第7話 お見舞い[前編]
「にーちゃん?何をそんなにぼーっとしてるの?」
市内にある大きめの病院。足の骨を折られた夏芽は、そこに精神面の治療も兼ねて入院していた。
あの事件から三日が経った。初めは色々と思い出してしまったのか、突然泣き出してしまうことも度々あったが、今はベッドの上にいながらも、笑顔で仁と話そうとすることができている。回復はしているようだ。
ただ、仁の方はというと…
(この姿を皆にバラす…。いやしかし…。うーーーーん)
頭を抱え込んでいた。
先日の拓と透里との会話を思い出す。
■
三日前、事件後。
「生きにくくないかって?」
「うん。なにも、隠したまま貫き通すなんて難しいことだろ?」
「いや、そうかもしれないけど…」
「仁、この提案は私も賛成よ。これ以上仁に無理はして欲しくないもの」
「いや、でも、うーーーん…」
「まぁ、無理せずゆっくり考えて。それより今は夏芽ちゃんのところに行かなきゃいけないでしょ?」
「そうだな、ちょっとゆっくり考えさせてもらうよ」
■
考えた結果、何も思い浮かばなかった。
透里は今日お見舞いに来ると言っていた。つまりは今日、何らかの返事をしなければならない。なのに何も答えを出せていない。
(…どうすれば、どうすればいいんだ?)
「もー!にーちゃん、顔を上げてよ!」
はっ、と我に返り、顔を上げ夏芽を見る。
夏芽はぷくーっ、と頬を膨らませている。
「あ、夏芽、おはよう」
「ずっと前から起きてるよっ!」
もう知らない!と布団を被ってしまった。
怒らせてしまった。
「悪かったよ夏芽、そう怒んなって」
すると夏芽は顔半分を布団から覗かせて
「にーちゃんは何にそんなに悩んでいるの?」
そう聞いてきた。
正直に言うか…。
「あのな、兄ちゃん、この姿のこと、皆に話そうと思っているんだ」
夏芽は少し驚いた表情だった。
「にーちゃん、ほんとにそれでいいの?」
「それで今悩んでいるんだ」
「にーちゃん自身はどうしようと思ってるの?」
「俺自身…」
「にーちゃんは今の状態、ほんとに生きにくいと思ってる?正直に言って、元の姿に戻るんだったらそれは妹として言って欲しいと願うけど。でもそんなこと起こるか分からないし、もしかしたら言ってしまった方が後ろ指を指されたりしちゃって生きにくくなるかもしれないよ」
夏芽の言っていることは全て正しい。確かにこの姿を拓や透里は除き、他の人達が素直に受け入れ、元々の仁のように接してくれるとは到底思えない。
(そう考えると…)
「そうか!夏芽分かった、ありがとう。そう言ってくれるとこっちも助かるよ」
ようやく答えを見つけ出した。
「えええ?夏芽、そんなにいいこと言った?」
「あぁ、自慢の妹だ。ありがとう」
「なんか答えになってないし、その姿で言われても全然響かないし…」
そうは言いつつ、夏芽は顔を赤くし、再び布団の中へ顔をうずめた。
(さて、ケジメをつけようか)
仁がそう決意したのと同時に、病室にノックの音が響く。
「夏芽ちゃん、こんにちは」
透里がやって来た。
「あ、えっと、透里さんこんにちは」
布団からひゅっ、と顔を出し夏芽が応える。
「足の方はどうだったの?」
「全治には三ヶ月かかるみたいで、しばらくは松葉杖生活が続きますね」
「そう、何か困ったことがあったら何でも相談してね。すぐ、助けるから」
「ありがとうございます」
夏芽はにこやかに笑った。
「なぁ、透里」
仁が横から割り込む。
「なぁに?真剣な顔しちゃって。まぁ、その顔じゃ緊迫感があまり伝わって来ないけれど」
そう言って透里は仁のほっぺたをむにゅ、とつまむ。
「ひまはほんなほほひへふばあひひゃにゃいんにゃけど…」
おかげで上手く喋れない。
「思った以上にぷにぷにね、もっと触らせて頂戴」
「あぁ、透里さんずるいですぅ!な、夏芽も、夏芽も触りたいい!」
ぐいぐい、ぷにぷに、むにむに。
はたから見たら大人びた高校生と中学生くらいの女子二人が寄ってたかって幼女で遊んでいるようにしか見えないであろう。
(なんだこれ…)
抵抗する気にもなれず幼女こと、仁はされるがままにされていた。すると
「おい仁、どういう状況か説明してもらおうじゃないか…?」
後ろから怒りを感じる声が聞こえた。
デブだ。じゃなかった、拓だ。
「俺で遊ばれているんだ、助けてくれ」
「そんなの、そんなの許せるわけないだろっ…」
わなわな…。
うん、すごい嫌な予感。
「俺にも触らせろ!幼女がっ、幼女が目の前にいいいいい!」
「うわああああああ!寄るなロリコン!!」
ぱこーん。
ばたばたさせた足が拓の顎にジャストヒット。
「うっ…」
拓そのまま床に倒れる羽目となった。そしてその後すぐに看護師にこっぴどく叱られる羽目となった。
(せっかく答えを出したのに、緊迫感もあったもんじゃねぇ…。)
白目を剥きながら、それでもどこか幸せそうな表情を浮かべ倒れている拓を睨みつけながら、仁はそう思うのだった。
■
「おい仁!痛かったじゃねえか!脳震盪起きたぞおい!」
「うっせー!お前が悪いんだろ!!」
病室の外の広場に出てきた。透里は夏芽を車椅子に乗せ、外へと連れてきた。
ぎゃーぎゃー騒ぐバカ共を横目に、夏芽は透里にこんな事を聞いてみた。
「透里さん、何で透里さんはにーちゃんのこと、好きになったの?」
突然の質問に透里も少し驚いた表情を見せる。
「あんな日頃からゲームばかりして、学校でもろくに友達作らないで、成績も悪いし、顔も、今は可愛くなったけど決して良かったとは言えないし…」
「そうね、あいつの駄目な所を言っていたらキリがないくらい駄目な男だものね。でもね、大事なのは外見じゃないの」
「にーちゃんの中身はいい人だってことですか?」
「うん、そうね。ちょっと昔の話になるんだけど、私ね、今もそうかもしれないけど、前はちょっと気難しいところもあって、孤立していたことがあったの。あの頃の仁は今以上にやさぐれてたけどね…」
笑いながら透里は話し始めた。
■
中学一年生の頃の話だ。同じクラスになった透里と仁はここで初めて出会った。当時、透里は正義感がとても強い女子であり皆からも慕われていた。学級委員長にもなり、クラスのリーダー格としての地位を築いてきた。そんな透里が仁に話しかけたのは一学期の授業中の事だった。
「武田、くん、だよね?ほら、グループワークの授業だよ。一人でいるんだったら私達のグループ、入らない?」
教室の隅の席で寝ていた仁に透里は話しかける。仁はのそっ、と顔だけを動かし、透里を見上げる。
ね?と笑顔を向けてくる透里に対し、仁は
「あぁ…?俺は人との付き合いが苦手で大嫌いなんだよ。眠りの邪魔だから、こっちくんな」
そう言い放ち再び寝始めた。
「んなっ…」
それは透里が初めて味わった屈辱でもあった。今まで彼女についてこなかった生徒は誰もいなかった。それほどまでに慕われていただけに彼女にとっては大きなダメージとなった。
「透里ちゃん、もういいよ。ほっとこ?」
同じグループの女子達も透里に声をかける。
「え、ええ、そうね。放っておきましょう」
このままでは授業の時間が無駄になってしまう。そう思い自分の席へと戻る透里であったが
(こんな屈辱味わらせて…。絶対に慕わせてやるんだからっ…)
密かに燃えていた。
それからというもの、透里は毎日のように仁に話しかけていった。
朝。
「武田くん、おはよう!今日こそ寝ないで授業受けよう!」
昼。
「武田くん、一人でお弁当食べてないでこっちに来て食べない?」
夕。
「武田くん、また明日!明日こそは私と話してくれると嬉しいな!」
二ヶ月にわたりこんな生活を続けていた。全て無視。
さすがに無視され続けた透里は
(なによあいつっ…。人がこんなにも優しく接しているというのにっ)
ブチ切れた。ついには帰り道まで同行するようになった。
「武田くん!いつになったら私の目を見てくれるようになるの!?」
「ねぇちょっと!聞いてる!?」
「待ちなさいってば!」
すると仁は急に立ち止まり、振り返る
「…るせぇんだよ…」
「…え?」
「うるせぇっつってんだろ!なんなんだよ!構うなよもう!何でついてくる!?何で俺ばかりっ…!」
久しぶりに聞いた仁の声はこれほどまでにない、怒りの声だった。
仁は走り出した。
透里はそこに、置いてかれてしまった。
次の日、仁は学校にはいなかった。
もしかしたら昨日のこと、気にしてしまったかもしれない。透里は心配していた。
帰りに謝りに行こう、そう思っていた。
学校では文化祭が近いうちに開催されるということで校内は装飾やら材料の買い出しやらで忙しい期間に入っていた。
当然、透里達のクラスも出し物をするということでクラス内での話し合いが始まったのだが…。
「はい、では文化祭の出し物についていくつか案を出したいと思います。やりたいものがある人は挙手してください」
学級委員長である透里はひとまずクラスをまとめようとする。しかし、
「え…?」
誰一人手を挙げようとしない。それどころか皆こちらを一斉に睨みつけてきた。
訳が分からない。どうして急に、こんな…。
すると一人の女子が立ち上がり
「さて、皆、文化祭の出し物でも決めようか」
そんなことを言ってきた。
「出し物の案がある人は挙手を」
戸惑う透里には構わずどんどんと進行を進める。
するとどうだろう。クラスの生徒が次々に手を挙げていく。
「ねぇ、ちょっとどういうこと?」
訳が分からない透里は仕切る女子に問いただす。
女子はふう、と息を吐き
「あんたさぁ、今まで自分が何してきたか分かってんの?」
そう吐き捨てた。
「…え…?」
「確かに一学期まではあんた学級長としての仕事をこなしてきたと思うわ。けどねぇ、あんた途中からあのド陰キャのことばかり夢中になって仕事しなくなっていったでしょ?終いには放課後の仕事もせず一緒にご帰宅だなんて。それで何?あいつが休んだ時はこうやってまたリーダーぶるんだ。あんたがやってこなかった仕事、誰がやってきたと思ってるの?」
はっ、と透里は思い返す。
確かに二学期に入ってから仁に話しかけるのに夢中になりすぎて他のことに頭が回っていなかった。
突然
「そうだぞ!お前が書かなかった資料、俺が居残って書かされてたんだからな!ふざけんなよ!」
一人の男子生徒が声を荒らげる。それを皮切りに次第に透里へのブーイングが怒り始める。
「お前のせいでこの前の部活、出れなかったじゃねえか!」
「彼氏と約束があったのにっ、あんたのせいで遅刻して怒って帰っちゃったじゃない!!」
ブーイングは次第に大きくなっていく。
今まで透里が築きあげてきたものが崩れる瞬間てあった。
「あんたさぁ、もういらないから、ほら、大好きな武田くんだっけ?そいつんとこ行けばいいじゃん」
突然、クラスからそんな声が聞こえる。
クラスで怒っていたブーイングは次第に皆が声を揃えながら帰れコールへと変わっていった。
「かーえーれ!かーえーれ!かーえーれ!」
「はい、あんたもうこのクラスにはいらないから」
そう言って仕切っていた女子は携帯を透里の顔の前に押し付け、クラスのグループトークから退会させて見せた。
「はーい、元学級長、真澤透里さん。このクラスよりご退席でーす」
仕切り女子が声を上げる。
クラスは一段と盛り上がる。
「…っ…」
透里の目からは涙が零れてくる。
「あらやだ?泣いちゃったの?みんなー見て見てー。この子自分が悪いのに泣いちゃってるよー!悲劇のヒロイン、可愛いねぇ」
仕切り女子の煽りにクラス全員が乗ってくる。
「泣いてやがるぜー!」
「うわぁ、キモっ」
「おいおい、ちゃんと謝れよ!皆さんと同じ教室にいてすみませんってな!」
もうどうしようもない。そう思った時。
バガンッ、と教室の前のドアが乱暴に開けられた。
「ったく、どいつもこいつも気持ちわりぃ。だから人付き合いは嫌いなんだ」
クラスに静寂が訪れる。
「あっ…」
透里の目に映っていたのは、ドアを蹴り飛ばす仁の姿だった。