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±7σ: 分布における信頼区間のうち、整数で表されるものの七番目。標準偏差の場合、およそ十億七千万年に一度の確率に対応する。

 ――コイツらには同族嫌悪って概念がないんだな。

 人懐っこく耳障りな声を上げるドラゴンの檻を覗いて、彼は虫唾の走る思いがした。

 冷血魔獣特有の無機質で、宝石のような目がこちらを視ている。その、何を考えているのか一切知れない目はまるで鏡の中の自分を見ているようだ。

 だから彼はドラゴンが嫌いだ。しかしドラゴンのほうは彼を好きだった。

 彼は天井まで高々と積み上がったドラゴンの檻の間を歩いていた。

 生臭さから逃げるように檻の間を抜け、薄暗い竜舎の奥の干し草の積み上げられた一角に寝転がる。風の通るその場所で、彼はようやく大きく深呼吸をした。

 彼――シドニアにはその頃の記憶が鮮明にある。

 士官学校の退屈な一般教養の授業を抜け出して、一人ドラゴンの竜舎で過ごした日々のこと。


(まったく、何が悲しくて軍人になるのに多元宇宙だの量子だのの講義を聞かなきゃならないんだ)


 魔術概論の授業はまだマシであった。

 戦争になれば敵も魔術師なのだから、魔術について知っておいて損はない。魔術の基本は流体への干渉だ。プラズマ、低分子、気体、金属――流体と見做せるものなら何でも魔術の研究の対象だ。

 そこまではわかる。でも宇宙の成り立ちや、それがどのようにして上位多次元多様体の上を移動しているかなんて――興味のある人間がいるか? 教えてるほうだってよく分かっていないに決まっている。ブリタシアのアカデミーならともかく、ここは軍人の養成所なんだぞ。

 事実、二年次ともなればもう一般教養のコマはない。なければないで、他の授業が退屈になってまた校内をぶらついたり竜舎で不貞(ふて)寝したりする。

 彼はそういう男だ。

 僕はそういう人間だ。

 そう、その頃の記憶はまだ鮮明なのだ。鮮明に、胡乱(うろん)なのだ。

 へらへらと笑って人との接触を避け、孤独を好み、選択から逃げた。

 彼は常にコインを投げる。コインを投げて、運命を占う。

 コインの確率は常に半分。コインは正直で、平等だ。

 彼は、ナトリウムを含んだ干し草の上に寝転がって、ポケットからコインを取り出した。

 通称「2.5ダイム」、二十五セントハーフ・フィフス・ダイム硬貨。直径1.2インチ。重さ約0.4オンス。

 この硬貨も、この世界線には確かに存在している。

 ハーフ硬貨なのにでかでかと刻まれた神聖パルマ・ノートルラント民王国の国土がなんだか象徴的に思えていた。

 彼はその効果を親指で、高々と弾き上げた。

 コインは、天井近くの明かりとりの窓から差し込む鋭い陽光を反射させながら、くるくると宙を舞い、二度とこの手に戻らないのではないかと思うほどにそれは高く――。



***



『アイツは運がいいだけだ』


 幼少の頃からずっとそう陰口を言われているのは知っていた。

 彼の生まれを知ってのことか、そうでなかったのかまではわからない。

 彼が生まれたとき、老人がいた。

 祖父だと言われた。

 祖父は優しく、しかしときには目の色を変えて彼に王道を説いた。

 王たること、王たらんこと、王しらしめること。

 それが祖父ではなく実の父で、地位を退いた最後のノートルラント正統王だったなんて、彼が知るのはずっと後のことだが。

 かつては世襲の王政ノートルラント王国(・・)は、彼が生まれたときにはもうなかった。

 王家の血筋は絶えたと思われていた。実際、絶たれていたのだ。しかし重圧から解放された老いた元・国王がつい羽目を外し過ぎたのか――(めかけ)との間に嫡子が生まれた。

 それが彼だ。

 ノートルラント王国はとっくにパルマに吸収されて、王は民から選挙で選ばれる世の中になっていた。実権を持つのはパルマの皇女だ。いやらしくも女王とは名乗らないが、実質の王は皇室の娘だ。

 誰も王になんかなりたがらないし、なってもやれることはない。

 だから彼は自分が本当の王の末裔だなんて気にもかけなかったし、自分から言い出したこともない。

 それでも、なんとか権力にしがみつく王家の残党――元老院だなんて名乗ってる――は、彼を利用する気まんまんだ。

 ――これ以上老人どもの駒としていいように顎で使われるのは性に合わない。

 僕が王たる者だから?

 違う。僕はただ、王の権威の残骸の、ダシにされたくないだけだ。元老院なんて王家のおまけに過ぎないのに、そいつらに使われるなんて最悪じゃないか。

 彼がそれに気づいた切っ掛けは、あるならず者たち。彼が元老院の犬となって嗅ぎまわっていたその三人組の、無軌道な冒険を知ってしまったからだ。

 ノヴェル、ジャック、ミラ。彼らは表向き、復讐だの家族を守るためだのと耳障りのよい理由を並べてはいたけれど、やっていることは『七勇者の暗殺』というただの遠回しな自殺行為だ。

 彼はそのならず者たちを知り、追ううちに――彼らの生き方、或いは死に方にあこがれのようなものを感じた。

 だから彼は、元老どもの上、王の上、勇者になった。

 七勇者の指導者、スティグマに謎の深淵に突き落とされ、一瞬のうちにいくつもの地獄を同時に経験した彼は――最強の勇者・真実のセブンスシグマとして生まれ変わったのだ。

 彼の能力は『都市』を記述する。

 あらゆる行い、あらゆる思念。

 百万の民が為す、あらゆる行為の結果として、たった一つの『都市』を導く能力だ。

 彼はその力を使って勇者たちの元を離れ、新たな民王として神聖パルマ・ノートルラント民王国(・・・)の王になった。




***




 パシッ。

 現在。ある世界線の、現在。

 投げたコインは掌に戻ってきた。

 恐る恐る掌を開いてみると、そこには見慣れた二十五セント硬貨がある。

 ――僕は狂ってなどいない。

 正統王シドニアは、七勇者・真実のセブンスシグマである。

『都市』の能力は、確率分布の極致――殆ど起こりえないことを必ず起こす能力。

 しかしそれはしばしば、彼の記憶を破壊した。

 大きな結果を得ると、彼の得た世界は彼の記憶にあったものとは違った姿になってしまうのだ。大きな結果とは例えば他の勇者たちと手を切り、先の民王選で投票率・得票率ともに100%という途方もない大きな支持を得ること。それに至って、彼のここ最近の記憶は殆ど跡形もないほど混乱した。

 最強でありながら危険な力でもある。

 実のところ、破壊されたのは彼の記憶なのか、それとも事実のほうなのか――それは誰にも判らない。


「まぁ、でもいいんじゃないの? 別に最初っから、もったいぶるような人生じゃないし。この世界だってそう」


 シドニアは王座でそう独り言を呟き、せせら(わら)う。


「王シドニア、今、なんと」


 たまたま近くにいた書記官が怪訝そうにしたが、王の奇言・奇行は今に始まったことではない。

 シドニアは硬貨を懐に仕舞うと、目の前の書類の山にうんざりした視線を投げた。ここ数日、五月雨式に民王決済案件が続き、決済してもしても終わらない。


「下げてって言ったんだ。休憩にしよう」


 シドニアがそう言うと、腹心は渋々と王座の前から書き物机ごと書類を下げようとする。


「お待ちを。本日の申請は五百二十件。休んでいては終わらないのであります」


 部屋の奥の暗がりから、そう声がした。

 件数はシドニアにとって問題ではない。それより――。


「昨日も一昨日も似たような書類を処理したよねぇ。書式も殆ど同じ。退屈なんだ。ねぇ――オルロ君、これいつまで続くの」


 王はだるそうに、奥の暗がりに座っていた男に向けて問う。

 オルロと呼ばれた男は、長ったらしい前髪を邪魔そうに払いのけ「自分にはわかり兼ねるのであります」と過不足なく答えた。

 枢密秘書官ハンス・オルロは、元を辿ればシドニアが王になるより前、元老院から押し付けられた部下だ。軍卒時代を入れれば実はそこそこ長い付き合いで、シドニアはその裏表ない朴訥とした人柄を気に入っていた。だが奥にいる男はシドニアの記憶にある朴念仁の軍卒とは違う気もする。特にその長い髪の違和感が拭えない。


「髪切ったらどうだい、ロン毛。前の坊主頭のほうが似合ってたよ」

「『ロン毛』――でありますか? どういう意味でありますか」


 ロン毛(・・・)は子犬のような目を白黒させた。


「そもそも輸出許可なんて、民王案件じゃないだろ。皇女陛下に回せばいいんだよ」

「失礼ながら、これは輸出許可ではないのであります。港の使用許可です」

「『ないのであります』――どっち? 違うの? じゃあまず皇女陛下の輸出許可を取ってからこっちに」

「輸出ではないのであります。港を通っただけで、我が国の持ち物ではありませんので」


 違わないだろぉ、とセブンスシグマは王座の上で天を仰ぐ。

 そこへ、扉をノックする音がした。


「ブリタシアの使者がお見えです。接見のご用意はいかがでしょうか」


 セブンスシグマは待ってましたとばかりに目配せし、「入れ」と許可する。

 重い扉が開かれると同時に、セブンスシグマは王シドニアとして相応しい態度に切り替わる。


「うむ。(まみ)えよう」


 大仰な態度で立ち上がり、謁見を予定していた会議室へと向かう。


「後を頼むぞ秘書官」

「お、お待ちを! じ、自分は――」


 前髪を耳にかけながら立ち上がろうとした彼を、シドニアは掌で留める。

 他の部下には見えないように――舌を出して見せた。ロン毛の秘書官は呆れたように肩を竦めていた。




***




 ブリタシア使節団は、ここ数週間ほどパルマに滞在していた。

 シドニアは、何か狙いがあると踏んでいたがなかなか要件を切り出さない。


「観光はどうだね」

「風光明媚です。我が国のオレルニアに似た白壁でありながら、ロンディアにも匹敵する活気。インスマウス村にも参りましたが、港も綺麗で素晴らしかったです」

「インスマウス村? 何をしに?」

「オーシュ像を見に」

「残念であったな。それはもうない。先月撤去された」

「いいえ、ございました。新しいものが」


 ――そうだったっけ?

 シドニアの混濁した記憶にはなかった。

 咳払いし、「結構」とシドニアは一同を見渡す。

 使節団は十五人。


(それにしても、そりゃあオレルニアはブリタシアの植民地だけど、我が国って言うかね普通)


 ブリタシア帝国は大陸北西部の島国で、小国ながら列強として知られる。植民地政策を何百年も進めており、大陸の内外に沢山の領土を抱えていた。

 使節団はにこにことシドニアを見る。

 シドニアは憮然としていた。


(今日も要件を言い出さないつもりかな)


 しびれを切らしつつある。とはいえ、シドニアには概ね腹は読めていた。

 今彼が止めている大量の港の積荷の出港許可だろう。あの積荷の行き先はブリタシア。何か関連がありそうだった。

 かまをかけるつもりでシドニアが口を開いたとき、意外にも使節団の代表テレスが先に声を発した。


「閣下、実はお願い――いえ、提案がございます。我らが女王からです」


 ブリタシア女王から。


「構わぬ。続けよ」


 シドニアがそう答えると、テレスの指示で山のような書類が準備された。

 シドニアは眉一つ動かさずにそれを横目で見ていたが、なんだ結局また書類仕事か、と心底うんざりしている。


「こちらの資料は、ほんの一部です」


 まだあるのかい、と思いつつも差し出されたその紙束を受け取る。


「長引いております、大陸全土を挙げた征東戦線。そのこれまでの歩みと、向かうべき未来について短くまとめたものです」


 それは――綴じていない歴史書というべきものだった。

 征東戦線。

 それはここ三十年あまり断続的に続く大陸の蛮族殲滅作戦だった。


(こっちからすれば征西(・・)なんだけどな)


 蛮族は大陸中央の険しい山脈に隠れ住んでいる。それを大陸の西側の小国家が寄って集って小競り合いをしているというのが実情だ。

 もっとも、山岳の蛮族は険しいこちら側に出てくることはほとんどない。トラブルが起きるのはいつも山脈の反対側だ。

 ブリタシアはその戦線においては主体的な位置づけを果たしており、植民地政策を続ける言い訳をしているように思えた。正直なところ、山岳の蛮族がどれほど野蛮だろうとブリタシアにはこの戦いを終える意志などないのではないかと、政治オンチのシドニアすらそう思っていたのだ。


「――口さがない者は、我が国が戦線を利用して植民地を拡大しているなどと、的外れな指摘をします。しかし我々は、山岳と、大陸諸国との間に平定なくしてエウロラ大陸に未来はないと、こう真剣に考えているわけです」


 使節団はガキの使いではない。お国では政治家であったり外交家であったり、貴族や企業主である。ひとたびヴィジョンを語りだすと止まらない。

 いかに山岳部族が危険で、これまでどのような軋轢(あつれき)があったか、この戦いの人道的な意味や経済効果などなど、ページを捲る手が休まることはない。

 シドニアは話を遮った。


「うむ良い。主張としては、まず受け入れよう。しかし、外交なら管轄が違う。まず皇室の門を叩き、皇女ミハエラの者に話を通してもらう必要がある」


 シドニアがややバツの悪そうにそう指摘すると、使節団はその何倍か気まずそうに顔を見合わせた。


「ごもっともでございます。しかし皇女陛下は、征東戦線そのものに否定的であられるご様子」

「であろうな」

「聞けば国軍は民王閣下の管轄であると」

「そうである。だが外国には貸せぬ。国民を守る軍であるからな」


 シドニアがきっぱりと言うと、テレスは周囲を伺いつつ頭を低く、声を絞った。


「存じております、閣下。ですが閣下は、得票支持率百パーセントで民王様になられたと聞いております。このようなことはまさに空前絶後。公正な選挙では決してあり得ない」


 ――ふむ、さては脅かす腹だね?

 シドニアはやや眉を寄せた。


「あり得ぬことなら起きえぬ。現に起きたのだ。貴殿は結果に不審があると?」

「滅相もございません! 選挙は公正でございました。仮にそうでないとしても私どもには無関係なことですし、何より滞在して実感しました。閣下は、民から信頼されておられる」


 ――そんなことを嗅ぎまわっていたのか。

 もっとも、殆どの国民はシドニアがどこの誰かも知らない。信頼されて見えたなら、それは国民性というヤツだった。

『この国には皇女様がおわす。だから民王は誰でもいい』という単純な不文律がある。もっとも国の半分――元ノートルラントの土地ではそうではない。だがそっちはそっちで、『この国には民王様がおわす。ノートルラントの王として話を聞いてくれれば誰でもいい』なのだ。

 選挙で競った相手はカーライル家の人間で、生粋のパルマ人であったから旧ノートルラント側の票は入らない。一票もだ。

 だとして支持率百パーセントは、シドニアでなくしては起こし得ぬ奇跡であった。

 シドニアは、いやセブンスシグマは起こり得ることなら必ず起こす。一票でも獲得できるなら二票にすることができ、一が二になるならどのような数でも作れた。そこには政策も人望も関係ない。無数の彼がどぶ板を踏み、有権者全員がシドニアに票を投じる確率はとても書き表せないほど低かったが、確率の低いことは彼の前には無意味だ。


「大使。テレスといったか? 貴殿は勘違いしておる。()は不正などしていない。民に我に票を投じさせたのは血だ。ノートルラントの遺伝子がそうさせた」


 ――我ながらとんでもない詭弁を言っているな。

 内心苦笑しつつ、表面は宇宙で一番危険で尊大な王のように振舞う。

 さすがにバレやしないかと、彼はテラスに通じる大窓を眺めた。

 ゴシック調建築の庁舎四階から、遥かに広がるノートルラントの大地が見渡せる。南側のパルマを見なくて済むこの部屋を、歴代の民王や元老院が好むことも頷けた。

 街だけは栄えているがとんでもない田舎だ。そもそもベリルという首都は、国同士が合併するときに敢えて国境の僻地を選んで作られた街だ。


「使節団以下全員でお詫び申し上げます。滅相もないことです、閣下。わたくしが申し上げたかったことは、閣下の破天荒ともいえる人気をもってすれば、皇女陛下を――パスすることもできるのではないかと」


 ――そういえばそういう話だった。

 シドニアは視線を戻す。彼が拗ねている間に、使節団はすっかり襟を正したようだった。

 要はこういうことだ。

 蛮族は大陸中央の山岳にいる。西側諸国は連合を組んで山脈西から攻めているが埒が明かない。そこで更に東側――パルマ・ノートルラントからも攻めて欲しいということなのだ。歴代皇女の強い意向で、パルマ・ノートルラントはこの戦争に関わってこなかった。元老院は不服としていたが、外交は皇女の管轄だ。

 地理的にこちらから大軍団を送るには山脈は険しすぎる。また、まず山脈との間のファサ国に進軍しなければならない。


「皇女の眼の黒いうちに国軍は動かせぬ。十年や二十年ではとてもな。いや、千年あっても不可能であろう。国軍を出せるのはせいぜい国境まで。それすら簡単ではなかろう」


 そこでです、とテレスは我が意を得たりとばかりに身を乗り出す。


「ある日、突然正体不明の軍勢(・・・・・・・)により、御国の国境が(おびや)かされたとしたらどうなさいますか。このことはお手元の資料にはございません」

「防衛する。正式な手続きを経て国軍がでるであろうな」

「そして御国の兵隊であれば造作もないことでしょう。まんまと不届き者どもを討った。しかし一部が、国境から退き、後方の山岳まで逃れたとしましょう。いかがなさいますか」

「――なるほど」


 悪知恵が働くもんだね。


「――軍は止まる。だが一部は、勢い余って(・・・・・)境界を越えるかも知れぬな。だが国境の先はファサだ。中央の山々まではまだ遠い」

「ファサは同盟国でありましょう」

「同盟でも主権を侵犯はできぬ。女神が臣民が皇女が許しても、ファサは許すまいて」

「ファサは何も言いますまい。わたくしどもが、そのようにさせます。さて、正体不明の勢力はファサを北西へ逃げ、山に逃げた。テロリストどもです。またいつなんどき、御国を脅かすか知れない」

「ふむ――大儀は立つな」


 大儀のみならず、とテレスは一層前のめりになる。


「御身に宿る不動の人望がございます。臣民は、近隣諸国も、あなた様を支持する。それも強烈に。皇女陛下だけが反対したとして、表立ってそれをとやかく言うでしょうか。御国を守ったのは事実、皇女陛下でなくあなた様の軍なのです」


 まだ何一つ起きてもないことを、既に歴史上明らかな事実かのようにテレスは言った。

 確かに勝算はある。

 ミハエラ皇女が賛成して後押しすることは決してあり得ないが、黙る可能性は大いにある。

 ならばシドニアも、この退屈な書類仕事から逃げだして、暫し国王らしいゲームに興じることもできるかも知れないではないか。


「出来過ぎた盤だな。しかしよかろう。一考の価値はある。だが多少修正が要る」

「修正とは」

「国境を超えるのは我が私兵のみだ」


 私兵――と使節団はざわつく。


「案ずるな。少数だが、国軍全体よりも強い」


 近衛師団スペースモンキーズ。

 シドニアがそう名付けた私兵団はたった十二人。シドニアは構成員の名前すらちゃんと覚えていない。

 実のところ、ここで言った私兵とはあくまで名目の話だ。シドニアとしては、スペースモンキーズに頼るつもりはなかった。

 近衛師団はあくまで体裁――シドニアの勇者の力を誤魔化すための隠れ蓑に過ぎない。実体は行き場のないゴロツキの寄せ集めだ。


「ですが――そう、冒険者ではどうでしょうか。ギルドを通じて人を集めましょう。彼らなら越境も自由ですし、山も慣れております――しかし召集までには時間が」

「案ずるなと言うておる。こちら側は任せよ。私兵なら、ファサを通っても大問題にはなり難い。正当な手続きを経たとしても容易だ」


 何より、シドニアが勇者であることは秘密だ。

 オルロ以下枢密院メンバー、スペースモンキーズまではシドニアに何かしら異常な力があることに気付いているとしても、その全容を知るはずもない。シドニア自身さえ自らの異能を把握するのには苦労したのだから。

 使ったとしても何をされたのかも判らない能力だ。それでもシドニアは、部下の前では使用を避けている。

 つまり大勢の軍隊などは足手まといにしかならない。


「私兵とは、具体的に何人でしょうか。構成比率の国籍は――」

「それは秘密だ。余が約束しよう。その日、何があろうとも、誰も彼らの姿を見ることはない。誰も見ることなく、国境を侵した正体不明の武装勢力とやらは、残らずこの地上から消える」

「そ、それは少しやり過ぎです。山までは逃がしていただかないことには、御国のその後の征東戦線への加盟が――」


 征東戦線――? そう繰り返しながら、シドニアは立ち上がる。

 テレスらブリタシアの使節団は、椅子の上で大きく仰け反ってシドニアの威圧を逃れた。


「征西()戦線だ。こちらにとってはな。よいか。今後、余の眼前で『征東』と言った者は、誰であれ国から摘まみ出す」




***




 その日、旧ノートルラント領とファサの国境付近の屋敷は、正体不明の武装集団によって襲撃された。

 屋敷の主、ハース情報局長は外出中で無事であったが屋敷は半焼。メイド四名が殺された。


「ダメな筋書きだよね! 死人がでないようにはできなかったのかい!」


 シドニアは誰にともなく不満をぶつける。

 王自らが率いるスペースモンキーズはファサ国境を越えて武装集団を追っている途上だ。


「メイドとされる死体もブリタシアが用意したものであります」


 うざったい長髪を風に流しながら、秘書官が答えた。

 四頭立ての大型馬車二台に分乗し、猛スピードで進んでいるが――武装集団は余程健脚なのか未知の魔術を使っているのか一向に追いつけない。

 武装集団は二百人ほどの軍勢だった。

 パルマ・ノートルラントの国内に散らばる前に、正規軍が百名を殺害。八十名を捕らえたがうち半数が自害。取り逃した二十名ほどの追跡を開始したがすぐに国境に至り、正規軍は停止した。

 そこへシドニアが私設部隊を連れて現れ、少人数で国境を越えたのだ。協定により、正規軍でなければ直ちに軍事行動とは見做されない。

 そういうことじゃなくてさぁ、とシドニアはごねた。


「微妙に問題を複雑にされた気分だよ。まぁ、僕らのやることはもう歴史上決まってる」

「気が進みませんが」

「ルールは簡単さ。山の反対側から烏合の衆が攻めてるらしい。まったく静かなもんだけどさ。やる気あるのかね」

「さぁ」

「話が逸れた。とにかく、僕らは東側からこう、山を攻める。それで反対側の連中より先に、蛮族をやっつける」

「先にやる意味があるのですか」

「あるとも。とにかく何でも早い者勝ちだろ?」


 そのほうが一人でも多く蛮族をやっちまえますものね、とスペースモンキーズの一人がいやらしく(わら)う。

 シドニアは、一瞬だけ狂王の顔になりそうなのを堪えた。


「全然違う。今後そういうのは控えてくれないか。ただでさえ君たちは行儀が悪くてパブリックイメージが地に落ちている。このままじゃ誰にも紹介できない。君たちは秘密なんじゃない。恥ずかしくて表に出せないんだ。今日のことは君らの手柄にする」

「じゃ――じゃあ何人まで殺せるか、人数を決めやしょ。十二人で均等に、仲良く。へへっ」

「そういうことじゃない!」


 狂王は保護者のような声を上げる。


「でも大将、やつらもって目的も所属も吐かないんでしょう? あちらさんもその覚悟で来てるんすよ。捕まえても自死しちまうし、ぶっ殺しちまうのが当然でしょうや」


 スペースモンキーズは、ブリタシア使節団との密約を知らない。明かすつもりもない。

 捕らえた武装集団は、見たこともない奇妙な刃物で武装していた。言葉が通じないのか、それとも答える気がないのか、その場での尋問には誰一人応じなかったという。残党は皇女の部隊が取り調べるらしい。


「とにかくこっちは僕のルールでやる。そっちは皇女の部隊がなんとかするさ。あっちは桁違いに優秀だからねぇ。こっちのメンツと違ってさ」

「――間もなく国境です! ファサを抜けます!」


 御者の間から兵士が叫んだ。

 見ればもうファサの北限に至ろうとしている。木々は低木が目立ち、草地には岩が目立ち始めた。

 武装集団は、申し訳程度の森に上手く身を隠し、それでも恐ろしいスピードで山へ向かっている。

 地図を見ると山岳部周辺は草も生えない岩地と砂漠がほとんどだ。身を隠してパルマ・ノートルラントに入るには殆どこのルートしかない。


「寂しいとこだねえ」

「そもそもこんな騒ぎにわざわざ大将が出張ってくることないでしょうに。俺らに任せてくれりゃいいでしょ」

「やだね。書類仕事はうんざりさ。こんな楽しいことを君らに独占させてやる(いわ)れはない」


 げひゃひゃ、とモンキーズは嗤った。


「なんすか、大将だってやる気じゃないっすか」




***




 謎の武装集団は、山岳部に入ると散り散りに逃げた。

 男は走る。周囲に仲間の姿はなく、ただ追手があるのみ。

 追手の軍人らしき者に石(つぶて)をお見舞いすると、「ぎゃっ」と叫んで斜面を転がる。別の追手が迫ると、男はその者の足元を砂山のように崩して撒く。

 身軽さを重視した最低限の兵装。それらは全て山の灰が塗され、動きを止めれば灰色の山肌に溶けて迷彩効果がある。

 派手な魔術や、光物の武器は避ける。

 銃も弓も必要ない。ここには武器になる石が無数にあり、彼らの姿を隠してくれる。

 ――武器を隠すなら武器の中。

 それが彼らの美学だ。

 どこの誰であろうとこの山脈で、彼らに敵う者などいない。

 尾根を滑り降りて谷間に身を隠し、岩から岩へと渡る。

 そして身を屈めて息を潜めた。

 ――ここで日暮れを待つ。暗くなってしまえば、もう土地の者にしか山を制覇することはできない。明かりがあろうとなかろうと。ここから先は部族の――


「どこかに村があるんだろう? 村まで連れてってくれないかい」


 不意に、上から声がした。

 男は息を呑み、声のした方、岩の上を見上げた。

 似合わない高級マントを着た、優男(やさおとこ)が岩の上に立っている。

 ――どうしてここが。


「言葉が通じないか? 悪いようにはしない。僕、君、友達。仲間。――判る?」


 馬鹿な。

 男は弾かれたように岩陰を飛び出し、振り向きざまに石礫を雨のように降らせる。

 だが――弾丸のように勢いよく撃ちだされた石は、一発たりとも男には当たっていない。

 全弾、外れてしまったのだ。

 ――なぜだ!? 何をやった!?

 男は息を切らし、尾根へと斜面を登り始めた。

 魔術で砂利を後方へ流し、滝のように流れ落ちる砂利の間で、自らの体を急速に逆流させる。

 二百メートルもの谷を登りきるまで僅か十数秒。

 このスピードに、平地の者は決して追いつけな――


「凄いね。器用なもんだ」


 登り切った尾根の先で、はためく高級そうなマント。

 さっきの男だ。


「アッバイ! アバイ! デ・シララヘイ!」


 男は思わず叫んでいた。

 馬鹿な。先回りしていたのか。そんなことはあり得ない。


「今の土魔術? すごいなぁ。僕はそんなに速く動けない」


 男は振り返る。すると谷底にも高級マントの男が居て、流れ落ちる石コロと格闘しながら尾根へ上がってくるところだった。


「デ……ラポラ! エ・エイ、エラ――」


 男の狼狽(ろうばい)は明らかだった。

 腰の半円状の刃物に手を伸ばすも、あまりの狼狽(うろた)えぶりに上手く刃を抜くことができない。


「ノーノー! デパラ! デパラ! 喧嘩は無しだ! 無し! 意味ないよ! 僕は(・・)沢山いる(・・・・)んだ」


 男はようやく両手に半円状の刃物を抜いた。

 両手を振り回すマントの優男に向けて狙いをつける。

 そのときだ。


「デ・パーラ」


 知っている声がした。

 死角から、仲間が現れた。両手を頭の上に乗せ、投降した姿勢でふらふらと躍り出る。

 隣に、マントの優男を伴っていた。


「デ・パーラ」


 更にもう一組。

 ――同じ男だ。間違いない。

 外国人の顔を識別するのはそれなりに難しいとしても、あんな卑屈な半笑いができる男がそう沢山いるはずはない。

 男が、優男の顔を見比べていると更にまた一組。

 次から次へと投降した男の仲間は十八人。

 優男も、目の前の男を含めて十九人。


「エ・エラ・エラ・コステラ――」


 そのうちの一人が、こちらに向けて投降を呼びかける。


「ハッシ! デ・パラ、パーラ、クプラナイ」


 ハッシは男の名だ。

 ハッシは両手の半円状の刃をやや下げる。


「(ハッシ、この人はパルマの王様だ)」

「(嘘を言え。なぜ王様が来るんだ。聞いていないぞ。それになんでこんなに同じ男がいるんだ! アーッ! 気が狂いそうだ!)」

「(わからない)」

「(アー!! 訳の分からないことばかりだ!! おれは本当に狂うぞ! ブリタのヤツとの取引はどうなる!)」

「(取引のことはもうバレてる!)」


 これがシドニア――七勇者セブンスシグマの『都市』の能力だ。

 どうやら結果が矛盾しない限り、いくらでも自分を増やすことができる。

 そうした説明があったわけではない。セブンスシグマは実験を繰り返して、ようやくこの異常な能力の正体に気付いた。

 一枚の紙を縦に切る自分と横に切る自分。結果は、十字に切られた紙が残った。

 ならば紙を棄ててしまう自分を混ぜたらどうなるか。結果、紙を棄てる自分は現れなかった。

 いや、現れたのかも知れない。彼がアカデミーで習った多元宇宙論にもし間違いがないなら、それは自分が無数にある未来のうち、矛盾の起きなかった世界線の先にいることになる。ならば紙を棄てた世界は、認知できない分岐を生んだということになる。

 無数の個体がそれぞれ勝手に動き、都合の良い奇跡を起こす。それが『都市』の力。


「アンタ、ハ、ナゼ、タクサンイル?」

「矛盾がなければ僕は僕をコピーして、世界線を――いや、なんていうかな。まず矛盾わかる? 『ムジュン』。――簡単な言葉じゃあ僕にもうまく説明できない。驚かせてすまない。こうするしかなかった」


 通訳ができる男、アルはハッシに向かって告げる。


「(この男が何を言っているのかはわからない。おれだって気が変になりそうだ。とにかく敵意はないらしい)」

「(信じられるか! こんな訳の判らないヤツだぞ! にやにやしやがって!)」

「(戦っても無駄だ。他に仲間もいるらしい)」

「(何が望みなんだ! 聞け!)」


 アルはシドニアに向き直る。


「アンタ、オレタチ、オッテキタ。デモ、コロサナイ? ジャ、ナニシニキタ」

「危険が迫ってる。それを報せたくてね。君たちの村に連れていってくれ。友好の証さ。判る? ユウコウ」

「村二来テ、トモダチニ、ナル? イウコト?」

「そう。だから最初からそう言ってるのに」




***




 部族の村に近づくと、次から次へと迎撃部隊がやってきた。

 シドニアは攻撃を防ぎ、背後をとり、通訳のアルを通じて篭絡(ろうらく)する。

 シドニアを先頭に、村へ向かう軍勢はどんどん大きくなっていた。

 進軍を続けながら、シドニアはアルに訊いた。


「へぇ。君たちはゴンドワナ族っていうんだ? 他にも沢山の部族があるの?」

「沢山アル。ミンナ、別レテ住ンデル。山、沢山アル。デモ、パンゲア族とゴンドワナ以外、ナマエはナイ」

「へぇ」

「ゴンドワナ、戦ウ。パンゲア族ヲ守ル」

「なんで? 偉いの?」

「パンゲア、空二近イ。ダカラ――アブナイ! ソコ!」


 アルが叫ぶと同時に、シドニアの脚が何かの紐を引っ掛けた。

 即座に低木の間から多量の矢が飛んだが――全てシドニアを外れていた。


「ヒトリ、先、行カナイ。罠、アル」

「いやあ、びっくりした」


 どんな待ち伏せも、どんな罠もシドニアには傷一つつけることはなかった。

 スペースモンキーズは次々負傷していった。

 やがて町らしきものが見えてきた。

 巨大な枯れ木の門は、戦士たちと同じく灰色に塗られて風景に見事に溶け込んでいた。

 その門の前には沢山の戦士たちが待ち構えていたが――シドニアの連れた同志たちの顔色を見て、武器を下げた。

 アルが力なく首を振る。


「デ・パーラ」


 戦士たちは目を剥いて武器を落とした。

 難攻不落の山岳部族。

 蛮族と蔑まれ、それまで西側諸国と血で血を洗う戦争を繰り広げてきたゴンドワナ族の村のひとつが陥落した。

 無血開城。

 それはまさに、シドニアにしか成し得ない奇跡に違いなかった。




***




 男たちは皆、灰を体中にまぶしていた。

 頬や肩口、背中などところどころに血の赤黒い模様が描かれている。

 見た目の勇猛さとは裏腹に、彼らはもうすっかり大人しい。シドニアとスペースモンキーズを誘う様に、古い村の中を真っすぐに進み続けた。

 コバルトの空が暗くなり、辺りにはポッ、ポッ、と松明(たいまつ)が灯る。

 石炭燃料の炎だ。魔術ではない。


「我らが王、彼らは一体、我々をどこへ連れてゆくのでありますか」

「さぁね。彼らはすっかり戦意を喪失してる。堂々としてればいいんだよ。得意だろ?」

「罠なのでは? あなたが王だと知って、彼らは態度を変えたのであります」


 ――オルロ君はそういうとこ厳しいよね。

「そう見えた?」とシドニアはとぼけた。

 村は、山頂付近の岩々を切通のように拓いて作られていた。

 家々は二階建て、三階建て立派だ。それらは岩でできている。しかしレンガや石ブロックではない。巨石を切り出し、加工して建材にしているのだ。


「見なよ。殆ど失われた土魔術だ。ここじゃ土魔術が生きてるんだ」


 女神アーセムが隠れた後、土魔術は殆どオーパーツになっている。

 僅かながら伝承者はいるが、主神なき魔術は大きな力を持たない。

 生きていた、のではなく生きていると言ったのは、先のハッシという男たちの移動方法が土魔術の応用に見えたからだ。

 土魔術が生きているのなら、この巨大な山脈で長年に亘り連合軍の攻撃を退けてきたのも納得がいく。地の利が尋常でないのだ。

 家々からこちらを見守る部族の民たちの間には、当然ながら女子供の姿もある。

 皮と毛皮の服は存外仕立てがよい。


(蛮族――ねぇ。文化的なブリタシアの連中から見たらそうなのかも知れないけど)


 往来の屋台は軽石を組み上げた見事な細工で、職人が動物の肉を叩き切ってぶら下げている。

 スペースモンキーズの兵士がそれを見て「うええ」と顔を(しか)めた。


(確かに今日日、街中じゃ見ないけど――田舎ならやってるところあるよなぁ)


 そのうち、村の中央の大きな邸宅に辿り着いた。


「族長マルアが歓迎シマス。中で待ッテ」

「これが族長の家?」

「イイエ。ココは何て言うか――まあ、族長の家はそっちの隅ッコの家です」


 通訳のアルはそう投げやりに言って、シドニアらを中へ招き入れた。




***




 族長マルアは百歳にも及ぶような仙人染みた老人だった。

 酒らしきもの肉らしきものが用意され、シドニアたちを村民が囲んでいる。

 石組みの、まるで闘技場のような円形の大広間にはいくつもの炎が揺れて影を生き物のように浮かび上がらせていた。

 大広間には演壇もなく、出入口だけが多かった。

 円卓――いや、卓などない。車座というべきだろう。二重の円状に並べられた小さな座卓の内側と外側だけがある。

 その内側ではシドニアたちと族長ら村の男たちがフラットに、ばらばらと座っている。ゲストもホストも分け隔てないようだ。


「オルロ君、せっかく用意してくれたんだしさ。何かもらおうよ」


 シドニアは懇願した。

 しかし隣に座った秘書官は、シドニアのグラスを族長から見えないようにこっそりと隠した。彼だけは秘書官のオルロです、と先ほど族長に紹介してある。


「――我が王、ここはお控えください。ダメであります」


『我が王』という呼び名を合図に、シドニアは王らしく振舞うように教育されている。

 うむ、とだけ偉そうに答え、背筋を伸ばした。

 スペースモンキーズたちは腹が減って気が立っているようである。

 勿論、この状況――余人には気の休まるものではない。

 二重の車座のうち、内側はシドニアたち、外側には壁沿いに他の村民と料理などがこれまた雑然と並んでいた。そこからシドニアたちに向けられる視線には、関心も敵愾(てきがい)心もあけすけだ。

 最大限の歓迎であることは判るが、歓迎されているとは思えない。

 村人たちは誰一人料理に手を付けず、水の一滴も飲まない。

 酒らしき、肉らしきというのはつまり、誰も食べていないから判断ができないのだ。

 これは何かの儀式かそれとも罠か。

 認識術を使うには暗すぎる。


「マジかよ。この肉、さっき往来で捌いてた獣だぜ」

「汚ねぇ。喰えんのかよ」


 スペースモンキーズの二人がそう言っている。

 それを聞きつけたシドニアは立ち上がり、懐から拳を出して無言で殴りつけた。


「済まない族長マルア。部下が無礼を申した。お望みとあらばこの場で斬り捨ててご覧に入れよう」


 通訳のアルが族長に耳打ちすると、マルアは枯れ木のような両手を挙げて『まぁまぁ』といなす。


「『口に合わナイ、仕方がナイ』と族長が言ってマス」


 場は静まり返っていた。

 ――余興のつもりだったんだけど却って気まずくしちゃったかな。

 王は再び座った。

 料理はどうやら肉がメインで、低温で熟成させたものだ。干し肉の類だろう。高度故か、腐ることなく油脂分が鹸化(けんか)したもので独特ではある。


「客人カラ手をつけるのが習わし。ドウゾ召し上がってくだサイ。御付きの、毛の長いヒト――オルロさんだっけ? イイデショ?」


 アルがそう勧めるが、ロン毛の秘書官は頑なに首を横に振っている。

 仮に毒があるとして――シドニアにとって恐れるものではない。ひとつでも毒入りでないものがあるのならば、だ。

 しかし村の者から手をつけてくれなければ、それを証明するものもない。

 シドニアは、先ほど殴りつけたスペースモンキーズの顔を見て、「食え」と顎で示した。

 見る見る兵士の顔が曇り、子犬のような目でこちらを視返してくる。


(いいから食えよ。骨くらい拾ってやる)


 兵士はグラスを握るだけ握り、そのまま上目遣いにあちこちを眺めているだけだ。

 ――使えない奴ら。教育が足りないなァ。十二人もいて一人として毒見役を買って出ないとは。

 そのとき、族長が掌を叩いた。

 乾いた音が二度木霊すると、奥から殆ど下着姿の女たちがでてきた。


「気分を変えまショ。女たちの踊りアル」


 カラカラと石ころが転がるような音が響いた。

 それを合図にドンガラと岩の割れ、響く音がまるで音楽のように流れ始める。

 並んだ女はシドニアたちと同じ総勢十三人。音に合わせてステップを踏み、腕の関節を器用に組み交わして掌は天井を向いたままだ。

 ドンガララ、ドンガララという音に紛れて、金属の鳴り物がメロディらしきものを奏でる。

 シドニアたちの知る音楽とは異なる音律だが、不快ではなかった。

 スペースモンキーズは地面に腰を下ろしたままあんぐりと口を開けてそれを見上げる。

 女たちは、踊りながらスムースに兵士と料理の間に入った。

 シドニアのすぐ傍にも女はやってきた。


「ゴンドワナ族の村へようこそ、異国の王様」


 シドニアは面食らい、小声で「共通語が喋れるのかい」と訊き返す。


「巡業で。いえ、もともと私たちは共通語を話したのです。戦が長引くうち、ゴンドワナは独自の言語を話すようになりました」


 ――学もありそうだ。

 シドニアはそう踏んだ。

 肌は日焼けなのかそういう色なのか、褐色だった。黒髪は美しく、華奢な肩に沿って流れている。


「へぇ、そうなんだ。でも何のために?」

「初めてこの山々に言語が伝えられたとき、それは神々と対話する言葉――皆さんのいう共通語だったのです。戦がこの山と外界を分かって以降、ひとつには反骨心から。もう一つには――あらわたしったら。よしましょ、こんな話」

「聞きたいね。僕の部下より話せる。まともだ」


 シドニアは小声でそう迫ったが、女はシドニアの前にあったグラス――いつの間に戻ったのか――の端を抓んで持ち上げる。

 そのままグラスを、シドニアの口元に運んでくる。

 ちらりと横を見る。

 ――どうするオルロ君――って、ありゃあもうダメそうだな。

 彼も同様に迫られ、への字口を更にきつく結んで抵抗している。それももう一押しで押し切られそうだ。踊り子の腕が絡みついて逃れられない。

 ――免疫なさそうだし。

 見た目はチャラいが古風な軍人らしい朴念仁だ。

 他方を見ると、スペースモンキーズたちは既にグラスの液体を飲まされていた。


「旨い。こりゃ何て酒だ」

「サルナシの酒ですわ。浮いているのはバラ。沈んでいるのはナッツ」

「そりゃわかる」


 それを切っ掛けに村民たちもグラスを煽る。

 一息にグラスを空にしたと見え、聞いたこともない言葉を絞り出す。

 踊り子たちも、スペースモンキーズたちに振舞ったのと同じグラスに口を付ける。

 皆、平気そうである。


(――少なくとも即効性の猛毒ってわけじゃなさそうだ)


 そうでないなら中毒を起こすかどうかは確率がある。それはゼロでも百でもない。ならばシドニアにとって、確実に無害だ。

 そう思案していると、女がじれったそうに口を開いた。


「心配性ね、王様」

「これでも王だからね――」


 言いかけた唇を、女の唇が塞いだ。

 熱い液体が流れ込んでくる。酒だ。

 口を離すと、女の口元から一筋、液体が垂れていた。


「――これでもまだ心配?」

「あ――ああ、大丈夫」


 飲み物のほうは、無害そうだ。

 ――でもこの女は。


「君、名前は? 僕はシドニアだ。色々あって王様をやってる」


 女はくすくすと笑った。


「王様なのに、変なの。全然王様らしくない」

「よく言われるけど、黙っておいてくれよ」

「わたしはハル。ハルミカ・パンゲア」

「パンゲア?」


 パンゲア族――西方諸国が蛮族と呼ぶ山岳部族は沢山あるが、その中心たる部族がパンゲア族だと、先ほどアルが言っていなかったか。

 集落は沢山あっても、部族は中心のパンゲア族と周辺のゴンドワナ族だけだと。


「パンゲア族の?」


 シドニアがそう訊くと、ハルは目を大きくした。


「関心がおありですか? そう。わたしはパンゲア族の生まれ。理由あってゴンドワナで暮らしているけど」

「パンゲア族っていうのは、さっき聞いたけど特別なのかい?」


 それをわたしに訊くのです? とハルは笑う。


「『空に近い』――そこに座ってるアルって男がそう言っていた」

「単に高い山に住んでる、そういう意味ですわ」


 シドニアは少し思案を巡らせる。

 言葉通りにとってよいのか。それとも謙遜の一種なのか。


「ともかくその、パンゲア族と話がしたいんだ。西側の連中は君たちを滅ぼそうとしてる。使いの者が僕の国へも来たが、僕は賛成しない。彼らの目的はパンゲア族だ」

「戦争反対? 下界の王様なのに?」

「僕は変な王様だからね。信じないなら僕の頭の中を覗くといい。認識術は?」


 シドニアは近くにあったランプを手繰り寄せ、お互いの顔を照らして見せる。

 シドニアにも、ハルの大きな黒い瞳の中心が視えた。

 ハルは咄嗟に目を逸らした。


「――そういう術は使わないの」

「どうして」

「知らないほうがいいこともある」


 どさりと音がした。

 見ると、スペースモンキーズの半分ほどが倒れている。

 村人も酔っているのか何なのか半分ほどがふらふらとしている。

 いや――これは。


「どうも、酒が――回ってきたみたいだ」

「それほど強いお酒ではありませんよ」

「変だ」


 ――変だ。

 回っているのはシドニアの視界のほうだ。

 ハルが哀れみを込めたような、しかし冷たい視線を向けて言い放つ。


「不運な人」


 不運?

 待て。

 それは僕のことか。


「初めて言われた」


『アイツは運がいいだけだ』とそうずっと言われ続けてきた。

 子供のころからずっと。


「目が回――」


 世界がぐらりと大きく揺れて、シドニアの側頭部が冷たい石の床を打った。

 口移しのアルコールよりも熱い液体がその周辺へ広がってゆく。

 血だ。


「――どうして――確率はゼロじゃなかった」


 ハルが立ち上がり、歩き去る。

 近衛師団の兵士たち、そして秘書官が慌ててこちらに走ってくる。

 なぜ。

 どうして。

 僕の力が負けるんだ?

 シドニアの意識は、そこで途切れた。




***




 次に気付いたとき、シドニアは何もない場所にいた。

 砂漠だ。

 ――僕は死んだのか?

 最後の記憶は夜だった。しかし今は、かんかんと陽が照り付けている。

 思わず砂を確かめる。それはただの砂だった。

 ただしカラッカラに干からびた、本当の砂漠の砂だ。


「熱い」


 見渡す限りの黄色い砂は、立ち上る陽炎に揺れている。

 青すぎる空。

 無風。


「なんだここは――オルロ君!? スペースモンキーズ!」


 答える者はない。

 彼は完全に一人きりだ。

 ――なぜだ。

 疑問の続きが頭をよぎる。

 頭に手をやると、包帯が巻かれていた。

 手当されている。

 包帯と頭の間には見たこともない薬草。

 ――僕は暗殺されるところだったんじゃないか? それともオルロ君が助けてくれた?

 助かったのなら、なぜ一人きり砂漠に放置されているのだろう。

 思い出せない。

 酒を飲んで、視界が歪んで、倒れた。部下たちが走り寄ってきてそれから――どうなった?

 丁度『都市』の力で無茶をやった後のように、記憶が混濁している。

 沢山の自分が、たった一つしかない記憶(メモリ)を上書きしたかのように支離滅裂だ。

 それよりも――とシドニアは頭を抱えた。

 頭痛よりも、照り付ける日差しよりも彼を苛む敗北感。そして疑問。

 破られた。

 なぜか、セブンスシグマの『都市』の力が破られた。

 それはどれほど確率が低くとも、ゼロでなければどんな奇跡も掴み取る能力。

 なのに、あんな簡単な賭けに負けた。

 全てのグラスに毒があったわけでもないし、即効性の猛毒でもなかった。

 事実、あの場には酒を飲んでもまだ動ける部下がいたのだ。

 ――仲間。他に。


「誰か!」


 再び、シドニアは声を張り上げた。


「誰かいないか! おーい!」


 静寂。


「オルロ君! ジェンキンス! ボブ! スキナー! あと――誰だっけ、誰でもいい!」


 ――。


「アル! ハッシ! マルア! ハル! おーい!」


 誰一人、返事はない。

 自分の声が跳ね返ってくることもない。

 ときたま荒涼と駆け抜ける熱風と、それが動かす砂の音。

 賭けに敗れた最強の勇者、最狂の王は、砂漠に一人打ち捨てられていたのだ。


次回更新は未定です。

ブクマなどして気長にお待ちになっていただけると幸いです。


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