第6話 反撃
兄、仁が消えてから半日が過ぎた。気になることがあると言って走っていった透里もあれから帰ってきていない。家には夏芽、ただ一人だ。本当に仁は何処へ行ってしまったのか。頭の中にはそのことでいっぱいだ。
(どこ行っちゃったのにーちゃん…。もう夏芽を一人にしないでよお…)
夏芽は一人、静かに泣く。
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三十分は走ったであろう。透里がやってきたのは仁の友人の一人、拓の家だ。玄関の前には拓が既に立っていた。
「仁子ちゃん、まだ見つからないか?」
「ええ、まだ、ね。けれどさっきあなたがくれた連絡に仁の家の前を見た事のある車が通り過ぎていった、そう書いてあったものだから、何か手がかりになるものがあるんじゃないかなと思ってね」
先程透里が皆にメッセージで聞いたものの中に朝、仁の家の前に見たことある車がいた、という返信が拓からあった。その時はただのご近所さんだろうと特に気にもしなかったが、防犯カメラの映像を見て、犯人が車を使って逃げたと分かり、拓の情報が犯人を突き止めるのに有益なのではないか、そう考え透里は走ってきたのだ。
「それで?俺が見た車が何か関係しているのか?」
「えぇ、おそらく。車を見た時間はいつ頃?」
「学校の補習を受けに行くために、七時半前くらいに仁の家の前を通った。車の中に人も乗っていたぞ」
時間は、ジャストだ。
「色が黒いワンボックスカーだったりする?」
「そう。んで、見た事のあるって言ったけど、たぶんあれ、三年前に同じような事件で捕まった奴の乗ってた車と同じ車だぞ」
「…。なんでそんなこと知ってるの?」
「少女誘拐って許されないなって思って、そのニュースをめっちゃ見てたから。要するに俺はロリコンだ」
うわぁ…。
「犯人は半年くらい前に釈放されている。もし今回の夏芽ちゃんをさらった奴と同一人物だとしたら、もしかしたら突き止められるかもしれない」
「今犯人がどこに住んでるか分かるの?」
「もし、同じような手で犯行に及ぶとしたら、犯人が行きそうな場所、ね。たぶん家は使わないだろう。警察に場所はバレているからね。俺の予想だと…」
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三年前のニュースをインターネットで見つける。いてもたってもいられなかった夏芽は、ネットを使っての情報収集を始めていた。
「小学五年生の女児を誘拐。犯人逮捕。今年二月に釈放…」
今回のケースに似ていないことも無い。車を使い、朝の登校を狙って誘拐。車を使ったのかどうかはわからないが、朝という点では一致している。
「もしかしたら…」
今回の犯人と同一人物かもしれない。
ニュースの本文には、少女の証言により連れていかれた場所が明記されている。場所は…。
「ここって…!」
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「ねぇ、お名前、教えてよお。おじさんと遊ぼう?怖くないよお。ねぇねぇ」
震えは止みそうにない。瞳が濁った目をこちらに向けてきて、ニタニタ笑っている。圧倒的な嫌悪感で吐き気がする。
「僕はねえ、土志田修名って言うんだよお。よろしくねえ。ねぇねぇ君のお名前は?夏芽ちゃんとはどういう関係?ああ、今夏休みかあ。ひょっとして、お泊まりかなあ?君の声を使って助けを求めたら、夏芽ちゃんも来てくれるのかなあ?ねぇねぇどう思う?ねぇねぇねぇねぇ」
鼻と鼻が当たる距離まで迫ってくる。とても臭い。そのまま頬を舐められる。
「ひっ…」
「じゃあそろそろ始めようかなあ?名前を聞けないのは残念だけどお、まあいいかあ。楽しもうねえ」
(も、もう駄目だ…!)
そう思ったその時、部屋のドアが乱暴に開けられる。
「に、にーちゃん!!」
夏芽が飛び込んできた。
「え…?何この部屋…?」
「馬鹿野郎!早く逃げろ!!」
振り絞り、出せるだけの声をありったけ出し、仁は夏芽に叫ぶ。
「逃げるわけないでしょ!にーちゃん、今助けるからっ!」
「えっへっへっへえ、まさか夏芽ちゃんの方から来てくれるとはねえ。神様はいるもんなんだねえ」
男は夏芽に襲いかかる。しかし夏芽は軽い見のでそれを避け、足をかけ、仰向けに転倒させる。そのままみぞうちをえいっ、と精一杯踏みつける。男がその場から動けなくなるのを見て、夏芽は拘束されている仁に近づき、紐を解く。
「馬鹿野郎、なんで来たんだよ…」
「馬鹿野郎はにーちゃんの方だよっ!朝起きたらいなくなってて、夏芽がどれだけっ…うっ…どれだけ心配したかっ!」
大粒の涙を零し、夏芽が泣き叫ぶ。
「…、ごめんな」
紐を解き、仁が解放される。
「心配かけちゃったか、ごめんなこんな兄ちゃんで」
そっと夏芽を抱きしめる。今は自分より背が高い夏芽だが、そんなことは気にしない。
「うっ…うっ…」
夏芽は泣いたままだ。
「さぁ、ここは危険だ。すぐに帰ろう」
「うん…」
手を繋ぎ、部屋を出る。
突然
「きゃっ」
夏芽の足が掴まれる。
「待ってよお、置いて帰るなんてひどいよお。もっとおじさんと遊んでいこうよお」
男が笑いながら夏芽の足を掴んでいた。
「この野郎…、まだ…」
「いっ、痛い痛い!」
夏芽が叫び出す。かなりの力で夏芽の足を掴んでいるようだ。
「僕があ踏まれた時はあ、もっと痛かったんだからねえ?ちなみにい、りんごを潰す程度ならあ、容易いくらいの握力をもっているよお?」
嘘だろ…?このままだと夏芽の骨が折られる。
「痛いっ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいい!」
泣き叫ぶ。
「おい離せっ!話せってば!」
仁は蹴りを入れたり、引き剥がそうとするが、この姿では力が全く入らない。すると
バキッ
という鈍い音が響いた。
見ると
夏芽の足が変に曲がっていた。
「うわああああああっ!いっ痛い痛い痛いいいいいいいいいいいいっ!」
遂に折れてしまった。ようやく男は夏芽から手を離す。ぐるり、と回って次は仁に襲いかかる。
「ねぇねぇ、兄ちゃんってどういうことなのお?女の子だよねえ?まあいいやあ。さっきの蹴り、痛かったなあ。夏芽ちゃんと同じ目見せてあげるう」
僅かな隙間から逃げ出そうとするが、長い時間動かなかったからか、身体が上手く動かない。自分の足でつまづき、転倒する。
「えっへっへっへえ」
ガッ、と足を掴まれた。メキメキと嫌な音がする。
(お、折られるっ…)
突然
「警察だっ!大人しくしろ!!」
部屋に警察がなだれ込んできた。後ろには透里と拓がいる。一瞬、何が起こったか理解できなかった。男は警察に突き飛ばされ、手錠をかけられる。
「君っ、大丈夫かい!?」
若い警官が駆け寄ってくる。
「俺は大丈夫ですけど、妹の方が…」
一人称とかもう気にしていられない。夏芽はっ…。
「一人っ、足の骨折の重症!痛みで気絶している模様!急いで担架を!」
どうやら気絶してしまったようだ。今更ながら、外のパトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてきた。すると、
「うぶっ」
透里が抱きついてきた。
「大丈夫だった!?怖かったでしょう!?私ったらこんなに見つけるのに時間がかかってしまってっ…!」
目には涙を浮かべている。
「大丈夫だよ。透里、助けに来てくれて、ありがとう」
「よかったあああ」
声をあげて泣く透里を見たのはこれが初めてのことだった。頭をぽんぽんと叩く。
「俺も貢献したと思うんだけど…」
拓が近づいてくる。あ、まずい、バレる。
「あ、えっと、ありがとうございました」
「もう分かってるから素に戻れ。何で俺に相談しねぇんだ、アホ」
どうやら透里が話したらしい。拓にもバレてしまっていたようだ。
「何だよ俺のバレないための苦労は一体なんだったんだ…。ま、助かった、ありがとう」
「仁と分かってても言われると照れるな」
てれっ。
きも
「で、どうやってここが分かったんだ?」
「あぁ、俺、ロリコンじゃん?」
「知ってる」
「三年前に同じような事件があったことを思い出してな、今朝お前ん家の前に止まってた車とその三年前の事件の犯人が使ってた車が同じでな、それでここまで来たんだ」
「で?」
「やっぱ犯人馬鹿だよな。同じ車使っていたからたぶん場所も同じところなんじゃないかと思って。警察署に行ってきたから時間かかっちゃったけど」
「ほうほう。それで?ここはどこなんだ?」
「俺の家の裏」
「…。は?」
「だから三年前俺もびっくりしたんだよ。まさかうちの裏で犯行に及んでたと知った時にはさ。え?もっと早く助けに来れたんじゃないのかって?いやぁ、最初透里が俺らだけで突っ込もうと言った時は流石にびっくりしたよ。チキって警察行こうって言ったの俺だけど」
「仁ごめんね、私は早く行こうと思ったんだけど、このデブが…」
ゴゴゴゴゴ…
「ひいっ、ごめんなさいいいいっ!」
まぁ、何はともあれ助かった。夏芽は心配だがひとまず一件落着だろう。
「で、仁、お前これからどうすんだ?」
「え、夏芽の元に向かおうと」
「違う違う、俺に正体バレたじゃん」
「あぁ、それならちゃんと黙っとけよ?」
「別にいいけどさ。だけどよ」
「ん?」
「お前、生きにくくねぇの?もういいんじゃね?皆にバラしても」
透里も頷いている。
え、えええええ…。