔法は人それぞれ異なっております。いわば、この手にある指紋のようなもの。王室専属の魔法士の方々に鑑定していただければ、すぐにでも分かるかと――」
「っ! 俺を侮辱するつもりか! このっ!」
また殴りかかろうとリッカルドが振りかぶったその時、会場の扉が音を立てて開く。私たち以外の参列者は、動向を静かに見守っていたからか会場内にバンッとよく響いた。全員の視線がそちらに向く。そこには、王様――フレデリコ様が立っていた。
「これは、なんの騒ぎだ! アリーチェ嬢!? どうしてここへ……」
「王様……お騒がせして申し訳ございません。王様もお気づきのことと存じますが、あの証拠品についてリッカルド様にお話させていただいたところです」
小さな子どもが見ても分かる、つまり、あの証拠品を見せられたであろう王様も何か勘付いたに違いないと思っていたが、やはり分かっていたようで、王様の顔色が変わっていく。
「! あのことを……。アリーチェ嬢、本当に申し訳ないことをした、すまない」
「い、いえ! お顔をあげてください!」
子どものしたことは親の責任、とよく言うが、リッカルドはもう十分に大きい。私の元いた世界ではまだだけど、この世界ではもう成人も過ぎている。あんな粗雑な証拠とも呼べないものを信じ切ったのは、王様ではなくリッカルドの責任に他ならない。
「だが、リックが愚か者だったのは知っていたが、ここまでとは……。私としては、もう一度アリーチェ嬢と婚約してほしいところだが」
「なっ、父上! この女は!」
「……アリーチェ嬢の話を聞いていなかったのか? すでに魔法士による鑑定は済ませてあり、彼女の言う通り、そこにいるファブリツィア嬢の魔法の痕跡が残っていた。――これだけ言えばわかるな?」
「ぐっ……」
まさか王様の中ではもうすべてが線で繋がっていたとは。さすが一国の主だ。リッカルドは、先ほど私が言ったことと全く同じことを王様から聞いて、ようやく引き下がるしかないことを理解したようだ。
「アリーチェ嬢、貴女さえよければ再婚約してもらえないだろうか。もしこの愚か者が気に入らないというなら、第三王子のセヴェリンでも構わない。彼にはそういうことがないようにしっかり教育する。だから――」
「王様、お話は至極光栄なのですが、浮気者として婚約破棄した人物をその破棄を要求した側から誘い入れるのは、あまり外聞がよろしくないと思われます」
「だが、貴女の力は今後確実に必要になってくる」
「ええ、お母様にもそう教えられています」
「っならば!」
お母様も唯一無二の魔法を持っていて、よく重大な任務に駆り出されていた。私にも同じように特別な魔法があることが分かった時から、何度も「アリーチェは必ずこの国に必要な人材になるわ」と言われてきた。魔法なんてできれば使いたくないし、国防のためにと駆り出されるなら必然的に人を傷付けてしまうだろう。国のため、と言われても、それほど国自体に思い入れはない。けれど、家族のみんなや、エウスタシオのことは守りたい。
「――ですから、婚約などなくても王室に、この国にいつでも助力いたします」
王様に最上級のカーテシーを、最大級の忠誠を、多くの上流貴族がいるこの中で誓う。そうすることでこれだけの証人がいれば、口約束だけど口約束以上の意味を持つ。
王様もその意図を汲んでくださったのか、ホッとした表情を浮かべて会場を去っていった。
婚約披露パーティが始まったばかりの頃に感じていた不快な視線は、パーティの主役であるはずの二人に注がれていた。リッカルドはそれに居心地が悪くなり、この場を去ろうと扉の方へと動き出したが、ファブリツィアが彼の腕を掴んだ。
「リック様……」
「離せ!」
「きゃっ!」
「お前のせいで……クソッ!」
「まっ! ……くっ」
掴んだ腕は強く振り払われ、リッカルドはさっさと一人で会場から出ていった。彼に縋ろうとしたが叶わず、すべて私のせいだとでも言いたげな睨みをキッと利かせて、ファブリツィアも後を追うように出ていき、主役が二人ともいなくなった婚約披露パーティは自動的にお開きとなった。