その2
悲鳴には概ね二種類の目的がある。
一つは助けを呼ぶため。自分の位置と助けを求める趣旨を、あらん限りの哀れみで飾って目いっぱい叫ぶ。少しでも多くの人に、自分の危機を知らせて助けてもらいたいからだ。
今、マリー=アナスタシアが叫んでいるのはそれとは異なる、二つ目の悲鳴だった。
二つ目の悲鳴とは、誤解を恐れず言えばストレスの発散である。絶叫マシンに乗った時、部屋の中でゴキブリを見つけた時に上げる悲鳴がそれだ。単純に大声を上げて精神的な負荷を他所に逃がすことを目的とする。
マリーは、超遠距離戦術で崩壊した町の数少ない生き残りであったが、執拗な敵国の残党狩りに遭遇する羽目になった。
助けを呼んだところで、この町にはもはや聞く耳すら塵になって消えている。
かといって、目の前に迫った恐怖を黙って受け入れることもできずに、彼女は叫ぶことしかできなかった。
「叫んだところで無駄だぜ…と言いたいところだが、叫んでるやつを無理やり押さえつけてやるのも最近のブームなんだ。精一杯、いい声で鳴いてくれや」
迫りくる近距離戦術師たち。遠距離戦術の進歩に従い、彼らのような近接戦闘タイプの兵士は次第に地位が低下していた。
今ではこうして、超遠距離戦術の跡地をさらうような任務しか与えられなくなったのだ。
大勢の兵士たちが衝突する合戦のような戦争は、すでに過去の遺物と化していた。
彼らは、そうしたみじめな境遇を、このように更なる弱者をターゲットにすることで憂さ晴らししていた。
「汚ねえ子供や、手足のちぎれかかった女くらいしかいなかったが、こいつは上物じゃねえか。状態もいいし、下地も十分だ。こんな腐れ任務でも、まじめにやってればいいことがあるもんだぜ」
兵士は二人連れで、女性を前後で挟み込むように迫り寄っていた。
軽装の鎧を、あろうことか敵国のど真ん中で脱ぎ始める始末。彼らには戦士としての誇りもなく、ここが戦場であることの自覚もなかった。
ただ、目の前の欲望を少しでも早く発散することだけで頭がいっぱいだったのだ。
「逃げてもいいぜ。これだけ奇麗な状態の女を抱くのは久しぶりだから、なるべく傷はつけたくはないんだが、そのきれいな肌を少しずつ俺たちの色に染めてやるのも悪くない」
兵士達は、懇切丁寧に彼女をどうやっていたぶるのかを説明した。そして、それを聞くと、マリーは悲鳴を上げるのをやめた。
立ち上がり、両手をきつく握りしめて、決然とした眼差しで兵士を見つめる。
兵士たちの言い分に、怒りを覚えたのだ。その怒りは、目の前の恐怖を上回った。
「今から40年前、初めてアスガルド王国で超遠距離魔法『メテオスウォーム』が開発されるまで、戦場はあなたたちのような剣士たちであふれていたと聞きます。剣一本に己の身を捧げ、正々堂々と戦う誇り高き兵士たちだったと…。あなた達には、その誇りはないのですか!?」
くすんだ茶色の髪は丁寧に結われ、腰の高さで揃えられていた。質素ながらも仕立ての良いロングスカートから、白くて健康的なふくらはぎが伸びている。スレンダーな体形だが、決して華奢ではない。彼女はこの町で鍛冶をして生活していたのだ。
町が粉微塵になる直前まで、マリーは町の道具屋で働いていた。今は使われることのなくなった近接武器の数々を取り扱う、骨董屋と言っても過言ではない小さな店だった。
壊れた武具も、雇い主であったマスターと二人で補修し、あるいは日常品として改良して販売して生計を立てていた。
マスターは年老いた、しかし熟練の鍛冶屋で、彼の手にかかればひびの入ったロングソードもたちまち白銀の輝きを取り戻し、あるいはバラバラになって使い物にならなくなった鎧は、軽くて丈夫な鉄鍋へと姿を変えた。
そんなマスターの口癖だった。
『マリー。昔の兵士たちは、それは雄々しく、誇り高い奴らばかりだった。剣は奴らの魂。剣が折れるときは奴らが死ぬとき。まさに剣と兵士は一心同体だったのさ。俺は、そんな奴らの武器を鍛え、強くすることだけが生きがいだった。誇り高き戦士の魂を磨くことが、俺の誇りだったからだ』
自慢げに語るマスターの顔は、いつでも楽しげで、そして寂しげだった。どれだけマスターが剣を鍛えようとも、もはやそれを使う兵士の魂は死んでしまっていた。
過ぎ去った栄光を懐かしむように、それでも彼らは近接武器を鍛え、補修し続けてきた。
しかし、今目の前に立つ男たちはどうだ。手にする剣は刃こぼれだらけ。身を守る鎧すらも脱ぎだす始末。これが、彼女の敬愛するマスターが誇りとする近接戦術師たちのなれの果てだ。
それが、どうしても許せなかったのだ。
「あなた達には、その剣の悲鳴が聞こえないのですか!?主に手入れもしてもらえず、無様に朽ちていく剣の嘆きが、あなた達にはわからないのですか!?」
彼女の叱責は、拳となって返ってきた。顔面をしたたかに殴られ、マリーの意識は一瞬だけブラックアウトした。
顔面を殴られた衝撃の次には、後頭部に鈍い痛みがやってきた。どうやら地面に倒れてしまったらしい。
「おい、せっかくの上物の顔を傷つけるなよ…」
「いいじゃねえか。こういう毅然とした女を少しずつ屈服させるのも、悪くねえじゃねえか」
「趣味の悪い奴だ…まあ、俺も嫌いじゃねえがな」
マリーに馬乗りになった兵士たちは、彼女の叱責など聞く耳も持っていなかった。頭にあるのは、どうやって楽しむか、ただそれだけ。
マスターに仕立ててもらったシャツが無残に引きちぎられる。形の良い胸がこぼれ、兵士たちが歓声を上げる。
マスターは、彼女をかばって死んでしまった。店の品も、根こそぎ消滅した。マスターとの思い出は、彼の息子の遺品だった服を、彼女のために仕立て直してくれたこのシャツだけだった。
それが、いともあっさりと破り去られた。マリーは我慢がならなかった。それをやっている男たちが、マスターがかつて愛した男たちだということが、だ。
「ん…?この女、首に何かつけてやがる…珍しい宝玉だな…?」
「やめて…それだけは!」
マリーの顔色が変わる。彼女が身に着けているそれは、本当の最後の瞬間に、彼女にマスターが残してくれた遺品だった。
道具を仕立て直しているときに、マリーが見慣れない加工が施されたネックレスを見つけたことがあった。武器とは呼べないその装飾品に、マリーはなぜか心を引かれ、マスターに尋ねた。
『マスター、この首飾りは…近接戦術師のための装備ではありませんね?』
『マリー。珍しいものを見つけてきたね。それは、近接戦術師達よりもさらに昔の時代の遺物だよ。はるか昔、世界には彼らよりも近い距離で戦う戦士たちがいたのさ』
『近接戦術師よりも…さらに近い距離…?そんなことが可能なのですか?』
『ああ。ある特殊な体質を持った一部の人間にしか使えない、キワモノ中のキワモノと呼ばれていたらしいが、それは確かに存在した』
思い出の中のマスターの声を、現実の兵士たちの笑い声がかき消す。珍しい宝を見つけたと、さらに上機嫌になって叫んでいたようだ。
「こりゃあいい!旧時代の遺物だぜ!売り払えば、当分はこんなところとはおさらばだ!」
「今日は本当にラッキーだ。おい女。お前も運がいい。生き延びたうえに、幸運な俺たちに拾ってもらえたんだからな!」
自分勝手な理屈をまくしたてる兵士たち。マリーは自分の目の前が真っ暗になるのを感じていた。人生が終わる。その確信があったからだ。
マスターが最後に残してくれたこの命も、わずか数時間で無駄に散る。それが、心から申し訳なかった。
可能であれば、マスターのいる天国とは違う地獄に落ちてしまいたい。あの世でマスターに合わせる顔がない。
マリーが静かに目を閉じた、その時だった。
「あの~…お取込み中のところ済まんが、ちょっといいか…?」
いかにも気弱そうな、飄々とした男の声が二人の間に割って入った。
「なんだテメエは!?他にも生き残りがいたのか。邪魔だからどっかに行け!」
「見て分かんねえか?お楽しみの最中を邪魔すんじゃねえよ」
「いや、お楽しみのところなのは分かってるんだが、そこのお嬢さんに聞きたいことがあってね」
聞きなれない声だった。ひょっとしたら町の外から来たのかもしれない。
(こんな状況の町にわざわざ来るもの好きが?兵士たちの仲間でもないのに…どういうことなの?)
混乱するマリー。おそらく、それは兵士たちも同じだっただろう。なにしろ、次の瞬間、遠くから聞こえてきた男の声は二人のすぐ後ろに移動していたのだから。
「お嬢さん、念のために聞いておくけど。こういうプレイが好みで、嫌がる兵士たちに無理やりやらせてる、ってわけじゃないよね?」
「うわっ!?」
声が瞬間移動した。そうとしか思えないような現象だった。その瞬間、間違いなく兵士たちは無防備な背中を見知らぬ男に晒したことになったのだ。
慌ててマリーから飛びのき、男と距離をとる。
マリーも、急いでその場から身を起こす。必然、新たにやってきた男の背後に隠れる形となった。
「で、どうなんだい?」
「見てればそんなの分かるでしょ!?無理やり自分を襲わせる物好きがどこにいるってのよ!?」
「いや、自分の隠れた趣味を他人に見られて急に恥ずかしくなったかもしれないかな、なんて思ってね」
「どこまで疑り深いのよ!?そんなわけないでしょ?私が一方的に襲われてたのよ!」
はだけた胸を急いで隠しながら、顔を真っ赤にして叫ぶマリー。男はそんなマリーの顔を覗き見ると、急に眼を見開いた。
猫背だった姿勢が、さらにいびつに歪む。下半身は前方の敵を向きながら、視線は背後のマリーの胸元に釘付けになるという、離れ業をやってのけた。恐ろしく柔軟な身体である。
もっとも、やられた本人にとってはただの痴漢にしか見えなかったわけだが。
「何するのよ!」
鍛冶で鍛えた腕力に物を言わせ、思いっきり男の顔面をひっぱたく。
バシイッ! と、いつもなら景気の良い音が響くはずだったが、今回は違った。まるでスライムでも叩いたかのように、男の頬に手ごたえはなく、何の音も響きはしなかった。
まるで、ビンタの衝撃をすべて吸収されてしまったかのような感触だった。
「ごめんごめん。つい夢中になって…」
本当に謝っているのかイマイチ疑わしい言葉を吐くと、男は身にまとっていたマントを脱いでマリーに手渡した。
「その胸に着けている首飾りに興味があってね。落ち着いたら、後で見せてくれるか?」
「この首飾りが…?」
男はそれだけ言うと、再び正面の二人に向き直った。
兵士たちは、端的に言って激昂していた。
「テメエ!俺たちの邪魔をして、ただで済むと思ってねえだろうな!?」
「武器も持たねえ、町民風情が!すぐにずたずたにしてやる!」
脱いだ鎧を着ることもなく、手にした剣で同時に襲いかかってくる兵士たち。
そんな二人を、男は静かな瞳で見つめていた。
「…スウ…」
小さな吐息が聞こえた気がした。男の呼気だろうか。マリーは、猫背の男が相手にお辞儀をしたように見えた。
次の瞬間。
猫背の男の体は、一人の兵士の腹の目の前に移動していた。
密着、というよりも、これはもはや抱擁に近い。猫背の男の体側は兵士の腹部にピッタリとくっついていた。
兵士の剣が止まる。当然ながら、この距離は剣の間合いの内側だ。こんな状態では剣を振っても当たらない。
「何の曲芸だ?確かに剣は当たらねえが、それじゃあお前も身動きとれねえなあ!」
二人目の兵士が剣を振りかぶる。一人目の兵士は、剣を捨て、両手で猫背の男を拘束した。
逃げ場はない。この密着した間合いで、小柄な男に抗う余地はない。
その場にいた、誰もがそう思っていた。
「…フッ!」
猫背の男が、呼気を吐き出す。刹那、火薬が炸裂したような軽快な音が響く。マリーには、猫背の男の体が、さらに一回り小さくなったように見えた。
「ガッハ…!?」
口から血を吐き、白目をむいて一人目の男が倒れる。
猫背の男は、何もなかったように二人目の男に向き直る。
その姿を見て、マリーはマスターの言葉を思い出した。
『彼らは、武器を持たない。近接武器の間合いの、さらに内側が彼らのフィールドだったという。相手に密着し、距離のない空間で最大の力を発揮する彼らの戦い方を、昔の人々はこう呼んだのさ』
「ゼロ距離…戦術…!」
「ふざけんなああ!」
二人目の兵士が剣を振り下ろす。脇の締った、良い太刀筋だ。これでは相手の懐に潜り込む余地はないように見えた。
猫背の男は先ほどのように軽く息を吸い込むと兵士に向かって歩を進める。先ほどよりもさらに深く体を曲げた。
身体を曲げた、というのは正しくない。猫背の男は、相手の足元に土下座するように身を投げ出したのだ。
完全に虚を突かれ、剣が虚しく空を切る。
「…フッ!」
先ほどと同じように、吐息と同時に炸裂音が響く。
兵士は足元を文字通り掬われ、軽々と宙を舞った。
二人の兵士を事もなく無力化すると、猫背の男は再び大きく深呼吸をした。軽い立ち眩みでも起こしたのか、足元が少しふらついている。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと持病の癪が出てね。気にしないでいいよ」
「それはそうと、助けてくれてありがとう。私の名前は、マリーよ。マリー=アナスタシア」
「コルト=マキシムだ。礼には及ばないよ」
本当に何でもないように、コルトは周囲の景色に目をやっていた。他に敵がいないか、確認しているのだろう。
「ところで、あなたのその技。見たことのない戦い方ね。誰に教わったの?」
「誰って…そりゃあ、師匠に教わったに決まってるだろ?」
「そりゃあ、そうなんでしょうけど…」
コルトの受け答えは、いちいち間が抜けていた。手ごたえがないという方が正しいかもしれない。先ほど、コルトの頬をひっぱたいたときの感触が思い出された。
「武装もしないで相手を倒すなんて、信じられないわ」
「倒してるわけじゃあ、ないんだけどなあ…」
頭をかきながら、せわしなく周囲に視線を向けるコルト。いちいち要領を得ない受け答えに、次第にマリーのいら立ちが募っていく。
「あのねえ、助けてくれたことには感謝するけど、もう少し相手の質問に誠意をもって答えるべきじゃないかしら?」
「これでも、目いっぱい正直に答えてるつもりなんだけどなあ…っと…危ない!」
何かを察したのか、コルトは先ほど手渡したマントをマリーから奪い取る。再び胸元が露わになるが、コルトは気にせずにそのマントを大きく翻す。
ボスボスボスッ と鈍い音が3度響く。マントの下に、力を亡くした矢が三本転がっていた。
「長距離戦術師団か。よっぽどこの町の人達に恨みでもあったのかな。普通は町ひとつ攻撃するのにここまでやらないよ?」
呆れる、というよりも感心するような声でコルトがマントをマリーに返す。
当のマリーは、顔を真っ青にしていた。遠くに見える長距離戦術師たちの数は、優に数十を超えていたのだ。
「あれだけの数の兵士に襲われたら、もうおしまいよ…」
「本当にどうしたんだろうね?あれだけ念入りに町を破壊した後に、それでも何の用があるんだろう?」
場違いな疑問を浮かべるコルト。彼には、緊張感というものがすっぽりと抜け落ちているようだった。
「ところで、さっきの首飾りを見せてくれないかな?俺の探し物かもしれないんだ。頼むよ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!弓矢隊に、投射魔法隊までいるのよ。逃げられるわけがないわ…」
「逃げるって、あいつらは君を狙っているのか?」
「知らないわよ!でも、実際に矢を打ってきたでしょ!?」
「…確かに一理あるね」
妙なことに納得したようで、頷くコルト。その隙を狙ったわけではないだろうが、遠方の部隊が矢を引き絞る音と呪文の詠唱が聞こえてきた。
どうやら、本気でこちらを生かしておくつもりはないようだった。
「じゃあ、君を無事に助け出せたら、首飾りを見せてくれないかな?」
「わかったわよ。もし本当にここから生きて帰れたら、首飾りでも胸でも見せてあげるわ」
自棄になって適当に答えるマリー。しかし、コルトは真に受けたようで嬉しそうに飛び跳ねる。
「OK!約束だからな!」
「あなた、本当に一人であいつらを倒すつもりなの?」
「そりゃあ、そうしないとこっちだって困るからね。一生懸命頑張るさ」
「いや、頑張ってどうにかなる問題でもないと思うけど…」
話も終わらぬうちに、雨のように大量の矢が飛来する。
コルトは、本物の雨が降ってきたような暢気さで見つめながらマリーに背を向けた。
そして、傘でもさすような気軽な声でこう告げた。
「とりあえず、一通り撫でてくるよ」